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出会って殴って知り合って~後編~

 翌日。当然カラスの襲来もなく、二人は朝早くから日野瀬公民館へと来ていた。

 外観は一軒家を一回りほど小さくしたようななんの変哲もない民家。中は十数畳の畳敷きの広間とこぢんまりとした舞台、トイレと台所と物置があるだけの一般的な公民館である。地域の子供会が行事の際に使う以外は講演や展示が行われることもほとんどなく、大抵人気のない建物である。

 こんな寂しい場所である日野瀬公民館にも、外敵や危機から建物を守るためにゴンゲンがいる。


「――今日はなにしに来たの? 珍しく二人連れじゃない」


 シルケイたちが敷地に入るや否や、屋根の上から声が降って来た。見れば、そこには青い体をした鬼が胡坐をかいて座っていた。体つきはエイキに似通っているものの、全体的に女性らしい丸みを帯びたスタイルをしている。

 彼女は鬼瓦のゴンゲン、センキである。二人とは既知の間柄で、エイキにとっては丁度いいケンカ相手である貴重な人物だ。


「急にきてすみませんセンキさん」


 シルケイの挨拶に、センキは片手を軽く掲げて答えた。


「エイキがくるのはいつも急だしいきなり殴りかかられることもあるから別にいいよ」

「鬼たるもの不意の攻撃ぐらいいなせなきゃ話にならねえからな」

「あたしの知ってる鬼はそんな武闘派でもないんだけどね。あんたの価値観おかしくない?」


 ゴンゲンの知識は、生まれ持ってのもの以外はその生活の中で見聞きしたものに左右される。本拠である家の住人の知識の影響を色濃く受けるのはよくあることで、そのせいで偏りや妙なこだわりが見られることも多いのだ。


「ただ、シルケイもいるなら殴り合いがしたいってわけじゃなさそうだね。なにか面倒事かい? それとも情報収集?」

「いや、殴り合いだ」


 エイキが自分の拳を手の平に打ちつけ、にやりと笑う。


「容赦なく殴り合おうぜ」

「エイキ、誤解を生む発言はやめてください」


 昨日のむしゃくしゃした気持ちがありありと残っているエイキを抑え、シルケイはカクルの件についてセンキに説明を始めた。センキは屋根から軽やかに飛び降り、地面の上に着地した。そしてその場に胡坐をかいてシルケイの話に耳を傾けた。


「へぇ、カラスの群れねえ。そりゃ大変だ」


 説明を聞き終えたセンキの第一声がそれだった。あまり大変でなさそうな声色である。


「特訓に付き合っていただけますか?」

「別にいいけど、成果のほどは約束できないよ? エイキは比較的バカだからそうそう上手い対抗策なんて思いつきそうにないし」

「そこは覚悟してます」

「なら安心だね」


 あっはっは、と二人で笑い声を上げる。


「喧嘩売る暇があるならさっさと殴り合おうぜ、おい」

「やだね、殺気立たないでよ。まずは単純に殴り合いだっけ? 軽くから始めようか。久々だし」


 エイキを適当にいなし、センキは腰を上げた。当然だが、エイキとの付き合いはシルケイよりもセンキの方が長い。昔は喧嘩仲間――センキはそこまで喧嘩好きというわけでもないが――として二人でつるんで、自分たちに匹敵するかそれ以上の強いゴンゲンを探すとかいうまるで漫画やゲームのキャラみたいなこともしていたらしい。


「よっしゃいくぜぇ!」

「動くときに声出す癖はいい加減やめたら?」


 センキが構えを取りもしないうちに、エイキが飛びかかった。顔面目掛けて振り下ろされるエイキの拳。センキはそれをひょいと避けて逆にカウンターの拳を放った。


「ぶふぉッッッ!」


 エイキは尻から地面に落ちた。顔面を殴られ、鼻からは血が流れている。


「少しは血抜きになった? クールダウンできたなら続けようか」

「んなもんできるかい!」

「うるさいやつ……」


 エイキとセンキは同じ鬼瓦であるが、その性格はまったく違う。直情的で血気盛んなエイキに対し、センキは常に余裕があって一歩引いた目線を持ったタイプである。その体色からイメージされるとおりに熱血と冷静という対極にある。

 昨日の出来事への怒りもあって判断力が鈍っているのか、エイキはことごとく攻撃を避けられ、その分センキの拳を繰り返し受けていた。シルケイには普段二人の殴り合いを観戦する趣味はないが、エイキとセンキの実力はほぼ拮抗状態でどちらかといえばエイキの方が上だという認識である。ここまで一方的に殴られるのは頭に血が上っているからなのだろう。

 そんな調子でエイキがひたすら殴られる光景をぼんやりと眺めていたら、


「はぁッ!」


 センキの回し蹴りがエイキの体をくの字に折った。

 エイキは叫び声も上げず、地面の上を転がっていった。


「ふぅ……。こんなもんかな」


 センキは額に滲んだ汗を手で拭う。布で隠れている胸元と腰回り以外、全身が汗で濡れている。表情や口調には余裕が見えても、あの力自慢のバカ鬼の相手ともなればそれ相応の疲労は当然だ。


「なに言ってんだ……! まだまだ余裕だぞ……コラ!」

「誰が倒れるまでやるって言った? そのガーゴイル相手に闘うための特訓をするのが目的でしょ?」


 そう言うと、センキは腰に手をあてて思案顔をした。


「ただ、特訓といってもなにをするかが問題だけどね。ちゃんと考えてきてるの?」

「……あ?」


 エイキは体を起こし、地面の上に胡坐をかいてセンキを見上げた。


「完全になにも考えていない顔ですね」

「まあわかってたけどさ」


 呆れるまでもないといった様子で現実を受け入れるシルケイたちだったが、


「俺を見縊るなバカどもめ。しっかり考えてるに決まってるだろうが」


 予想外にエイキは反論した。


「まさか……!? エイキが事前にものを考えているなんて……!」

「珍しいこともあるもんだ。三日三晩ぐらい大雨になるんじゃない? こりゃ勝負は雨天により延期だわ」

「――特訓方法ってのは単純明快だ」


 二人のリアクションには一切反応せず、エイキは淡々と言葉を続ける。


「連中の強みってのは、結局徒党を組んでて数が多いってのと空を飛んでるってのの二つだ。これに対する対抗策を得るにはどうするか。それはずばり、シルケイがセンキを掴んで飛んで、その状態で俺と闘えばいい!」


 ドヤァという音が聞こえてきそうな自信満々の表情で言ってのける。聞かされた二人の顔には困惑の色が浮かんだ。


「シルケイだけじゃ攻撃面が心許ないが、これならガー子と同等の力を再現できる」

「いや、できないでしょ。あんな高速移動したらわたしの脚もげちゃいますよ」

「じゃあ紐で括ろうぜ」

「おっ、それいいね」

「なんでセンキさん喰いついたんですか!?」

「あれこれ考えても仕方がない。とにかくやってみようよシルケイ」

「そうだそうだ。さあやれ、ほれやれ」


 シルケイの反論は乗り気な鬼たちに流され、何故かエイキの案を実行に移すことになった。

 結果、


「なんか赤ん坊みたいだな」


 鬼に背負われた鶏の図ができた。二人の体は厚手の布で固く結ばれている。


「そりゃそうなりますよ……」

「もしくは狩りの帰り?」

「センキさんはなんで少しウキウキしてるんですか」


 おんぶ紐でセンキの背中に括られた状態のシルケイは、力なく空を見上げながら言った。腹をセンキに押しつけるような体勢のため、自然と顔が空を向くのだ。地味に首が痛い。

 そして実際に飛んでみれば、


「ヘリだな」


 シルケイの体の向きが正常になる代わりに、それに合わせてセンキの体がうつ伏せの体勢を取ることになる。シルケイが懸命に羽ばたくと、二人の体は屋根より高く上がっていった。


「おぉ……。空を飛ぶってなかなかいいねえ」


 センキは小さな歓声を漏らしながら言った。スパイ映画のワンシーンさながらの不安定な体勢の割になかなか楽しんでいる。

 シルケイは一貫して渋い顔をしているが、センキがこう喜んでいると異を唱えるのも水を差すようで気が引けてしまった。


「そんじゃ実際にやってみるか」


 シルケイが黙っている間に、エイキは軽々と屋根の上まで上がってきて拳を構えた。赤鬼にとっては対カクルを想定した戦闘訓練の準備は整ったのだ。


「よし、来い!」

「いこうか、シルケイ」


 文句は一旦すべて呑み込んで、センキの言葉に従ってシルケイは羽ばたいた。 無理だと思いますけどね、という呑み込んだ言葉を心の内で強く繰り返しながら羽ばたいた。昨日見たカクルの動きを思い起こし、それを再現するべく全力で挑んだ。

 しかしその結果は、シルケイの予想した通りだった。


「遅い。目茶苦茶遅いな。ハエみたいに叩き殺すぞ」

「他人を抱えて飛んでるんようなものなんだからそうなるに決まってるでしょう」


 シルケイの動きはカクルとは似ても似つかないものだった。自由落下程度の速度で降下して、エイキに近づいたところでふらふらとゆっくり舞い上がる。その間三秒ほどシルケイたちの体はエイキの目の前に晒された状態になっていた。


「あたし、五十センチぐらいの距離でずっとエイキと目が合ってたよ」


 ヒットアンドアウェイには程遠い。


「どうした。そんなにセンキが重いか」

「鍛えてるからね。まあ重いさ」

「そうじゃないし、そもそもそういう問題でもありません。この状態であの速度を出すなんて無理なんですよ。エイキだって人ひとりを背中にでもおぶった状態で素早く動くことなんてできないでしょ?」

「…………。俺はできる気がするぞ」

「え…………」


 確かにエイキならやってみせるかも。


「シルケイは筋肉ダルマとは違うしできなくても当然だよ。あたしだって無理だし」

「そ、そうですよね。できないですよね」


 思わず絶句してしまったが、センキの言葉に救われて気を取り直した。


「だから別の方法を考えましょう、エイキ」

「めんどいから、もう殴り合うだけでよくね?」

「なんで早々に諦めてるんですか」

「諦めてねえよ。飽きたんだよ」

「余計たちが悪いですよそれは」

「いいからさっさと降りてこい。センキ、さっきの続きだ」

「あたしはまだ空中遊泳を楽しみたいんだけど」


 センキはゆらゆらと手足を動かしながら、辺りの風景を眺めている。


「ねえ、もうちょっとあっちが見たい。飛んでってくれない?」

「え? ああ、はい」

「はいじゃねえよ。センキ、こっち降りて戦え」

「やだよ。ここから見たらそっちはまるで獄卒がいる地獄だね。こっちはさながら天国のようだよ」

「シルケイ、お前も言いなりになってんじゃねえよ」

「さあ、うるさい赤鬼から離れて二人で逃避行しようかシルケイ」

「……それもいいかもですねえ」


 思わず率直な感想が口をついて出た。すでに体の方はセンキの言う通りに行動している。


「待たんかいボケェ!」

「うわッ! なに鉄棒投げてるんですか! 当たったらどうするつもりです!?」

「そしたら落ちた所に全力ダッシュしてタコ殴りに決まってるだろ!」

「そっちのどうするじゃありませんよ!」

「じゃああたしは返り討ちにする」

「なんでセンキさんは相変わらず乗っかるの!?」

「いまはシルケイの方があたしに乗っかってるけどね」

「なんでちょっとドヤってるんですか!?」

「おい、下ネタで乳繰り合ってんじゃねえよ!」

「してないし怒るとこそこじゃないでしょう!?」

「今日はツッコミの特訓しに来たんだったっけ?」

「それも違ぁーう!」


 その後、エイキの罵倒を完全無視してセンキの望むままシルケイは町中を飛び続け、二人が公民館に戻ってきたのは昼もとうに過ぎて子供たちのおやつの時間にさしかかる頃だった。

 当然公民館にエイキの姿はなかった。


「いやあ……良い一日だったね」

「まあ、そうですね」


 朗らかな顔をするセンキの横で、シルケイは少しばかり複雑な顔をしていた。



 翌日、

「よっしゃ、今日こそ勝負だ!」

 一日前と同じ調子でセンキと殴り合いを繰り広げるエイキを見て、戦えれば大概のことはどうでもいいのか、とシルケイはあきれるやら安堵するやらだった。シルケイはゴンゲンとして三雲家を守ることに専念し、エイキは好きなだけ特訓を続ける二日間を過ごした。






 そんなこんなで、エイキは再戦の日を迎えることとなった。


「勝率はどんなものですか?」

「余裕の百だな。対策は完全にできてる」


 相変わらず根拠のない自信を持つエイキに疑わしげな眼差しを向ける。とはいえ、シルケイになにかできるわけでもなく、ここまできたらエイキにすべてを任せるしかない。あたふたしてもどうしようもないので、シルケイも腹を決めた。

 二人並んで屋根の上で待っていると、すぐにカクルが姿を現した。今回は初めからカラスたちを引き連れての登場だ。

 カクルは空からシルケイたちを見下ろし、にこやかに挨拶をする。


「おはよう、シルケイと脳筋赤鬼」

「どうも」

「よう、ガー子。朝から辛気臭え集団引き連れてんなあ。まるで葬式じゃねえか」

「そうねえ、本当にお葬式なのかも。今日があんたの命日だろうから、参列者を呼んでおいてあげたわよ」

「それはそれは、参列者の方がくたばっちまわないか心配だな」


 いきなり険悪な雰囲気である。本人を前にしてエイキの怒りが完全にぶり返している。


「エイキ、頭に血が上ってあっさり負けるとかいう展開は止めてくださいよ?」

「そんなアホなことするかよ。俺は余裕で勝つぜ」


 にやり、と笑ってみせる。それだけ見れば言葉通りに余裕が見て取れるが、額にはくっきりと青筋が浮いているのでまったく信用できない。依然として微笑みの表情を崩さないカクルとは対照的である。


「御託はいいからさっさと始めようぜ。いつでもかかってきな」


 言い出したのはあなたでしょう、と思いながら、シルケイはさっさと屋根の上から梅の木へ飛び移った。傍にいれば自分の身が危ない。


「条件はこの間の通りあたしとこのカラスたち対あんたで、気絶するか消滅するか負けを認めたら勝負あり。それ以外は武器の使用とかなんでもあり、ってことでオッケーよね?」

「もちろんだ」

「じゃあ――」


 カクルはさっと右手を上げ、


「速攻で終わらせる!」


 勢いよく下ろした。

 手の動きに呼応し、カラスたちがエイキ目掛けて突撃を開始した。


「早速か!」


 エイキの顔には焦りや困惑はなく、小さな笑みが浮かんでいる。

 特訓なんてしていないのにあの攻撃に対処できるのだろうか、とシルケイの方が不安感に襲われながら見守る中、エイキは動いた。

 そして、カラスの突撃を回避した。


「ええぇッ!?」

「嘘ッ!?」


 シルケイとカクルが揃って驚きの声を上げる目の前で、エイキは次々とカラスたちの嘴を避けていく。時にステップを踏み、時に身を回し、軽やかにその身を動かす。どうにかこうにかといった様子で二、三羽を避けただけの前回とは打って変わってのこの動きに、避けられてしまった当のカラスたちも困惑した顔をしていた。


「なにもしていなかったのにどうしてこんな……?」


 口をついて出た疑問に、


「教えてやろうか」


 自慢げに満面の笑みを浮かべるエイキ本人が答える。


「センキとの特訓は不発に終わったが、あのあとひとり取り残された俺は別の特訓を思いついたんだ。それは、ずばりバッティングセンター! バッティングセンターのおっさんに頼んで、飛んでくる球を避ける練習を数時間こなし、俺はカラスどもを避けられる動体視力と敏捷性を手に入れたのだ!」

「バッティングセンターって、隕石の騒ぎの時に行ったあそこですか?」

「その通り!」


 思い返せば、エイキは隕石を打ち返すための練習として通っていたバッティングセンターにその事件以降も時折ストレス解消のためとかいう理由で行っていた。シルケイは一緒に連れ立っていったことはないが、そんなアホな練習を許可してくれるぐらいに店の人間とも仲良くなっていたらしい。


「そんな練習で避けられるようになるわけないでしょ! 球と違ってこいつらは四方八方から襲ってくるのよ!?」

「そうだ、俺の子分どもを舐めるな!」

「そっちこそ俺の喧嘩慣れをなめんじゃねえよ。避けるために最低限必要な目と足腰さえ鍛えられれば、あとは実践の場で応用するだけだ。こっちは大人数を相手にするのだって初めてじゃねえんだよ」


 ぺらぺらと喋りながらも体を動かし続けているその事実が、エイキの言葉を裏付けていた。カラスたちの攻撃はすべて不発に終わっている。


「格の違いが出ちまったなあ」


 言いながら、エイキは拳を振るった。カラスの突撃を躱しながら、その顔面を殴り飛ばす。


「まず一羽だ」


 カラスの体は水平に吹っ飛び、庭に落ちていった。


「嘘だろ……!」

「なんで殴れるのよ…………」


 カクルは唖然とした顔で屋根の上で起きた光景を見ていた。

 地面に倒れ伏して動かなくなった仲間を見て、他のカラスたちがエイキから距離を取る。空中で羽ばたきを続けるだけで、突撃をしようとしない。


「どうした? 嘴にヒビが入る覚悟はできても殴られる覚悟はできてねえのか? そんなんで喧嘩しに来ちゃダメだぜ」


 エイキの顔はどんどんイキイキとしたものになっていく。


「お前ら、さっさと行け! かかれ!」


 ボスガラスの命令。

 しかし、カラスたちはビビっていた。捨て身の攻撃をした結果、それを避けられあまつさえ逆に殴られる始末になって、エイキの本気を体感してビビっているのだ。カラスたちはこれまでエイキに何度も鉄棒をぶつけられ蹴りを入れられコテンパンにされてきた。だがそれでも性懲りもなく朝っぱらから喧嘩を売りにやってきたのは、エイキの実力を見誤っていたからだ。ここにきてようやく、カラスたちはエイキのヤバさを実感したのだ。

 これを機に朝のカラス来襲がなくなるかもしれませんね、とシルケイは僅かな期待をしながら戦況を見守った。


「おいおい、そっちから来ないんならこっちのターンに移るぞ? いいのか?」


 エイキは空のカラスたちを見回しながら、腰布の下に手を入れた。そして取りだしたのは毎度お馴染みの鉄棒と、厚手の布だった。

 その布はシルケイが見覚えのあるものだ。


「それ、わたしとセンキさんを括ったおんぶ紐ですか?」

「おう。ちょっと借りてきた」


 エイキは紐の一端を鉄棒の持ち手にきつく結びつけた。そして鉄棒から伸びた紐を投げ縄でも持つような形で手に掴む。


「エイキ………………それは前にやらないって――」

「非常事態だからオッケーだろ」


 それはカラス退治の方法としてだいぶ前に考案していたものだ。検討の結果危険だということでボツにしたものである。

 エイキが右手を軽く回すと、それに合わせて鉄棒がぶんぶんと回転し始める。

 シルケイの顔を、汗がたらりと落ちる。

 エイキを見下ろすカクルの顔にも、同じく汗が流れる。


「あんたそれ、どうする気よ……………………」

「訊かなくてもわかってるだろ?」


 言うが早いか、エイキは鉄棒を空に向かってぶん投げた。

 鉄棒は一羽のカラスにぶち当たり、一撃で昏倒させる。


「ほいッ」


 エイキは勢いよく右手を引き、伸びた紐を一瞬で引き戻す。自分に向かって来た鉄棒を手慣れた動作で回収する。

 庭に、二羽目のカラスが落下した。


「向かって来ないならいつも通りにこうやって殴るだけだ。これがあればシルケイも必要ねえからな」


 エイキは鉄棒から伸びる紐を手に、カクルに挑戦的な視線を向ける。

 鉄棒を投擲武器として使うのはいつも通りだが、紐を結んであるのが相違点である。そしてそれはシルケイにとってあまり好ましくない。


「エイキ、やっぱりそれは危ないからやめてください!」

「大丈夫だって。瓦を割るような真似はしないよう気ぃつけるから」

「絶対ですよ!? 自分たちで家を傷つけるなんてゴンゲンの名折れですからね!」


 シルケイが回収するのとは違い、紐で鉄棒を制御するのははっきり言って難しい。少し手元が狂えば落ちた鉄棒が瓦を直撃することだって十分あり得る。

 ただ、それを除けばやっていることは普段のカラス退治と同じ。つまりは捨て身の突撃をやめたカラスを相手にするのなら、この戦法はこれ以上ないぐらいに有効だということだ。


「さぁーあ、死にたくなかったら逃げやがれ!」


 エイキの鉄棒が再び宙を飛んだ。カラスが落ち、すぐに鉄棒はエイキの手元に戻る。そしたらまた鉄棒が宙を飛ぶ。


「ひゃーッはははははははははは!」


 心底愉快そうに狂った笑い声を上げ、エイキは鉄棒を投げまくる。一投する度にカラスが一羽また一羽と庭に落ちていった。


「なんなのよこいつ…………」


 カクルは青ざめた顔で体を硬直させていた。翼こそ動いて空中に留まっているものの、その目はエイキに釘付けになり半ば思考も止まりかけているように見える。

 無理もない。シルケイだって同じ立場だったら同様の反応をするだろう。

 カクルは近づく相手を間違えたのだ。カラスから話を聞いた時点でエイキに関わるのは避けるべきだった。流浪の身として焦りもあったのかもしれないが、もうちょっと一般的なゴンゲンがいる家を狙うべきだったのだ。


「おらおら! あと何羽だぁ?」


 そうこうしている内に空に残るカラスたちの数は激減していた。中には逃げ出してしまった者もいるらしく、遠くの空に数羽の後ろ姿が見える。


「ほい! ほい! ほいさぁ! ――うっし、終わり!」


 鉄棒が瓦に当たる、微かな金属音。エイキは杖をつくように鉄棒を屋根の上に立てて動きを止めた。

 空から、ボスガラスも含めカラスの姿が完全に消えていた。その代わり、庭先と屋根の上に黒い塊がいくつも転がっている。いまこの時間に三雲家の人間が全員たまたま家を空けていて助かった。そうでなければこの状況を目にして叫び声を上げることは必至である。


「予想以上にさっさと片付いたが、さすがに疲れたな」


 エイキは大きく息を吐き出し、顔に滲んだ汗を拭う。


「余計な連中はいなくなったし、これで正真正銘のタイマンだな。――お前は鉄棒と拳どっちで殴られたい?」


 エイキの見上げる視線の先、カクルの顔にはついさっきまであれだけあったはずの余裕が一切なくなっていた。


「どうやら口だけじゃなかったみたいね」


 カクルは苦々しげにそう言った。

 シルケイは少しばかり驚いた。エイキの暴れっぷりを見て恐れを感じず形勢逆転されたことへの怒りがあること、そういう感情を抱くぐらいの気概があるとは思っていなかった。

 カクルはただの小狡い流浪ゴンゲンではなくそれなりの度胸を持っているということだ。

 それならもう少し真っ当に拠点探しをすればいいのに、とか、そこそこ優秀そうなのに何故守るべき家を失ってしまったのか、とか疑問に思うことはあるが、そんなことはこの勝負が終わってしまえばシルケイたちにはなんの関係もないことだ。


「見た目がもうちょっとマシなら……及第点だったのに」

「あ?」

「いま、なんて?」


 カクルの小さな呟き。どうにか聞き取れたそれは、しかしその内容が示す意味を理解できるものではなかった。


「頭がおかしくなった、なんてわけもないだろ? どうすんだ? 負けを認めるか? このまま戦ってもお前の方がジリ貧だぞ。わかってるだろ?」


 空中に留まっていれば鉄棒の餌食。向かっていけばカウンターで殴られるか、攻撃を避けられた結果のスタミナ切れ。どっちを選んでもカクルには負けしかない。そしてそれは彼女自身も理解している。だから一向に動こうとしないのだ。


「自分で決められないなら、一思いにこれで――」

「おーい、エイキ」


 エイキが鉄棒を構え直した時、呑気な声が聞こえてきた。声のした方を見てみれば、そこにはこちらに向かって空を泳ぐ一対の鯉のぼりの姿があった。


「昇一郎さんと紅子さん?」

「やあシルケイ、今日も元気そうでなによりだ」

「お久しぶりでございます」


 二人はシルケイが乗る梅の木の傍まで飛んできた。


「なんだお前ら来たのか?」

「ちゃんと行くって言ってたじゃないか」

「遅くなってすみません」

「ちょっとエイキ、二人にこの勝負のことを話してたんですか?」


 思ってもみなかった来訪者にシルケイは慌てた声を出す。


「そりゃ話すだろ。特訓に付き合ってもらったんだし」

「特訓? なんのです?」

「この勝負のに決まってるだろ。バッティングセンターに行くだけじゃなくて、こいつとも特訓がてら戦ってたんだよ。よく考えればこいつは飛べるしセンキよりは特訓相手として適正だろ? 紅子も事情が事情だから今回だけは目を瞑ってくれて思う存分殴り合ったわけだ」

「さすがに龍にはならなかったけどね」

「俺はその方が良かったんだけどな」


 あっはっは、と場に笑いが生まれた。

 シルケイにはその笑い所がいまいちわからないし、元よりおいて行かれている感がある。


「なんでそれをわたしには教えてくれなかったんですか?」

「別に教える理由がねえだろ。お前がそれを知っててどうにかなるわけでもねえんだから」


 それは確かに正論である。


「しかし、本当に遅かったみたいだね。もうなんだか勝負がついた空気なんだが」

「その通りだ。もう結果は出てる。あとはあいつが負けを認めるか俺に殴られればそこで終了」


 エイキが鉄棒でカクルを指し、全員の視線がそちらに向かった。

 対するカクルは、


「あれ?」


 おかしかった。その異変にシルケイは真っ先に気づいた。


「――素敵な……殿方」


 視線が、屋根の上のエイキではなくなぜだか部外者である昇一郎の方に向いていた。というか釘付けだった。


「見てますね」

「見てるな」

「見られてるね~」

「これは……!」


 瞬時になにかを察した紅子が殺気を纏った。


「あなた、昇一郎さんっていうんですか!?」


 カクルが、カラスたちをはるかに凌駕する速度で昇一郎の眼前に移動した。風圧でシルケイは梅の木から落ちかける。


「あたしガーゴイルのカクルって言います! 元々とある家を守ってたんですけどいまは流浪の身で新しい拠点を探してるところなんです」

「あー、うん。それはエイキから聞いてるよ」

「そうなんですね! もうあたしのことはなんでも知っちゃってるんですね!?」

「いや、なんでもって――」

「ところで昇一郎さんって体が大きいですね。あたしなんてすっぽり包まれちゃいそう。男の人って、やっぱり体の大きさが魅力だと思うんです。もちろん強いっていうのは大原則として大事ですけど、それに加えて大きな体を持っていないとダメだと思うんです。ドシンと構えてドーンと一発で相手をぶち負かす。それができるのが本当の男なんですよ。昇一郎さんは正にそんな男そのもの。さっき龍がどうこう言ってましたけど、それって鯉の滝登りの話ですか? あれって本当にできる人いるんですね。本当の実力を持った選ばれし者のみが到達できる域だとか聞いたことがあって、まさか龍になれる人にこうして直接お会いできるなんて思いもしなかったです。ホントに夢みたい。昇一郎さんってあたしの理想の男性そのものって感じ!」


 いきなりのマシンガントークに昇一郎が完全に気圧されている。しかしその代わりとでもいうように、


「ちょっとあなた、なに昇一郎さんにすり寄ってるのよ!?」


 紅子が前へ出た。


「なんのつもりか知らないけど、あんたは大人しくエイキさんに殴られてなさい!」

「ねえ昇一郎さぁん、いまフリーですかぁ?」


 カクルは顔を紅潮させ媚びた声で昇一郎に言い寄る。いろんな意味で紅子の存在を消去している振舞いだ。


「あなたねえ……!」

「実はあたし運命の相手を探していて、前の家を出たのもそれが理由なんですよ。近くに理想的な男が全然いなくて、この家にいても運命の相手に巡り合うことはないって思ったんです。だから、あたし決断したんです。理想とする相手に出会うためソロ駆け落ちを決行するって!」

「ソロ駆け落ちってなにかな?」


 昇一郎は困惑しきりだ。


「この発情鬼がぁぁぁ――――ッ!」


 怒りのリミットをとうに超えている紅子がとうとう吠えた。昇一郎に迫るカクルの体を思い切り跳ね飛ばす。


「ちょっと、なにすんのよこの樽女!」

「誰が樽ですか! わたくしは煌びやかな鯉です!」

「なにが煌びやかよ。図体デカいだけでなんの魅力もない癖に。――ねえ昇一郎さん、こんなバカみたいな顔した寸胴女よりあたしの方が魅力的でしょ?」

「このクソ女! べらべらしゃべるその真っ赤な舌を引き抜いてやります!」

「やってみなさいよ! そのまえにあたしがあんたの体を噛み千切ってやるから!」

「うわぁー」


 あっという間に場外乱闘が始まってしまった。


「待って待って! 落ち着いてください!」

「ほーら、紅子少し落ち着こう。僕はなにもしてないしされてないよ?」


 シルケイと昇一郎が暴れる二人をどうにか押さえつける一方、当事者であったはずのエイキは屋根の上でぽつねんとひとり事の行く末を見守るだけだった。飛べないのだから仕方がない。

 そうして五分後、争いはどうにか終わりを迎えた。


「二人とも頭を冷静にしてください。昇一郎さんには紅子さんがいますし、他の女性に目を奪われるなんてことありませんよね?」

「そうそう、その通りだよ。シルケイの言う通り」

「そうは言っても、男女の中なんて一秒先はどうなるかわからないわよ。あたしが昇一郎さんの運命の相手である可能性も――」

「それ以上はストップですカクルさん! そもそもあなたはいまエイキとの勝負中。まずはそれをしっかり処理しましょう」

「そうだそうだ。俺との勝負をしっかりつけろ」


 ようやくエイキが会話に参加した。先ほどまでの屋根の上での暴れっぷりが嘘のように、テンションが通常時にまで戻ってしまっている。


「それなら別にあたしの負けでいいわよ。はい負けー。勝負あり。これでいいでしょ?」

「え? ちょ、ちょっと」

「なんだその気の抜けた敗北宣言はぁ!? 適当すぎるだろ!」

「だってあたしに勝ち目ないし、それにもうこの家が拠点にできなくてもいいし」

「えーっと、それはなんでですかね?」


 頭を抱えながらシルケイは話を促す。すると、カクルはこともなげに言った。


「だってあたしは運命の相手を探してただけだし、その人が見つかったら他の家なんてどうでもいいもん。あたしの選択肢は昇一郎さんの家のゴンゲンになるか、それか二人で流浪するっていう二択よ」

「あなたはなにを勝手に決めてるんですか!」

「それはちょっと勘弁かなあ」


 のぼり夫妻からダブルで拒否されても、カクルにはまったく臆する様子はない。


「じゃあ昇一郎さんの方からそうしたいって言ってもらえるように、これからあたしの魅力をたーくさん伝えます。といわけで、まずはデートしましょう」

「――――ッ!」


 紅子、怒りの咆哮。これはいつ龍になってもおかしくない。

 危険を感じたシルケイは、とにかく現状を処理する方向に努めた。


「それじゃあとにかくエイキとカクルさんの勝負はエイキの勝ちで終了ですね。はい! それでオッケーです! ありがとうございました! あとのそちらのごたごたはのぼり夫妻たちの方でしっかり話し合ってもらいましょうか。わたしたちはカラスたちもどうにかしないといけないので、続きはどこかよそでお願いします」


 さあさあ、とシルケイは昇一郎に帰るように促した。


「あー、うん、そうだね。ひとまずお暇するよ。いやぁ、久しぶりの修羅場だ。紅子と対等に渡り合えそうなのがまた怖いよね」


 口ぶりとは裏腹に余裕の笑いを漏らしながら昇一郎は言う。


「それじゃあね、エイキ。またいつでも僕を殴りにおいでよ」

「お、おう。じゃあな」


 第三者が聞いたら特殊な性癖持ちだと誤解されそうな言葉を残し、昇一郎はそそくさと飛んできた方向へ戻っていった。それをカクルと紅子が揃って追いかける。


「待って下さい昇一郎さん、デートをしましょうよぉ。いましましょ。すぐしましょ」

「そんなことわたくしが許しません!」


 ぎゃあぎゃあと騒がしい声だけを残し、三人の姿はあっという間に遠くへ行ってしまった。

 残されたのは、エイキとシルケイと倒れ伏したカラスたち。勝利の光景はだいぶ黒々している。

 とにかく勝った。カクルとの勝負には勝ち、三雲家に訪れた危機は去ったのだ。

 シルケイはエイキの方を見た。前回のリベンジを果たした勝者は果たしてどんな顔をしているだろうか。


「………………」


 無だった。達成感も歓喜もなく、無表情がそこにはあった。


「シルケイ」

「はいッ?」

「あいつなんだったんだろうな?」

「…………………………………………さあ?」


 そう答えるしかない。

 満を持しての再戦だった。エイキは相手を圧倒していた。完膚なきまでに叩きのめすところまでいっていた。それは確かだ。

 拍手したっていい結果である。

 だが、なんだろうかこの締まらなさは。


「そういえばあいつ、俺のことを見た目がもう少しならどうとか言ってたよな?」

「言ってましたね。あれは彼女の理想の相手としてって話だったようですねえ。体の大きさとかこだわってたみたいですし」

「俺は昇一郎に負けたってことか」

「えッ!? そこにショック受けるんですか?」

「いや、別に見た目がどうとか女がどうとか考えねえけど、明らかに劣ってるって言われるとくるものがあるだろ」


 エイキは淡々と言葉を紡ぐ。


「まあ……そうですね」

「なんかむかつくよな」

「…………心中お察しします」

 

 こうして、エイキの心によく分からないダメージを残して流浪のガーゴイルとの勝負は終わりを告げた。その後、カラスたちを拾っている最中居心地の悪い雰囲気が流れ続けたのは言うまでもない。

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