気分転換
探すと言ってもそこまで難しく考える必要はない。
ハンナの行くところなど決まっているのだから。
「やっぱりいやがったな。朝っぱらから酒か」
「お、アートマン! アナタも飲む?」
ジョッキのビールを見せつけながら、この変わらぬ天真爛漫さ。
怒鳴ってやろうかと思ったが、彼女を見ていたらそれが馬鹿らしくなってしまうのが不思議だ。
「……コーヒー淹れてくれ」
「あれ、なにか食べないの?」
「食ってきた。ちょっとお前に聞こうと思ったから寄っただけだからな」
「お、私に聞きたいことって?」
身を乗り出すハンナはアートマンを苛立たせたことに気が付いていない。
「お前、ムツミって女けしかけただろ?」
「けしかけたってのは語弊があるね。ムツミはアナタに会いたいって言ってたから……」
「あんな奴よこすたぁ、俺も舐められたもんだ」
「別に舐めてなんか……」
徐々に眉をハの字にしていくハンナ。
声も小さくなっていって、言い訳を考えつつも怯える子供のようだ。
「アイツ、俺の弟子になりたいってよ」
「へ!? そうなの? すっごーい!!」
「お前、相変わらず豹変すごいのな……。一応言っとくが断ったぞ」
「え~なんで? ムツミはすっごい優秀な────」
「そういうこと言ってんじゃねぇ。俺は今までも、そしてこれからも弟子はとるつもりはねぇ。ああいうのに俺を紹介したくなるのはお前の性分なんだろうがよ。はっきり言って迷惑だ」
「あ、アハハ……アートマンにそう言われちゃうと、う~ん、弱いな」
「それにな。アイツ俺の弟子入りが叶うんならお前らとも絶交する覚悟だってよ」
「え、そんなこと言ったの? でも、……そっか。そんなに本気なんだ。ムツミのためなら、私は応援してあげたいけど、アートマン、ダメなんでしょ?」
「ダメだ。……だがちょいと引っかかる。なんでアイツは俺の弟子になりたがるんだ?」
「あれ? 言ってなかったの?」
「あぁ、とりあえずまた会って話すって約束はしたが、アイツの気持ちまではそこまで掘り出してはない」
「ふ~ん……」
ハンナがなにかを考えている中、アートマンにコーヒーが届いた。
漆黒の表面に視線を落としながら、ゆっくりとすする。
「あのね。私、ムツミにアートマンのこと話したときね。すっごくビックリしてたの」
「ほう」
「もしかしたらムツミさ、アートマンのこと前から知ってたんじゃない?」
ただの当てずっぽうなのか、それとも天性の直感なのか。
指パッチンをして思いついたように話すハンナの顔を見て、アートマンは固まる。
「あれ? どうしたの? ……コーヒー苦かった?」
「いや、なんでもねぇ。じゃあ、俺はこれで」
「え、もう行っちゃうの!? もうちょっとゆっくりお話しようよぉ~」
「俺は忙しいんだ。テメェも飲みすぎんなよ」
代金を置いて酒場を出る。
図書館には帰らず、とりあえずフラフラと都市内を散歩した。
なにかを考えながらの朝の散歩もまた乙なもので、行き交う人々を静かに眺めながら当てもなくおもむくままに歩く。
文字ばかり見ていた目が色彩で潤っていく感じがして、実に心地よかった。
まだ賑わいもそこそこといった感じなので、そこまで耳障りではない。
そんな中でムツミのことを考える。
(知り合いにあぁいうのはいないはず。だがまぁ、色んな奴と出会ったからな。そういう伝手で噂が流れたのかも知れねぇ。だとしたら俺の過去の話は避けられないな)
一度そう結論を出したあと、昼は外で食べようと思い立って使い魔を召喚しマリアンヌのもとへ飛ばす。
それまではこの広大な街の様子をゆっくりと見て回ろう。
色々起こるときこそ、気分転換だ。
ある程度ウロウロしていると、工業地区へ労働者が歩いていくのが見えた。
それぞれの表情には空元気や苦痛の色が浮かんでいる。
その脇を子供たちが駆け抜け、アートマンにぶつかりそうになるやピューっと逃げていった。
次は少し豪勢な通りだ。
ドレスをまとった婦人たちがテーブルを囲ってコーヒーを飲んでいる。
こんな朝早くにもお茶会など開くのかと目をやると、アートマンに手を振ってくれた。
そのあと、彼を見ながら扇子で口元を隠し話し始める。
(まぁ、見た感じ良い生まれの格好じゃあねぇからなぁ)
その屋敷の庭で庭師や使用人が働くのを一瞥しつつ、次の場所へと歩いていく。
ここの居住区になると、馬車が通りに止まっているところがよく見られた。
進めば進むほどに、その馬車の造りも豪勢なものになっていく。
十字路にさしかかったときだった。
アートマンから見て右の通りから幾人もの生徒が歩いてくる。
どうやらここは通学路らしい。
「するってぇと……そうか。ここから図書館までいけるのか」
左の通りに目をやりつつ、次は観光に最適な地区まで行こうと左方向へ足を向けたときだった。
「おい、待てよゴリラ」
「……」
「待てって行ってんだろうが!」
「……」
「無視してんじゃあねぇよッ!!」
朝から虫酸の走る声が響く。
シカトを決め込んでこの場所を離れようとするも、その生徒と取り巻きたちはそれを許さない。
走ってきてアートマンを取り囲み、下卑た笑みを見せる。
周りの生徒が騒然となり、誰もが立ち止まり、彼らに注目した。
「舐めた真似を……俺たちを誰だと思ってやがる?」
「さぁな」
「俺は誉れ高き魔術の名門ベンフレンド家の人間だぞ! てかゴリラ。お前ここをどこだと思ってやがる? ここはお前みたいな浮浪者がうろついていい場所じゃねぇんだよ」
「ベンフレンド……? あぁなるほど。そういうことか」
「おい、なにひとりで勝手に納得してる?」
「別に。さ、登校の邪魔して悪かったな。すぐに立ち去ろう」
「待て。まだ話は終わってねぇ!!」
「……ほら、周りのお前らも学校行け! ショーは終わりだ!」
家名を出してもそれほどな反応はなく、そればかりか自分のことなどまるで意に介していないような態度に苛立ちを感じていた生徒の怒りが爆発した。
「ふざけんじゃねぇ!」
頭に血がのぼった彼の手から放たれる炎の魔術。
ほんのわずかな間隔で高出力の火の玉を生成し、それをこんな至近距離から一気に撃ち放った。
「ふん」
それを素手で握りつぶすアートマン。
周囲の悲鳴が一瞬にして唖然とした空気に変わった。
生徒もその取り巻きもキョトンとして動けない。
「……手に薄い魔力の膜を張る。皺や関節といった凹凸を計算に入れながら均等な厚さでやらねぇと指が曲げられなかったり、弱い部分からぶち抜かれる可能性が上がっちまう。……と言っても、こんなのは実際の戦場で役に立ったケースはほとんどない。だが繊細な魔力コントロールをするためのトレーニングにはいいだろうよ。覚えとけ」
そう言ってアートマンは去っていく。
その生徒は止めることもやっかむこともできず、呆然としていた。
「ば、馬鹿な。ありえない。俺の……あの魔術をあんな技で? 冗談じゃない。この距離であのスピードだったんだぞ? それを……瞬時に計算だのなんだのやったってのかぁ?」
現実が受け入れられないようでその場にへたりこむ。
取り巻きに支えられながらも立ち上がるが、相当な精神的ダメージだ。
そんな魔術学園の生徒たちが、改めてアートマンを知るのはしばらくしてからだった。
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