第1話 剣姫クラウディア・セシルアロー
突如、歓声が巻き起こった。
噴火でも起こったかのように熱狂的な大歓声だ。
びりびりと鼓膜を叩かれた俺は、思わず腰を抜かしそうになる。
(……ボーっとしてたのか)
観客用のベンチに座り直し、眼下に広がる光景に視線を移す。
黄土色の建材で築かれた闘技場には見物客がぎっしりと詰まっていた。
各々手を振り回し、雄叫びを挙げ、興奮を更なる興奮で練り上げる。
尋常ではない熱気だった。
俺がいるのは、マナリア大陸西部に当たるシュラウデン地方最大の街『ルベイル』。
千年の歴史を誇るこの街には石造りの建物が立ち並び、馬車によって付けられた無数の轍は街道の通行量が多いことを如実に表していて、マーケットや広場は何時でもにぎやか。
そんな街の中央にどっしりと構えられているのが、この巨大な闘技場だ。
収容人数五万人ともいわれる円型のそれは、この街に来る人間が一度は訪れる観光スポット。
だから闘技場の周りにはジャンクフードや記念品、カモを釣るためのイミテーションアクセサリー等を扱う露店がずらりと軒を連ね、本日もまた人々を更にこの地に求心させようとしていた。
だが、この闘技場はただの歴史的建造物ではない。
今も現役で使用されているのだ。
【――――さぁ! 続く第四試合は、本日最も注目されているカード!】
拡声魔法で強化された実況の声が、場内に響き渡った。
手に持っていた手帖を、俺は開く。
手袋をしているせいでペンが握りづらいが、これはいつものことだ。
水かきの付いたカエルの指を曝してしまえば、確かに幾ばくかは書きやすくもなるだろう。
だが、そのせいで周りに嫌な顔をされたら、いくら鉄心の俺でも大理石に頭をぶつけたくなる。
試合観戦に集中するためにも、身バレの警戒は怠らない方がいい。
フード付きのマントできっちりカエルの肌を隠し、背中を丸めて影を薄くする。これこそが亜人排斥派の連中から身を守る最善の手法。
周囲の熱気に紛れた俺は、視線だけを試合会場へと向ける。
控室からコロシアム中央へ、選手が入場してくるのが見えた。
【皆さんもお待ちかねのことでしょう。
……ではでは、本試合に出場する『精霊騎士』について! 僭越ながらわたくし、パッパ・ラパーが解説を加えさせていただきます!】
『精霊騎士』。
実況が言ったその言葉の意味を、ここにいる観客の誰もが知っていた。
(決闘代行業が大衆に愛されるスポーツとして発展する日が来るなんて、昔の人は考えもしなかっただろうな……)
細長い舌で、俺はペン先を舐める。
♦️
神聖歴一二二三年。
十月の初旬。
人間から魔物まで幅広くひしめき合う大陸にて、人間社会は高度な技術革新の時代を迎えていた。
魔法技術の発展。哲学者たちによる啓蒙思想の流布。要因は様々だ。
飲んでも腹を下さない水は、都心だけのものではなくなった。
石畳で舗装された道は、蜘蛛の巣のように大陸全土へ張り巡らされた。
人々の生活は、より豊かになる途上にあった……そんな上昇志向だらけの世界で、一体何があったのだろう。
いつの間にか、一般社会にある独特の概念が定着しつつあった。
――――『決闘』。
尊厳を賭けて互いに剣を交え、相手が倒れるまで肉を抉り裂くことで、物事の成否を決定する。
尋常ではない裁判制度。
その対象となるのは、土地の占有権や鉱石取引の条件設定権といった「一切合切の決め難い物事」を解決する時だった。
互いに譲りたくない領分があるのなら、剣と戦神に裁定を下してもらおうじゃないか。
そんなクレイジーな理由から、この制度は普及してしまった。
結果、大半の企業がこの制度をビジネスに利用することになり、様々な場所で人が血を流す事件が頻発。
互いの了承の末に神託を求めたのだから法律上は問題ないが、租税と秩序が大好きな国側としては何とか諫めたい事態に陥ってしまう。
そこで取り入れられたのが、「死なない決闘代行者を立てる」という安直な案だった。
死なない人間なんて見つかるはずがない。
そう頭ごなしに否定する議員もいたらしいが、なんと考案者はすでに適役を見つけていた。
――それこそが、『精霊使い』。
精霊と契約し、強力な魔法を扱うことのできる、森羅万象の理より選ばれし者。
日に一度だけであれば死なない特殊な能力を持つ彼らは、後に『精霊騎士』と呼ばれ、決闘代行の資格を持つようになった。
至る現在。
スポーツ競技として世に広く浸透した『精霊決闘』は、企業間の代理戦争として機能を果たすようになった。
世は空前の決闘ブーム。
リーグの上位に食い込んだ騎士は、一晩にして莫大な広告費を貰い、皆から愛される大スターになった。
ロマンに溢れたこの職業は、下層階級からすれば一攫千金のチャンス。
ゆえに腕っぷしに自信がある者たちは、皆この狭き門へ挑んでいった。
そして家族を養うため、また子供の頃の借りを返すために。
十六歳となった俺も、精霊騎士になろうとこの街へ出稼ぎに来ていた…………。
♦️
【――まずはこちら、東の方角をご覧ください!】
ひょうきんな声質の実況が、闘技場内を駆け巡った。
言われるがまま、俺は右の方を見る。
【――太陽に導かれて入場するのは、史上最年少で二部リーグ入りを果たした天才、『玲瓏の剣姫』、クラウディア・セシルアロー!
現在十六勝二敗という好成績でスターダムを駆けあがる彼女は、まさに万夫不当の英傑! 隙がない!
本試合に勝てば一部リーグへの昇格権を獲得することもあって、会場のファンたちは緊張で震えております……かくいう私も期待で胸が破裂しそうです!!】
狂信的な声援が飛び交い、あまりの騒音に思わず耳を塞ぐ。
その下で、俺は見た。
♦️
アーチ状の通路から現れたのは、銀色の甲冑を身に纏った見目麗しい女性剣士だった。
肩に乗せている鷹は、彼女の精霊なのだろうか。
見覚えのある金髪に、見覚えのある青い瞳。すらりと伸びた背は恐れを知らず、白亜の微笑みは試合の緊張感を優しく退かせていた。
(出やがったな……俺の敵!!)
雪辱の野良試合。
あれから六年経ったとはいえ、一目見ただけで彼女だとわかった。
雑誌やおんぼろ魔導通信機を無断で借りていたから、彼女が精霊騎士になったことは以前より知っていた。
だが……そうか。もうこんな大舞台に立てるくらい、彼女は騎士として成績を収めていたのか。
相も変わらず、あいつは俺の遥か先を行っているというわけだ。
(メチャクチャ強くなってそうだな……いい面構えだ!)
村の出立日を早めたのは、やっぱり正解だったのかもしれない。
おかげで俺は今から、彼女の成長した剣を生で見ることができるのだ。
ぞわり、と高揚感で髪の毛が逆立つ。
再び、場内に小煩い実況放送が響き渡った。
【――彼女の相棒は鷹の精霊!
使用武器はシェルマスター社製のレイピア!
本大会最多使用のこの愛剣は、彼女に必ず勝利をもたらしてきました!
これは勝ち確定の予感がムンムンです!】
そこまで言い切るのか。俺は実況者が賄賂を受け取っている可能性を疑った。
だが、ここからが実況者の腕の見せ所。
さらに観客を沸かせるべく、パッパ・ラパーはマイクに顔を押し付ける。
【――しかぁし! その輝かしい道に立ちはだかるのがこの男!
西の方角、『戒厳の衛士』、ヨナス・アルストマ!】
もう一方の通路から姿を現したのは、齢二十代後半と思わしき痩せぎすの男だった。
重々しい鎧の上から着ているのは、ロイヤルブルーの陣羽織だろう。
骸骨兵士のように頬はこけていたが眼光は鋭く、足を踏み出すたびに猛虎のようなプレッシャーを放っている。
肩にアゲハ蝶の精霊を乗せた彼もまた、クラウディアと同じ精霊騎士だった。
【――十三勝四敗一引き分けの成績で昇格権争いに名乗りを上げた彼は、ここ二週間無敗!
そしてこのスロースターター、リーグ戦後半において怒涛の追い上げを見せるのが恒例だ!
前年度の大会では、一部昇格の筆頭候補であったあのローラン卿に待ったをかけました!
今回もまた彼の挑戦者に格の違いを見せつけるのでしょうか!!】
実況とギャンブラーが騒いでいる間に、俺は今回の試合環境をメモすることにした。
(……今回の試合のフィールド設定は、障害物が一切ない「更地」か)
天候は「晴れ」。
空気は「初秋らしい気温」で、且つ「無風」。
条件としては個々の実力が顕著に表れる分、決闘者にとってはこれ以上なく好ましい環境だと言えるだろう。
負けた方は、明確に相手より劣っている。
そう世間に露呈することになるくらいに。
【――互いに『戦闘義体』に換装! まもなく試合が始まります!】
『戦闘義体』というのは、戦闘時に一度だけ致命傷から身を守ってくれる防護服のようなもの。
たった今、ヨナス卿が足下から構築した、薄く透明な鎧がそれだ。
見た目は生身と変わらない。
だがこの状態になった者は、例え首を斬り飛ばされようが胸に穴をあけられようが、万が一にも死にはしない。
砂像が崩れるようなエフェクトと共に戦闘義体が解除されれば、また五体満足で立ち上がることができるのだ。
これこそが精霊使いの特権の一つ。
何があろうと一度だけ、死んだ事実をチャラにする身代わりの能力だ。
ちなみに戦闘義体には他に、影分身やアバターといった別名があるのだが……っと。もうそろそろ試合が始まるようだ。
【今、コインが投げられて……】
その途端。
水を打ったように場内は静まり返った。
先ほどまでの熱気を、各々が内なる鍋に封じ込めたような空気が充満する。
全員が固唾をのみ、全員がフィールド中央に注意を注いでいた。
審判が投げたコインは大地の引力に捕まって、どんどんと地面へ迫っていく。
それを中心点に、クラウディアとヨナスは距離を取って対峙していた。
そして、
【…………爆ぜたぁ!!!】
大砲が火を噴き、実況が叫ぶ。
会場中が興奮で揺れた。
その音を合図に、誇り高き騎士たちは同時に剣を抜き放つ。
――試合開始だ。
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