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第1話 1-0


 それは、よくある乙女ゲームの、よくある断罪シーンのはずだった。


「残念ながら満場一致で君は王妃に相応しくないと結論が出た。ここにいる皆の総意だ。

 よって、私は王太子としてサヴィア公爵令嬢との婚約破棄を宣言する」


 褐色の肌に金髪金眼の美貌の王太子が私に対して毅然と、かつ明瞭に私との『婚約破棄』を宣言した。

 学園の卒業パーティーのために集まった人々はざわめいた。広間にいる人々の合意の上とはいえ、王太子が公の場で婚約を破棄するなんて前例がないから。動揺する者、興奮のあまり歓声を上げる者、様々だった。


 しかし、喧騒(けんそう)の中で私は一人落ち着いていた。


 前世のゲームの台詞と同じ。想定通り。


 私は転生者だった。しかもたまたま前世でプレイしたことのあるスマホ向け乙女ゲームの世界に転生したラッキーな転生者だ。だから、私は悪役令嬢に生まれたけれど、それなりに上手く立ち回っており、バッドエンドを回避してスローライフを送るための策は万端に用意していた。


 糾弾されている悪役とはいえ、私はみっともなく喚き散らすつもりはなかった。だから、悪役顔の自分にできる精一杯の悲しげな顔で答えた。


「それが王太子殿下のご決断であれば、慎んでお受けいたします……」


 反抗する意志がないことを大人しい態度で示す。少しでも心象を良くするための打算的行動だった。罰を軽くしてもらってお父様の領地の片隅に密かに用意した小さな家でスローライフを送りたい。

 不興を買って理不尽な死刑になるのは嫌だもの。


 しおらしい私の言葉に王太子は端正な口の端を歪めた。


「随分と殊勝(しゅしょう)な態度だね。まるでこの事態を望んでいたみたいだよ?」


 王太子の揶揄うような言い様に、私は緊張が走った。こんなセリフ、ゲームの中には決して無い。

 私の行動の真意をピタリと当てる台詞に、胃が下がる思いがした。王太子の金色の瞳は全てを見透かしているような気がする。『君の考えなんてお見通しだよ』と。追及されれば、(かわ)す言葉なんて用意していない。


 どうする、どうするの? ここで探りを入れられて、下手な答えをして最悪死刑にでもなったら――いや、考えるのよ。諦めてはいけないわ。


 しかし、王太子からそれ以上追及されることはなかった。世界を破壊する異変が起きたからだ。


 突然、広間に怪しい緑の光が差し込んだ。それと同時に高音と低音が無軌道に譜面に並んでいるとしか思えない頭が(ねじ)れるようなフルートの音と、心臓のリズムを狂わせるような太鼓の音が聞こえてきた。


 そしてその狂気的な音も、視界を歪ませるような緑の光も、どの方向からやってきているのか検討もつかなかった。異次元の現象すぎて目の前の光景が本当に網膜(もうまく)に映っているのかすら疑わしくなる。恐ろしい存在の気配を全身のありとあらゆる感覚が感じ取っている。じわじわと怪しい光と音に空間が侵食されていった。

 ぞわぞわと、寒気が脊柱(せきちゅう)を駆け登る。狂気的な状況に頭痛がして頭を抑えようとすると、大きな音が頭上からした。


 空間を飲み込むような異常な音。そして、何か硬いものを紙を丸めるように潰していく音。


 絶対にしてはならなかったのに、私は顔を見上げて音のする方へ目線を向けてしまった。


 そこには、異様な光景が広がっていた。


 幼児が力一杯に踏み潰したおもちゃのように天井がひしゃげて、いくつもの黒い亀裂(きれつ)が走っていた。


 私を含め、大広間に集まっていた魔法教育を受けた人々は知っている。

 

 その稲妻のような黒い亀裂が世界の終わりの象徴である『時空の歪み』であると。


 『時空の歪み』が空を覆いつくすとき、世界が崩壊すると古代から予言されていた。


 しかし、一般的に時空の歪みは空間を一瞬で移動する高度な魔法、転移魔法を発動した時に、少しの時間だけ現れるため、熟練された魔法使いにとってはそう珍しい物でもない。

 だが、予言されているような天を覆い尽くすほどの時空の歪みを出現させるには莫大な魔力が必要だと推定されており、時空の歪みによる世界の崩壊は机上の空論だと考えられていた。それでも目の前に突如として現れる黒い亀裂は人が生理的な恐怖を感じるのに十分すぎるほど不気味で、転移魔法が便利に使われるようになっても、遥か昔の神話の時代から、時空の歪みは世界の終わりの象徴とされていた。


 その脅威の象徴が、天井中に張り巡らされていた。


 繰り返すが、強大な時空の歪みの出現は、世界が崩壊することを示している。

 私はその脅威を瞬きもせずに見つめていた。

 時空の歪みの向こうには虚無の世界、漆黒(しっこく)の闇が見える。

 だがしかし、じっと目を凝らしてよく見るとその闇は(うごめ)いていた。


 泡を発しては消し、触手を伸ばしては縮めている。闇はまるで生き物のようだった。いや違う、本当に生き物なのだ。寝返りができなくてグズっている赤ん坊のように触手を蠢かせているのだ。その黒い生き物が無邪気に振り回した触手に触れた場所はすぐさま蒸発していた。その生き物自身から発せられる強大なエネルギーによって、触手に触れた物体は、身分や生死を問わず、たとえ高位貴族であっても、煙のように消されていった。天井も壁も取り払われて周りが生き物の闇に呑み込まれていく。


 きっと、私自身もその生き物の触手に掠った瞬間に消されるだろう。いまにも、指の先、爪の先が既に強大なエネルギーに侵されて、消されてしまうのではないかと、幻覚を見るほど恐怖を感じている。


 こんな強大なエネルギーを持つ生き物は、私は一つしか知らない。


 私は前世の知識を持っているがゆえに、頭上に現れた強大な闇の塊の生き物が人智を超えた存在だと理解してしまった。


 宇宙の創造者、世界の起源、盲目白痴(はくち)のアザトース。

 前世におけるクトゥルフ神話に出てくる最強の邪神、アザトースであると。


 理性が飛んだ私の頭の中で、前世で友人たちと散々やったゲーム、クトゥルフ神話TRPGのロールが流れ始めた。


 SAN値チェック→失敗 

 アイディアロール→成功

 クトゥルフ神話技能獲得


 ――私は盲目白痴のアザトースが存在し、アザトースの目覚めによって世界が壊れるというおぞましい真理を知った――


 理解した瞬間に私の理性を司る脳の前頭葉(ぜんとうよう)のニューロンが過剰な電気信号によって焼き切れる音がした。同時に血管がはち切れて、頭が割れるような頭痛と吐き気が襲う。鼻から、耳から、目から、穴という穴から血が溢れ出す。


 私は泡を吹いて倒れた。


 神様、私が一体何をしたのでしょうか。



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