第16話 死体売り場のジャーナリスト
突如、後ろから声を掛けられた。
鈴の音を転がすような女声で、口に出すのも憚られる亜人の種を呼ばれた。
いったい誰だろう。
この街に知り合いはいないし、宗教団体から勧誘を受けるようなことはまだしていないはずなのだが。
とりあえず気になった俺は、ゆっくりと声がした方を振り返ってみた。
……誰か近づいて来る。
「おっ、やっぱりスティーブンだ!」
声の主は、可愛らしいハンチング帽を被った小柄な女性だった。
十二才の夏を想起させる垢抜けた童顔に、野生の鹿に似た活力あふれる琥珀色の瞳。
線の細い手足は逆光気味の日差しに負けないくらい輝いていて、ストンッと身軽なその体躯は若鮎のような健康美を備えている。
白のブラウスに灰色のカジュアルジャケットを羽織った彼女は、帽子の鍔に手をかけてこちらに笑い掛けて来た。
「会いたかったよ、久しぶりー!」
ついに目の前までやってきた彼女は、俺の肩をバンバン叩く。親交のある友人のような振る舞いだ。
だが、俺はまだ彼女のことを思い出せていない。
というより、この帽子少女のことを俺は一片たりとも知らなかった。
不信感が募る。
「えっと……誰?」
「いやぁ、覚えてないのも無理ないか。実は思い切って髪型を変えたんだ。わかるかな、帽子の下からちらりとはみ出るショートボブの良さ!」
「……アンタ、声かけるヒト間違えてない?」
「いやいやいや! にゃあがスティーブンのことを間違えるはずないじゃないか!
昔、この闘技場に『一〇八式高性能爆竹・イフリート改』を仕掛けた仲だったのを忘れちゃったの?」
「うん、ゼッタイ人違いだよ。だって俺、そんな悪事働いた記憶ないもん…………嫌いな奴の庭に落とし穴掘ったことはあるけども」
「そんなぁ! あの興奮を覚えてないのか、スティーブン!?」
「あと俺の名前、スティーブンじゃないぞ」
「――まぁまぁまぁ! 積もる話は食事を取りながらにでもしようじゃないか!」
そう言うと、彼女は強引に俺の腕を引っ張ってきた。
まるでお気に入りのぬいぐるみを連れ回すかの如き軽快さだ。
説明不足のまま意味不明な展開に巻き込まれそうになり、俺は目を白黒させて戸惑う。
だが、食事の誘いを断る理由が思い浮かばなかった俺は、特に抵抗もせずにこの帽子少女に手を引かれていった。
不良受付嬢に見送られる中、帽子少女はピンッと指を立てる。
「……あ、そうだ!
実はイイ肉料理屋を紹介したいと思ってたんだ、だから昼はお肉にしよう。スティーブン、君もきっと気に入るぞぉ?」
「だから俺、スティーブンじゃないって……」
既に四回も名前を間違えられた。
どうやらこの彼女、他人の名前を覚える気がさらさらないらしい。それとも勝手にテキトーなあだ名を付ける癖でもあるのだろうか。
いちいち名前の呼び間違いを指摘するのも馬鹿らしくなった俺は、口をへの字に曲げて呆れ返る。
(……)
このまま手を引かれ、俺は何処へ連れていかれるのだろう。
娯楽小説ではこういう場合、大抵知らされた目的地とは違う袋小路に誘導され、身包みを剥がされるのがテッパンだ。
しかし、彼女が俺たちに対して害意を持って近づいたのか、見極める術なぞ俺にはない。
ならば同じ女子に意見を仰いでみよう。そう思った俺は、隣を歩いていたリリの方を向いてみた。
……なんか一人で盛り上がってる。
「――やったぁ、お肉! 愉しみだなぁ、今度はラム肉かなぁー!!」
肉料理、というワードには俺も魅力を感じる部分がある。
だが食いしん坊なリリの場合、このワードは彼女の理性を破壊するには十分すぎるインパクト。
帽子少女の言を信頼しきっているのが傍目にもわかるくらい、とうに彼女は骨抜きにされていた。
(……もしも裏切られそうになったら、コイツはその場に置いて行こう)
時には非情な選択も必要である。
そんな有名な戦術書に記された一節を免罪符に、これから起こるかもしれない「相棒を見捨てる」という罪を、俺は密かに名も知らぬ神へ告白した。
♦️
コープス・マーケット。
そう呼ばれる商店街が、この街には存在する。
それは肉専門の卸売市場であり、一般市民もターゲットにした街有数の闇市。
わずか数百メートル四方しかない面積に張り巡らされた隘路に、屠畜場や小売店が団子になって詰め合うような肉製品の集散地である。
街の中心地から馬車便二駅分離れた場所に位置するこの商店街は、名前通り死肉を売るために開発されたエリアである。
とはいっても、人肉が軒先に切って吊るされているわけではない。
取り扱われているのは、人間にとって摂食可能な肉類。羊や鴨といった高級食材から、焼くだけで軽いバイオテロを起こせる野獣の脂身まで。
それらありとあらゆる肉類は、様々な処理とブラックボックス化された調理方法を経て店頭に並んでいた。
では、なぜ『死体売り場』などという不名誉な名称を付けられたのか。
理由は、ゴミの集積所が地元住民から忌み嫌われるのと一緒。
要は、酷い悪臭がいつも充満していたからであった。
早朝に競り落とされた家畜が頭を割られ。
血抜きと内臓処理の工程を踏んで肉塊となり。
店に仕入れられたそれを客が買い。
マーケット内のレストランで調理をしてもらった後……ありがたく食す。
その一連の流れを狭い人口密集地で全て完結させようとすれば、死体処理の現場が劣悪な環境になるのは必然だ。
結果、死臭と古血の酸化臭のダブルパンチがこの市場の床や壁に染み付いてしまった。
鴉が群がる墓地に、負けず劣らずのホラースポットの誕生である。
あまりの悪臭で、周辺地域に居を構える人々は皆無となり、家屋の窓は全てガラスの嵌め殺しか木板で塞がれる始末。
夜になれば灯りは消え、幽霊も真っ青で逃げ帰るくらい通りは静寂に包まれる。
その異様な光景を見て、度肝を抜かれた旅行記作家でもいたのだろう。
いつの日からかこの商店街は、血糊の付いた包丁を持った狂人と生肉が大好きな客がひしめき合う危険地帯として、旅人から曲解されるようになっていた。
……そんなコープス・マーケットの東端、悪臭に慣れていない初心者でも入りやすいレストランに俺たちは居た。
♦️
ウエイトレスに通されたのは、前後を壁で仕切られた小さな個室の四人席。
入り口にはスライド式の扉が備えてあり、窓は透明度の低いガラス製。
如何にも密談してくれと言わんばかりに閉塞感漂うこの席に、俺はマントを脱いで腰を下ろしていた。
テーブルには注文したランチメニューの品々が、テーブルクロスの空白を埋めるように配膳されている。
コース料理ではないから大皿を幾つも蕪雑に置くのは間違った提供スタイルではないのだろうが、それにしてももっとこう、洗練された接客サービスがあったはずだ。
焼き野菜がどーんと盛られた皿。
ローズマリーの薫り光るラムソテーがばーんと盛られた皿。
申し訳程度にクルトンが浮かんだ、ドイナカイモのポタージュが満たされた深皿。
いろいろな料理が机上に列を成していた。量もトンでもなく多い。
レストランを名乗るからには、さぞかし量の少ない料理とせせこましいムードが流れる中で食事をするのだろう。
そんな想像をしていた田舎者の俺は現在、脳髄をハンマーで殴られたようなショックに襲われていた。
これが都会の洗礼なのか。
メチャクチャ豪華で俺好みの盛り付けじゃないか。
「――どうしたの? 食べないの?」
左隣に座るリリは、焼いたモチカボチャを口にしていた。
嚙み切れないのか、口からはもちーっとカボチャがはみ出てしまっている。
「食べなよ、期待以上の味だから」
「……や、別にまずそうだと思ったわけじゃないんだ。ちゃんと後で食べる」
「それなら、最初に食べるのは茸のフリットにするといいよ。
これが揚げ方も塩加減も絶妙でさ、噛めば噛むほど旨味がじゅわーって湧き出してきて美味しいの!」
「へぇ、それはよかったな」
「このラム肉も凄いよ。廃棄寸前の肉なのに臭みが全くないんだもの! しかもソースで味を変えるとこれがまた味蕾を刺激する味でさー……!」
「はいはい。ウマいのはわかったから、一瞬だけ黙っててくれるか? ちょっと食事の前に片付けておきたい問題があるんだ」
「オッケー、じゃあキミの分も食べといてあげる!」
そう言って、リリは黙々と秋の焼き野菜を食べ進めていく。
まったくコイツの食欲は尽きることを知らないのか。
さっき屋台メシを胃に収めたばかりだというのに、彼女の食べ物への執着心は断食二日目の新米修道女並だ。
(……まぁ、賑やかなのは嫌いじゃないんだけどさ)
がっついてパンを齧るリリの姿を静観し、僅かに気分がほぐれた。
顔を正面に向けた俺は、コップの水に口をつけた。
真向かいの席には、俺たちを食事に誘った件の少女がハンチング帽を被ったまま座っていた。
スプーンを器用に使ってポタージュスープを飲む彼女は、かなりの猫舌なのだろう。
時折「あちっ」と声を漏らしては、ちろちろ舌を出して冷ましていた。
感情を余すことなく、純然に彼女は食事を堪能している様子だった。
しかし、話を切り出すなら早い方がいい。
ハッピータイムを邪魔するようで気は引けるが、メインディッシュへ手を伸ばされる前に、こちらから本題へ踏み込もう。
頭の中で思考を統一させた俺は、卒爾ながら訊ねることにした。
「――なぁ」
「ん、どうしたんだいスティーブン?」
「……つまるところ、アンタは一体誰なんだ」
「あっそうか。そう言えば、まだ自己紹介が済んでなかったね」
ごめんごめん、と帽子少女はナプキンで口元を拭いた。
そして背筋を伸ばして姿勢を正すと、ゆっくり俺へ握手を求めてきた。
滑舌よく、彼女は名乗る。
「にゃあ……じゃなかった、私の名前はニア・プレイス。
新聞やら雑誌やらに記事を載せてもらってご飯を食べてる、しがないジャーナリストだ。
仲間からは、『にゃーさん』って呼ばれてるよ。
よろしくね」
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