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晴れがましい空ですね~前編~

「向こう一週間はなにもねえってことか」


 どこか残念そうにそう言ったのはエイキだった。場所はいつもの屋根の上。傍らにはもちろんシルケイが座っている。

 一週間に一度行われる危険予知。隕石が降ってからちょうど一週間後の今日、特に三雲家にとって危険となるようなものは予知されなかった。


「なにか危険を望んでいるように聞こえますが」


 鉄棒を腰布の中にしまうエイキに、シルケイが言った。

 エイキの言葉に、シルケイは大げさなため息を吐いた。


「この間の隕石みたいに、なんの面白みもない生活にはちょっとした刺激が必要なもんだろ? 全力を出したのなんて久しぶりだったし、たまにはあんなことがあっていいもんだ」

「ゴンゲンとあろうものが家の危機を望んでどうするんですか。どんなに素晴らしい力があったとしても、そういう考えを持っているというだけで台無しですよ」

「望もうが望むまいが来るものは来るし、例え来たとしてもその危機をしっかり防げばなにも問題ねえだろ」

「それができる保証はないでしょ?」

「おいおい、隕石を叩き壊せる俺だぜ? 余裕に決まってるだろうよ」


 親指でビシッと自分の顔を指し、ドヤ顔を見せる。


「……そこにはわたしの尊い犠牲があったことをお忘れなく」


 シルケイの脳裏にフルスイングの痛みが蘇る。


「お前があの場にいたから打っただけで別にお前じゃなきゃ駄目だったわけじゃないけどな。そこそこデカくて固いものがあったら代わりにはなったし」

「……………………ぐぅぅ」


 ここで言い返しても無意味な罵詈雑言の応酬に発展してしまうだけだ。シルケイはぐっとこらえて言葉を呑んだ。エイキは完全に調子づいている。正直シルケイにとっては癪であるが、なにを言ったところでエイキが引くことはないだろう。

 軽く忠告をして会話を切り上げるのがベターである。


「有頂天になる気持ちもわかりますけど、油断大敵という言葉もあるのでこんなときこそ気を引き締めて――」

「さーて、今日は日野瀬公民館にでも行ってセンキと殴り合いでもするか。シルケイ、俺はちょっと出かけるが、なにかあったらちゃんと自分の力で家を守れよ?」

「…………」

「予知に出るような危険はねえんだ。お前一人でどうにかなるだろ。まあ、どうしても俺の力が欲しかったら助けを呼びに来い」


 そう言ってエイキは軽やかに跳躍した。隣の家の屋根の上へひらりと飛び移る。


「それじゃーな!」

 シルケイの返事を聞く様子は微塵もなく、高笑いを上げながら走り出す。屋根の上をぴょんぴょんと飛び跳ねながら、エイキはあっという間に見えなくなった。

 残されたシルケイはわなわなと身を震わせながら、


「エイキのエイは、嬰児の嬰。…………所詮赤子。…………赤子なみの知能だから…………」


 ぶつぶつと呪詛のような呟きを続けた。


「やっぱりなんもなかったな」


 日もくれた頃エイキは三雲家に戻り、ひとしきり遊んだあとの子供のような顔で屋根の上に寝転がっていた。シルケイは自分の巣に座り、何をするでもなくぽつぽつと電灯がつき始めた家々を眺めていた。

 ゴンゲンにとっての日常は大抵がこんなものだ。隕石が降ってくるなんて非日常的はそうそうなく、ぼんやりふらふらと日々を送るのが常である。生活ぶりを見れば、猫であるナズナとそう変わるものでも気楽なものである。

 予知が確かなら、あと一週間はこんな風な生活が続く。

 今日一日をぼんやりと過ごしたシルケイは、おもむろに口を開く。


「今日はもう中に戻りましょうかね」

「なんだよ。俺に見張りを任せて寝る気か?」


 シルケイが口にした中に戻るというのは、本体である風見鶏の中に戻るという意味だ。ゴンゲンが寝ると表現するのは、中に戻って精神を弛緩させ、意識を半分起きて半分寝ているような状態にすることである。

 この状態では周囲に対する反応が鈍くなるため、危険が迫った時の対処が遅れることになる。ゴンゲンが二人の三雲家においては、一方がこの状態になれば当然もう一方がその分警戒をする必要が出てくる。


「疲れてるわけでもなし。そのまま出とけよ」

「別にわたしがいなくてもいいでしょう? なにか起きてもあなたなら一人で大丈夫だ」

「そりゃまあな」

「あなたの力があれば悪鬼羅刹、魑魅魍魎、どんな危機が迫りこようともこの家に傷一つつくことはなく、おまけにこの家に住まう人間は無病息災、家内安全、つつがなく幸福な人生を送ることができること請け合い」

「……うーむ。確かにそうだけどな」


 まんざらでもない声。単純な鬼である。

 しかしこれで自分は中に戻ることができる。


「あなたならどんな困難だって乗り越えて危機を打破できますよ。それだけの力を持っています」


 シルケイは駄目押しの言葉を並べる。これだけ言えば、エイキもこれ以上しつこく止めようとはしないだろう。

 小さなため息を吐いてシルケイが立ち上がろうとしたその時、


「あのー…………」


 弱弱しく遠慮がちな、聞き慣れない声が聞こえてきた。

 シルケイの背後、空中。二人は素早く声の方向へ頭を向けた。不審者。それが二人の頭の中に共通して浮かんだ単語だ。

 そしてその予想は、声の主を見る限り妥当なものだった。


「夜分すみません。えーっと……」


 そこにいたのは、成人した大人ほどの大きさをした不思議な物体だった。一言で形容すれば、逆さにしたバドミントンの羽。素材はひらひらとした薄い真っ白の布のようなもので、球状になっている部分を基点としてそこから上へ向かって放射状に布が広がっている。布は重力に逆らってゆっくりと波打っており、それ自体も空中に浮かんで静止していた。

 一見すればなんなのか見当もつかず、二人は口を半開きにした顔で固まった。不審者の方も何故か次の言葉が出てこない様子で、両者の間に一時の沈黙が流れた。

 だが、シルケイは気付いた。不審者の正体に見当がついたのだ。


「あなた…………てるてる坊主ですか?」


 晴れを祈願する子供だましのおまじない。よくよく見れば、目の前にいるのはそのてるてる坊主が巨大かつ逆さになったものだ。体を形作っている薄く白い布は巨大になったティッシュだった。


「いかにも。私は逆さてるてる坊主です」


 声は、顔と思しき球体部分から発せられた。視線をそちらに合わせても、目鼻も何もないためどこを見るべきか少しばかり迷う顔である。

 てるてる坊主だという男(?)の名乗りに、二人が驚くことはなかった。人間からすれば尋常でない状況だが、ゴンゲンである二人にとってはそうでもない。いま目の前にいるのが自分たちと同じ精神体であることがすでに判別できており、そうであればなにひとつ驚く理由がなかったからだ。

 ゴンゲンとは、願いを込められ作られたあらゆるモノから生じた精神体を指す言葉である。鬼瓦や風見鶏だけでなく、そこには晴れを願って作られるてるてる坊主も含まれる。てるてる坊主のゴンゲンを目にしたのは二人ともに初めてだったが、分類的にはゴンゲンという同種の存在なのである。

 突然声をかけられて驚いたものの、正体を知ってしまえば取り乱すような相手ではないのだ。


「そのてるてる坊主がどうしてこんな所へ?」


 尋ねたのはシルケイだった。顔は屋根の高さとほぼ同一の高さにあるため、見下ろす形になってしまうのが少しばかり気が引ける。


「そちらの方は、随分と強力な力をお持ちのようですね」


 いましがたの二人の会話を聞いていたのか、逆さてるてるはそう言った。


「俺か? まあ否定はできねえな。俺は嘘を着けねえ性質だからよ」


 相変わらずの調子でエイキが答えた矢先、


「それならば、是非私に助言をくださいませ!」


 逆さてるてるは一転して声を張り、その頭をぐいっと前面へ持ち上げた。


「んん……?」


 突然の言葉と行動に、エイキとシルケイの頭には疑問符が浮かんだ。

 が、一瞬の間ののち、


「ああ……お辞儀ですか」


 シルケイがぼそっと呟く。相手はお願いしますと頭を下げたつもりなのだ。逆さというのはわかりにくい。


「取りあえず頭を上げて、いやこの場合は下げて? いやでも……下げ……とにかく正常になってください」

「私に助言を!」

「落ち着いて。ひとまず詳しい話を聞きましょう。そもそもあなたは――」

「なんで俺がそんなことをしないといけねえんだよ。っていうか、お前誰だよ。なんでこの家の敷地内にいるんだよ。この家を襲いに来た敵か? あ?」


 シルケイを遮り、突然エイキが逆さてるてるに絡み始めた。さっきまで煽てられて上機嫌だったのに、沸点の低いものである。

 ただ、言っている内容自体はシルケイの聞きだしたいことと一致していた。なにに助けが欲しいのか、そもそも何故ここに来たのか、まずはそれを知ることだ。

 ゴンゲン同士にも付き合いはあって、二人には知り合いのゴンゲンが複数いるし、そういった者たちがなんの連絡もなく来訪することだってなくはない。逆さてるてるが誰かの紹介などで来た可能性はあるのだ。そうであればあまり邪険にするのも悪い。

 とはいえ、シルケイはその可能性は小さいと考えていた。そもそもてるてる坊主、それもティッシュで作られたてるてる坊主というのは、鬼瓦や風見鶏と違ってほんの数時間かせいぜい一日程度の命しか持たないのだ。その時間でもう役目を終え、ゴミ箱行きになるからである。ティッシュで作られるてるてる坊主というのは、いわばインスタントゴンゲン。シルケイたちがてるてる坊主のゴンゲンに出会ったことがない理由にも、てるてる坊主はゴンゲンとして精神体が現出すること自体が稀だからということがあるのだ。


「て、敵なんて滅相もない。私はどちらかといえばあなた方の仲間。いや、身内と言ってもいいぐらいの立場のはずです」

「はあ?」


 身内という言葉にエイキが不快感を露わにする。


「なに言ってんだコラ」

「まあまあ、とりあえず聞きましょうよ」


 シルケイはエイキの口を無理矢理塞ぎ、逆さテルテルに話を促した。


「なにを隠そう、私はこの家のお嬢さんに作られたてるてる坊主なのです。私はお嬢さんが学校から帰ってきて、ほんの数分前に作られ軒先に吊るされました。あなた方はこの家、ひいてはこの家の住人のために働いているようなものですよね? そうであれば、この家のお嬢様の願いをかなえる立場にある私は、あなた方の身内といっても差支えないでしょう」


 いやそれはちょっと差し支えるだろう、と思ったが、シルケイはそれを口にすることはなかった。ここで否定的な物言いをすると、ただでさえ見知らぬゴンゲン相手に警戒心をマックスにしているエイキに対し、火に油を注ぐことになる。

 娘の更沙が作ったものであるなら、このてるてる坊主が突然現れたことにも合点がいく。というか、そうでなければここにいることに説明がつかない。


「こいつが出てきた原因は更沙かよ。あいつ中学生にもなってこんなもんに頼んなよなあ……」


 エイキがシルケイの羽を口から引き剥がし、ぼやいた。心底つまらなそうな顔をしている。


「ちょっと、こんなもんとはひどいではないですか」


 すぐさま逆さテルテルは抗弁するが、


「願いを叶えるのに他人を頼って助言を求めるようなバカだ。こんなもんって表現であってるだろ」


 エイキの一刀両断に、ぐぬぬと声を漏らしながらも口を噤んでしまう。

 険悪な雰囲気が流れる中、シルケイはとにかく話を進める。


「しかし、どうしててるてる坊主なんて作ったんでしょう? 逆さということは、明日の天気が雨になることを望んでいるということですよね?」


 てるてる坊主は正位置であれば晴れ、逆位置であれば雨を願うものとなる。目の前にいるてるてる坊主が傍から見ているだけで頭に血が上りそうな態勢を取っているのは、更沙が逆位置でてるてる坊主を吊るしたからだ。


「どうしてそうしたいのか、願いの元となっている理由については私も詳しく分かりません」


 使えねーな、とエイキのヤジが飛ぶ。


「い、いえ、私だって断片的には知っているのです。なにやら明日体育の授業があって、それが面倒なものらしく雨が降ってほしいとか……」

「その程度のことなら毎日のようにありそうですけどね」

「くっだらねえ理由だな、おい」

「私にとっては理由がなんであろうと関係ありません! 願いを込めて作られ吊るされた以上、私には明日雨を降らす責任があります! それが私に与えられた使命なのです!」


 いましがたの自信のない口調とは打って変わって、逆さテルテルが熱弁する。その気持ちはシルケイにも理解できる。理由だなんだという細かいことはゴンゲンにはどうだっていい。重要なのは自分がなにをするべきなのかという一点だけだ。

 シルケイは、見た目も立場も違う初対面の逆さテルテルに少しばかりの親近感を持った。単純なものだが、仲間意識というものは結構簡単に芽生えるものである。そしてそれは、ゴンゲンであるエイキも同じだろう。


「だったらてめえ一人でさっさと使命を果たせよ! この場所が使いたいならさっさと使え。俺に助言なんざ聞く前にやることやれや」


 そうでもなかった。エイキはぶれることなく態度を変えない。

 あちゃー、とシルケイは心の内でそっと嘆く。ともあれ散々な言いようではあるが、その内容自体はまたしても納得できるものだ。シルケイはエイキを諌めることはせずに逆さテルテルの反応を待った。

 逆さテルテルは一拍間をおいて、


「問題はそこです」


 重々しくそう言った。


「え?」

「雨を降らすには、一体なにをどうすればいいのでしょうか?」

「「はあ?」」


 ハモった声は、驚きの感情一色だ。


「どうすれば……」

「てめえはそのために生まれてきたんだから自分でわかるんじゃねえのかよ!?」


 エイキが至極真っ当なことを言う。


「いえ、皆目見当がつきません」

「なんでだよ!?」

「私にも何とも……。他の者はいったいどうしているのでしょうか?」

「俺が知るか!」

「ひいいぃぃぃッ」


 とうとう鉄棒を取りだしたエイキを押しとどめながら、


「落ち着いてください、エイキ。よく考えればわたしたちだって同じです。家を守ると言っても具体的に何をどうすればいいのかなんてことを知っているわけではない」


 必死に宥める。

 求める結果は本能的に分かっているが、その手段については情報ゼロ。天啓があるわけでもないし、第六感で察知できるものでもない。それはどんなゴンゲンだって同じということだ。


「だからってそれを俺たちに訊いてどうすんだよ! わかるわけねえだろうが! 完全な門外漢だぞ!?」

「その主張には納得です。だからまずはその鉄棒をしまってください。落ち着いて話し合いましょう」


 どうにかこうにかクールダウンさせ、エイキの手から凶器を手放させた。その間、逆さテルテルはひたすら悲鳴を上げて身を捩っているだけだった。まったく役に立たないが逃げ出さないだけマシと思うしかない。

 息を整え、どうにか暴力ではなく会話でコミュニケーションできる場を作る。シルケイは苛つくエイキと怯える逆さテルテルの間に立ち、改めて話を再開した。


「状況はわかりました。てるてるさんの立場と思いは理解しましたし、私たちを頼ったことにも合点がいきました。しかし、ではわたしたちがあなたの力になれるのかというと、すみませんと言うほかありません。それはわたしたちには荷が勝ちすぎる。いや、先ほどのエイキの言葉に近しい言い方をすれば、わたしたちの及ぶ力の外にあるものです」


 逆さテルテルに仲間意識を感じたものの、では手助けできるのかといえばそれとこれとは別問題だ。一貫して協力する気のないエイキと違い、シルケイはこの突然の来訪者をそこまで無碍にする気はなかったが、物理的になにもできないのであればどうしようもない。


「そんなことを言わずなにかヒントだけでも、ヒントだけでもいただければ……!」


 言いながら、逆さテルテルの頭が繰り返し跳ね上がる。これもきっと頭を下げているつもりなのだろう。

 そこまで懇願されても無理なものは無理だ。


「しつけえ野郎だな。そんなものはてめえで考えろよ。気長に考えてりゃいいアイデアが出たり自分の持ってる不思議な力に目覚めるかもしれねえぞ」

「そんな悠長なことは言ってられません! 私には時間がないのです! もう日は落ちているし、残された時間は僅かかもしれないんです!」


 逆さテルテルは苦悩するように身を捩らせる。


「雨を降らせるためにはなにをすべきか、そしてそれはいつまでにしなければならないのか。それ自体に時間制限があるのなら、もういまの時点で手遅れな可能性だってあるんです! もしかしたら日付が変わるまでがリミットかもしれない。もしかしたら日没までがリミットかもしれない。ああ! もしそうだったら私はもう失敗している! あああぁぁぁぁあぁああぁ!」


 逆さテルテルは大きく取り乱している。


「これ、あれですかね?」


 シルケイはエイキに小声で尋ねる。


「助言を請うために平静を保っていたものの、実際は物凄くテンパっていたってことですかね?」

「だろうな」


 逆さてるてるを冷めた目で見ながらエイキは端的に答えた。

 シルケイは思わず頭を抱える。エイキは目の前の来訪者をカラスどもと同じように鉄棒で殴り飛ばしたいと思い始めているはずだ。それほどに逆さてるてるは面倒な客だといっていい。初めは落ち着きもあって礼儀正しいと思っていたが、そうでもなかった。


「てるてるさん、何度も言いますけど落ち着いてください」

「落ち着けません! 落ち着かせたいのならなにかヒントを! お言葉を!」


 叫ぶ叫ぶ。

 そんなことを言われてもシルケイだって困ってしまう。シルケイとエイキにできる特別なことなんてほとんどない。エイキはバカ力があって体も頑丈なぐらいで、シルケイは空を飛べることぐらい。あとは二人とも弱い予知能力があるのと精神の加速ができるだけで、それ以上不思議な力は持っていないのだ。


「天候を操作するなんて大それたことわたしたちの力ではできませんし、それこそ専門である気象精霊にでも頼むしかないんじゃありませんか?」

「気象精霊?」


 喚いていた逆さてるてるが一瞬で静かになった。感情の起伏が激しすぎる。


「なんですか、それは?」

「てめえ天候に関係するゴンゲンなのに気象精霊のことを知らねえのかよ」

「わたしたちゴンゲンはモノである本体がエネルギー体を現出させたものですが、世の中には自然物から発生したエネルギー体というものも存在しているんです。それらが精霊と呼ばれるもので、ゴンゲンはいわばモノの精霊であるということができます」


 呆れ声を出すエイキを無視して、シルケイは簡単に説明した。


「石や水、火、風、そして空や天候といった半ば抽象的なものにも精霊は存在します」


 気象精霊というのは天候に関係するような精霊を一纏めに呼称するものである。


「気象精霊であれば天候を操作することも可能なはず。空の上にいる彼女たちに直接掛け合えば、一部の地域の天気を一定期間だけ操作してもらうこともできるかもしれません」


 他力本願極まりないが、これがシルケイの考え得る唯一の方法である。古代、人間たちが行ってきた雨乞いの儀式などもそういった気象精霊たちと交信を行うためのものだったとするのが一般的だ。

 天候を変えたいのならばその権限者に頼むのが一番の近道である。


「それは最高ではないですか! そうしましょう! いますぐしましょう!」

「ちょっと待って下さい。残念ながらそれを実行に移すにはひとつ課題があるんです」

「課題? いまの私ならなんだってやりますよ!」

「その心意気はいいんですが……。課題というのは、どうやって交渉するのか、ひいてはどうやって彼女たちに会うのか、というものなんです」


 こうやって話しておいてなんだが、シルケイは彼女たちの姿をまともに見たことはない。存在は知っているし、風の精霊や雨の精霊といった精霊たちとならば会話を交わしたこともある。だが、彼女たちでは天候の操作までできる力はないだろう。

 気分を持ち上げてから落とすようなことになって申し訳ないが、これまたシルケイにはどうしようもないから仕方がない。


「わたしから言えることはこれが限界です。これ以上の助言はできません」


 シルケイが静かに言うと、場に再度沈黙が流れた。

 エイキは相変わらずの冷めた目で逆さてるてるを見ている。当の逆さてるてるの方は表情が読みようもなく、なにを思っているのかは傍目にはわからなかった。

 あまりに反応がないので絶望のあまり気を失っていたりしないだろうかとシルケイが思い始めた頃、


「私が行きます!」


 逆さてるてるが声を発した。


「行くって、なにをどうやってですか? 空の上ですよ?」

「とにかく上にいることは確かなんですよね? だったら、そこまでいきます!」

「だからどうやって?」


 逆さてるてるは宙に浮いているが、まさかそのまま飛んでいくなんてことを言うつもりだろうか。詳細な場所もわからないのにそれは流石に無茶では。


「私をさきほどの鉄棒で空の上へ打ち上げてください!」

「「え?」」


 エイキまで呆気にとられた声を出した。


「それで思い切り殴ってもらって、空の上の精霊様に会ってきます! よろしくお願いします!」

「いや無理だろ」


 エイキが至極当然なことを言った。


「何を言っているんですか! 諦めたらそれで終わり! そこで私の短い生涯は終わりを告げてしまうのですよ!?」


 目にも止まらぬ速さで逆さてるてるがエイキに迫った。ぐりぐりと顔をエイキへ押しつけながら、


「無理かもしれないけどやってみる! それが大事でしょう!?」


 声高に主張する。

 エイキはその勢いに気圧されたのか、


「……お前がそれでいいならいいけどよ」


 珍しく怒りもせず、たじろぎながら承諾した。


「ちょっとエイキ!?」

「よーし!」


 逆さてるてるはぴょんと退き、エイキからほんの少し距離を取る。

 シルケイはあまりの事態に頭が追い付いていない。言うべきツッコミの言葉が出てこない。


「では、お願いします」

「よっし、行くぞ!」


 エイキが鉄棒を取出し、構えた。準備万端。誠に素早い。


「いきます!」


 逆さてるてるが、その場で飛び跳ねた。瞬間、エイキは下から掬い上げるようなスイングでその頭を打った。渾身のフルスイングである。


「――――ッ!」


 言葉もなく、逆さてるてるは暗い空に舞った。きれいな放物線を描き、その軌跡をエイキとシルケイが目で追い掛け、そして、


「うーわ…………」


 逆さてるてるは隣の家の瓦の上に落下した。






「そりゃ無理ですよ、あんなの」

「すっかり気が動転していました」


 逆さてるてるの声からは先ほどまでの勢いがすっかりなくなっていた。エイキに殴り飛ばされて落下して、瓦に叩きつけられた逆さてるてるはたっぷり三分間ピクリとも動かなかった。これはいけないと思ったシルケイが揺り起こさなければ、ずっと気絶していたことだろう。

 しょげてしまった逆さてるてるを見て、殴った当の本人であるエイキは、


「お前やばいな……」


 と、他人事のように引いてしまっていた。


「なぜ第三者目線になってるんですか」

「いや、あれだけ乗り気だったら殴られても平気なんだと思うだろ。気象精霊に会うのはどうせ無理だろうけど、殴られること自体は大丈夫なんだろうと思ってやったんだよ。てるてる坊主がそういうもんだと思ったんだ」


 蓋を開けてみればそんなことはなかった。ティッシュ素材で衝撃を吸収なんてこともなく、無残な結果が待っていたのみだ。


「死にはしなかったから丈夫なのは確かだけどな」

「余計なことは言わなくていいです」

「私、丈夫ですか? いやあ、それは自分ではわかりませんでした。それならこれから先、長所は体の丈夫さです、って胸を張って言えますね」

「あなたが乗っかってどうするんですか」


 嬉々として話に加わってきた逆さてるてるを軽く窘める。殴った張本人と談笑をしている場合ではない。


「落ち込んでたと思ったのに、意外と立ち直りが早いですね」

「いましがたのエイキ様の一撃で頭がすっきり。落ち着いた心を取り戻しました」


 逆さてるてるは言葉通りに弾んだ声でそう言った。そして、


「心機一転。というわけで、改めて助言を頂ければ幸いです!」


 半ば叫ぶようにそう言って、頭をまたねじ上げた。

 心機一転しても、助言を頼るところは変わらないらしい。どうせなら自力でどうにかしようという心持ちにまで一転してくれないだろうか、とシルケイは思う。どれだけ懇願されようがシルケイにもエイキにもこれ以上助言のしようはない。冷たいようだが、自分でなんとかしてくれというのが正直なところである。

 シルケイにできるのは、そのありのままの事実を相手に伝えることだけだ。


「……残念ですが――」

「おまえ、飛んでいってみろよ」


 遮った声は、エイキのものだった。


「え?」


 シルケイは顔をエイキの方へ向ける。そこにいるのは、真顔の鬼である。


「飛んでいってみろよ」

「平気な顔をして急になにを言い出すんですか」

「お前は飛べるんだから空の上まで飛んでいけよ」

「無理ですよ。相手の姿も知らないし、どこにいるのかもわからないんですから」

「いけるいける。それがわからなくても、不審者が来たと思って向こうから顔を出してくれるかもしれないぞ」

「不審者に会いに来るひとなんていませんよ!」

「なんだよおまえ面白くねえな。こいつを見習えよ」


 言いながら、逆さてるてるの体である薄布をぺしぺしと叩く。


「面白さなんてどうでもいいです。わたしはそんなことやりませんから」

「いや、やってもらう」

「……なにを言ってるんですか」

「秘技」


 ぼそっとエイキが言う。同時にシルケイが感じたのは身の危険だった。


「ちょっと待――」

「瞬爆打!」


 いつの間にやらエイキの手には鉄棒が握られており、おまえにしっかりとスイングの構えまで取っていた。そしてシルケイがそれに気づいた時には、全身につい最近食らった覚えのある激痛が走った。

 デジャブ。いや、単に二回目というだけだ。


「いってこ~い」


 エイキの気楽な声に送られ、シルケイの体は空高く舞い上がった。上がって上がって、ずっと上がって、そしてきらりと光った。


「おおぉ」


 エイキたちの口からは感嘆の声が漏れた。


「星になったな」






「でな、俺は毎朝のようにカラスどもをバッタバッタとなぎ倒してるわけよ」

「エイキ様ほどの力があればそれが可能というわけですね」


 エイキと逆さてるてるは屋根の上で顔を突き合わせて駄弁っていた。


「その通り。カラスといってもバカに出来ねえからな。あんな風に徒党を組まれちゃ、俺ぐらいの力がなければ泣きを見ることになるぜ」

「ははあ、やっぱりエイキ様は凄いんですね。先ほどのスイングの威力だって素晴らしいものです。いまだにシルケイ様が落ちてこないんですから」

「そうだろそうだろ。お前の時は無意識に手加減してたんだよな、多分。全力を出せばまあこんなもんよ」

「惚れ惚れします」

「もしかしたら上で気象精霊に会って、長々と頼み込んでるのかもしれねえけどな」


 なんて事を言っている二人の頭上から、風切り音が聞こえてきた。


「お?」


 エイキが空を見上げると同時、その視界を突っ切って二人の間に何かが落下した。


「おおッ」


 鈍い音がして、白い羽が舞った。疑いの余地もなく、落ちてきたのはシルケイである。


「って、いけるかい!」


 ツッコミは風見鶏の下にある巣から飛んだ。そこには五体満足怪我ひとつないシルケイの姿がある。


「よく死ぬ鶏だな」

「第一声がそれですか!? 目の前に落ちてきて消滅したわたしに対する第一声がそれ!?」

「じゃあ――使えねえ鶏だな」

「……確かに」

「確かにじゃありませんよ! なんでてるてるさんまで同意してるんですか!?」


 いきなり殴り飛ばされた被害者だというのに、とんでもない言われようである。


「そう言うからには気象精霊に会って約束を取りつけてきたのか?」

「え…………?」

「そうなんですかシルケイさん? それなら凄いですよ! 使えなくなんてありませんよ!」

「いや、盛り上がりに水を差すようで悪いですけどそんなことできませんよ。こっちは屋根から足が離れたと同時に意識が朦朧としてたんですから。無抵抗で空を飛んでいただけで、精霊たちに会うなんてことは無理でした」

「じゃあおまえ無駄死にじゃねえか」

「そうですよ無駄死にですよ! そしてそれはあなたがやったことです! あなたが加害者! まずはそこをしっかり自覚してください!」


 シルケイはびしっと羽を突きだし猛弁する。目の前の男は名前や見た目だけでなく中身まで鬼だ。反省の色は皆無だし、良心の呵責も微塵も感じられない。


「大体、さっきから人を鉄棒で殴り飛ばしてばかりですけどあなたはなにかしないんですか?」

「なにかってなんだよ」

「あなたは鬼でしょう? 私のような鶏とは違う、神にも近しい存在のはずです」

「確かにそうです。いま話していたようにエイキ様はとてつもない力をお持ちだ。気象精霊との交渉も可能なのではありませんか?」

「なーに言ってんだよ。俺は鬼だし、とんでもねえ強力な力も持ってる。その点は事実だが、それとこれとは話が別だ。俺の力は明日の天気を変えるためにはねえんだよ」


 エイキは気分を良くするでもなく反対に不満顔をするでもなく、冷静な口調でそう言った。

 シルケイは上手いこと煽てようとしたのだが、案外きっぱりと否定されてしまった。エイキにはこんな風に意外と冷静なところがある。伊達に無駄に長く生きていない。

 調子に乗らせて痛い目を見させようと思ったのに……! と、シルケイは心の中で臍を噛む。おまけにこれでは逆さてるてるの目的も達成できないままだ。鉄棒の被害者が二名出ただけで事態は一向に進展していない。

 これではまた逆さてるてるが落ち込み始めるかもしれない、とシルケイが不安に思った時、


「けど、いまので思いついた。気象精霊と交渉できそうなやつがいるわ」


 エイキがにやりと笑った。


「本当ですか!?」


 食いついたのは当然逆さてるてるだった。ぱあっと明るさの戻った、期待に満ちた声。


「あなたにそんな知り合いいますか?」

「お前も知ってるやつだぞ。あいつなら多分気象精霊と面識もあるはずだ」


 エイキにそう言われても、シルケイには思い当たる節がなかった。知り合いの顔を思い浮かべてみてもそんな特殊な人物はいない気がする。

 難しい顔をして頭を悩ませるシルケイをよそに、


「そんじゃちょっと待っとけ。すぐ連れてきてやる」


 エイキはそう言って屋根から飛び降り、返事も聞かずに走り出してしまった。

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