プロローグ カエルが上を目指す日
気付くと俺、イオリ・ミカゲは地面に伏していた。
どのような斬り合いの末に倒れたのか、それはよく覚えていない。
ただ事実として、当時一〇歳だった俺は無様に倒れていた。
(……クソッ)
身体中の筋肉は悲鳴を上げ、骨は軋んで砕けそうなほど消耗していた。
地面の感触は痛いほどに頬から脳へ伝えられ、口内には土の味が容赦なく広がる。
いくら息を吸っても足に力は入らず、腕はピクリとも動かない。
何時まで経っても、俺は重い身体を引き起こすことができなかった。
(おれは負けたのか……?)
先ほどまで、俺は確かに決闘をしていた。
野良試合をしていた。
決闘相手は、偶然村を訪れていた都会育ちの少女剣士。どこぞの銘家の跡継ぎであると、そう名乗っていた気がする。
身なりが良いだけの七光りだ、と勝手に思っていた。
貴族様だろうが最高評議会議員の孫だろうが、子供の自分には関係ないのだ。
勝てば官軍負ければ賊軍、という薄い諺を俺は本気で信じていた。
そして、俺は剣術に自信があった。
実際、村のジュニア剣士大会では負けなしの成績を修めていたし、大人たちの稽古にも積極的に混ざって技に更なる磨きを掛けようと努力していた。
結果、村で「剣の腕しかない下等生物」だと陰口を叩かれるようになった……が、有象無象が嫉妬するその環境は、逆に俺の自尊心を増幅させる燃料になった。
だから身の程もわきまえずに、俺は七光りに勝負を挑んだ。
自分が負けるとは微塵も予想していなかった。
勝てると信じ込んでいた。
……甘かった。
(レベルが違いすぎる……どう稽古したらあんな動きができるんだ)
相手は同年代の少女だった。
第二次性徴期であったこともあって俺より背が高く、既に出るとこが出始めた美少女。麦畑の穂波を彷彿とさせるハーフアップの金髪に、コバルトブルーの瞳。
本当に山を越えて来たのかと疑うほどに白いレースシャツに、暗く渋い小紫色のスカートという恰好。
幼いながらも凛とした表情だったのを覚えている。
立ち合う前に聞いた情報によると、彼女の親はとある王国の近衛大隊長なのだという。
しかも年に何十回と決闘代行を行い、尚且つ国の大臣と対談できるほどの権力を持つ職業……『精霊騎士』として、王座戦へ出場した経験もあるらしい。
つまり、とんでもなく強い親を持った彼女は、英才教育を乗り越えしエリートの卵。
要人警護のスペシャリストから剣術を継承した彼女が、田舎の少年剣士より弱いはずがなかった。
(初めのうちは互角に打ち合えてた……なのに、途中から一方的にやられるなんて……)
何度も地に倒された。
その度に俺は、何度も立ち上がって彼女に斬りかかった。
諦めはしなかった。身体が動く限り挑み続けた。
…………でも、ここまでだ。
手に持っていたはずの木剣は、もうどこかへと飛んで行ってしまった。
身体も動かない以上、反撃の手段はない。
やはり、俺は負けたのだ。
(――悔しい)
ぎっと唇を噛み締める。
顎に力は入らず、薄い皮膚一枚噛み切ることさえできなかった。自傷行為に走れないくらい、既に俺は弱っていたのだ。
もう誰とも話したくはなかった。
しばらく一人にしてほしかった。
元々亜人の多いこの村の中でも、『カエルの亜人』というだけで隅に追いやられてきた人生だ。
蹴とばされ、石を投げられ、存在ごと否定され、嗤われる。それが昔の俺の日常だった。
そんな不条理を撥ね退ける唯一の力が「剣」だった。
だから俺は、そこに安息を求めた。確かに自分がここで生きていること、それを証明するために剣を振るい、己を嗤った者を実力で黙らせてきた。
俺にとって「剣」とは、命より大事な存在理由だったのだ。
そんな心の支えが、たった一人の天才に打ち砕かれた。
生きることを否定された気がした。
上には上がいる。そう他人は言うが、俺の上にはいったいどれだけの「上」がいるというのだろう。
現実に絶望し、俺は藻掻くのを止める。そして、相手の少女が高笑いしながら場を立ち去るのをじっと待った。
だが、しかし。
勝者の気紛れはいつも非情だった。
「――意外に強いのね、きみ」
「……?」
「脚力をフルに使った連撃、隙を突こうとする姿勢。動き自体は悪くなかった」
倒れた俺の目前には、いつの間にか彼女が立っていた。柔らかく温かみのある声で感想を述べている。
今の俺にはどんな賞賛も嫌味にしか聞こえなかった。堪らず首を動かして、無理やり顔を上げる。
微笑みかけてくる彼女と目が合った。
「――でも、惜しい。すごく惜しい」
至極残念そうに、彼女は言う。
「踏み込みのタイミングがズレてるし、刃の振り方もメチャクチャ。
おまけに相手との駆け引きもまるでできてない。それじゃあ、私には勝てないよ」
「……」
「まぁ、いい経験になったと思おうかな。同い年の亜人がこの程度なら、自信を持って精霊騎士を目指せるから」
「……」
まだ体は動かない。
声も出ない。
何もできず、倒れたままだ。
そして、言いたいことを言えてスッキリしたためだろう。
俺を負かした少女は、くるりと踵を返して去っていく。
視界から姿が消える間際。一瞬だけ、彼女はこちらを振り返った。
悪戯っぽく口角を上げているのが見えた。
「――また、いつか遊ぼうね。ザコの三流剣士くん?」
「…………ッ!」
今思えば、これがきっかけだったのだろう。
彼女に敗北したこの一件を境に、俺はあることを心に強く誓うことになる。
……そうだ。
この土の味を忘れない。
この涙の熱さを忘れない。
俺の人生全てをかけて、絶対にリベンジを果たす。
負けっぱなしで終われるもんか。
お前が精霊騎士になると言うなら、俺も精霊騎士になってやる。
そしていつか必ず、決闘を申し込んでやる。
――――勝って、あの女を泣かしてやる!
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