アレドリア図書館
アートマンの行く石畳の道は、目的の場所に行くにつれて徐々に綺麗に舗装され整えられている。
行き交う人々の中に魔術師や学者らしき姿が多くなり、アートマンの風貌を見て物珍しそうに視線を向けていた。
しかしそんな目など気にせずに孤高な威容を放ちながら進む彼に、誰も声はかけないし、陰で笑おうともしなかった。
ようやくアートマンがたどり着いた図書館。
建物の中でもひと際大きく、まるで古代の宮殿を思わせるかのように、神々の彫刻が壁にところ狭しに掘られ、宗教的に見てもここがどれほどに壮麗たる場所かを思わせるそんな様相だった。
アレドリア図書館は世界最高峰の知識の集合体とも言われ、名だたる魔術師や賢者たちが訪れては文献を読み漁っている。
ここまで神聖な場所ともなれば、周囲の人間の種類はかなり限られていた。
アートマンよりもずっと小柄な魔術師たちが、まるで王に謁見するかのように内部へと足を運んだり、レポートを抱えながら帰路についたりと、ここだけほかの区画とは雰囲気が違って見える。
なのでアートマンが図書館に入ろうとしているのを見た魔術師は大いにギョッとしたくらいだ。
見た目が狂戦士のそれにしか見えない男が、縁もゆかりもなさそうな図書館にズカズカと入っていくのだから。
図書館ともなればドアの造りも優雅なものだ。
知恵の三女神が掘られたデザインの大きなドアを開けば、そこはもう古紙の匂いと蓄積された叡知が支配する異界へと変貌する。
アートマンは黙って前後左右に視線を移す。
広大な円形の壁一面に埋め込まれた本棚に密集する書物。
通常の本の形状のものはもちろん、竹や紙での巻物もあれば厳重に保管された古布に文字が書かれているものもある。
空間魔術によって厳重に保管されている本棚を召喚し、その内の一冊を老いた魔術師に渡す司書の姿や、空中に浮く本棚まで浮遊してお目当ての本を取りに行こうとする魔術師の姿もあった。
世界最高峰と言われるだけあって、ここはほかと比べると異次元的な存在感を放っている。
アートマンは思わず笑みをこぼした。
そんなとき、横から声をかけられる。
声を聞いただけでわかるその存在こそ……。
「アートマン? アートマンよねアナタ?」
「おう、久しぶりだなマリアンヌ」
紫色の長い髪を優美にたばねた妙齢の女性。
眼鏡の奥から見える瞳は潤んでいて、アートマンとの再会を大いに喜んでいるようだった。
「手紙、読んだわ。まさかアナタから訪ねてきてくれるなんて……もうビックリしちゃった」
「へっ、ビックリしたのはこっちのほうだぜ。まさかあの跳ねっ返りが、世界最高峰の図書館の管理人を任されてるなんてよぉ」
「もう、昔のことは言わないで。……ここではなんだし、奥で話しましょう」
積もる話は奥のゲストルームで。
案内された部屋はまさに貴族の一室であるかのようで、放浪暮らしをしていたアートマンからするとどこか落ち着かない。
「やれやれ、出世したもんだな。ちょっとからかっただけで杖を振り回して容赦なく殴りかかってきたお前がなぁ」
「もう! だから昔のことは言わないでって!」
紅茶を淹れていたマリアンヌは手を止めて頬を膨らます。
その仕草にアートマンはまだ少女だったころの彼女の面影を見出だした。
「悪かったよ。もう言わねぇ」
「本当に?」
「あぁ、また殴られたらたまったもんじゃあねぇからな」
「あ、また言った!」
「冗談だって! ティーセット投げようとすんなバカ!」
この瞬間だけ昔に戻ったよう。
お互いの無意識が交わり合い、場の空気がどこか和んだ。
「コホン、どーぞお掛けになってアートマンさん」
「怒るなって。ガキ扱いして悪かった」
「反省してるように見えないからダメ」
「おいおい」
「冗談よ。さっきのお返し」
テーブルに紅茶の入ったティーカップが置かれる。
「もう14年になるか」
「そうね。……もう会えないと思ってた。アナタが教団を滅ぼしてすぐだったかしら?」
「……恨んでるか?」
「いいえ、仕方がなかった、って言えば嘘になるのかな。アナタは真剣に世界のことを考えていた。でも教団の陰で行われていた裏切りに気づいた。……アナタは自分の責任だって、自分ひとりの問題だって言って聞かなくて……」
「実際にそうなんだ。賢者なんて囃し立てられて、その気になって浮かれちまってあのザマだ。俺ぁただの愚か者だ。今も昔も……」
「アートマン……」
「マリアンヌ、手紙に書いとおりだ。俺は【3本目】を探している。これが最後の冒険ってやつになる。もしもこの都市や図書館でなんの手がかりも掴めなかったら……」
「諦めるの?」
「……わりと疲れてんだ」
「そう、アートマン最後の旅がここなわけね。いいんじゃない? アナタは今までずっと頑張ってきたんだもの」
「やけにすんなりと受け入れてくれるな。昔だったら……」
「もう昔の私じゃないわ。私、成長したのよ?」
マリアンヌの瞳がじっとアートマンを捉える。
眼鏡の奥の輝きに熱っぽいものを感じた。
大人の女がひとりの男に向けるそれを、アートマンは見つめ返すことでしっかりと受け止める。
「……部屋、用意してるから。好きに使って」
「色々悪いな。というよりも本当にいいのか? 住み込みで働くってわけじゃあねぇのに部屋貸しちまってよ」
「大丈夫。私だって今日まで頑張ってきたんだから文句は言わせないわ。それに、アナタほどの賢者様がいるってわかれば、きっとすぐにわかってくれると思うけど?」
「だから俺は賢者じゃねぇってのに」
「いいじゃない。アナタって界隈じゃ有名なんだから」
「賢者アートマンが、実はこんな筋肉野郎だったとしてもか?」
「証明なんて簡単でしょ? アナタなら」
「よくわかってらっしゃる」
アートマンは肩をすくめつつも、彼女が淹れてくれた紅茶を堪能した。
昔淹れてくれた紅茶と変わらない風味がして、彼の心に染み渡っていく。
「うし、じゃあまず部屋まで案内してくれ」
「はいはい」
こうして都市での生活が始まった。
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