衣玖博士の憂鬱 彼女は如何にしてアニメアンチと戦う道を選び、そしてそれを諦めたのか。その日誌。【五人少女シリーズ】
一話読み出来る短編シリーズ「五人少女シリーズ」です。
キャラ紹介はシリーズ一覧で少し詳しいものがありますが、端的に五人少女だけを紹介
衣玖 天才科学者の美少女
留音 一番常識人っぽい健康美女
西香 根性のひね曲がったやつだけど見た目だけは美女
真凛 常識人だけど常に地球を人質に取っている美女
あの子 不可侵の至高存在の才色兼備超絶美少女
という感じです。
私の名前はファウラー。ファウラー博士だ。専門は脳科学。今は大学で人間の認知について研究しているのだが、致命的に行き詰まっている。
そんな時に私に天啓を与えてくれた人物がいた。ある時研究所の奥に保管された禁書を閲覧する機会を与えられ、そこで眼にした書の著者の名は忘れもしない、衣玖博士という日本の科学者だ。
数十年も前の人物ながら、その研究性は全て未来的であり、彼女の論文は全て禁書扱いとして封印されている。恐らく人間が進化すべき段階を飛び越えた理論を展開しているからであろうことは一度その内容を目にすれば理解出来るだろう。
私が感銘を受けたのは私の専門でもある脳の、特に認知に関わる部分だった。衣玖博士の論文に提示された疑問は要約すればつまり『人は何故同じものから違う情報を受け取るのか』『人の感性に関わらず同一の認識をもたせることは可能なのか』ということだ。
人間の脳というのはそれぞれが全く違う知能や考え方を持っているのは当然だが、衣玖博士はその違いを飛び越えて同一の認識を抱かせるようなものを作ろうとしていたのだ。そして文章には更にこうあった。
『この研究が危険なことはわかっている。使い方を誤れば人類の持つ知性の否定になってしまう。だがもしも世界大戦が起きた時、戦争を嫌う認識を刷り込めたら?他人へ抱く攻撃の意識を別の感情に変更出来るようになるかもしれない。脳を少しだけ勘違いさせるだけでそれらは可能になるはずだ』ーーー私は戦慄した。そんなことは不可能なはずだが、衣玖博士のやってきた研究の成果、そしてその論文を読み込むに連れてそれが衣玖博士ならば決して不可能な話では無いと、私は心に強く刻み込まれていた。
衣玖博士はその研究に長い時間を割いたそうだ。そしてその書の最後にこう記していた。
『人の認知を統一するロマン物質の生成に成功した』と。研究成果は複雑に暗号化されており、私は数年をかけてその暗号の解読を試みた。
そして私はついに廃墟と化した衣玖博士の秘密研究室を発見したのだ。誰も足を踏み入れたことのないその場所へ、私は生唾を静かに飲み込みながら侵入した。
衣玖博士の没後から数十年の時を放置された衣玖博士の研究施設はすっかり古びており、全ての機械は活動を止めている。その中を私は数日かけて探索し、ようやくアーカイブルームに辿り着くことができた。
そこは彼女の研究の全ての記録が保管された、パンドラの箱とも言える場所だった。もしもそこが大国に解析されれば、一強国となってしまうこともあり得るかもしれない。
私はこのアーカイブルームの巨大端末に自分のノートパソコンをセットし、こちらからアクセスしてデータベースをサルベージする。巨大端末にも複数のモニターは付いているのだが、経年劣化の影響によるのか全てヒビ割れていた。ちなみの衣玖博士の施設は、本人の開発した無限エネルギーシステムにより、電力を供給する必要がないために端末そのものを動かすことは容易だ。私はパソコンに表示される衣玖博士の保存した記録データリストに心躍らせながらも、スクロールして探す項目はただ一つ。かのロマン物質についての事だった。
ついに見つけたフォルダに、私は天にも上る気持ちになる。持参した端末にデータをコピーしながら順に記録ファイルを開いた。
スピーカーから聞こえるのはとても理性的で、それでいて少女のようなあどけなさもある可憐な声だった。
「研究日誌、音声記録一、記録者はIQ三億の天才、衣玖。私はこれから、世界の全ての認知を統一する物質の生成に着手する。既に理論は完成しているが、これを作れるかどうかはわからない。ひとまずロマン物質の性質が脳の認知を超えるという点を目標にするため、アニメプロジェクトと名付ける。アニメは動画ではなく、その語源となった魂、アニマから取った。どの脳でも同じ認識をする物質は、即ち魂に働きかけているといっても過言ではないのだから」
私は長い時間を衣玖博士の文献を読み漁り、世界に残るありとあらゆる彼女の資料を取り寄せ、毎日穴が空くほどに読みふけっており、既に尊敬を飛び越えて恋慕にも近い感情を芽生えさせていたとでも言うのか。だからこの彼女の音声を聞いた時にドクリと高鳴った胸の鼓動に、私は十代の頃に経験した初恋の気持ちを思い出す。しっかりと気を入れなければ。
アニメプロジェクト……ここから全てが始まったのか。続いて、すぐに次のファイルの再生が始まる。
「研究日誌、音声記録二、記録者衣玖。ちょうど試作品、プロトアニマが出来た。これは人の認知の中でネガティブな部分、気持ち悪さを感じさせる物質となっている。何故嫌悪感をプロトタイプにしたかと言うと、人間は嫌悪に対しては防衛本能を働かせ、好意的な感覚を覚えた場合よりも更に顕著な行動に出るためデータが取りやすいからだ。今プロトアニマは目の前にあるが……正直持つのも嫌だという気持ちで溢れている。作ったのは私だし、性質上なんの害もない事はわかっているので理性で押さえ込んでいるがおえぇっ、キモぉ!」
……。彼女は人智を超えた天才なのだ。これを製作した時も、文献によれば十代か、行ってても二十代前半だったはずだ。理知的な研究日誌とは別に、恐らく年相応な華のある生活も送っていたのだろう。耳を澄ませばジャカジャカとした奇異な音楽も聞こえてくる。敬愛する博士の人となりもうかがい知れるというものだ。
「研究日誌、音声記録三、記録者衣玖。これより実験を開始おえぇっ。プロトアニマをぐすっ、被験者に与えて反応をずずっ、観察おぇっする。被験者は留音。の前にこれは置いとくことにしよ。あーキモいったらない!!(べちょ!!ぐちゃああ……)被験者ステータス、フィジカルは健康的で、格闘技を超高水準で使いこなし、スタミナ、運動神経、共に抜群。また女性としての二次性徴の発達ぶりには眼を見張るものがある。ただしメンタル面において、一定のレベル以上の負荷がかかると途端に崩壊する場合も。アニメプロジェクトでは一般市民の平均レベルに近いデータになると推測する。……ルー、もう少しそこで待ってて」
被験者に指示を出したようだ、その口ぶりから友人なのであろう事が伺い知れる。ところで途中で異音がしたのだが、もしかしてプロトアニマを投げ捨てたのでは?
「それでは実験を開始する。……はぁ~、持ちたくないなぁ……いいや蹴ってくか……」
べちゃぬちゃ!ぎょとべじょ!音だけでも嫌悪感が伝わる。
「お、実験開始か?んで、あたしに見てもらいたいものってうわぁぁぁぁ!!んじゃそりゃあああ!」
私はパソコンの音量を上げた。今まさに世界全ての人間の認知を統一するための物質の、初めての実験が行われているのだ。音声のみなのが残念ではあるが……確かに衣玖博士の言う通り、被験者は嫌悪感に取り憑かれているのがわかる。
「ルー、これをどう思う?ちょっと持って見てくれる?大丈夫よ、何も汚くないしあなたの脳が嫌だと思ってるだけで、実際はただの……」
「嫌だよ!!何も汚くないって、お前それ蹴ってきてんじゃん!フンコロガシかよ?!うおー!こっちに近づけんな!!それ以上近寄ったら舌噛んで死ぬぞ!?」
成功だ……明らかに成功している。ただ……。
「えー、本当に汚くないのよ?ほら、手に持っても大丈夫でしょ?ぉぇ……」
「嘘だろうが!今おえって聞こえたしそれに……待て待て待て!こっち来んな!」
「本当に大丈夫なのよ。ただめちゃくちゃ気持ち悪く感じるだけで。はい、持って?」
「いーやーだ!お前それ以上やったらマジでもう……マジでお前のアニメコレクション全部破壊してやるしもう本当絶交だからな……マジ本当にやめて」
被験者の留音と呼ばれる少女はかなり冗談にならない声音で嫌がっているようで、衣玖博士もそれに折れたようについたため息がスピーカーから小さく漏れている。
「わかったわよ……そこまで言うなら……」
べちゃああ!!ぉぅ……グロテスクな音だ。ゾンビ映画でゾンビが食べる臓器みたいな音といえば一番近いのだろうか。
「おい!!あたしの進路側に捨ててくなよ!!ちゃんと持ってけアホ!!バカぁ!」
ふむ。どうやらこのやり取りから察するに、気の許せる友人にはお茶目な様子も見せていたようだ。そんな風に友達と接しながら、その上天才的発明を生み出していた。表に出ていない人物だっただけに、このような日常を感じさせるやり取りを聞けるのもまた私個人としてとても大きな発見だ。
しかし、本当に残念だ。もし彼女ほどの頭脳の持ち主が表の歴史で活躍していたら、今頃タイムワープや惑星間移動も可能だったかもしれないとふと考えてしまう。
「実験第一回目は成功。留音は涙目になって可哀想だったので……あと私のコレクションを消されるのは勘弁して欲しいので実験中断。データは取れたけど、念のためあと何人かにも協力して貰うとする。……次は誰にしよう。あの子にあんなキモいもの見せるなんて可哀想すぎるし絶対ダメだから……西香辺りなら罪悪感もないし安全ね。よし」
私はまた気持ちが高まった。まだまだ実験の様子を確認することができるのだ。人生のピークは今まさにここ以外にありえない。最高の気分で近くにあったボロボロの椅子をひっぱり、パソコンを置いているデスクの前に座った。何時間だって付き合う覚悟はできている。
「研究日誌、音声記録四、記録者衣玖。実験対象を西香に変更。被験者ステータス、フィジカル面、見た目は健康的だがかなりの偏食癖がある。それでも自賛するだけの事はあるバランスの良い体型ではあり、常に持ち歩いている銃刀法違反のナイフを満足に振るうだけの運動神経も持ち合わせている。その点では問題無し。メンタル面は極めて自己中心的で致命的に空気が読めず、その上金にうるさくて図太くてウザい精神性であり、全二百項目を超える誓約書にサインして友達になろうと数々の人間を脅している人物。アニメプロジェクトとしてはやや不安定な振れ幅になるかもしれないが、ここを乗り切れば一気にプロジェクトの成功に近づく確信がある。では実験を開始する」
流石は衣玖博士だと私は感じた。そのような絶対友達になりたくない人物でも衣玖博士は真摯に研究のために向き合っているのだ。
「衣玖さん、実験開始ですの?それにしてもこんな場所でなんて。まぁ見た物の感想を言うだけでお金が貰えるのですから協力はしますが……それでそのわたくしが見る物というのはなんなんです?」
よほどの友達になりたくない性格を持っているという西香氏だが、声からは清楚さと可愛らしさが溢れ出ている。もし私が衣玖博士に淡い情愛を抱いていなければファンになっていたかもしれない、とは自意識の奥底で感じた気持ちの素直な所だった。
「はい、これよ、どうぞ」
ぬちゅぐちょ!何度聞いても、モニター越しでも顔をしかめたくなる音だ。
「あらあらまぁっ!」
西香という被験者が驚きに声を上げている。これでこの友達になりたくないタイプの人からもお墨付きという事になったのだから、これで実験の展開は進む……そう思った矢先だった。
「まぁまぁ!なんですのこれ!やーんっ、不思議ですわね!わたくし、何だかにわかに親近感がわきますわ!なんでしょう、この奇妙な感覚ったら!この適度な柔らかさと気だるくなりそうな温度、そして鬱陶しく纏わりつくような感覚ったらまるでわたくしの精神性を具現化したようではありませんかっ」
私は鈍器で殴られたかのような感覚を味わった。なんだこの反応は?何故そのような物体に親近感を感じているのだ?であれば、この西香という人物は一体どのような精神を持っているというのだ?衣玖博士の研究が失敗だったというのか。被験者西香氏の物言いは明らかに嫌悪のそれではない、可愛らしい小動物でも愛でているかのような、そんな声を発しているではないか。
「……嘘でしょ、気持ち悪くないの?」
「体調はいたって万全ですが?それよりどうしたんですの衣玖さん、こんな物体、地球上で見た事ありませんわ!」
「……私が作ったの」
あぁっ、愛しの、ではない、敬愛する衣玖博士の声のトーンが下がっている。私も何度も研究を失敗し、挫折や計画の頓挫を味わっている。だから多少気持ちを察する事はできるが、彼女は若き天才だ。歳をとって失敗に慣れた老人とは違う。相手が猿よりも空気を読めないばかりに、衣玖博士の心が心配になってしまう。
「まぁ!流石ですわね!いつもいつも意味不明な発明ばかりしてるのかと思っていましたが、やれば出来るじゃありませんのっ」
「……はい終わりっ。もう帰って良いわよ」
衣玖博士の声音にイラつきを感じるが、西香氏は何も気にしていないようだ。
「えぇっ!そんな!もう少し詳しい感想を……」
そして一度音声が途切れると、続いて衣玖博士の疲れたような声で報告が行われた。
「実験第二回は失敗。西香は確かに人類の中でも極端な位置にいるにいるから、結果を除外することも考えたけど……でもダメね。それは逃げだもの。私の目標とする認知統一は誰一人余すことなく同じ事を感じられる物質を作ること……悩みがある人も、不幸な人も、悲しい目にあった人も……誰もが見るだけで心から幸せを感じるような物質を……はっ、何言ってるんだろ私……今のが多少ショックだったということか……がんばろ」
私は肩を落とした。呆れたり、がっかりしたわけじゃない。私にも研究を成功に導くために費やしてきた日々があるからこそ、衣玖博士の状況に親近感を覚えたのだ、きっとこの時は辛かっただろう。彼女はこの時点でまだかなり若い。そして今聞こえた思想……純粋無垢な、人々の幸せを願う言葉……そこに向かうために現れた壁を一人で乗り越えようと自分を鼓舞する少女。知性と孤独は常に同居する。時には狂人変人だと後ろ指さされることだってある。出来ることなら私が近くに行き、自身の失敗談を笑い話として話して元気付けてあげたい。だが私がそんな事をせずとも、衣玖博士はそれを乗り越えるパワーがあるはずだ。
「研究日誌、音声記録五、記録者衣玖。……あの子にも協力を要請した。被験者ステータス、フィジカル面、少し体が弱く、大きな病気も経験しているが、今は完治済みで健康体。細身に見えるけど一緒にお風呂に入った時は……いや、こんな事はいいか。メンタル面は天使。海のような包容力に、山のような寛大さを持つ女神のような子。いや、こうして評することは冒涜ね、後で土下座して謝ろう……。西香で失敗した要因を探るため、少しでもサンプルを集めようとあの子にプロトアニマを見せようと思ったが、……でもやっぱり出来なかった。私の研究にならどんな物でも喜んで協力すると言ってくれたけど、でも出来なかった。私があれを持ってほんの一部分を見せただけであの子は泣き出しそうになったためだ。それも自分が嫌な気持ちを感じたからじゃない、私を心から心配してくれた。そんなに大変な事をしてまで完成させたい物があるなんてすごい、と……それになんでも手伝うって言ってくれた……やっぱりあの子にこんな物は見せられない。もっと良い感情を引き出せる物が出来たら、手伝ってもらう事にする」
あぁ、そうか……衣玖博士にもお互いを尊重しあうような大事な相手が居たのだ。私は安堵のため息をつき、顔のほころびを感じる。その子がいればこそ、きっと衣玖博士は孤独と戦えたんだろう。初めから私が心配する事ではなかったというわけだ。
「研究日誌、音声記録六、記録者衣玖。気を取り直して被験者は新たに真凛に設定する。被験者ステータス、フィジカルは……よくわからない。しょっちゅう買い物や家事で動き回っているけど、昔の運動神経はそんなに良くなかった。足の速さは私よりちょっと早いくらいだったし、ビリツーってところね。メンタル面は危険人物で、普段は穏やかながら怒らせると手がつけられない、逆鱗に触れるとサイコな面が出てくる。今回も怒らせない程度で経過を観察するつもり。……ま、なんとかなるでしょ」
被験者真凛……恐らく研究所の同僚や身内なのだろうが、いまいちプロフィールが掴めない。怒らせると怖いと言っている事から、緊張していたのかもしれない。それも当然だ、嫌悪感に対する最もストレートな防衛表現は怒りになるだろう。
そんな中、怒らせると怖い人物に怒らせるような事をしなければならないのだ、緊張するのも無理はない。私は少しだけ衣玖博士に親近感を覚え、昔の怖かった上司の顔を思い出していた。
「あ!衣玖さん!実験開始ですかぁ?ええと、にらめっこするんでしたっけ?」
私の回想を掻き消すような可愛らしい声が聞こえる。怖いというには声の雰囲気が若いというか幼いというか。音声だけだと細かい状況が見えてこないのが難点だ……それにしてもなぜ音声だけなのだろうか。
「まぁそんな感じよ。いい?私が今から見せる物に対して怒ったりしたら負け。でも気持ち悪かったら言うのよ、無理はしないでいいから、ホント」
「えぇ〜、なんか不安ですねぇ、変な物なんですかぁ?」
「……まぁ予め言っておくと、見た目だけ物凄い嫌な感じがする物を作ったの。物自体は清潔そのものだし、あなたの怒りをおさめるために舐めろと言われたら舐めてもいいくらい綺麗なの」
「もぅ、なんですかそれぇ。そんなこと言いませんし、第一それ聞いちゃったら何が出てきても驚かなくなっちゃいますよ?サプライズパーティやってるから驚いてねーって言われたようなもんじゃないですかぁ」
なんとも他愛ない会話をしている。衣玖博士はこれで十分なデータを取るつもりなのだろうか。いまいち相関図が把握しかねるというものだ。
「じゃあ取り出すけど、これよ」
「ぎょわあああっ!……はわぁ……それはたしかに嫌ですね……」
どうやら成功しているらしい。嫌悪感が無事発生している。私は胸を撫で下ろしながら聞き入った。スタスタと歩く音が聞こえてくる。
「そうでしょ。でこれをじっくり見て感想がほしアッ……」
ドタッ、タン!と足がもつれたような音と、衣玖博士の少し抜けた声。状況は見えないが……ずっこけたのではないだろうか。すぐ後でべちゃ、ゔょちょと妙な音が聞こえた事から、プロトアニマが投げ捨てられたような気もした。
「ひぁっ、う……はぁ……そうですか衣玖さん……わざわざそういう事を……汚くないから平気って?ふふふふ、笑わせますねぇ……」
音声記録である以上、絵は見えないのに被験者真凛氏の声を聞いた瞬間、自分がカエルになったような、そしてスピーカーの奥に大蛇でもいるような寒気を感じた。
「ああぁ、ああっ……ごごご、ごめ、あ〜!」
ゴゴゴゴゴ、ザザー!ピーッ。記録が途切れたようだ。どういう事だ?状況の推測として、衣玖博士が誤ってプロトアニマを真凛氏に投げてしまったという線が濃い。その後背筋が凍りつくような声を受け、衣玖博士は謝罪して……だが何故そこで音声記録が途切れたのだろう。それも物凄い音を残して。とにかく次のファイルに行こう。
「うー、研究日誌、音声記録七……記録者衣玖。プロトアニマをしこたま舐めさせられてなんとかばっちぃものじゃないと証明したけど、四回吐いた。ほんと酷い目にあったわ。まぁとにかくデータは取れた。プロトアニマはそこそこ気持ち悪くできてるけど、もう一歩ってところね。とにかく、アニメプロジェクトは次の段階に進むことにして、セカンドモデルの製作に取り掛かる事にする。次の認知感情は難易度の高いポジティブ方向で認知する物質を作ろうと思う。まぁ私ならこのデータがあればなんとか出来るだろう、今度こそ被験者の感情を統一させてみせる」
これを記録した時の衣玖博士は恐らく私より一回り以上年下のはずだ……それなのに純粋にかっこいいと思える。ただひたむきに結果、目標に向かって進む様子に、私の心は既に奪われたと言っても過言ではない。同じ時代に生まれなかったからこそこうして知る事ができたのであろうが、歯痒さは募るというものだ。
「研究日誌、音声記録八、記録者衣玖。完成したわ、プロトアニマ・セカンド。ポジティブ感情の設定は心地良い、にしたかったんだけど、突然変異でかわいい、という気持ちを感じるものが出来た。かわいいってのは私の狙っている感情ではないのだけど、まぁこのまま第二の実験を行おうと思う」
かわいい、か。先ほどのプロトアニマの段階で、この音声記録に残った音は耳を塞ぎたくなるようなグロテスクな音をしていた。視覚資料が出てこないので検証しようがないが、恐らく形もおぞましいのだろう。だがセカンドモデルの形は想像がつかない。かわいいという感情を生み出す形とは一体。
「研究日誌、音声記録九、記録者衣玖。これよりルー……被験者留音にセカンドを与える。……実験開始」
衣玖博士の足音をマイクが拾っている。カツカツと音を立てた後は自動ドアが開閉する音が聞こえて、留音のうんざりした声が入ってきた。
「衣玖、あたしはもう嫌だぞあんなキモ物体さぁ……」
「大丈夫よ、今回はまるっきし趣旨が違うわ。で、これよ。どうかしら?」
「……はぁ?なんだよそのコッペパンみたいなのは」
私はその時点で小さな息を吐く。明らかに可愛いものを見た反応ではないだろう。被験者はぶっきらぼうな様子だし、大体コッペパンみたいなの、というのはなんなのだろう。
「コッペパンじゃないわ、この子は私の作ったコペンパーくんっていうの。どう?コッペパンから生まれた妖精って設定の人形よ」
「ふぅん、ま、まぁ良くできてんじゃねぇの。衣玖はマジ器用だよなぁ」
「器用でもないわよ、3Dプリンタでちょちょいと作っただけだしね」
なるほど、画像がないのは残念とはいえ、どうやらかわいい感情を引き出すプロトアニマ・セカンドはプラスチックのフィギュアのような形のようだ。
だがこの様子では失敗だ。前回のモデルような反応が見られない。
「……ま、ちょっと預けとくわね。その人形について何か感じたら教えて。ちょっと席外すわ」
「お、おぅわかった。コペンパーくんか……」
そしてまたマイクは実験室らしき部屋から衣玖博士が出て行く音を捉えている。
「真の実験開始はここからね。ルーはあれで自分のイメージを壊したくないタイプのかっこつけだから、私がいると反応が見え辛いはず。さて、隠しマイクのスイッチオン、と」
どうやら作戦だったようだ。確かにデータを取るために条件をお膳立てする必要があるのは研究者にとって常識。今回の被験者には人目のない空間を与える必要があったらしい。衣玖博士の切り替えたスピーカーから、さっきまで男口調だった被験者とは思えない猫なで声が聞こえてくる。
「……。う〜コペンパーくんってゆうのかぁー。かわいいからコペンちゃんって感じだけどなぁ。コペンちゃんはどうしてそんなポーズとってるの?やったーってポーズかな?やったー……はぁ、良い事あったのかぁ?かわいいなぁ……これなんだ?しっぽか?うぅちっちゃい……ちっちゃしっぽだねぇ、ちっぽってかんじだねぇ……あぁぁやばいよぉぉかわいい……なんだこれぇ……コペンちゃんはコッペパンなのか?あむあむしてもいい?だめ?やったー?あぁかわいい……あいつ天才かよ……ふわふわの抱ける人形にして売ってくれないかな……ちゅっちゅーってしてもいいかいコペンちゃん~」
「……うわキ……もんのすんッごい効いてるわ」
ホントに効きまくっているようだ。さすが衣玖博士……今回の実験は導入から全て結果が見えているようにスムーズに成功を証明していた。
「流石ルー、誰にも秘密で毎日人形抱いて寝てるだけのことはあるわね、反応が分かりやすくて助かるわ。さて実験四回目は成功よ、回収してこよう」
再び実験室に向かう音は、少し大きめだ。多分被験者留音に帰還を伝える意図がある。
「おぅおかえり、やっぱこのコペンちゃんだっけ、なかなかいい出来だと思うぞ」
「コペンパーくんよ。それなら良かった。造形好きのあなたからそういう意見がもらえたなら参考になるわ」
「そうかい、それはいいんだけどさ……それ、まだ余ってたりしないの?3Dプリンタで作れるんだったらあたしも……」
「ないわ。今日はありがと、またなんかあったら頼むわね」
「あ……コペ……」
それはそれは名残惜しそうな声が後ろの方から聞こえて、その記録ファイルは終了する。きっと衣玖博士は形だけ再現できても、ロマン物質を含んだプロトアニマ・セカンド使用の複製が無理だと言っているのだろう。仲が良いらしい被験者には可哀想だが、これも大いなる研究のため。どうかわかってあげてほしいものだ。
「研究日誌、音声記録十、記録者衣玖。実はちょっとしたアクシデントというか、実験を録る前に結果がわかってしまったので事後レポートとして記録する。まず私とあの子が二人買い物に言っていた時の話なんだけど……、実は前回の被験者である留音がコペンパーくんと離れてから恋に患う少女のように窓の外を見てため息をつくようになってしまった。それに気づいた真凛と西香が、一体何があったのかと聞いて、西香は特にルーを笑いものにしたんだそう。それで、人形程度にそんなに心奪われるものかと心底ルーを馬鹿にした西香と、単純に気になったらしい真凛、そしてもう一度コペンパーくんに会いたいルーが私のいない隙に怪盗団を結成、鮮やかな手並みで私の殺人トラップだらけの研究所に侵入して私のコペンパーくんの元に辿り着きやがったの。そこでコペンパーくんをひとしきり愛でた後、私とあの子が買い物から帰って……今こんな感じ」
長い音声ファイルの再生後、マイクの方向を動かすような雑音を拾って……。
「衣玖さん!いいじゃないですか一つくらい増産してくれても!!わたくし、あなたからガメた数々のけったいな発明を売買サイトに横流しにしてたことは謝ります!!でもこのお人形なら絶対にお金に変えたりしませんわよ!絶対部屋に置いて可愛がる自信がありますわ!もうこんなに言ってるのにどうして聞いてくれないんですの!?」
「そうだぞ衣玖!最初は馬鹿にしてた西香があたしにガチ謝罪するほどよく出来てるのに何故一点ものにするんだ!っていうかお前が独占するなんてズルすぎるだろ!!コペンちゃんはみんなの子にすべきだ!」
「衣玖さん、わたしね、今まで可愛いのって生物が死ぬ瞬間が一番なのかなぁって思ってたんです……でもコッペちゃんは教えてくれました……わたしの可愛いに対する認識が如何に歪んでいたか。そしてもう一つ、本物の愛についても教えてくれたんです。だからお願いします!その子をわたしにください!」
「ちょっと真凛さん!?くださいじゃありませんわよ!!コペちゃんはわたくしの方に手を伸ばしているのですからわたくしを求めているに違いないでしょう!?」
「ちげぇよ馬鹿!あれはやったーってポーズだよ!コペンちゃんは純粋だからみんなに遊んでもらえて嬉しいって思ってるだけで、誰のとこに行くかなんてこれっぽっちも考えてねぇからな!まぁ一番付き合いの長いあたしの事が一番好きなのは間違いないけど!!」
「あぁこの人たちを消し去ってコッペちゃんと二人になってずーっと遊んでたい……でもダメ……コッペちゃんはちっちゃいからわたしがパワーを調整しきれなかったら吹っ飛ばしちゃって怪我しちゃうかも……堪えるの真凛……コッペちゃんのためだったらなんでも出来るはずですっ……うぅっ……でもこいつら消し去りたいよぉっ……」
ピシャ、と被験者たちの声をシャットアウトするような音が聞こえた。窓か何かを閉めたんだろう。
「……酷いわねこれは。死肉を求めるゾンビよりも万倍醜いわ」
音声ファイルを聴いているだけでも戦慄する。衣玖博士の作ったプロトアニマ・セカンドがここまでの効力を発揮しているとは。前回の実験で壁となった西香という人物にまで完璧に作用しているではないか。
私は衣玖博士の発明に、更に敬意を払うと共に同時に恐れも覚えている。ここまで作用するとなると、認知統一の先へ進む事が可能なはずだ。
「というわけで、実験は二人分すっ飛ばしてどちらも成功とする。あとは今ここにいないあの子だけ……さて、被験者たちをどう抑えようかしら……そうだ」
音声はそこで途切れ、自動的に次のファイルに進んでいく。時間表示を見るに、前のファイルから二分後の記録のようだ。
「実験はこれで五回を数える。これは応用のデータを集める意味でも意義深いものになるはず。実験開始……コホン。おーいみんなーコペンパーくんだよ〜」
衣玖博士!?……実験開始を宣言すると、博士は声音を変えてそう喋り出す。話の内容から、恐らく自身がプロトアニマ・セカンドの演技をしているのだと思うが……一体どういう意味なのだろう。再び被験者たちの様子が聞こえてきた。相当ざわついている。
「おい嘘だろ……コペンちゃんが喋ってる!」
「あぁ……なんて可愛らしくも神々しいんですの……」
「コッペちゃーーん!わたしをみてくださぁぁい!」
「コペンパーはみんなだいしゅきだよ〜」
被験者たちから歓声が上がる。それにしても流石衣玖博士、演技にも才があるというのか。かなりの演技達者だ。
「あのねーコペンパーくんからお願いがあるんだけどねーコペンパーくんはけんかきらいだからさーみんな仲良ししてほしいの〜」
「あぁコッペちゃん……」
そういえばプロトアニマ・セカンドに衣玖博士がせっかくつけた呼び名が全く定着していない。これはひょっとするとアニマの性質が関わっているのかもしれない。恐らくアニマを見た人間は同じ感情を持つが、そこから発生する思考については個人のブレが発生するのだと推測する。だから被験者たちは呼び名を好き勝手に作り、また諍いの発生にも結付してしまっているのだ。私程度でこの推察が出来るのだから、衣玖博士は既に次のステップに進んでいるはずだ。例えば、対象の思考や行動の制御にその性質が利用できないか、ということについてだ。そしてその実証実験は既に始まっている。
「……そうですわね。わたくしたち、何をいがみあっていたんでしょう。コペちゃんを大好きという気持ちは同じなのに……」
「あぁ、そうだな……あたしもどうかしてたよ。コペンちゃん、心配かけたね、もう喧嘩はしないさ」
「やっぱ~」
発音からするにやったー、のコペンパーくんアレンジだと思われる。これを聞いた被験者たち、特に留音氏は嬉しさに溺れかけたところに酸素を入れるような、興奮した息の吸い方をしているのが聞こえる。
「あぁ……やっぱりやったーのポーズだったんだ……ぐすっ、しかもやっぱーって言った……すげぇ可愛い……」
「やりましたね留音さん……あぁよしよし」
感動のあまり涙を流したらしい留音氏を真凛氏が気遣う声が聞こえる。
「そぇでねーコペンパーくんはまだお仕事あるかやさーみんなと一緒にあそべないけどーみんな元気で頑張ってくれると嬉しいの~」
「そんな!!お別れなんですの?!」
「うんばーばいーまたね~」
ガチャン、グイー。そんな機械音が聞こえたと思ったら、被験者たちの「あぁ……」という落胆の声。察するにコペンパーくんが被験者の前から消え、別室の衣玖博士の手元に戻ったのではないだろうか。
その後静寂を過ごした被験者たちがポツポツと喋り始める。
「……色々、教えられたな……」
「えぇ。わたくしたちが争っているとコペちゃんが悲しみますわね」
「それにコッペちゃん、またねって言ってました……その時までコッペちゃんのの帰りを待っていないと、ですっ……」
「あぁ。戻ろう。大事なことを教えてくれたコペンちゃんのお仕事が終わるのをみんなで待とう。元気で頑張って待とう……うっ……ぐす……」
「留音さんたら、ぐす、ずず、泣かないでくださいまし……わたくしまで悲しく……」
「うわぁぁん、皆さんダメですよぉ……コッペちゃんに見られたら困らせちゃいますからあぁ……ふぇぇえん」
そこまででピッという機械音が聞こえ、被験者たちの泣き声が遮断される。次に聞こえたのは衣玖博士の聡明なお声だった。
「実験は成功。認知後の思考は振り幅があるが、工夫次第である程度の幅の絞りは可能だと証明できた。これを利用すれば対象の行動も制御できる事もわかった。あとはあの子の反応データも取らないと……まぁあいつらみたいになったら可哀想だしアニマ特効の忘れ薬も作っておいた方が良さそうね」
なんということだ、衣玖博士は薬まで、それもアニマ特効というのだから、脳の認知領域に的確に作用する薬まで作れるというのか。それもさも当然のように、作れることが前提の物言いをする。現代医療の最先端すら個人の力で数十年前に突破している事に、私は冗談半分に考えてしまう。彼女なら死人すら生き返らせられるのではないか、などと。自嘲するうちに次のファイルが再生される。
「……なの、ぅん」
なにか機材の調子が悪いのか、まるで遠くで喋る声を拾っているような音声だ。パソコンの設定をいじり、音量を一定に出力するようにして、もう一度最初からよく聞く。
「あのね、前に言ってた実験なんだけど……これが見て欲しい人形なの。うん、一応自作で……特殊な素材で作ってるから、それを見たらみんな同じ感想を抱くはずで……え?ホント?可愛い?よかったぁ……あなたにそう言って貰えれば。あ、うんいいよ、持ってみて……へへ、そんなに可愛い?」
ふむ、実験の様子だろう。冒頭に説明がなかった事や、音量設定のミスなのか相手の音声が聞こえない事からして、衣玖博士がこれを録音しているのはもしかすると事故なのかもしれない。何かのきっかけでスイッチが入り、たまたま実験の様子が記録できているのかも。流石衣玖博士、運をも味方につける天才科学者というわけだ。ただ気になるのは、聞こえてくる空気が甘いというか、衣玖博士の口調もしっとりとしている事だろうか。とにかく今回の名前が不明の被験者についても実験成功の兆しは既に見えている。もう少しやり取りを聞いてみよう。
「えへへ……嬉しい……あぅ……なんで頭撫でるのぉ?……いや、私の事はいいから……あの、恥ずかしいって……あ、赤くなんかなってない!むむぅ……え、ううん、すごい事ないよ、パソコンで入力したの、ボタン一つで出来ちゃうからね。……え?欲しい?もちろんよっ、それはあげる。そ、そのかわり、もっとナデナデしてほしい……あったかくて気持ちいいし……今日はありがと、手伝ってくれて……いつも助かる……ほんと、あなたもなかなか変わり者よね、私の話が好きだなんて。え?私が好きだから聞ける?……ぁぅぅ……ゎ、私もあなたの事、好きだけどね……」
私はいつのまにかパソコンのLキーを一点に見つめながら固まるようにその会話を聞いていた。それからカツカツと衣玖博士のが歩いてくる音が聞こえると、はっきりした音で……恐らくマイク前に来て喋ったのだろう。
「あれっ、録音してあるじゃない……まぁいいか。えへへへ……秘密フォルダに入れとこっと」
なんとなく気恥ずかしくなりながらも考える。衣玖博士の完全なプライベートファイルが、今回の実験に関連づけしてあったせいで私のパソコンの解析ソフトが引っ張り出してしまったのだろう。ハッキングに近い方法を取っているために彼女のプライベートファイルが紛れ込んでしまったわけだ。だが私の心の師とも言える衣玖博士だ。彼女の事を知れたのは嬉しい限りではある。……少し恥ずかしかったが。
「研究日誌、音声記録十一、記録者衣玖。あの子の実験を行ったが、ファイルの保存に失敗。結果報告のみを行う。早い段階でかわいいと宣言し、誰よりも良好な状態で終了した。これで全被験者の反応がかわいいと感じる事が証明できたし不可侵の可愛さを持つあの子がそう判断したのだから間違いなく全人類に作用する。次は更に進もうと思う。……いよいよだ、いよいよ本懐を遂げる時が来た。……ふぅー……いよいよだ」
衣玖博士。よほど直前の被験者との関係を大事にしたいのだろう、学会に提出するような記録ではないのだしとやかく言う事もないのだろうが、多少の嘘も交えた報告後に少し空気を変えながら何かを決意するように言葉を残し、そのファイルは再生を終了した。
本懐……衣玖博士の言った言葉に私は固唾を呑む。そういえばこのアニメプロジェクトの発端はなんだったのであろう。私はここに至るまでに彼女の書を読み、人の認知を統一するというロマン物質の存在を知ったからこそ、今ここにいるわけだ。だが私はあくまで記録を呼び覚ましているだけ……衣玖博士が何を思い、何故認知の統一に向かって歩み出したのかという理由やきっかけを、私は知らないではないか。
たしかプロトアニマの西香氏での失敗の後、衣玖博士はこう言っていた。『私の目標とする認知統一は誰一人余すことなく同じ事を感じられる物質を作ること……悩みがある人も、不幸な人も、悲しい目にあった人も……誰もが見るだけで心から幸せを感じるような物質を認知で幸せを感じられるように』と。これこそが衣玖博士の求めるプロジェクトの最終目標なのだろうか。私は新たにシャキッと気持ちを正し、次のファイルの再生を開始した。
「研究、日誌……。音声記録十二、記録者衣玖。ついに完成した……アニメプロジェクト、至高の作品が。これでついに私は統一する事ができる……ふはは……これで奴らに、思い知らせる事が出来る……ッ!!」
その記録は始まりから違和感があった。いつもは冷静沈着な印象の博士が……少し荒んでいるような、切歯扼腕、イライラとしている口調……しまいには短く高笑いをあげ、続けた言葉が「思い知らせる」……その不穏な空気はパソコンのスピーカーから流れ出てくるように、私の心を蝕んでくる。
「このアニメプロジェクト研究により、全ての人間にコレを認めさせてやるんだ……コレをわからない、わかろうとしない奴らを全員駆逐して、全人類の思想を統一する!!もう一歩だ……あとはこれをハッキングで全世界に送り出せばいいだけ……」
あの実験の後に何があったのだろう。あるいは最初からこれが目的だったのだろうか。全人類の思想の統一……確かに固定した認知を感じさせるものがあれば、思想誘導すら容易いことは既に実証している。それを作った天才である衣玖博士であれば、尚の事楽に達成出来るだろう。だが、何故?そしてコレとは一体。音声記録なのがもどかしい。
もちろんわかっている事がある。今現在の世界において、少なくても宗教は三大の巨塔があり、大国は七つ。かつての衣玖博士によって思想の統一が成功していない事は明白だ。
とは言え一体何がどうなっているのだ。それを紐解くには彼女自身の記録を聞いていくしかないのだろう。そう思って耳を傾ける音声記録の様子が変わる。ダンダン!と何かを叩くような音が聞こえると、被験者の一人、留音氏の声が響き始めた。
「おい衣玖!!ここを開けろ!お前、自分が何をしようとしてるのかわかってるのか!?」
留音氏の声がこもっているし、その言葉から察するに、留音氏がドアの向こうからどこかに閉じ籠っている衣玖博士に語りかけているのだろう。やはり緊急事態……しかし未だに私は詳細な内容を掴みきれない。
「ルー……あなたに何がわかるの!私は……っ!」
「衣玖さん!そんなの衣玖さんらしくないですよ!世界征服と同じことをする気ですか!?」
真凛氏まで衣玖博士を気遣っている。世界征服という言葉まで……一体何が起きているというんだ。
「そうですわよ!お気持ちはわかります、自分の意見を否定されたらその人間を徹底的に懲らしめたい……わたくしもよくわかりますわッ。でも、でもっ……たかだかアニメのアンチにそこまでムキにならなくても!!」
「バカっ!西香!ナイーブな問題だ!」
んっ?何だ?今の感覚……激戦繰り広げられる戦場のど真ん中、銃声の代わりに盆踊りの曲でも聞こえてきたような感じの……。
「たかだか、ですって……私はあのアニメの続編を心待ちにしてたの。それがいざ始まって……オリジナル展開とオリジナルキャラが多かったというだけで黒歴史扱い……私は好きなのよ!あの世界のみんなが!それなのに完全になかった事にされ、ネット掲示板が出れば見ていないであろう人間からも駄作扱い……そんなの許せないじゃない!だからもう、私が認知を変えるしかない!アニメ全てに『あのアニメが面白いと感じるアニマ』のサブリミナルを仕込んで、全ての人間の思考を変えるしかないのよ!それこそがこの、魂のアニメプロジェクトの遂げるべき本懐なの!」
なるほど、アニメプロジェクト……。
「それじゃホンマにアニメのプロジェクトやないかあい!」
私の脳内は擾乱を巻き起こし、慣れないツッコミを捻り出した。それも関西弁で。一体何故だ?だがその疑問の片隅でちょっとした心地よさ安寧を作りつつ、パソコン画面上でグワグワと絶えず動き続けるオーディオスペクトラムを凝視し続ける。戸惑っている暇はない、今も彼女たちのやり取りは続いているのだから。
「衣玖さん……」
真凛氏の声が同情を示している。留音氏もそれに続く。
「なぁ衣玖よ。お前、前に言ってたじゃないか、ロックってのは何にも縛られないもんだって。いいのか?お前のやろうとしていることは、みんなの思考を縛ることになるぞ?」
「違うわ。縛られているのはアンチの方。あのアニメの二期は黒歴史だという、そんな思考に縛られたアンチを解放するのが私の役目なの。お願いだから邪魔をしないでみんな」
「アンチというか真実なのではありませんの?だって本当に存在価値の無いキャラがあぐぐもがほご」
今のは西香氏か。流石衣玖博士が友達になりたくないというだけの事はある。この空気の読めなさは脳の作りを大学の研究室で調べなくては解明できないだろう。
「衣玖さん言ってたじゃないですか、アニメは演出や作画が時代で変わっていく、なのにいつ見ても楽しい作品があって、当時埋もれていた作品が何年も経って再評価されたり、新しい考え方が生まれたりするんだって。普段はあまりアニメを見ないわたしでもその言葉に感銘を受けたんです。でも、衣玖さんのやろうとしていることはきっと……そのアニメをいつまで経ってもただ面白いという感想しか生まれない作品にしてしまうことなんじゃないですか……?」
私はアニメを見るわけではないから、ただ面白いだけのアニメ、というのが悪いことなのかはわからない。だがもしアニマの効果で面白いと言われるだけの作品になってしまったら、それは不幸なのかもしれない。私は音楽が好きで、それに対して知識はないが、クラシックから最近の曲まで幅広く聞く。そして、知識のない私に言わせれば多くの曲は「良い曲」なのだ。だがときたま、信じられないほど体の芯を震わせ、その波紋で広がる水滴が目から溢れさせられるような音楽に巡り合うことがある。それは私の中で「良い曲」の枠を外れ、心の一部に取り込まれるような感覚を味わうのだ。
一見「面白いアニメ」と評されるようになることは良いことのように思う。だがそれは、そのアニメから誰かの魂に一体化する機会を奪うことになるのと同じなのかもしれない。
……流石衣玖博士の選んだ被験者たちだ。若くしてそういう心を大事にする人間でいるということか。
「衣玖、他人の意見に踊らされないのがお前なんだろ?」
「っ……」
あぁ衣玖博士。彼女の息遣いが後悔に滲むのがわかる。私は誤解していた。衣玖博士を完全な超天才だと思っていた。だがこの音声を残したのは純粋な心を持った一人の少女なのだ。天才である前に、良い友人たちを持った少女。私はここに来るまで、そんな事すら考えられなかった。
そしてグイーと、自動ドアが開くような音が聞こえ、いくつかの足音が衣玖博士に近づく……扉を開け、被験者たちが入ってきたようだ。
「そうだったわね……私がどうかしてたわ。アニメは見た人が何かを感じればそれでいい……誰かの意見で自分の気持ちを変える必要なんてないのよね。恥ずかしいわ。私ともあろうものがアンチの駆逐を図るだなんて。彼らがいるからこそ、好きなものを好きという気持ちを強めることができるのに……」
私は一体、何を求めてここに来たんだったか。すっかりアニメの良さを刷り込まれ、なんとなく良い話が聞けたような気分ではあった。私は椅子の背にグッタリともたれかかり、今は少女のように話す彼女たちの姦しい会話の穏やかな波にたゆたうように目を閉じて、頭半分で聞いていた。和やかな会話の中で西香だけは「でも見てないのにアンチしてるお宅にはミサイルくらい発射してもバチは当たらないのでは?」なんて言っていたが、概ね穏やかに、その音声ファイルはフェードアウトしていった。そして……。
「研究日誌、音声記録十三、記録者衣玖。というわけで、これでアニメプロジェクトは幕引きにする。認知の統一……きっと使いようによっては役に立つこともあるでしょうけど、人から考える力を奪うなんて言語道断よね。それは私の好きなロックの心とは真逆の精神性だった。……うん、これにてアニメプロジェクトは終了、これまでの成果は破棄するわ」
そうか……この研究は、最終的に破棄されたのか。なんの痕跡も残さずに。少し残念だ。私の研究がこれ以上進む事はないだろう。ならば研究職をやめて、ここにいた天才少女のデータから、彼女についての本でも書いて過ごすか。結局音声記録だけだった……一体何故、頑なに画を残さなかったんだろうか。
私はパソコンをつけっぱなしにして漠然と理由を考えていた。例えば映像だけでもアニマの効果が発生してしまう?アニマは使いようによっては世界すら支配できる可能性を秘めているし、解析されないようにあえて音声だけに……?崇高な衣玖博士の考えに及べないことに頭を抱えていると、ソフトがさらなるデータをサルベージしたようだ。
「……このファイルを開いているという事は残念ながら世界存亡の危機、という事ね。私の研究はたしかに危険を孕んでいた。でもきっと、どんな道具でも使い方次第で人の役にも立てるはず。そう思った私は、誰にも秘密でいずれ来るかもしれない終末戦争に備え、密かにこの研究室に新しいアニマを残しておいた」
ふむ……何か……始まっちゃったな……。全然世界存亡の危機じゃないんだけど、すごくそれっぽいテンションだ。
シリアスに話す衣玖博士の音声記録に複雑な気持ちを覚えながら、その隠しファイルを聞く。
「世界が戦争の混沌に落ち、生物滅亡を回避するために最終手段として私のアニマによる争いの回避を望む者……人類に終末が訪れる予感がしたらこの部屋でこの言葉を唱えなさい。長いし一度しか言わないわよ、気持ちを込めなさい、人類を救いたいという気持ちを、ね」
これは止めた方がいいのだろうか。衣玖博士の遺産はとても興味深い……でもなんというか、得も言えないムズムズ感は一体なんだろうか。衣玖博士がやたらカッコつけたような声音で言うからだろうか。しかもそれを一人で喋って保存している姿を想像してしまうからだろうか。もうやめたげて、そんな気分だ。
「天に光満つめる三億の星よ。ゆく風の碧落尽きし時、再び理に背く者を呼ばん。黄泉に虚ろう魂魄に天光の加護あれ。オートゥクソールホゥ・ルヴィアッシュクレンツァ……この呪文で鍵は開くわ」
あぁっ、なんというか本当に。いえいいんです衣玖博士、私はあなたの事ならなんでも知りたいのです、それが例え鳥肌が立つほどむず痒い呪文でも。
まぁ恥ずかしくなるのは私一人だ。傍観してればそのうち終わるだろう。
『コード認証、セットオン、モニター展開』
「って自分の声で認証しとるやないかあい!」
私が読む必要もなく起動する仕掛けに思わず声が出た。ツッコミだ。すると天井の一部から埃が落ちてきて、何事かと視界をそちらへ移すと長方形の長い空洞が開けられ、そこから経年劣化を感じさせない綺麗なモニターが下がってきた。
私は先ほどの呪文の事など忘れ、そのモニターの前に立つ。微かに光を発する黒い画面。一体何が表示されるのだろうか。……そうか、これまで音声記録ばかり使っていたのはダミーだったのかもしれない。もしも邪悪な心を持つ者にこの研究所が解析されても、人の心に作用するアニマの研究を奪われないように。そして真のデータはこちらに残していたのでは無いだろうか。
黒い画面の光が増した。何かが始まる。息を飲み、じっとモニターを見つめる。
「研究日誌、音声記録十四」
「ってモニターいらんやないかあい!」
一体何故だ、何故モニターが出てきた?音声記録なら必要無いのに。私はまたツッコんでしまった。
「封印を解除してまでこのデータを聞いているという事は、認知の変更をしてでも止めなきゃいけない戦争が起きたのね。ここまで聞いているということは把握しているでしょう?アニマのあり方を。これで認知を変更することはリスクがあるのはわかるわね。全員が平和好きになる、なんてアニマを使ったら、その場で戦争は終わっても、その後の人生の競争にすら参加しなくなり緩やかに死んでいくかもしれない。だからうかつなアニマは使えない」
変なツッコミをした後で恐縮だが、衣玖博士は凛とした口調でそう語る。
「でも私は到達した。絶対に平和を作れる概念に。思えばこれに出会うためにアニメプロジェクトを開始したのかもしれない。その概念の名は……」
衣玖博士の息遣いが聞こえる。何かこう、畏敬の念をも感じる。それほどまでに偉大なる概念という事なのだろうか。
「…………………………」
「……」
「…………………………」
「って溜めすぎやないかあい!」
五分くらい待たされ、流石にツッコんでしまった。
「……ぐぅ……」
「寝とるやないかあい!」
衣玖博士の行動は私程度では理解できないという事は重々承知している。そんな私の行動を読んでいたかのように言葉を続けるのだ。
「そう。あなたも今感じたでしょう。概念の名は、ツッコミ」
やっと出てきた言葉がツッコミ……呆気にとられるしかない。
「最後のアニマはツッコミへの理解が増すアニマ。極まったツッコミを覚えていると目上の人に対しても、間違った意見に対して真っ向から対立する物言いが出来る……なのにその後の人間関係に悪い影響を及ぼさない。これが浸透すればどんな人に対してだって怖じる事なく意見を伝える事ができる。人類全てが習得すべき一歩進んだコミュニケーション術……人類が戦争で滅ぶ危険があるのなら、全員がツッコミの極意を得た関西人になるべきなのよ。いや、例え危険が無くても、現代人には必要な要素かもしれないわね」
そう……だったのか?そう言えば私も彼女に対して地味にツッコミを入れていたが、あれはアニマの影響だったということか。
「あなたも私に対し、ツッコミを入れたはずよ。そういう仕込みをしておいたからね。でも考えてみて。IQが普通の人の八京倍ある私には誰もが畏怖を感じるはず。なのに的確に意見できたのは、まさにツッコミという体裁をとったからなの。相手が誰だろうと、的確に意見を述べる……戦争を起こす人物にみんなでなんでやねんって出来れば、戦争を止める事もできるでしょう」
なんだかよくわからないが微かに納得してしまっている自分がいる。
そして隠しモニターの先から一枚のディスクがイジェクトされた。
「それを受け取りなさい。そこにはツッコミのアニマの作り方が記録されているわ。上手く使うことね」
その言葉を最後に本当に終わってしまった音声記録。どうやら私のパソコンはデータのサルベージを済ませたようで加熱するCPUを冷やすファンの音も静まっている。
結局認知の統一や脳科学的に踏み込んだ内容は得られなかったし、衣玖博士の託してくれたディスクを今後どう使うかというビジョンも見えないが、一つだけ確かに言える事がある。
それは、なんだかんだでよくわからなかったということだ。
きっと私の記したこの記録を読んでいる人もそうだろう。大層な脳の認知の話だとか、長い実験の過程だとか、長々と語ってきた割に結局なんだったんだ……そう思っているに違いない。
だがもしも誰もがそう認知しているのであれば、もしかするとその感情も衣玖博士の遺したアニマの力なのかもしれない……。
*
「というわけで。私たちの生活にもツッコミを取り入れてみようと思うの。どうかしら」
夕食の席。衣玖がツッコミについての素晴らしさをつらつら語った後、そんな風に提案した。
「ツッコミぃ?どうかしらって言われてもなぁ?」
留音は食べ物を口に含みながら、どうでもよさそうに答える。
「はぁ。衣玖さん、昨日観に行った凶本新喜劇、そんなに影響されたんですの?」
西香は行儀よく料理を整えながら、昨日の会場で食い入るようにお笑いを鑑賞していた衣玖を思い出す。ついでに爆笑していた真凛もいた。
「面白かったですよねぇ!わたし笑い過ぎてお腹痛くなっちゃって……ぷふっ、今思い出しただけでもこみ上げちゃいますよぉっ」
「そりゃ私たちのような真面目で慎ましい生き方をしてるとツッコミなんて必要ないかもしれないけど……憧れるじゃない、ツッコミのある生活って」
「ツッコミのある生活ねぇ。じゃああれか、IQ八京ってなんだよ、とか、すぐ地球破壊すんな、とか、友達いないんかい、とか、まるで天使じゃねぇか、とかいちいち言うのか?」
「ルー。それは確認や要求と言うものよ。ツッコミは相手の大幅に間違った意見などに対して行われる提言のような物なんだから、全く例えになってないわ」
「難しいですねぇ。わたしたちって基本的にシリアスな会話を展開するからあまり間違ったことも言わないですし……だからこそ今までツッコミという概念が生まれなかったんでしょうし……」
この流れにツッコむ人間は誰もいないらしい。みんな割と真剣に考えているようだ。そしてお気づきだろうか、この会話にボケという言葉が出てきていない。彼女たちは物事に対し変に本気で向かっているため、ボケという概念が無いことを再確認できる。覚えておこう。
「そうなのよね。でもやっぱりツッコミってカッコいいわよ……どうしても近くにツッコミ師が欲しいの。こうなったら誰かツッコミ役を決めましょう、上手く出来なくてもパッと指摘する感じでいいわ。誰かやりたい人いない?」
「わたくしはパスですわ。ツッコミって格が低い人がやるものでしょう?主人公ではない感じが嫌ですわ」
「馬鹿だな西香、お前はわかってねぇよ、ツッコミは縁の下の力持ち、裏のヒーローみたいな存在だろ。かっこいいじゃん。まぁあたしもやらんけど、恥ずかしいし」
「うーん、わたしも遠慮しようかなぁ……見てる分には面白いですけどやるとなるとちょっと……」
「私も嫌よ。ツッコマれたくて提案してるのに。……あら」
あの子が伺う表情でおずおずと手を挙げる。その手の挙げ方は、みんながやりたくないなら私がやろうか、という感じ……天使。
「いいの?じゃあとりあえずお試しでやってみることにしましょうか」
わくわくしながら決めた衣玖。あの子がツッコミ担当と決まった瞬間、みんなの空気が変わる。雪崩のような勢いでみんながあの子に迫っていった。
「えぇ!じゃああたしに最初にツッコんでよ!夫婦漫才みたいにさぁ!」
「ちょっと!提案した私が最初にあの子にツッコマれるべきでしょ!なによ夫婦漫才って図々しいわよ!」
「まぁ!それを言うなら提案した人は一番最後になるべきでしょう!?わたくしが一番にあの子にツッコんでもらいますわ!愛のある張り手も可ですわ!」
「ずるいですー!わたしも早くツッコマれてみたいですぅ~」
言い争いになるみんなに、あの子はあたふたと困り顔でみんなに言葉をかけた。みんな喧嘩はやめて欲しいというような言葉。それは、ともすれば初めてのツッコミだったのだろう。それを受けたみんなは……。
「ハッ……嘘……ツッコミをされるって、こんなに胸に刺さるものなのね……」
四人は罪悪感を感じているような表情を作っていた。衣玖は言いながら胸に手を当て、心臓が不安に高鳴っているのを抑えているようだ。留音も続いて謝罪する。
「……悪かった。お前を困らせちまうなんて……」
「あの、どうか嫌わないでくださいましっ。わたくし、あなたにツッコマれたかっただけで、本当に喧嘩したかったわけじゃありませんのよっ?」
「わたしもです……あなたにこんなツッコミをさせるなんて……みなさん……あのぅ」
真凛が配る目線に頷くみんなは、考えていることを無言で再確認した。
「そうね……ツッコミなんて、安易にやるもんじゃ無かったってことね……ごめんみんな、やっぱり中止にしましょう」
「それがいいかもな。だいたいさ、あたしらみたいなのにそんな要素必要無いんだよ」
「そうですわね、世界の答えであるわたくしがいるのに間違うことなんて一つもありませんもの」
「わたしたちはわたしたちらしく生きればいいんですよね。それを止めるツッコミは必要無いという事に気付けただけでも十分な価値があったと思います」
こうして彼女らの中で芽吹きかけたツッコミのつぼみは摘まれた。恐らく今後も誰が暴走しようがキレのあるツッコミは無いだろう。だがそれでいい。ありのままでいる事……それがこの子たち。
だから当初の脳科学だとか認知だとかいう話と全然違う方向に行っていたとしても気にしなくていいのだ。それがこの五人の少女達のあり方なのだから。
ちなみにご安心ください、ファウラー博士の時系列になろうとも誰も死んでいません。彼女らは何があってもどんな設定になろうとも元気にニコニコ生き続けます。逃げることは出来ません。