第27話 やぶ医者の酒は傷を癒やす
にゃーさんを一通り触診し終えると、ラム兄はこう結論を下した。
「あぁ、これは酷いね。身体中が傷だらけだ、かわいそうに」
「……治りますか?」
恐る恐るリリは訊く。
大仰に手を振ってラム兄は答えた。
「だーいじょうぶ、治る治る!」
懐をごそごそとまさぐった彼は、銀色のスキットルを取り出す。
「ちょっと待っててね…………」
♦
――――あれから。
二人組との喧嘩が一件落着した後。
にゃーさんが傷だらけになっていることを、俺はラム兄に包み隠さず話した。
彼が医者を名乗るのであれば、道端に座り込んだ怪我人を放っておくはずがないと踏んだためだ。
実際、彼は快くこの治療依頼を引き受けてくれた。
気絶していたリンチ組については、茶髪の着けていたサスペンダーで縛り上げて地面に転がすことにした。
巡回中の憲兵に向けた書置きを残してあるから、直に彼らは連行されるだろう。
もう三発くらいお仕置きしたかったが、ラム兄に止められたため我慢した。
そうして、街灯が点き始めた黄昏時。
急いで俺たちは、にゃーさんが倒れている現場へと戻った。
ラム兄の顔を見たリリは、案の定目を丸くしていた。
昨日助けてくれた白衣さんがなぜココに?
そう言いたげな表情をしていた。
至る現在。
平べったい形をしたスキットルの蓋を開け、ラム兄は治療法について説明する。
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「……では、今から君に《治癒魔法》を掛けます。ちょっと驚くかもしれないけど、なるべく動かないでね」
「は、はい」
「じゃあ、目を瞑ってー……リラーックス、リラーックス」
子守唄を囁くように、彼は患者の緊張をほぐしていった。
同時にスキットル中に入った液体を、自身の口に含む。
いったい何をする気だろう。
一歩離れた場所で、俺はラム兄の動向を眺めていた。
スゥーッと鼻に来る香りからして、あのスキットルの中身は明らかにアルコール度数の高い蒸留酒。
多分、五十回は蒸留を繰り返しているであろう危険物だ。
まさか島国のファイヤーダンサーみたく火をつける気じゃないだろうな。
馬鹿馬鹿しい絵面が脳裏をよぎり、乾いた笑いが奥歯にこびり付く。
ラム兄が頬に力を込めた。
「――ぷぅーっ、とな」
「……!」
透明な酒が、ラム兄の口から霧状に散布される。
ぎゅっと目を瞑るにゃーさんの全身に、それは所余さず降りかかった。
思いのほか冷たかったのか、猫耳は反射的にピクピク震えている。
青臭い良薬を舐めたように苦い顔をして、俺は状況を見守っていた。
この白衣の男がもっと卑猥な顔をした時には、思いっきり後頭部を蹴とばそうと思い、監視していた。
だが、これは杞憂だったみたいだ。
「……あ、れ?」
目を開けたにゃーさんは、何かに驚いている様子だった。
肩を回し、自分の胸や腹をぺたぺた触り、最後に顔を隈なく触る。
「――傷が治ってる」
彼女は言った。「それも全部……?」
額にあった切傷。手の甲にあった擦り傷。
服で隠れた部分にあった痣。
そういったダメージは全て、にゃーさんの身体から跡形もなく消えていた。
怪奇現象でも目にしたかのように、彼女は口を半開きにする。
「うん、よしよし。《治癒》はしっかり効いたみたいだね」
消毒用の酒が入ったスキットルを懐にしまうと、ラム兄は白衣のポケットから例のボトルを取り出した。
そこに溜められた飲酒用のラム酒を、彼は一口飲む。
「熱っぽくないかい? まれに副作用が出ることがあるんだ」
「倦怠感はないですけど、さっきの……えーと……」
「ん? 何か質問かな?」
「……さっき、口から噴霧したのはいったい?」
「あー、ただのお酒だよ。液体を吹き掛けて魔法を発動させるなんて手法、使う人はそう多くないからね。汚いことしてごめんよ」
戦慄が走った。
ラム兄が酒を口から撒いたことに、俺たちが嫌悪感を抱いたからではない。
彼の知られざる異次元レベルの実力を垣間見て、鳥肌が立ってしまったのだ。
(――魔法陣も詠唱もなかったのに、《治癒》を起動させた。
しかも治癒した瞬間も見えなかったし、魔力の揺らぎだって感じ取れなかった……そんなの、規格外すぎる!)
魔法を使うには通常、魔法陣と詠唱が不可欠だ。
これらは、ヒトの身体を流れる魔力に『命令』を与えるための操作。
省略すればそれだけ魔法のコントロールは難しくなる。
包丁を使わずに、水を使わずに、鴨肉料理を作るようなものだ。
凡才にはまず真似できない芸当である。
それをラム兄は、顔色一つ変えずにやってのけた。
しかも治癒魔法が発動した瞬間を、にゃーさんの傷が治る瞬間を、俺は見切ることができなかった。
それだけ、彼の魔法はスピーディーだったのである。
そこでようやく、俺はこのヤブ医者の正体を察した。
(……こいつ『精霊使い』だ)
人が日常生活に役立つような魔法を使うには、精霊の助力が必要だ。
その常識は、この酒好きとて例外ではない。
俺とリリが契約しているように、彼もまた超自然的な何かと契約を結んでいるのである。
精霊の姿はどこにも見えない。それでもこの男が只者でないのは確か。
おそらく、彼にはまだ謎がある。
(人は見かけと惰性によらない、ってことか……)
創造神の粋な計らいに、俺は少し感心した。
すると、
「さーて! 君のご友人の治療も終わったし、僕はこの辺で失礼させてもらおうかな!」
そっとにゃーさんに帽子をかぶせたラム兄は、そう言うと俺の右肩を優しく叩いた。
そして、俺の耳元でこう囁く。
「……帽子の彼女のことは、心配しないでくれ。僕が責任を持って、ヨナスから守るよ」
「守る……って、今なんて言った?」
彼の一言に、俺は強烈な違和感を覚えた。
ヨナスの人物像も彼が犯した事件についても、まるですべて見透かしているかのような口ぶり。
どう聞いたって不自然だ。
俺は反射的に、ラム兄の素性について深掘りする。
「――あの二人組は、丁寧にしばき倒した。あいつらが報復に来る可能性は、低いはずだ。
なのに、アンタ……にゃーさんの身に危険が及ぶって、なんで言い切れるんだ?」
ラム兄は答えた。
「思い出してくれ。昨日、闘技場の地下に憲兵を連れて行って、ヨナスを取り押さえたのは僕だ。ヨナスの悪事については、僕だってよく把握してるのさ。
……そこの可愛い記者さんだって、おおかた事件に巻き込まれた被害者なんだろう?」
「そうだな」
「ヨナスは執拗な性格の持ち主だ。下っ端二人がやられたくらいで、自分の汚職を追ってる記者を見逃すはずがない」
「あぁ、地の果てまで追おうとするだろうな」
「君だって指名手配されてる一人だ。でも、あの記者さんは誰かが守らなくちゃいけない。
――だから、彼女は僕が保護する。そうすれば、君は心置きなくこの街から出られるんじゃないか?」
確かに、ラム兄の言うことは間違ってはいない。
裏取引の場をぶち壊した張本人である俺が連れ立っては、にゃーさんを逆に危険に晒してしまう。
それならば、徒手空拳もできそうなこの白衣の男の方が、彼女の護衛役には適任だ。異論はなかった。
ただし。
「――アンタが信用できない。にゃーさんの身体に手を出さない、って保証が欲しい」
「はい?」
「こういうときエロいことするんだろ、医者ってのは」
「何その偏見!?」
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