第23話 猫耳ジャーナリズム
図らずも出た俺の大声は、どうやら男たちの耳にも入ったらしい。
邪魔を入れた俺たちのことを一瞥すると、即座に男たちはコープス・マーケットのある方の道へ逃げていった。
一瞬、男どもを追おうか迷った。
だが今やるべきことは、にゃーさんの手当てだ。
あんな低俗な奴らを相手にしている場合じゃない。
ボロ雑巾のように捨て置かれた彼女へ、俺は全力で駆け寄った。
「――大丈夫か、にゃーさん!」
「……ん、あぁ……誰かと思えば、スティーブンじゃないか……」
「無理はしないでくれ。ちょっと体を起こすぞ」
細心の注意を払い、にゃーさんを壁に寄りかからせる。
相当な時間、殴られていたのだろう。
彼女の身体は、目も当てられないほどにボロボロだった。シャツのボタンは全て取れ、開けた胸元は擦傷だらけの肌が空気に触れている。
すぐに俺は、応急手当に取り掛かった。
(……打撲箇所は多いけど、骨折による腫れはないな。重症じゃなくてよかった!)
彼女の控えめなボディラインを、自前のマントで覆い隠す。
他に処置が必要そうなのは、頭からの出血くらいだろう。
しかし、彼女のチャームポイントである帽子が邪魔で、傷口が何処にあるのかわからない。
食事中であっても、にゃーさんは帽子を外そうとしなかった。
その拘りにはさぞや深い理由があるのだろうが、今は緊急事態。
この行為も許してくれるはずだ。
「悪い、にゃーさん。帽子取るぞ」
「えっ、ちょっと待っ――」
制止も聞かずに、俺は彼女の頭から帽子を外した。
そして、目を丸くした。
♦
…………ピコンッと尖った三角形。
ふわふわの毛におおわれた猫耳が、そこにあった。
「――アンタ、猫の獣人だったのか!?」
「……」
獣とヒトの特徴をそれぞれ併せ持つ、亜人ヒエラルキーでも中堅どころに属する種族。
それが『獣人』だ。
その容姿は、各個人の血の濃さや体質によって千差万別。
体中がクマのように毛むくじゃらになる者もいれば、肉球がある以外はマナリア人と変わらない者もいる。
にゃーさんの場合、猫の特徴が顕著に現れたのは「耳」だけなのだろう。
これを隠してしまえば、周りから亜人だと気づかれずに活動できる。
だから彼女は、どんな時にもハンチング帽を被っていたのだ。
「…………あはは。バレちゃったかぁ」
秘密を知られて、寧ろ気が楽になったのだろう。
頭から血を流しているというのに、にへらっと彼女は笑っていた。
「これで君も分かっただろう? 私が…………にゃあが、リンチに遭った理由がさ」
「――仲間内では素性が割れてた、ってわけか」
「亜人はね、トカゲの尻尾切りにされがちなんだ。
失敗の責任は、いつもにゃあが背負ってきた…………にゃーに。怪我することなんて、日常茶飯事だよ」
「……止血するぞ」
バッグの中から取り出したちり紙を、ゆっくりと彼女の額へ押し当てる。
血を吸った紙は赤くふやけていったが、それに比例するように彼女は緊張を解いていった。
「わたし、お医者さん呼んでくる!」
そう言ってリリは、あたふたと足を動かして駆け出そうと構えた。
だが、
「――待って」
「え?」
街の診療所へ向かおうとするリリを、にゃーさんは引き留めた。
「にゃあのことはいい……それよりも君たちに、伝えたいことがあるんだ」
そんなの後回しにすればいい、と一瞬俺は思った。
だが彼女の優しげな眼を見て、その気が失せてしまった。
仕方なく、俺は小さく頷いてやる。
「……結論だけ言うよ」
血の滲む切れた唇で笑うと、ぽつぽつと彼女は話し始めた。
「君の言う裏取引。人身売買には、まだ他の精霊騎士が関わってる可能性が高い。
それもヨナス卿と『同格』…………あるいは彼の『後ろ盾』になれる程の実力者が、ね」
「――ッ!」
耳を疑う俺を置き去りにして、にゃーさんは続ける。
「……リンチしてきた奴らから引き出したんだ。……『奴隷を卸売りする彼とは別に、売買ルートを確保していた人物がいる』ってね。
…………そう失言を誘導した途端、問答無用でボコボコだ。
おそらく彼らを雇ったヨナスにとって、この詮索は不都合なことだったんだよ」
中腰で手当てしていたさすがの俺も、ショックで地に膝を着けてしまった。
他人を食い物にして人生を愉しんでいる奸悪が、精霊騎士に二人もいる。
別に憧れの職業に夢を見ているわけではなかった。
だが、それでも幼少時代から目指してきた道だ。
自分の遥か先を行く練達の士の中に、クズがいると聞かされた。
がっくり来て当然だろう。無意識にため息を吐いてしまう。
だが、そこで俺はハタと気づいた。
(……何か、おかしくないか?)
二部リーグの精霊騎士は、貴族の当主と同等の権力を持っていると言われている。
そんな社会的地位の高い人間の周囲を、無遠慮に嗅ぎ回ることが如何に危険な行為か。
頭の切れる彼女であれば、重々わかっていたはずだ。
なのになぜ、にゃーさんは引き際を見誤ったのだろうか。
裏取引についての詳細な情報を、俺たちに提供してくれるのだろうか。
「……あの男たちがヨナスの使いっ走りで、精霊騎士にクズ野郎がいるのは分かったよ」
俺は言った。「これからは、もっと慎重に行動する」
「そうか……お役に立てて、うれしいよ」
「でも、一つだけ答えてくれ」
「……なんだい?」
つぶらな瞳がこちらを向く。
傷だらけで、血だらけで、痛々しい姿の彼女に俺は訊いた。
「――――アンタ、ずっと俺たちを町から逃がそうとしてくれてたのか?」
「……」
そうだ。
彼女は初めから、俺たちの味方だった。
飛躍したストーリーに見えるが、そう考えるとこれまでの話の辻褄が合う。
闘技場で俺に接触してきたのも。レストランで食事をしたのも。
自分がヨナスに雇われた記者であることをバラし、逃げるよう忠告したのも。
どれも彼女の独断による、俺たちへの厚意だった。
だから今回、無謀な賭けに出た彼女はリンチに遭った。
俺たちに有益な情報を渡そうと無理をしたばっかりに、手ひどい制裁を受けてしまったのだ。
「……にゃあは、しがないフリージャーナリストだ」
己の真意を見抜かれて観念したのだろう。
降参するように、にゃーさんは両腕を挙げた。
「……だから君たちのことも、本当はテキトーな記事にして金にしようと思ってたんだ」
でも、と彼女は瞼を閉じる。
「闘技場で騒いでいる君たちを見て、何となく直感したんだ。
――――例え、生まれのせいで不遇な扱いを受けていても、希少で高値が付きやすいというだけでその身を狙われても、君たちは胸を張って堂々と立っていて……そういうのが、すごく逞しく見えてさ。
君たちみたいな人が常識を覆すような偉業を成し遂げたら、どんなに面白い世界になるだろうって想像した。
…………そしたら、勝手に足が動いたんだよ」
何となく、彼女の本性がわかった気がした。
にゃーさんは、『俺たちのファン第一号』だったのだ。
精霊の違法取引という一般人の手には余るような事件に首を突っ込み、報復を受けてもなお、この小さな彼女は無価値な俺たちに情報を提供しようと奮闘した。
リンチを覚悟する必要などなかった。
早々に俺たちを裏切って従順なヨナスの手先として人型の精霊奪還に全力を挙げればよかった。
だというのに彼女は、権力者の闇を暴くことに固執した。
そして現在、にゃーさんはまたも俺たちを助けようとしている。
俺の知っているジャーナリスト像、「人様を食い物にする金に溺れた愚か者」というイメージ。
そんなのとは大きくかけ離れた固い信念のもとで、彼女は自分に誇りを持って生きていた。
小汚い裏路地で、俺は馬鹿な己を恥じた。
自分たちなんかより、にゃーさんの方がずっと逞しい。にゃーさんの方がずっと尊敬できる。
彼女は無償で手を貸してくれた。
自分の身を犠牲にしてまで、尽くしてくれた。
……ならば。
俺はいったい、礼として何を返せる?
♦
「――君たちは、ヨナス卿一派の逆鱗に触れてしまったんだ……」
口端から流れ出る血を意にも介さず、にゃーさんは俺たち二人に警告してくれていた。
無言で俺は、耳を傾ける。
「闘技場の地下に憲兵が流れ込んだことで、彼が違法取引できる場は激減した。
……でも、どんなコネを使ったかは分からないが、すでにヨナス卿は社会復帰を果たしている……事件も表沙汰にはされていない……」
「……」
「しかも目玉商品である人型の精霊を、君は強奪したんだ……悪気はなくても、君はヨナスの面子をズタズタにした。
……きっと精霊を取り戻そうと、第二第三の刺客が差し向けられるはずだ……」
「……」
「時間がない、すぐに何処か遠くへ逃げるんだ……私のことはいいから……急いで……」
「……あぁ、わかった」
淡白に、俺は答えた。
そして、こう言葉をつなぐ。
「――――ただし、やることを終わらせてからな」
「……?」
にゃーさんの警告は、おそらく正しいものなのだろう。
だがこのまま街を去れば、俺の気持ちに整理がつかない。
だから俺は、自分の身勝手な感情に身を任せた。
やることは二つ。
一つは、にゃーさんに完璧な手当てを施すこと。
もう一つは、俺の中に溜まったこの鬱憤を晴らすこと…………すなわち、さっきの男二人組をぶっ飛ばすことだ。
あとは行動するのみである。
「――おい、リリ」
「何?」
「お前、《追跡魔法》は使えるか?」
「ええっ!?」
いきなりの無茶振りに、リリは素っ頓狂な声を上げる。
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