第70話 もっとリアルに目覚めようよ、ナオ
その施設は東京近郊の、夏は海水浴場となる砂の海岸が見下ろせる岬の上にあり、おれは毎週15冊、そこに身を潜めている親父のために車で本を持っていった。そして海辺の、数回の夏の賑わいと、冬の寂寞を知った。
親父は事故でおふくろと兄を亡くしてから、世界と自分との関係をうまく繋げない病におちいった。つまり、世界が正しいのか自分が正しいのかわからなくなった。
親父の仕事は物語を作ることなので、そうなっても仕事に差し障りがあるということはない。親父の世界では、おれのおふくろと兄貴は生きている。ただ、会うことができないだけだ。ふたりは神と吸血鬼で、年を取らない。
親父がおれに見せてくれるふたりの画像は、もう何年も前に撮ったものしか存在しない。高校時代のおふくろの写真をおれに見せながら、親父は大学生のように話す。
おれが成人するまでの後見人だった弁護士で、現在はおれの私立探偵免許の責任者でもある人は、月に一度その施設を訪れて、親父にはまだ出るつもりがないのか聞いている。親父は、早くここから出してくれ、とは言わずに、居心地がいいのでもう少しここで暮らしたい、と言う。ときどき抜け出しては銀座で酒を飲み、施設の中でも複数の看護師に、アルコール依存症にならないよう監視されながら飲む。
おれは毎週、親父と酒を飲みながら書き進めている物語の展開の相談に乗り、施設の来客用の部屋で泊まり、おふくろと兄貴の夢をときどき見て、朝は大浴場の露天風呂に入って帰っていた。
そして考えるのは、この物語は親父が考えていて、おれはもう死んでいるのか、俺が考えていて、親父は死んでいるのか、ということだ。あるいは、おれたちはみんな死んでいて、別の誰かが考えているのか。
*
「いい話だわ」と、ブラノワちゃんはおれが渡したハンドタオルで涙を拭き、鼻をかんだ。
「納得できるわけねーだろ!」と、この話の中では女性看護師役のハチバンは、使い捨てのナースキャップを地面に叩きつけてぐしゃぐしゃにした。
「もっとリアルに目覚めようよ、ナオ」
ハチバンの言う通りである。
海への風はだんだん強くなって、突風でブラノワちゃんの、少女探偵か少女漫画家がかぶっていそうなベレー帽は飛ばされそうになった。真実の鏡で照らされたそのベレー帽は、白と黒の間で実存を競ったあげく、ぼんやりとした灰色に見えた。
おれの兄貴は出番を待ちながらいらいらしている。
考えたら兄貴は、けっこうずっと前から一緒だった。
スープカレーパスタを食べたときは隣の席で、公園の茶番劇のときは隣のベンチ、ニースの海岸ではハチバンの隣、ブラノワちゃんとはじめて会ったときも隣のテーブル、マニラではおれたちが秘密基地を破壊する間にクルーザーを操縦して島の表側に止めた。日本のホテルへは親父と同じ電車で行って、宴会でセイさんがいろいろ取り分けているときにはアク代官をやって、翌朝はハチバンと同じ大浴場に(すこしだけ)一緒に入って、帰りは親父が運転するルノーのクーペの後部座席に、ブラノワちゃんと一緒に座っていた。
それは、記憶の捏造(偽造記憶)なのか、特にたいしたことをしてなかったので描写として省かれたのか、物語の叙述トリック的な意味のあるいかさまなのか、今となってははっきりしない。
そして兄貴は青の宝石、つまりおれのルビーと対になるサファイアの指輪を持っていた。




