第18話 嘘と罠
つくづく俺という人間は、誰かを疑わなければ気が済まないような日陰者なのだと自覚した。
第三者全てが俺に対してナイフを向けていると思い込むような、自意識過剰なクソ亜人なのだと思い知った。
ゆえに俺は、俺と同じクズの汚臭を嗅ぎ分けることができた。
だから、「自分から興味本位で接触してきた」という彼女の下らない嘘を見抜くことができた。
にゃーさんことニア・プレイスは、何者かから差し向けられた刺客だったのだ。
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…………推理はこうだ。
まず、初めに彼女と出会った時、にゃーさんは俺のことを『カエル』と呼んだ。
そう。
マントにフードを被っていた俺に後ろから声を掛けたにもかかわらず、にゃーさんは俺が何の亜人かを言い当てたのだ。
確かに顔と体を衣服で覆い隠し、賑やかな町中を終始うつむき気味で歩く輩というのは大抵が亜人だ。
素性を隠してコソコソする輩である時点で、少なくとも顔を隠さなければならない後ろ暗い理由が、そいつには貼り付いている。
すれ違った不審者が亜人かもしれないと妄想するのは、別に珍しいことではなかった。
問題は、にゃーさんの発言。
彼女は俺のことを亜人ではなく、『カエル』の亜人だと言いきった。
つまり、俺の正体について事前に情報収集を行っていたのである。
ここまでの段階で、にゃーさんは既に半分クロ。何らかの罠に嵌めるために俺に近づいてきてきた、
謎の組織より差し向けられた演者である可能性がかなり高い。
そして、もうひとつ。
にゃーさんの行動と言動を振り返ればわかるのだが、彼女は俺にばかり取材の交渉をして、リリに対してはほとんど絡もうとしていない。
俺の方がリリよりも美味しいネタになると考えているのである。
……おかしな話だ。
人型の精霊というのは、世界でも早々御目にかかれない神秘的な存在だ。
もちろん群衆に紛れてしまえば見分けは付かないし、その容姿に飛び抜けた特徴があるわけでもない。
ただ、精霊としての希少性は天を突き抜けるほど高いことで知られており、尚且つ「ビジネスにおいて比類のない働きをする、極めて俊秀な秘書」として採用されている場合が常。
今では世紀の大富豪あるところに人型の精霊在り、とまで吟われる始末だ。人型の精霊は、誰もが欲しがる翠緑の宝玉だったのである。
だが、にゃーさんはリリを放置した。
それどころか全く動じなかったし、不審にも思っていなかった。
普通の人間ならば、彼女とは真逆の反応をするだろう。
俺みたいな貧乏亜人が希少な人型の精霊を連れているのを見たら、まず真っ先に「誘拐」を疑うからだ。
猫に小判。
豚に真珠。
住所不定無職に舞台女優。
分不相応という概念に触れた時、それに目敏くメスを入れて引っ掻き回したくなるのが人間である。
しかし、彼女はそれをしなかった。ジャーナリストを名乗っているというのに、だ。
カエルの亜人と人型の精霊が契約しているかもしれないという前代未聞の事実を、あっさり彼女は黙認して受け入れたのである。
腑に落ちない行動だった。
彼女が意図するところの切れ端さえ読めないほどに不可解だった。
ゆえに、俺はひとつの結論にたどり着いた。
……にゃーさんは初めから、俺たちのことをマークしていたのではないか、と。
俺は彼女を問い詰める。
率直に、真っ正面から。
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「いやぁ。慣れないことはするもんじゃないなぁ」
そう言ったにゃーさんは、苦笑いすると共に頬を掻いた。
「出会って間もないっていうのに、もうバレるなんて思わなかった。反省だね、こりゃ」
「……案外、諦めが早いんだな。もう少し粘るかと思ったよ」
「別に疚しいことがあるわけじゃないからね。
痛くされないうちにゲロっちゃうのが、この業界を生き抜く処世術なのさ」
ライブキッチン方式の厨房から、肉汁が弾ける軽快な音が聞こえてくる。
この個室席からでは壁に遮られてシェフのご尊顔は拝せそうにないが、よっぽど焼き方に強い拘りがあるのだろう。
現に、カウンター席にいると思われる柔らかい肉が食べたい家族と、頑なにレウェルダンの極厚ステーキを出そうと食い下がるシェフの会話は、高貴なチェンバロを弾くかのように店内を緩やかに回っていた。
それくらい防音性に欠けたこの個室席に、俺たちは座っている。
座って優雅に飯を食らい、水を飲み、互いに相手の腹を探ろうとしていた。
実に滑稽な図式の中、俺はぱっくり口を開く。
「――じゃあもう一度訊くぞ、にゃーさん」
「何なりとどうぞ」
「アンタ、いったい誰に頼まれて俺たちに近付いたんだ。
密着取材なんかを敢行しようとした、その目的は何だ?」
気まずそうな顔をしたにゃーさんは、人差し指で唇に戸を立てた。
「残念だけど、依頼人の名前は口には出せないんだ。そういう取り決めを交わしちゃったからね」
「……そっか」
「でも、ここらじゃそれなりに高い身分にいる人であるのは間違いないよ。それも、君がよく知る職種の人間様さ」
「……! 精霊騎士か」
もはや黒幕の正体を教えてくれているも同然の回答だった。
なにせ俺たちのことを嗅ぎ回ろうとする精霊騎士なぞ、ヨナス・アルストマの他にいない。
あの闘技場の地下で辛酸を舐めさせられた屈辱を未だに根に持っているのだ、彼は。
そうであれば、にゃーさんが俺たちに接触を試みた理由は、足りない俺の頭でも概ね想像が付いた。
「…………さしずめ、奪われた人型の精霊の所在、及び俺の動向を探れ、とでも言われたんだろ」
「そこまで察しがついてるのなら、話が早いね」
にゃーさんは静かにナイフを置いた。
まるで何かを悟ったように、大事な問題でも切り出すかのように、勿体をつけて俺を見る。
彼女は言った。
「依頼者から言伝を預かってるんだ」
「へぇ。内容は?」
「――――『私に人型の精霊を返せ。さもなくば貴様を抹殺する』、だってさ」
やけにあっさりとした言い方だった。
まるで他人事。まぁそれもそうか。
彼女にとって俺の命なんて、肉に集るハエよりも低い。
そんな亜人を脅迫したところで、罪悪感が芽生えるはずないのだ。
そして、どこで俺が野垂れ死んでも彼女の心は痛まない。雑誌のネタにされて終いだ。
急にヤバい雰囲気に包まれた俺は、そっと水に口を付ける。
「で、リリを引き渡したらどうなるんだよ」
コップの縁を噛みながら、俺は訊いた。
「それで問題が解決するわけじゃないだろ?」
「そうだね。裏取引とやらのことを知ってる君を、依頼者が見逃す可能性は皆無だ」
「リリの身の安全はどうなる。アイツは精霊を物として扱うようなクズだぞ」
「殺すようなことはしないと思うよ。首輪くらいは付けるだろうけど」
「そんなクズの策に加担するっていうのか」
人心のないにゃーさんを、俺は睨んだ。
「どうかしてるぜ、アンタ」
「あぁそうだよ。にゃあは……私はどうかしているんだ」
そう言うとにゃーさんは目を伏せた。
ふと見ると、彼女の肩はふるふると小さく震えていた。
緊張しているのだろうか。だとしたら何にだ。
眉を顰めた俺は、彼女の次の言葉を待った。
しばらくして気持ちの整理が付いたのか、にゃーさんは顔を上げた。
涙目で、彼女は微笑んだ。
「だから――――逃げろ、スティーブン」
「……!?」
刹那。
個室の入り口に男が現れた。
いや、彼だけじゃない。
一人現れたと思ったら、屈強そうな男が何人も部屋に雪崩れ込んでくる。
全員すごい殺気だ。
構えた弩弓は、すべて俺の方を向いている。
マズいと思った俺は、立ち上がろうと椅子を引いた。
しかし、あまりに時間が無さすぎた。間に合わない。
……直後。
一斉に矢が放たれた。
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