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出会って殴って知り合って~前編~

「暇だなあ」


 欠伸交じりにそう言ったエイキに、シルケイは冷たい言葉を返す。


「そんなこと言ってるとまた迷えるてるてる坊主が出てくるかもしれませんよ」

「それは勘弁してくれ」


 逆さてるてるに無茶なお願いをされて失敗した日から早三週間が過ぎていた。その間、三雲家への危険や面倒事は特になく、二人は穏やかな日々を送っていた。


「でも暇なのはいやなんですよね?」

「だからってあんな相談事を持ち込まれても困るってんだよ。知恵を絞って答えを出すなんてのは俺の性分じゃねえの」


 エイキには、降ってくる隕石を鉄棒で叩き壊すような荒い仕事が向いている。それはシルケイも認めるところだ。


「またセンキのとこにでも行くかなあ。でもこの間も行ってきたし、あいつと戦り合うのも飽きてきたな」

「それなら他の誰かをあたればいいじゃないですか」

「それがそう簡単じゃねえんだよな。俺は手加減が下手だから弱いやつが相手だとぼこぼこにしちまうし、途中で向こうが音を上げるんだよ。中にはなりふりかまわず向こうから挑んでくるバカもいるけど、そういうやつに限ってアホみたに弱かったりするしな」

「丁度いい実力者が欲しいってことですか?」

「その通り。単に誰か殴りてえわけじゃねえからな」


 その感覚はシルケイにはわからないし、要求自体もなかなか贅沢だと感じた。


「昇一郎さんはどうなんですか? 体は大きいし、龍に慣れるぐらいなんだからきっと強いでしょう? いっそのこと龍の状態で戦ってもらってもいいですし」

「あー、ありゃ駄目だ」

「どうして? 格上の相手は嫌ですか?」

「紅子が許さねえんだよ」

「あー……」


 シルケイの脳裏に三週間前の彼女の姿が浮かんだ。


「揉め事を解決するためとかならともかく、ただの娯楽としての殴り合いは駄目だと。昇一郎に怪我でもさせたら逆に紅子に殺されそうだわ」

「十分あり得るのが怖いところですね」


 あの熱量を思い出せば、龍になって一切躊躇せずにエイキを噛み殺しても不思議はない。


「どうせ出てくるんだったら三度の飯より喧嘩が好きな頭のおかしいやつがいいなあ」

「そんなのが来るんだったらまず予知に出ますよ」


 聞き捨てならない願望を吐露するエイキに、シルケイは真っ当な指摘をした。

 しかし、そんなエイキの願いは少しばかり違った形で叶えられることになる。


「ん? なんだあれ?」


 それに最初に気づいたのはエイキだった。澄み渡った空に浮かぶ一つの黒い影。大きな翼を持ったそれは、三雲家の方へ近づいてくる進路を取っていた。

 エイキの言葉に促され、シルケイも目を凝らしてそれを見る。翼の他には一つの大きな頭と二本の腕と足を持っているそれは、見た目には四等身ほどの人間、それも女性の姿形をしていたが、それに加えて少しばかり異形の特徴を有していた。一言でいえば人型をとった爬虫類。体色は灰で、目は爬虫類のような鋭さを持っており、口からは牙と真っ赤な舌がのぞいている。皮膚は所々が鱗に覆われ、体の表面は岩石のような硬質さも持っているように見えた。

 シルケイは、いま目にしているものを知っていた。


「これは……珍しいですね」

「知り合いか?」

「いえ、種族としては知っていますが個人的な知り合いはいません」


 シルケイが何度か目にしたことがあるそれは、ガーゴイルだった。

 欧州において雨樋の装飾として彫刻される異形の怪物であり、日本で目にすることはほとんどないものだ。見聞きできるのはもっぱらゲームかなにかの世界だけで、人間たちからしても単なるモンスターとしての認識の方が一般的かもしれない。

 女性のガーゴイル、のゴンゲン。それがいま目の前にいる。


「こんにちはぁー」


 シルケイたちの姿を見止めたのか、一直線に三雲家に向かって来ていたガーゴイルの口から挨拶の声が発せられた。まだ十数メートル先の距離があるが、お互いの顔は十分認識できる。


「あなたたち、この家を守ってるゴンゲン?」


 言いながら、ガーゴイルはぐんぐん近づいてくる。あっという間に二人の目の前までやってきた。


「あ? なんだこら?」

「なんでいきなり喧嘩腰なんですか……」


 シルケイは顔をひきつらせたが、当のガーゴイルの方は平気な顔でエイキの方を見ている。


「突然ごめんね。あたしはガーゴイルのカクルっていうの。ワケあってちょっと流浪中なんだけど、いまお話しいいかな?」


 目だけで相手を殺す気か、と言いたくなる表情をしているエイキに対し、ガーゴイルのカクルは微笑すら浮かべてそう言った。怯えるような様子は欠片もない。


「あぁ?」

「それはそれは大変ですね。わたしはシルケイと申します。こちらはエイキ。見ての通り風見鶏と鬼瓦のゴンゲンです」


 態度を改める気のないエイキを押しのけ、シルケイは自分紹介した。エイキの態度との中和を図り、努めて笑顔を心掛ける。

 知り合いでもない突然の来訪者に警戒心を持つのは当たり前だが、エイキの態度はただ喧嘩を売っているだけである。四十年もゴンゲンをやっているのだからそれなりの対応をしてくださいよ、とシルケイは常々思っているのだが、この点が改善される兆しはまったくない。


「風見鶏って結構珍しいよね? まあガーゴイルのあたしが言えたことじゃないけど」


 カクルはけらけらと笑った。


「それでお話とは? 道案内とかであればお力になれると思いますが」

「それは有難いけど、ちょっと違うかな。案内してほしいっていうのはあってるかもだけど」

「というと?」


 カクルの少し含んだ物言いに、シルケイは話とやらがなんなのかをすでに察していた。


「新しく拠点にする家が欲しくて探してるんだけど、どこかいいところ知らないかな?」


 やっぱりそれか。シルケイは笑顔をそのままに心の内でそう独りごちた。

 カクルが言った流浪という言葉、それは守るべき家を持たないゴンゲンの状況を指す言葉である。鬼瓦にせよ風見鶏にせよ本来は一軒の建物に対して付随するものであり、ゴンゲンはその建物を守るために存在しているのが通常である。しかし、その建物が取り壊されてゴンゲンの本体にあたるものがそこらに打ち捨てられたり、もしくは建物が誰にも使われないような状況になったりすると、ゴンゲンは守るべき建物を失った状態になってしまう。そうなった場合、ゴンゲンは往々にして新たな守るべき建物、拠点となる建物を探して徘徊することになる。そのような状態のことを一般的に流浪と呼称するのだ。

 ゴンゲンにとって家を守ることは本能と言っていいようなもの。それができなくなれば、苦悩し、発散しようもないストレスにその身を晒されるのは避けようがない。

 正直、カクルが流浪中だと言った時点でシルケイは彼女に同情心を抱いていた。ただ、それと同時に嫌な予感がしていた。


「知らねえよ。よそをあたれ」

「えぇー、冷たくない?」

「知らねえから知らねえって言ってるだけだ。お互い時間の無駄だろ? よそに行け」

「えー、じゃあさぁ、ここはどう? この家にあたしも居ついちゃっていいかな? いいよね?」


 きた。やっぱりこれだ。

 シルケイの予感は当たっていた。これは押しかけゴンゲンだ。

 放浪中のゴンゲンにとって、守るべき建物に対して大なり小なりこだわりを持っているのは普通のことである。建物自体の築年数や外観、構造、そこを使う人間の人数、容姿、性格等、様々な観点で臨む建物と望まない建物が存在する。そして大抵の場合、多くのゴンゲンにとって望まれるような建物にはすでに建築当時から家を守っているゴンゲンがいることがほとんどなのである。

 ここで問題なるのが、ゴンゲンにとって別のゴンゲンを家に招くことは決して歓迎できることではないという事実である。自分の力があればこの家を守ることができるという自負を持っているからこそのゴンゲンである。新参者が入ってくることを快く思うことなど極々稀なことだ。いまのエイキの態度はまさしくそれだ。カクルを一目見た時から彼女が流浪中であり三雲家を守るゴンゲンになることを願い出ることを予想したのだろう。

 だから、


「いいわきゃねえだろ! おとといきやがれ!」


 エイキが拳を握ってガン飛ばすのは、シルケイから見てもなんらおかしくはないのだ。


「いいじゃん別に。ほら、風見鶏がいるんだしガーゴイルもいた方が西洋風になってそれらしい雰囲気になるんだから。鬼瓦は黙っててよ」

「西洋風なんざ願い下げじゃ! こっちはこの家が建てられた時から四十年来の古参なんだよ。決定権は俺にある!」


 カクルはえー、と口を尖らせた。


「だいたい、こいつだけでもうざいのにこれ以上ゴンゲンの数を増やされてたまるかよ!」


 ヒートアップすると、案の定シルケイに飛び火がきた。シルケイとしてはこれ以上激しくなる前に事態を鎮静化させたいが、


「さっきからなんなの偉そうに。もう四十年もいたんならそろそろ引退すればいいじゃん」


 カクルの方も負けじと返す。


「家が残ってるのにゴンゲンが引退するなんて聞いたことがねえよ」

「どうせ力も衰えてるんでしょ? ちょうどいい機会じゃん。あたしに席を譲ってよ」

「なに言ってんだ。てめえこそ前の家を追い出されてるじゃねえか。なにがあったのか知らねえが、守りきれなかったってのは事実なわけだろ? てめえの方が力がねえじゃねえか」

「はあぁ?」


 ここで初めてカクルの声に怒気が混じった。


「ガー子だかなんだか知らねえがさっさと帰れ」

「ちょっと、ガー子ってなに!? 一言も言ってないんだけど!?」

「うるせえ! お前の言うことなんていちいち聞いてられるか」

「はっはーん、耳が遠いのね。やっぱり耄碌してるじゃん」

「誰がジジイだコラ! ケツまくってさっさと帰れこの化物が!」

「誰が化物よ誰が!」

「俺にはこの家に近づく邪気を払うって役目もある。帰らねえんなら力づくで帰らせてやろうか?」

「それはあたしも同じよ! 邪気を払うのもガーゴイルの役目!」

「その凶悪な顔でか?」

「あんたの方がよっぽど凶悪よ!」


 それは確かにそうである。というか自分の顔と比べれば、牙を剥きだしにして目を吊り上げている二人はどちらも凶悪そのものであるとシルケイは思った。ついでに血気盛んすぎる。

 エイキは大きなため息を吐いた。


「これ以上話す気はねえ。俺の視界から消えねえと本当にぶん殴る」


 ゆっくりとした動作で腰布の中から鉄棒を取りだした。それを見て、カクルの表情が険しくなった。


「本気?」

「俺はちゃちな脅しなんてしねえ。実際にやることを予告してるだけだ」

「なるほどね」


 すると、カクルの顔に微笑が戻った。腕を組み、まるで椅子に腰かけるように腰を屈めて足を組む。わざわざポーズまでとって余裕の態度を見せつける。


「なんのつもりだ?」

「それじゃあひとつ提案なんだけど、望み通りあたしを殴ってもいいわ」

「あ?」

「ただし、あたしと正々堂々一対一で殴り合いの勝負をするって条件付きで。この勝負であんたが勝ったらあたしは大人しく引き下がる。その代わり、あたしが勝ったらあんたはあたしがこの家の新しいゴンゲンになることを認める。どう? 勝負してみない?」

「なんだそりゃ? 俺がそんな勝負を受ける理由がねえぞ。てめえが消えるのに条件なんていらねえし、てめえを殴るのに許可もいらねえんだよ」

「あんたとあたしが勝負して仮にあたしが勝てば、それは邪気を払う力もあたしの方が上ってことじゃない? この家のためを思えば、より強い力を持つ者が家を守った方がいい」

「俺が勝負する理由にはならねえな」

「あら? 全然のってこないのね。じゃあこう言いましょうか。――あたしに勝つ自信があるのなら、どんな条件を出されても別に困ることはないでしょ? 勝負を拒否するってことは、負けた時のリスクを恐れていることの証明。つまりあんたはあたしが怖い」


 ぶちっ、という音が、シルケイには聞こえた気がした。

 いくらエイキが短期でも、こんな使い古された挑発に乗るほどの単細胞ではない。ただ、ここまでしつこい相手に対してキレてしまうぐらいには単純なのだ。


「いい度胸じゃねえか。あとから泣き言言うんじぇねえぞ」

「その心配はあんたがしなさいよ」


 カクルは大きく羽ばたき、屋根の上にしなやかに着地した。


「エイキ、本気でやる気ですか?」

「絶対に手を出すなよ」

「頼まれても出しませんよ。そうじゃなくて、あなたにはもっと穏便に事態を収めようという気はないんですか?」

「馴れ馴れしく近づいてくるのに碌なやつはいねえ。お前だってそれぐらいのことはわかってるだろ?」

「……流浪中なら特にそうですね」

「その通りだ。そうとなったらやることは決まってる」


 エイキはカクルに正対し、肩をぐるぐると回し始める。完全に臨戦態勢である。これはもう止まることなんてありえない。元が瓦だけあって頑固な男である。

 エイキの腕っぷしが確かなのは事実ですけどね、とシルケイは思う。いましがた愚痴を言っていた通り、エイキが満足できるような喧嘩の相手というのはここいらではあまりいない。意味のない喧嘩を好むゴンゲンがそもそも少ないのもその原因だが、なによりエイキと対等に渡り合える者がほとんどいないのが最大の原因である。

 シルケイとしてもカクルが三雲家を拠点とすることには賛成できないので、カクルには文字通り痛い思いをしてもらうことになるがエイキを応援する立場である。どうせなら速攻で一撃で決めてしまって、禍根も不平も発生しないような展開になってくれることを願うだけだ。


「なにかルールは決めておくか? あとからぎゃーぎゃー言われたら嫌だから最初で全部言っておけ」

「特にないわよ。気絶するか消滅するか負けを認めたら勝負あり。シンプルにそれでいいでしょ?」

「おう。それでいいんなら俺から言うことはねえさ。――そんじゃあ」


 エイキが腰を落とし、前傾姿勢を取る。


「始めるぞ!」


 言った直後、


「おっしゃあ!」


 エイキは前方に飛び出し、右手に持った鉄棒をその勢いのまま力任せにカクルへ向かって振り下ろす。

 カクルは、跳ねた。

 上へと跳ね、翼を強く打ち鳴らした。


「――ふッ!」


 エイキの左手が鉄棒を握る。標的を失った鉄棒が、瓦に叩き下ろされる寸前でその動きを止める。


「ちょっとエイキ、屋根を壊さないでくださいよ!」

「うるせえ、傷ひとつつけてねえだろ!」


 シルケイにそう言い返すエイキの視線は、すでに空に上がったカクルに向いている。


「さすがに一発じゃ終わらねえか」

「当たり前じゃん。口だけの雑魚だと思った?」


 カクルの表情には焦りも恐怖も見られない。そこにあるのは依然として余裕だけだ。

 戦闘状態のエイキを前に良くそんな顔をしていられるものだ。シルケイならそれは無理だろう。


「っていうか、思いっきり武器を使うのはどうなのでしょうか」

「外野は黙っとけ」

「でも丸腰の相手に鉄棒って……」

「あたしは全然気にならないけどね。それが使えなかったからって後からぎゃーぎゃー言われたら嫌だし」


 カクルはにんまりと笑ってみせた。


「言うじゃねえか」


 エイキの顔にも笑みが浮かぶ。だいぶ嗜虐的な気配を漂わせたものであるが。


「それなら、そんなとこに逃げてねえでさっさと殴り合おうぜ」

「いいよ。思う存分サンドバック気分を味わわせてあげる」


 カクルが空中で一度旋回する。そして、


「突撃ぃ――ッ!」


 空気を打ち、一気に急降下した。


「返り討ちだボケが」


 エイキは瞬時にスイングの構えを取る。


「打ち返す!」


 宣言通り、迫るカクル目掛けて鉄棒をフルスイング。

 が、カクルの体はするりと鉄棒を避けた。


「無―理!」


 振り抜いた無防備な態勢のエイキに、カクルの蹴りが叩きこまれる。


「ぐぅッ!」


 エイキの体が、屋根の上を転がった。

 カクルはそれと反対に、蹴りの反発力で再び空へと飛び上がった。


「はいヒット。そんなんで打ち返せるわけないじゃん。バカじゃない?」


 屋根の上に倒れたエイキに、空からカクルの笑い声が降る。エイキは這いつくばった姿勢のまま、頭上を睨みつけた。


「それは隕石を打ち返した男に言うセリフじゃねえな」

「隕石ぃ? なにわけわかんないこと言ってんのよ」

「信じなくてもいいぜ。俺の凄さは身に染みて味わわせてやるからよ」


 言いながら、エイキは立ち上がった。転がされはしたもののダメージ自体はほとんどないように見える。


「さあ、もう一発来いや!」


 ホームラン予告でもするようにカクルへ鉄棒を向ける。


「何度やっても結果は同じだと思うけどなあ」


 空で、再びカクルが旋回した。

 これは、勝負が長引くかもしれない。シルケイは思った。明らかに相性の悪い相手だ。

 そこからは、いましがた見た光景がそっくりそのまま繰り返されるだけだった。


「ほいッ」

「ぶへぇッ!」


「とうッ」

「痛って!」


「ほーい」

「あだだ!」


「せいやッ」

「ぶふぅ!」


 エイキの鉄棒は空を切り、カクルは何度となくエイキに蹴りをお見舞いした。エイキが屋根の上を転がって、カクルは空へ舞いあがる。蹴りそのものの威力は大したことはない。むしろ蹴倒された結果瓦に体を打ちつけていることの方がよっぽど攻撃になっている。

 完全なヒットアンドアウェイ。したたかなガーゴイルは倒れた鬼に追撃するようなことはせず、あっさりと空へ引き返す。シルケイから見ればエイキ同様に好戦的な性格に思えたが、だからといって直情的なわけではないらしい。それか、そういう戦法を取れば余裕を持って勝てる相手だと踏んでいたからこそ、あれだけ乗り気だったのかもしれない。


「ダメダメじゃん。あんなに強気だったのに拍子抜けだね」


 確かに。その言葉に、シルケイも同意するしかない。

 エイキ、あなた全然学習できていないじゃないですか。シルケイは思った。それは、エイキがカクルに何度も蹴り倒されているからではない。その戦法が、日頃相手にしているカラスたちと似たものだからだ。


「あのカラスどもみたいな真似しやがって!」


 それがわかっているなら対策を講じるべきだろう。両手で足りないぐらいの回数転がされている場合じゃない。


「カラス? あいつらと一緒にしないでよ。あんたなんかに負け通しのカラスとあたしとじゃ全然格が違うんだから」

「え?」


 シルケイは、いまのカクルの言葉に引っかかった。


「負け通しって…………あなた、カラスたちのことを知ってるんですか?」

「あっ」


 カクルがしまった、という顔をした。出会ってから初めて見る笑み以外の表情である。


「……まあ隠すことでもなかったし別にいいか」

「なんだ? そりゃどういうことだ」

「大したことじゃないわよ。あたしがあいつらと知り合いってだけ。ここを知ったのもあいつらの話を聞いたからだし」

「ええッ!?」

「なにぃぃ!?」


 慌てた様子も一瞬だけ。カクルはすでに平然とした顔に戻っている。


「お前、カラスどものグルだったのかよ!」

「そんなんじゃないって。拠点にする所を探してた時にたまたま会って、そんでちょっと喧嘩売られちゃって返り討ちにしただけ」

「返り討ちって…………」

「逃げ出しても速攻で追いかけて、一羽たりとも残さずボコッたね」


 自慢げに胸を張って言う。


「それから偶然会うたびに挨拶されるようになって、たまには世間話もして。あなたたちの話もその時に聞いたのよ。散々愚痴を聞かされて疲れる疲れる」

「それで報復に来たってことか。子分思いの良い姐御だな」

「だからそんなんじゃないっての!」


 エイキの皮肉をカクルは全力で否定する。


「カラスたちの話を聞いてて、ゴンゲンが拠点にするのにいい家かもって思っただけ。自分以外に他に二人もゴンゲンがいるなら楽もできるだろうし」

「ああ? 楽できるって……全然家を守る気ねえじゃねえか」

「あっ」


 再びの、しまった顔。


「やっぱりやる気も実力もねえ不良ゴンゲンか。そんなんだから流浪することになるんだよ」

「違うし! やる気がないのは事実だけど、流浪中なのは自分で家を出たからだし!」

「認めんのかよ……」


 エイキの呆れ顔とはなかなか貴重である。


「そうなると、なおさらあなたには三雲家のゴンゲンになることを諦めてもらわねばなりませんね」

「なんで? 別にカラスと知り合いでもいいじゃん。っていうか、あたしにはカラスたちを追い払う力があるんだよ? それだけでもこの家にとって目茶苦茶ありがたい存在じゃない?」

「お前の話を全部信用できるかよ。カラスとグルになってこの家を乗っ取ろうって魂胆でもおかしくねえんだ」

「残念ですが、その可能性は十分考えられます」


 素性のわからないゴンゲンが相手となれば、あらゆる危険を想定する必要がある。流浪の身になり自暴自棄になったゴンゲンが他のゴンゲンを襲うことはそこまで珍しいことではなく、家に対する脅威としてはカラスなどよりよほど凶悪だと言える。

 三雲家とっての外敵であるカラスたちと通じているのであれば、当然彼女を受け入れることなどできはしない。


「ふんっ。別にいいわよ。あんたらが望んでも望まなくても勝負は始まってるんだから。あたしが勝てばこの家のゴンゲンになる。そのルールはもう決定事項。いまさら無しにはできないんだからね」

「それを反故にする気はねえよ。きっちり俺が勝ってお前を追い払ってやる」

「へぇ……さっきから一方的に蹴られまくってるだけなのに勝つ気なんだ? さっきから鉄棒を振ってるだけだけど、どうやって勝つつもり?」

「確かに……。エイキはバカみたいに鉄棒を振り回してるだけですね」

「外野は黙っとけって言ってんだろ。――――お前が何度俺を蹴ってくれたか数えちゃいねえが、俺にはほとんどダメージはねえ。お前の蹴りは大した威力はねえんだよ。何度当てようと、俺がぶっ倒れるようなことは絶対にない」

「……だからって、あんたの鉄棒がいつかあたしに当たるの?」

「当たるさ。お前が疲れた時にな。そうやってずっと羽ばたいてヒットアンドアウェイで動きまくって、それでどんだけ体力が持つ? こっちは屋根の上に立ってるだけだからよ。長期戦でも喜んでやってやるぜ」

「…………ふぅん」


 ぺらぺらと喋っていたカクルが、口を噤んだ。

 翼を持つゴンゲンにとって、羽ばたくことは見かけほど体力を消耗するわけではない。疲労の度合いとしては精々駆け足程度だ。シルケイにとってはそうだし、カクルにとっても恐らくそうだろう。だが、エイキがフルスイングする鉄棒を避けその上で蹴りを一発お見舞いすることに必要とされる集中力と身体制御を考量すると、精神的にも肉体的にも疲労は大きなものになる。なにせ一発食らえばアウトだ。エイキに何度も殴られているシルケイにはそれが身に染みてわかっている。

 長期戦になればエイキが絶対的に有利。威力の高い攻撃ができない限り、カクルが勝つ可能性はほとんどないのだ。


「……だったら、奥の手を使っちゃおうかな」


 カクルの顔には、すぐに笑みが戻っていた。

 親指と人差し指で輪っかを作り、口元に持っていく。そして思いきり息を吹いた。

 辺りに、甲高い音が響き渡る。


「指笛……?」

「なにしようってんだ?」


 シルケイとエイキはともに困惑した。突然の行動の意図がわからず、呆気にとられる。だが、それに対する答えはすぐに返ってきた。

 二人の耳に、カクルのものではない羽音が飛び込んできたのだ。


「これって…………」


 遠くから徐々に近づいてくるその羽音は一つではなく、いくつもが重なり合ったものだ。そして、それはシルケイとエイキにとってとても耳慣れたものだった。


「やっぱりグルじゃねえか!」


 エイキが歯噛みして見た空の向こう、そこにはすでに黒い群れが現れていた。何度となく二人が追い払っているカラスたち。朝方にしか来ないはずの彼らが三雲家目掛けて飛んできたのだ。


「姐御ォ――ッ! 俺たちが来たからには圧勝間違いなしだぜッ!」


 聞こえてくるのはボスガラスの声。


「指笛ひとつでやってくるなんて、随分仲がいいんですね」

「そういうんじゃないって。あたしの命令ならなんでも聞くってだけ。しもべみたいなものかな?」


 あっけらかんとそう言って、カクルは不敵に笑った。


「今日こそ引導渡してやるぜ、このバカ鬼が!」


 そのカクルを取り囲むように、三雲家上空に到着したカラスたちが旋回する。耳障りな鳴き声と殺意のこもった視線が容赦なく降り注いでくる。カラスたちは完全に臨戦態勢にある。


「やってみろや! 雑魚がいくら集まっても雑魚なんだよ!」


 これはまずい。シルケイは思う。エイキは戦う気満々だが、この勝負は止めなければならない。瞬時にそう判断した。

 援軍を認めるわけにはいかない。この状況はまずすぎる。

 だが、その判断を行動へ移すよりも早く、カクルが動いていた。


「さあ、これで威力は十分。さっさと勝負を決めちゃいましょうか、クソ鬼!」

「このクソ女が!」

「いっけーッ!」


 カクルの号令と同時に、カラスたちが屋根の上へ突撃した。それは急降下というのも生ぬるい矢のような突撃だった。嘴を真っ直ぐに進行方向へ向け、標的の赤鬼を貫くために全身を矢と化していた。

 突き進んでくるカラスを、エイキはすんでのところで避ける。そこへまた、別のカラスが突っ込んでくる。さらに間髪入れずに次。終いには同時に二羽。エイキ目掛けて黒い矢が殺到した。

 シルケイは、こんなもの見たことがなかった。カラスとの諍いは飽きるほどやってきたが、こんな攻撃方法を取ることなどなかった。急降下して嘴でつついたり水平方向から飛んできて体当たりをしたりなんてことはあったが、あんなミサイルまがいの手段に出たことはなかったのだ。

 カクルの命令があるからか。そうとしか考えられない。

 シルケイの思考がそんな結論を得た時、


「――――ぅぐッ!」


 カラスの嘴がエイキの胸を貫いた。動きの止まったエイキの体に、まるで吸い寄せられるかのようにカラスたちが飛び込んでいく。


「待て待て待てぇ――ッ!」


 威勢のいい声は上がるが、カラスたちの嘴はエイキの体を容赦なく抉り、そのまま屋根の上からはじき出した。


「がぁぁぁああああぁぁぁあ!」


 叫び声をあげ、為す術もなく庭に投げ出される。


「エイキッ!」

「ぐぅ…………ぅぅう」


 胸を押さえ、掠れた声を絞り出しながら身を捩る。一目見て立ち上がれる状態でないことがわかる。


「はい、おーしまい! 勝負あり!」


 カクルの余裕の勝利宣言。その傍ではエイキを嘴で貫いたカラスが嘴を翼で押さえながらしょげかえっている。あんな突撃をしたら嘴の方もただではすまない。ヒビぐらい入っていてもおかしくないはずだ。


「というわけで、カクルちゃんは晴れて三雲家のゴンゲンとなりました! はーい、拍手ぅ――ッ!」

「ちょっと待ったぁ――――ッ!」


 柄にもなくシルケイは声を張り上げた。


「審議! 審議が必要です!」

「なに言ってんの? 鬼はなんなく負けちゃったじゃん。審議なんていらないでしょ」

「そうだぞチキン野郎! 大人しく出ていけ!」

「いえ、これで勝負ありとするわけにはいきません!」


 このままカクルを受け入れることは断じて許されない。シルケイは毅然とした顔で空の上のカクルを見上げた。


「この勝負は無効です。というか、あなたのルール違反でむしろエイキの勝ちと言ってもいい」

「はあッ? なんでそうなるの!?」

「カラスたちを呼んで加勢させるなんて言語道断。勝負は一対一で行うべきです」

「…………。なーんだ。なにを言うかと思ったらそんなこと」

「そんなこととはなんですか。これは重大な問題です」

「なに言ってんのよ。一対一なんてルールはないでしょ?」

「なッ!? あなたが初めに言ったはずです! 一対一の勝負をすると!」


 シルケイは覚えていた。エイキが殴って帰らせようとしていた時、カクルは一対一の勝負を提案したのだ。


「あなた自身が宣言したそのルールを破った。これは事実です」

「残念だけどそれは違うわよ。あたしがそれを言ったのは勝負を提案した時。正確なルールを定めた時には一対一って取り決めはしなかったでしょ? ルールで決めていたのはどうなったら負けになるかだけ。他はなんでもありよ」

「そんな……!」


 一対一という大前提があったうえでのルールだろう。そう反論したいが、これまでの流れからタイマン勝負を前提とするという考えはシルケイにとっての常識以上の根拠はない。ルールを決めた時にエイキもカクルもそこを明言しなかったのは事実だ。


「バーカ! ちったあ考えてからものを言え!」


 続く言葉が出ないシルケイにカラスたちからヤジのような鳴き声が飛ぶ。


「勝負あり。異論は一切受け付けません。それで決まりでしょ?」

「……なるほど。確かにそうですね」


 そこは認めざるを得ない。シルケイは反論できなかった。


「じゃあ――」

「では、その上でわたしから提案があります」


 しかし、このままカクルを三雲家のゴンゲンにする気はない。


「いまと同じ条件でわたしとも勝負をしましょう。あなたとカラスたちを相手にして、気絶するか消滅するか負けを認めれば勝負あり。そして、わたしはその勝負を受ける代理人としてエイキを選びます」

「えッ? …………なに言ってんの?」


 カクルがぽかんとした顔をする。


「今度はわたしと勝負です」

「なんでよ!? 勝負は決まったんだから、あたしはここにいていいんでしょ!? なんでまた勝負しなきゃいけないのよ!?」


 カクルの言葉を後押しするように、カラスたちからも反発の声が上がる。


「自分の言ったことをよく思い出してくださいよ。あなたは勝利した時の条件として、あなたが三雲家のゴンゲンになることを認めること、を上げました。その対象となっていたのはエイキだけ。わたしが認めることは条件には含まれていなかった。いまの勝負の結果はわたしにはなんの関係もなかったんです」

「……くッ…………」


 カクルの眉間に皺が寄った。そんな彼女の心情を察してか、カラスたちの声もぴたりと止んだ。

 彼女の言葉は、エイキに限定したものだった。厳密に言えばシルケイはまさしく外野、より正確に言えば蚊帳の外だったと言える。


「わたしは、この家に新しいゴンゲンを加えるという重要な問題に関してエイキに一任しているわけではありません。あなたのことをわたしはまだ認めていない」

「…………なるほどね」


 カクルは、低く言った。

 形勢逆転。これはイケる。シルケイは大真面目な顔をしながら内心でほくそ笑む。


「確かにそうだった。迂闊だったわ。あいつさえどうにかすればいいと思って口が滑っちゃった」


 ちらりと、庭に倒れるエイキに視線をやる。悶え苦しんでいたエイキはいつの間にやら白目をむいて気絶していた。


「それでは、わたしとの勝負を受けてもらえますね?」


 シルケイの問いかけに、カクルは無言を返す。ただ、その目はシルケイの顔をじっと見ていた。

 勝算を図ってでもいるのだろうか。だが、シルケイからしてみれば事はそんな複雑でもない。


「わたしとしては勝負などしなくともあなたを追い払うという選択もできます。勝負をする義務はありませんから。しかしどちらにせよ、このままではエイキの収まりがつかないでしょう。彼はやられたらやり返す性質なので」

「どういう意味?」

「回復したらあなたたちを襲撃するという話です。さすがに本体を壊すような真似はしないと思いますが、本当になんでもありの状況でどんな手段に出るかはわたしにもわかりません」

「女相手に?」

「男女平等が売りなもので」


 これは脅しではなく単なる事実だ。エイキはむしゃくしゃした思いを発散するために報復に出る。元からカラスたちを良くは思っていないし、カクルに対しても容赦はないだろう。暴走したエイキが他のゴンゲンまで巻き込むようなバカなことをしでかす可能性もあるし、それを止めることを考えれば、シルケイにとってもルールのある中でもう一度勝負してもらった方が都合がいい。


「異論がないなら、決定ですね。勝負は三日後のこの時間にでもしましょうか」


 カクルは、黙って頷いた。






「ふざけんなぁ――ッ!」

「ごふぅッ!」


 顔面に正拳突きを食らいシルケイは後ろに吹っ飛んだ。


「なにするんですか!?」


 嘴にヒビでも入っていないかと慌てて確認する。


「なに逃がしてんだお前は! せっかく一羽ずつ叩き殺してやろうと思ってたのによぉ!」

「相変わらず物騒なことを言って……」


 カクルとカラスたちは一旦立ち去り、三雲家の屋根の上にはシルケイとエイキの二人だけになっていた。昼も過ぎてエイキの意識がはっきりとして起き上がれるまで回復した頃、シルケイはエイキが気絶してからのことをあらましを説明した。その後の反応が、案の定の暴力である。


「そんな面倒なことをすると思ったからわたしが勝負を申し込んだんです。今度はしっかり勝ってくださいよ?」

「言われなくてもわかってるよ。でもなんで再戦はあいつとオレの一対一とか、俺とお前対ガー子とカラスにしなかったんだ? 心配するぐらいなら初めから有利な条件にしとけよ」

「それだとあなたの気が収まらないでしょう? カクルさんとカラスたちの両方を自分一人の力で叩きのめす。それができなきゃイライラが発散しきれない。そんなことぐらいわかりますよ」

「へー、お前にしては気が利いたな。そうしてなかったらもう一発殴ってかもしれねえわ」


 傍若無人すぎるでしょ。鬱憤が溜まって攻撃的になってるのを差し引いても身勝手すぎる発言である。七年も付き合っていていまさらではあるが。


「とにかく、お膳立てはしてあるんですからちゃんとやってくださいよ?」

「わかってる。どんだけカラスがいようと全部叩き落としてやるよ」

「……本当に大丈夫ですか?」

「なんだよその疑いの目は」

「もし今日と同じ戦法を取られたとして、本当に勝てます? 今日は不意打ちだったってのもありますけど、そうじゃなくてもあの攻撃を全部避けて逆に殴り倒すってのは難しいですよ」

「お前、俺の勝ちを確信してるから勝負を申し出たんじゃねえのかよ」

「いや、冷静に考えるとまずい気が……」

「じゃああれだ。やっぱり今夜あたり闇討ちしようぜ。勝負の日まで手を出したらいけないなんて決まりはないだろ?」

「おッ」


 ナイスアイデア! というのはさすがに憚られた。そこまで堕ちるのはいけない。


「それはやっぱり駄目です。正々堂々勝負に臨みましょう」

「それじゃあ無難に特訓でもするか?」

「特訓? カラス相手のですか?」

「それもあるけど、全般的にな。最近喧嘩してなかったからか、体がなまってる気がしたんだよなあ」


 それは今朝方も言っていたことだ。丁度いい喧嘩相手が欲しいと愚痴っていた。


「猶予が二日あるんだから、センキと殴り合いでもして体を慣らすってのも手だ。そのついでにカラス対策もできれば万々歳」

「まあ妥当なところですね」


 そんなに上手く事が運ぶとも思えないが、取りあえずシルケイは賛同しておく。とやかく言っても仕方がない。頑張るのはエイキである。

 わたしはもしもの時の言い訳でも考えておきましょうかね、と心の中で思いつつ、シルケイは作り笑いを浮かべるのだった。

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