第10話 井戸の記憶(後編)
遺骨はなかった。
遺言もなかった。
ただ一枚、戦地にて死亡した旨が書かれた紙きれが、郵便で家に放り込まれただけ。
父が死んだという実感はまるで沸かなかった。
その代わり、心の奥底からどうしようもない怒りが噴き上がった。
なぜ、自分たちだけが苦しい思いをしなくてはならないのか。
なぜ、自分たちだけが不幸を被り続けるのか。
なぜ、この世はこんなにも不公平なのか。
激情に駆られて、俺は剣を振るった。
すべてをぶち壊したいと思ったのは、俺が一介の田舎少年だったに過ぎなかったからだろう。
同年代から虐められるのにも嫌気が差した俺は、見下してきた奴ら全員を剣術で黙らせた。
生理的に差別する大人たちも見返そうと、村の稽古会にも積極的に参加するようになった。
そうして売られた喧嘩を買うこと、約半年。
ついに村の中で、俺に敵う大人がいなくなった。
きっと人を殺して技を身に着けたのだ、と周りのクズは囁き合っていた。
でも、そんな悪口なぞ気にもならない。努力を怠った奴らを打ち倒していれば、どんな時でも気分が晴れた。
だがこの後。
村に来訪した者によって、俺の伸びきった鼻はぱっきり折られることになる。
♦️
「――ある戦友からの頼みで、この村を支援することになりました。
セシルアロー家当主のベイルフィードと申します」
ある朝。
大量のキャラバンを率いてやって来たのは、街ではよく知られた名家のご一行だった。
急な訪問に戸惑う村長へ、当主の男は深々と頭を下げる。
途中、彼はこんなことを言っていた。
「村の自治権、及び土地の所有権は、そちらで保持していただいて構いません。
私が行うのは、あくまで村の経済を活性化させるサポートのみ。我々の介入で発生するコストは、此方が全て負担します。
……いえ、謀などありませんよ。
私は唯、あの男に恩を返したいだけですから」
彼の男は精霊騎士だった。
純白のマントに身を包み、金銀紫さまざまな勲章を胸に付けているから、相当の権力を持った人間なのだろう。
召使や弟子、自身と懇意にしている会社の役員を率いて村の入り口に現れたその寸景は、民の幸福を祈るために身を削る巡礼者の集団のようだった。
快く迎え入れられた彼らは、早速村の改革を始めていった。
とはいっても、何かを大々的に開発するようなことはしない。
社会の目を忍んでひっそりと生きたい、という村人たちの思いを汲み、彼らは生活水準の向上を支援するだけに止めていた。
それこそ作物の収量を増やせるよう新たな農業知識を与えたり、まともに商売が行えるよう人脈を構築したり。
マナリア人としては異例の「控えめな態度」を取り続けたのである。
そこに、村人全員に例外なく戸籍を与えるなんて話まで湧いたのだ。おかげで村側から反発の声が上がることはなかった。
――――だが、その和やかな空気に対して、俺は独り苛立っていた。
こんなにも亜人に優しくできるのなら、初めから亜人たちを差別しなければいい話だ。
自分たちは何でも持っているからって、日の当たる場所でのびのびと生きていられるからって、俺の故郷を憐れむなんて冗談でもひどすぎる。
亜人だけの村を築いたきっかけも、他の亜人が蛙の亜人を下に見て優越感に浸るようになったきっかけも、全部お前ら『ヒト』が蒔いた種じゃないか。
そう思い、俺は歯ぎしりした。
……恥をかかせてやる。
偽善で塗り固められた化けの皮を剥がし、自分たちが亜人に全て勝っていると勘違いする奴らに、父から継いだ俺の剣を見せつけてやる。
後先考えず、俺は勝負を挑むことにした。
相手はセシルアロー家とかいう代々某国の近衛大隊長を務める銘家。その長女。
普段の歩き方や近衛兵と対等に喋る様子から只者ではないことは承知していたが、寧ろそれらの要素は闘争心をかき立てるスパイスになった。
果し合いは受諾され、空き地にて俺は彼女と向かい合った。
練習用の木剣を握る手には汗が滲む。そこそこ周りにギャラリーがいたが緊張はしない。
最初から最後まで勝つつもりでいた。
……結果は、完敗だった。
彼女の身体に一太刀も浴びせることはできず、俺は地面に叩き伏せられる。
悔しかった。
なぜこの少女はこんなにも恵まれているのだろう。生まれ育った環境にも才能にも恵まれて、ずっと日陰者だった俺とはまるで正反対の人生を彼女は歩んでいる。
不条理だ。不公平だ。
地に突っ伏した俺は彼女を呪い、世界を呪い、神を呪い、己の不甲斐なさを呪う。
なんで、俺ばかりが不幸を味わわなくちゃいけないんだ。
無力さを痛感し、空に向かって嘆く。
♦️
「――違うよ。それは」
「……!」
そう彼女は、クラウディア・セシルアローは言った。
あの時。
俺が野良試合で敗北し、砂を噛んで復讐に燃えていた時。
一度視界から消えたと思った彼女は、再び俺の前に戻って来ていた。
そうだ、今思い出した。
彼女は俺に、立ちあがる理由を与えてくれていたのだ。
「――セシルアロー家ってね。代々精霊騎士になって、王国にいる王様とか王女様を守る家系なんだって」
「……」
「だから、わたしも絶対に精霊騎士にならないといけない。
ただでさえ女として生まれたから、家の名に傷をつけるようなことはしちゃいけないんだ。
そういう役目を押し付けられるのってさ、実はけっこう辛いんだよ?」
「……」
「でも、そういう言葉は胸にしまっておくの。今はね。
それで頑張って頑張って、誰も追いつけないくらい高いところに上って、わたしの手で変えてやるんだ。
この息苦しい世界を」
「……」
何も言い返せなかった。
言っていることが正論過ぎて、スケールが大きすぎて、このすり鉢状の村の中だけで粋がっていた俺にとって、彼女はあまりに眩しすぎた。
視界が白く染まっていく。
「わたしはね、精霊騎士になるよ。
それでイチバンになる。
そうすれば、誰もわたしに文句は言えなくなる……そうすれば、女性が道具として扱われる価値観だって無くせる……いつか、きっとね」
クラウディアの輪郭が光でかき消されていく。
眠りが浅くなっているのだろう。もうすぐ夢が覚めるのだ。
何とはなしに、俺は彼女に触れようとした。
でも、思うように体は動かない。
指先は空を撫でるだけだ。
「わたしはね。わたしがイヤだと思うことを全部変えたい。
だから今だけは我慢して、どんな世界も受け入れるつもり」
「……」
「きみはどう? 何かを変えたいって夢はある?」
「……俺は」
この世界を根本からひっくり返したい。
亜人が差別される社会も、このカエルの身体が疎まれる常識も、不公平で不条理なすべてを叩き壊したい。
――――そうか。
俺が願ったのは、クラウディアに復讐することなんかじゃない。
本当の願いは、『俺と俺の家族を踏みつけにしている、この世界を変えること』だったんだ。
そのことに初めて気付いた。
「……じゃあ、わたしは一足先に行ってるね。
今度は街で会えると嬉しいな。できれば闘技場で、お互いに剣を持って」
視界が真っ白になる。
何も見えない。何も触れられない。
光の向こうから、彼女の声だけが聞こえてくる。
「いつまでも寝てちゃ駄目だよ。ちゃんと上を向いて、手を伸ばして、早くわたしに追い付いてね」
昏睡した魂が弾ける間際。
思い出の中の彼女は、真上に向かって指を差した。
「すべての高みは空にある。あの空が続く限り、わたしたちの夢は終わらない…………」
最後に、クラウディアはこう言葉を付け加える。
「――――空を見て。
そうしたら、自ずと道も開けるはずだから」
次の瞬間。
夢の舞台は光に包まれた。
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