第9話 井戸の記憶(前編)
夢を見た。
幼少期の思い出を追体験する夢だ。
目の前に広がっていた景色は、深山の盆地にある生まれ育った故郷のそれだった。
川の幸がよく取れる清流は村の中心を横切り、四方を囲む山の斜面には段々になった畑と果樹園。
家々は川の近くへ疎らに建ち、それ以外の土地は開拓が完全に済んでおらず、草木が生い茂って見通しが悪かった。
また、外界に通じる街道は険しい山越えを要求する一本のみ。
外貨を得るため作物や工芸品などを麓の町まで売りに出かけるのは、親戚家族総出で手伝うのが当たり前。
それが俺の生きていた世界だった。
……いや、正確には違う。
俺の故郷は、亜人しかいない村だった。
歴史的には古くから存在していたらしい。
外界で生き続けることが困難になった負け犬たちが、代々山を切り開いて築き上げたのだそうだ。
ヤギの耳を持つ筋肉質な男性、蜥蜴の鱗に覆われた妖艶な女性など、そこでは社会的地位の低いありとあらゆる亜人種が細々と暮らしていた。
決して裕福ではなく、願いを口にしても叶わないような生活水準だったが、誰一人として不平を漏らす者はいなかった。
理由はあった。
世間一般における亜人は、亜人というだけで虐げられる対象だったのだ。
殴る蹴るといった暴行はある程度許容され、商売ではまともに取り合ってもらえず、人身売買されても憲兵は見て見ぬふりをする。
外界のすべてが亜人にとって脅威だった。
だから大多数の暴力に屈した亜人は、山間のこの村に逃げ込んだ。
そして独自のコミュニティを形成して、現実から逃避することにした。
亜人同士で助け合い、励まし合うことで、偽物の幸福をありがたく噛み締める決断をしたのである。
だが、その輪に入れない者も居た。
全二十三種類が確認されている亜人。
その中でも最下層の地位に属する『カエルの亜人』……俺の家族がそれに該当した。
家族構成は、年の離れた兄と姉が一人ずつに二歳になる双子、そこに母親と自分を合わせた計六人。
ちなみに父は隣国との戦争に徴兵されて、数年自宅を空けていた。
だから俺たち家族は、この六人で何とか生き抜いていかなければならなかった。
そして、何故だろうか。
俺たちカエルの一家は、村の亜人たちから蔑視されていた。
森に出向けば殴られ蹴られるのは当たり前で、資金繰りの相談で取り合ってくれる住人はおらず、姉が身売りされそうになっても村長は見て見ぬふりをした。
これが村八分、もしくは差別という奴なのだろう。
無理やり泥水を啜って生かされるような苦行を、俺たちは何年にもわたって強いられた。
村全体の溝攫い、家屋の補修と糞便の汲み取り。汗水たらして弊牛の処理を手伝った後、山林に呼び出されてストレス発散に殴られる。
そんな最悪な日々が続いた。理不尽な日々が続いた。
泣いたことはなかった。
それが普通なのだと刷り込まれていた。
ただただ俺は反省していた。俺の何処が悪くて、彼らは俺をゴミのように扱うのだろう、と。
そして、六歳の誕生日。
俺の人生に転機が訪れた。
父親が戦地から帰ってきたのだ。
♦️
「――おぉ、イオリか! おまえ大きくなったなぁ!」
兵士として出稼ぎに行っていたため、俺が物心つく頃に父は家にいなかった。
だから父の顔を見たのは、その時が初めてだった。
無精ひげをジョリジョリ擦り付けられて、初めの内は鬱陶しかった。
しかし、泥だらけのマントに身を包んだ細身の父の無骨な容貌は、神話に出てくる勇者のようにカッコよくも見えた。
「可愛い、可愛いなぁ。
俺に似て顔も凛々しいし、これは将来イイ男になるぞ……ん? どうした?」
抱き着かれた俺は、父の背中に手を伸ばして呻いていた。たぶん、駄々をこねていたのだと思う。
父の背で鈍く光っていた剣に興味を持ったのが原因だ。
それは一般兵士に漏れなく支給されるような、何の変哲もない鉄剣だった。
無駄がないよう洗練されたデザインは、素朴ながらも幼少の自分を虜にするほど古雅な味わいを放っている。
父はそれを握らせてくれた。
「はー。そうかそうか、イオリは剣が好きなのか……男の子だもんな。そうだよな」
それなら、と父は俺の頭を乱雑に撫でた。
隈のできた眼で、悲愴に笑う
「……イオリ。明日から父さんが剣術を教えてあげよう。
いつか役に立つ時が来るかもしれんからな……まぁ、使う日なんて来て欲しくはないんだけどな」
それから一年間。
父は自身の持つ技術のすべてを、俺の身体に叩き込んでくれた。
剣の握り方、振り方、目線を配すコツ、気配の感知法と殺気のコントロール、足捌き、トレーニング方法から食事の摂り方まで。
ありとあらゆる角度から剣術指導をしてくれた。
稽古は熾烈を極めたが、それでも俺は何とか噛り付いていた。
きっと流麗に剣を振る父の姿に憧れていたからだろう。不思議と苦には思わなかった。
――そうして、ついに。
鬼から伝えられたとされる「太刀筋」を、俺は身に着けることができた。
「自分から見て右の肩から左脇腹を通る筋、これを『袈裟斬り』って言うんだ。
……ん? あぁ、『袈裟』ってのは大昔の神官が着てた宗教服みたいなものだよ」
悪代官を斬るための技なんだ、と親父は話していた。
「今のマナリアは宗教家が権力を牛耳っている時代だ。中にはいい奴もいるけど、たいていは碌でもない野郎が多い。
そういう輩に出会ったら、イオリ…………その手で魔を祓ってやるんだ。頼んだぞ」
♦️
きっかり一年後。
再び父は、国からの命令で戦場へと戻っていった。
出立直前。
父は俺にあの鉄剣をくれた。
俺の他に剣士を志す家族がいなかったからだろう。
剣を抱きかかえた俺の頭をポンと叩くと、父は振り返ることなく家を出て行った。
数日経つと、兄と姉も出稼ぎに家を出て行った。
家にいる兄弟の中で俺は年長者になり、家の中は荒れた寺院のように寂しくなった。
別に悲しくはなかった。剣を振っていれば父が近くにいるような気がしたためか、誰に言われるわけでもなく俺は独りで稽古を重ねていった。
もしかすれば、母が新たに子を身籠っていたのも関係があるのだろう。兄姉の強さを継ぐ次男としてもっと成長しないといけない、と使命感に駆られていたのかもしれない。
どちらにせよ、俺の剣の腕はメキメキと上達していった。
……三年後。俺が十歳になった頃。
父の訃報が我が家に届いた。
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