第17話 水を飲むカエルは疑り深し
「……イオリ・ミカゲだ。よろしくな、にゃーさん」
握手には応じることにした。
偽名を使うこともしない。
この段階でにゃーさんからの信頼を失うのは、情報を引き出すうえで得策ではないと踏んだからだ。
今はまず、なぜ彼女が蛙の亜人である俺なんぞに接触を図ってきたのか、その理由を聴取するのが最優先事項である。
俺はラム肉の切れ端を小皿の上に取った。
「……じゃあ、にゃーさんに質問だ」
「何なりとどーぞ」
「なんで受付にいた俺に、アンタは話しかけたんだ? それも何の前触れもなく、突然に」
音もなく、にゃーさんはラム肉にナイフを入れる。
順手で峰に人差し指が添えられたその利器は、骨と肉の境界を滞ることなく切り離した。
おそらく、大企業の重鎮や貴族などと食事をする機会のために磨いた技なのだろう。
行儀の良さが滲み出る所作だった。
「うーん……深い理由があったわけじゃないよ」
帽子を被ったまま、彼女は呟く。
「受付のお姉さんに絡まれて困っているようだったから、興味本位でちょいと藪を突いてみた。
恩を売るつもりで助けたんじゃないから、そこは安心していいよ」
「他にはないのか」
「あとはそうだね……蛙の亜人と人型の精霊、っていう異色なキャラクターに惹かれたのかもしれないなぁ」
「惹かれた? どこに?」
「騎士志望の君なら、容易に察しは付くはずでしょ」
ソースの付いたナイフを俺に向け、彼女は言った。
「――精霊騎士の資格を持つ者たちの中に、そんな突飛な経歴を引っ提げてるペアはいないってさ」
「……」
ジャーナリストらしい回答だった。
別にどうということはない。
単に彼女は、「珍獣二人組が精霊騎士を目指す」という超美味しいネタが欲しかったのだ。
新聞の隅に貼られたコラム内で美談にするのか、あるいは笑い話にするのか、そのネタの使い道については定かではない。
だが、俺とリリが『精霊騎士の選抜試験を受けようとしていた』のは事実。
その経緯をステレオタイプな文章に変換するだけで金になるのも、また事実であった。
「……ま、そんなことだろうとは思ったよ」
一口、水を飲む。
サラリとした口当たりと雑味のない味。
これまでの人生で飲んだことのない清水を、俺は静かに耽美する。
そして、落ち着いた意識の淵で考える。
他人から利用されるのは、これが初めてのことではない。慣れていた。
だから今さらマスメディアに嫌悪感を覚えたり、にゃーさんに敵愾心を燃やしたりはしなかった。
ただ俺は、俺自身の境遇に幻滅していた。
『またも醜い亜人という特質性は、歪んだ形で金を生み出すのか』、と。
「――ってことは、俺のことを根掘り葉掘り聞きたいってわけか」
「まぁ、あわよくば密着取材ができたらいいな、とは思ってるよ。
『破天荒な期待の新星現る!』、みたいにね」
「確かに、世間一般から嫌われる蛙の亜人と、世にも珍しい人型の精霊……こんな凸凹コンビが精霊騎士になった例はないもんな」
「そーそーそー!」
俺が共感を示した途端。
密着取材の許可も得ていないのに心が浮き立ったのか、にゃーさんは開いた瞳孔に星を散らした。
弾んだ声で彼女は持論を語っていく。
「この取材は、君にとっても悪い話じゃないはずだよ!
なにせ『亜人』というだけで店を出禁にされたり、性犯罪者扱いされたりするのが現代の風潮。
その中でも特に……こんなことを言うのもアレだけど……社会的に最下層にいるのが『カエルの亜人』なんだよね」
「ま、否定はできないな」
「でもさ! そんな不遇を受けてる亜人が、臥薪嘗胆の思いで精霊騎士を目指していると知られれば……この理不尽な世も変わるんじゃないのかな!?」
「そう簡単にいくかな」
「変わるって、ゼッタイ!」
大仰な身振り手振りで、にゃーさんは主張を強める。
「君のことが新聞に載れば、それだけ人々は亜人差別の問題に関心を持つ。そうなれば流れが生まれる。
この世の在り方に違和感を持ち、常識を疑い、間違ったものを正そうとする流れがね。
その流れは清濁を併せて吞んで、勢いを増して、やがて……亜人が差別される世界をひっくり返す力になる!」
「……そうか」
「そうだよ!
だから君たちのことを、もっともっと教えてほしいんだ!
そうして、私と一緒に世界を変えてくれ、イオリ・ミカゲ君!」
「……」
もう一度、水を飲む。
味はしない。
匂いもない。
砂地に雨が降ったところで緑が戻らないように、透明な液体は乾ききった口内を通り過ぎていくだけ。
安逸を貪る舌の根は、水分を貯えることをしなかった。依然、喉は乾いている。
コップから口を離し、俺は顔を上げてみた。
向かいではにゃーさんが飾り気のない温色の笑みを湛えていた。
まるで共に金鉱を掘り当てないかと相談を持ち掛ける耕夫のような、そんな夢見がちな少女の微笑みだ。
「……わかった」
彼女の誘いに対する答えは固まった。
コップを置き、ぼそっと俺は口を開く。
「にゃーさんが密着取材にどれだけ真剣か、それがよく伝わってきたよ」
「え、それじゃあ、もしかしてっ!?」
「あぁ。密着取材、受けてもいいよ」
「うわ、やったぁ、嬉しい! じゃあ早速で悪いんだけど、質問タイムに移らさせてもらってもいいかな――!?」
「いや。それはちょっと待ってくれ」
「……?」
ピタリ、とにゃーさんの動きが止まった。
懐から取り出したペンは、指に抓まれて宙ぶらりん。開かれた手帳は、とある肉屋の狗肉売買事件について書かれた頁で放置される。
記者である彼女は、まだ状況がよくわかっていない様子だった。
自分が何か無礼を働いたのか、あるいは此方側に何か不都合があるのか。俺の行動理由を検索するのに少し手間取っているらしい。
眉間にどんどん皺が寄る。
これ以上、無理に話を引き伸ばす必要はない。
彼女の人となりは十分拝めたし、かけた鎌を見破られる前にさっさと決着を付けるのが最善策だろう。
そう考えた俺は、目の前のジャーナリストに剥き出しの疑義をぶつけることにした。
「にゃーさん。アンタに一つ確認したいことがあるんだが、いいか」
「もちろん。なんでもどうぞ?」
「じゃあ質問」
息を整える。
脇を締める。
そして。
俺は、彼女の正体を看破した。
「――――アンタ、いったい誰からの回し者だ?」
「……ッ!?」
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