第57話 ううん、今来たとこ…じゃなくって!
おれは、ヒトの気配を感じない以外はよく知っている、自分が昔住んでいた町を走って神社に向かった。LEDの街灯は青白く強い照明で街路を照らしていた。なじみだったコンビニも、小さい交差点にある信号機も、すこし古くなっているだけで特に変わったところは見られなかった。おれを導く虹色のテントウムシは、おれが足を速めるとよりいっそう早く動き、歩みを止めると急かすように点滅した。
おれの家の跡地からは歩いて5分ぐらいで、神社の前の階段につき、古い蛍光灯で階段の上部と下部が照らされていた。おれの記憶では、階段の最上段は以前の地震でヒビが入っていたと思っていたのだが、欠損部分とヒビはきれいに、だが修復と明らかにわかるような感じで修復されていた。
深い闇と強い人工の光が交互に切り分けられている先に本殿があり、その先の左右の、より深い闇を回って裏側には、本殿から数メートル離れて巨大なご神木があるはずだ。
いろいろ考えておれは、神社の左側から裏へ回ることにした。もしこの話が舞台だったとしたら、下手にご神木と神様(女王?)、上手に神社とおれ、という配置で、おれのアクションが西洋演劇的に正しいはずだ。下手からおれ(主人公)が舞台に入る、という演出は吉本新喜劇以外ではあまり推奨されていない。
ご神木の下で、巨大なダイヤモンドのように見える宝石がついた王笏と王冠、それに白地であちこち金色に光る女王っぽい服をまとったおふくろは、おれがそっと近づこうとするとテントウムシに先を越されて、携帯端末を見ていた手を下に置き、顔をあげた。その顔にあったのは前にアクレナさんが見せてくれた写真と同じ、高校生だったころのおふくろが親父に見せたのと同じ、花が咲いたような笑顔だった。
「ごめん…待った?」と、おれは思わず聞いた。
「ううん、今来たとこ…じゃなくって!」と、おふくろはノリツッコミをした。
おれの涙腺は決壊した河川のように大惨事的に水であふれた。
「か…母さん、母さん! 会いたかったよ母さん。どうしてぼくと父さんを捨てて行ってしまったの?」
おれはおふくろに駆け寄ろうとしてつまずき、シルクハットがおふくろの足元に転がった。
軽くはたかれたそのシルクハットは、うす黄色い手袋をしたおふくろの手で、おれの頭にかぶせられた。
「ナオくんの記憶は偽装されてるね。あんたは私のこと、「母さん」じゃなくて「母ちゃん」って言ってたやん。あと、自分のことは「ぼく」なんて言ってないし、あの人のことは「親父」って言ってた」
「いいじゃないですかそのくらい嘘でも。でもってどうしておれと親父から離れたんです?」
「それはねえ…ちょっと靴を脱いで私のそばに来て」
おれは疑問を感じながら言われたとおりにした。
「ああ、ナオくんも別れたときと比べて…全然大きくなってないね! ヒールの分だけ私のほうが背が高い!」
「まあ確かにそうですけどね。でももう数年したらきっと」
「無理無理ぜったい無理。千年経っても無理」
なんかだんだん腹が立ってきたな。
女王で女神でご神木でもあるおふくろは、確かに背丈も性格も、おれが知っている限りは全然昔のままだった。千年前も千年後もきっと同じ調子なんだろう。




