第19話 白昼に逃亡す
にゃーさんに嵌められ、敵に囲まれた。
こうも面と向かって裏切られると思わなかったが、もともと俺は他人を信用しない質だ。
人さらいに狙われた経験なら腐るほどある。
こういう時にどう動けばいいのかは、身体中の細胞が覚えてくれていた。
「こ……のっ!」
咄嗟に手近にあったナイフを掴んだ俺は、飛んでくる矢を片っ端から叩き落とした。
折れた鏃が頬を掠めたが気にしない。
それよりも逃げ道を確保しなければ、数の暴力で殺される。
現状を頭の片隅で理解した俺は、ざっと辺りを見回した。
(敵の数は五人、リリは目の前にいる、にゃーさんが攻撃してくる気配はない…………)
それなら、と俺はテーブルの下に片手を突っ込んだ。
いくつも大皿が乗っているためかなり重たくなっていたが、そこは火事場の馬鹿力。
ぐいとテーブルを持ち上げると、敵に向かって俺はそれを投げつけた。
サラダが舞い、羊肉が空を飛ぶ。
食べ物を粗末に扱って申し訳ないとは思ったが、生産者への懺悔は後回しだ。
食器ごとテーブルを叩きつけられた男たちは、面食らって動けていない。
それにテーブルがいい感じに盾になって、弩弓を使うのにも時間がかかっているようだ。
逃げるなら今しかない。
「――逃げるぞ、リリ!」
相棒の襟を俺は引っ掴んだ。「ここは危険だ!」
キョトンとした顔で、リリは首を傾げる。
「え? でもまだデザート食べてないんだけど……」
「んなこと言ってる場合か!」
即座にマントと剣を装備して、嫌がる彼女を無理やり抱きかかえる。
そして敵が矢を構える前に、俺は窓へと突進した。
けたたましい音と共にガラスが割れ、俺たちは宙へ飛び出す。
遥か下にコンクリ製の小路が見えた。
……しまった。
ここ、三階だった。
「――高い高い高い!」
パニックを起こしたリリは、力いっぱいに俺の首へとしがみついた。
「これ大丈夫だよね、死んだりしないよね!?」
「落ち着け、俺なら着地できる…………っ、まだ諦めてないのか!」
背に悪寒を覚えた俺は、バッと個室の方を振り向く。
割れた窓の向こうで、再び男共が弩弓を構えていた。
狙いは俺の頭。
ここで逃げられては厄介だから、空中で身動きが取れないうちに仕留めてしまえ。そういう魂胆なのだろう。
リリに当たるリスクも考えず、奴らは矢を乱射してきた。
「いやー! 殺されるー!」
「――殺されねぇよっ!」
落下しながら、俺は剣で矢を止めていった。
親父に仕込まれた対弓兵用の防御術が役に立った形だ。一本、二本、三本と矢柄を斬り落とす。
幸い、下には無人販売のテントがあった。
背中からシートに落ちた俺たちは、そのまま毬のようにバウンドしながら地面を転がる。
「た、助かったの……?」
「まだ気を抜くなよ、このまま路地で撒くぞ!」
敵はまだ弩弓を撃って来ていた。
何とか矢を躱しながら、すぐそこにあった狭い路地へリリを押し込む。
ここを走り抜ければ、コープス・マーケットからかなり距離を取れるはずだ。
道も入り組んでいるし、頭のいい敵なら勝算なしに追ってくることはしない。
あとは奴らの視界から、俺が姿を消すだけだ。
(……にしても、にゃーさんはなんで『逃げろ』って言ってくれたんだ?)
謎は多く残っていた。
機会があれば、もう一度彼女と話がしたいとも思った。
だが、今は立ち止まっている時ではない。
命あっての物種。
ひとまず安全なところまで逃げきろう。
(またな。にゃーさん)
逸れた矢が地面で弾けた。その鏃を踏みつけて、俺はリリの後を追う。
死肉臭香る街区を抜けたのは、それから十分後のことだった。
♦️
レストランを脱出して、コープス・マーケットから距離を置き、木の棒で遊ぶ子供たちに道を譲って、閑静な街衢を歩いていく。
住宅街の一角であるこの道に他の観光客の姿はない。
食べ物屋台や目ぼしい観光スポットがないからだろうか。
踏みしめる石畳は鈍い光沢が美しく、道の脇に等間隔で設置された蛇口からは絶え間なく清水が流れ落ちていた。
油絵の題材に相応しそうな坂道を、俺たちは上っていた。
「ねぇイオリ」
「……なんだよ」
「にゃーさん、わたしたちを逃がしてくれたんだよね」
「たぶんな」
靴が石灰と海水を混ぜた舗装材を捉える。
適度な強固さを誇る地面は、蹴れば蹴るほどこちらの脹脛を楽にさせるかのような優しさが内包されていた。
そして、周囲よりも幾分高まった丘の頂上へと俺たちは上っていく。
「なんで逃がしてくれたんだろ」
「さぁな。情でも湧いたんじゃないか」
「キミがカエルの亜人だから?」
「なんで俺なんだよ。普通は伝説の精霊さんを心配するだろ」
「うーん、そんな感じはしなかったんだけどなぁ。
……イオリとばっかり話してたし、やっぱり亜人を可哀想に思ったんだよ。
わたしには分かる」
「エスパーか、お前は」
そうこうしているうちに坂を上り切っていた俺は、息を整えるついでに顔を上げてみることにした。
辿り着いたのは、丘の頂上にあるちょっとした展望台。
その円型の広場には秋の草花咲く花壇が延び、中心にはここ一年で修繕が完了した安っぽい造りのオベリスクが聳え立っていた。
街が一望できるということもあって人はまばらにいたが、恋仲のカップルやワッフルを回し食べする親子はいない。
やはり住宅街の内にある高台というのは、現地住民が通行のついでにちょこっと来る程度のものらしい。
西側の手摺に掴まり、鳥になった気分で辺りを見下ろしてみる。
外壁の塗装がカラフルな家々。
屋上ではためく真っ白なシーツ。
ポッと出の行商人が止まるような安宿が密集した灰色の貧乏人区画。
それぞれの地域における建築用資材の違いによって生まれた色彩のコントラストは、午後三時の陽射しを浴びて益々美しい輝きを放っていた。
今日は雲一つない晴天。
空気が澄んでいるからか、街の中心部を横切るメインストリートだけではなく、ここから五キロは離れている由緒正しき大聖堂まではっきりと見えた。
素晴らしい景観。
少し感動を覚えた。
「ねぇ」
「なんだ」
「さっきの話と繋がるんだけど……訊いてもいい?」
隣では、リリが身を乗り出して景色を堪能していた。
落ちないようにへその辺りを手摺に押し当てて、華奢な腕で上半身を支える。
そんな姿勢の彼女が求めた質問の許可。
二つ返事で俺は了承した。
「いいぞ。ドンと来い」
「じゃあ、遠慮なく言うけどさ」
一拍挟む。
風は吹き、服の裾が膨らみ、やや冷たい空気が流れ込む。
前傾だった体を起こし、彼女は俺を真っ直ぐに見た。
眼球の奥深くまで射貫かれるような、険しく緊張感のこもった視線だった。
だが、その中に一粒の同情が含まれているのを俺は見逃さなかった。
リリが口を開く。
「――――なんで亜人って嫌われてるの?」
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