第22話 最悪のパターン
一度、宿である『ナベの蓋』へと帰り、荷物を回収した俺たちは、再びあのレストランの前までやって来ていた。
屋台に寄り道はしなかった。
牛歩で移動時間を引き延ばしたりもしない。
辺りに敵が潜伏してやしないか神経を尖らせて、路地の陰から俺たちは個室の方を観察する。
しかし、
「――中にいないね、にゃーさん」
「だな。奴らと一緒に店を出たみたいだ」
残念なことに、にゃーさんはとっくの昔に退席していた。
店員たちの会話を盗み聞いたところによると、にゃーさんは男どもと一緒に店を出ていったらしい。
外で何やら言い争う声もあったと言うが、内容については不明。
きっと俺たちを逃がした責任を、仲間内で擦り付け合っていたのだろう。
そのうち俺たちの落下地点で現場検証を行っていた彼女は、新たに現れた男性二人と連れだって何処かへ行ってしまったという。
見た目がチャラそうな彼らとは、ぐっと顔を近づけて話をしていたとも聞いた。
これは、実に残念な結果だ。
やっぱりにゃーさんは、俺たちの敵だったのである。
「――――しかも仲間まで呼んだとなると、まだ俺たちのことを諦めてない可能性が高いな」
顎に手をやって、俺は考え込む。
「天下の精霊騎士さまがフリージャーナリストにわざわざ取材を依頼したんだ……そんな回りくどい手法を取るなんて、いったい狙いは何なんだ?」
「鈍ちんだなぁ。心当たりならいっぱいあるでしょーに」
「そうか?」
「だって、わたしは『違法取引の元商品』。そんでキミは、ヨナスを斬り伏せた大罪人。
追いかけまわされる理由は、十二分にあるじゃーありませんか?」
「……そうでしたね」
出来の悪い泥人形のように、俺はぎこちなく笑った。
我ながら昨日と今日で、よくもまぁここまで悪行を積み重ねたものだと感心してしまう。もしかすると俺の手には、考えなしに敵を作る才能でも持っているのかもしれない。
(……いや、馬鹿なこと考えてる場合かよ。しっかりしろ、俺)
仮に俺たちが狙われている理由が私怨や金儲けにあるとすれば、次に差し向けられる刺客は、ほぼ確実に武闘派連中。
一人二人なら造作もなく倒せるだろうが、波状的に襲い掛かってくるとなると話は別だ。安全な寝床を確保するために、一刻も早くこの街を脱出する必要がある。
時間も体力も無駄にはできない。
コツンと側頭部を叩いた俺は、気を取り直して次に取るべき行動を模索する。
「――命まで狙われてるかはわからんけど、少なくとも拠点は移した方が良さそうだな。
明日から働く仕事先が山ってこともあるし、前乗りして野宿でもするか」
「ふーん、なんか意外だね。血の気の多いキミのことだから、すぐ喧嘩を吹っ掛けると思ったのに」
「そりゃ腕試しはしたいけど、トラブルを起こしたくないんだよ」
どんな状況でも面倒事を避ける時は、逃げるのがイチバン。
ここは日頃から集団リンチを回避してきた己を信じて、遁走の一手を打つべきだ。
「……にゃーさんが依頼者に進捗報告をしに行ったばかりなら、まだ街中の警戒網は薄いはずだ。今なら楽にヨナスの監視範囲外に逃げられる」
「会えないの? ここまで来たのに」
「今日は縁がなかったと思って、また今度トライしよう。山の中から手紙を出してみてもいいし、無理は禁物だ」
「むー。わかった……」
そんな俺の考えに、リリも賛同はしてくれている様子だった。
しかし、気乗りはしていないらしい。
渋い果実を食べたような顔で、彼女は言う。
「でも……わたし、野宿とか初めてなんだ。虫苦手だし眠れなさそう」
「安心しろ。虫除けの線香なら荷物の中に入ってるし、毛布はお前が使えばいい」
「えぇー、なんか貧乏くさい」
「金なしで悪かったな。生憎、当店ではこれ以上のサービスは承ってないんだよ」
「はいはい、そうですか。無理言ってごめんなさいでしたね」
「いえいえ。節制への協力ありがとさん」
「……ねぇ」
「なんだよ」
「……わたし、ホットミルク飲まないと眠れない質なんだけど」
「はり倒すぞ、お前」
♦
コープス・マーケットの外縁を歩く。
落ちかけた陽のせいで、人が多く行き交うこの道はオレンジ色に染まっていた。
影は長く伸び、気温は徐々に下がる。夜の空気は抜き足差し足ですぐそこまで来ていて、一日の終わりを肌で感じ取った市民は陽気に唄を口ずさむ。
そんな和やかなムードの中。
リリとしょーもない話で盛り上がっていた俺の耳に、日常生活ではまず聞かないであろう玄妙な情報が飛び込んできた。
(……?)
その情報源は、たった今通り過ぎた酒屋の前にて、井戸端会議をしていたご婦人たち。
紡績工場に勤務しているのか質素な身なりの彼女らは、ひそひそと雑談に花を咲かせていた。
無性に話の内容を聞きたくなった俺は、足を止めて耳を澄ませる。
「――で。本当なの、それ?」
「本当よ! 女の子が裏道に連れていかれたの!
こっそり見ていたけれど、怖くて怖くて鳥肌が立っちゃったわ!!」
「『裏道』って、用がないから誰も寄り付かない、『あの裏道』よね。
そこに両脇を抱えられて連れ込まれるなんて、もう事件の匂いしかしないわ……憲兵には通報したの?」
「まだしてないわ。顔見知りの仲みたいだったから、余計なお世話になるかもしれないと思って……」
「でも、雰囲気は険悪だったのよね?
だとしたら、男特有の憂さ晴らしでもされてるかもしれないわよ」
「やっぱりそうなのかしら……でも女性の記者さんを脅迫するなんて、それこそ記者さんが好きなスクープよね。
そんなことすると思う?」
「わからないわよ、世の中に頭のおかしい人なんて何千何万といるんだから。
もしも仲間内での私刑だったとしたら、表沙汰にならないよう処理される可能性だって……」
「――そんな! それなら、今すぐ通報して助けなきゃ!」
「まぁ、落ち着きなさいな。話を整理して伝えないと、税金泥棒は動いてくれないわ」
「あ……ごめんなさい。すぐに取り乱すなんて、私ったらみっともない」
「まずは、要点でもまとめましょうか。思い出せるだけキーワードを言ってみて?」
「ええと。
……女性記者、ガタイの良い男性二人組、裏道、連れ込まれる、険悪、事件の香り……あ、それと!」
「どうしたの?」
「『ニア・なんとか』って言葉も聞こえた気がしたわ。もしかしたら、あの帽子を被ってたあの娘の名前なのかも――――」
全身に悪寒が走った。
思わずリリと顔を見合わせる。
彼女もまた、俺と同じように聞き耳を立てていたのだろう。
ご婦人たちの会話に潜む業の深さを理解したのか、見目麗しき顔からは血の気が引いている。
「……聞いたか、今の話」俺は訊ねた。
「……聞いたよ、今の話」彼女は答えた。
「男二人からリンチ、って結構ヤバい事件だよな。
もしも俺たちが逃げたせいでにゃーさんが仲間から絞められてるんだとしたら、俺たちにも責任あるぞ」
「き、きっとお姉さん方の勘違いだよ。
……いくらにゃーさんの友だちが粗暴でも、腹いせに暴力振るうみたいな時代錯誤なこと、すると思う?」
「……行ってみよう」
半ば駆け足で大路を進んでいく。
スピードはそこまで上げていないはずなのに、心臓がバクバク波打って騒々しかった。
先ほどの井戸端会議によると、件の現場は二つ先にある隘路のことらしい。
コープス・マーケットの隣にある寂れた区画、空き家が多いがために猫と鼠が走り回るような廃墟街へ繋がる道だ。
お日柄の良い今日も、いつも通り全く人気がないに違いない。
居たとしても薬でラリっている廃人が転がってるだけのはずだ。
助けを呼ぼうにも通行人がいない。
藻掻いても足掻いても低俗な鬼には敵わず、成す術なく強大な力に晒され、恐怖を味わう。そんな地獄をにゃーさんは見せられているのだろうか。
「テナント募集」の看板を目印に、目当ての隘路へと突入する。
小さなカーブの多いその道は十歩先の景色が見えず、滅多に補修がされないために路面は得体の知れない液体や埃で汚れていた。
何事もなければいいと思っていた。
俺を亜人差別批判の広告塔に、リリを金の生る見世物にするにはどう次の一手を打つべきか、それを仲間たちと話し合っているだけであればいいと思っていた。
食い逃げされたことに腹を立て、俺たちに敵対心を燃やしてもいい。
机に脚を置いてモルトウイスキーをロックで嗜み、陰で俺たちのことを嘲っていたっていい。
裏切っていても構わない。
にゃーさんには無事でいて欲しかった。傷ついて欲しくなかった。彼女が最後に発した「逃げろ」というあの言葉……その真意を信じていたかった。
だから俺は、一秒でも早く現場へ急行しようと走った。全力で駆けた。
その末に、見た。
(……!)
荷を背負った旅人がすれ違えるか否か、というくらい狭い道。
カーブが終わって視界が明るくなったことにより、俺は数十メートル先にあるT字路の行き止まりまで、はっきり見ることができた。
……凄惨な光景だった。
二人の男が誰かを嬲っている。
不自然なくらいに一般的な労働階級の恰好をした男たちが、誰かを壁際に追い込んで嬲っている。
一人が殴り、一人が蹴る。
腹の足しにもならないはずの暴力を彼らは振るっている。
嬉々としている様子はない。
乱暴に機でも織っているかのように、彼らは淡々と相手を踏みつけにしている。
一方、嬲られている側の人間は、地面に倒れて動こうとしなかった。
まるで籾殻を入れ忘れた布人形みたいに、されるがままの状態になっていた。
額からの出血がひどく、破れた着衣は靴跡が付いてボロボロ。眼を覆わずにはいられないような哀れな姿だ。
そして。
嬲られていたその人間は、ある帽子を被っていた。
見覚えのあるハンチング帽。
ずいぶんと泥だらけになってはいたが、昼間闘技場の試験受付センター前で見たのと同じ。
俺の知人が被るものと同じ製品だった。
……もう間違いない。
「――――にゃーさんッッ‼‼」
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