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第51話 死んでる俺は確かに俺だが、それを抱いてる俺は、一体誰なんだろうなあ

 おれが想像する、今のところ二番目に嫌な予感は、ハチバンがアカネさん殺しの真犯人であることで、一番嫌な予感は、親父は真犯人を考えていない、ということだ。

 うす緑色の客室、デリシャススイートのリビングルームの真ん中で、タイム・リープしようとする前のおれたちに、セイさんは話をした。

「アカネは、不治の病であることが判明して、これが最後の私たちの旅行、今年が多分最後のクリスマスになるはずでした。月が変わったころには入院して、年が変わったころには…その…つまり…」

 おれたちは、酒虫のアルくん(アルチュール)とエルくん(エルキュール)、それにホテルの支配人も含めて神妙に話を聞いていた。

「やはりこの事件には犯人はいないわね。精神的に落ちこんでたアカネさんが、いろいろ考えすぎてこうなったと思っても問題ないわ。でも、私たちが大浴場の時点までタイム・リープすれば、死んでいないアカネさんの話も聞けるわ」と、ブラノワちゃんは言った。

 そして、窓を開けて入って来た人の声と姿をおれたちは見た。正確には、おれは窓の外を見たときすでに知っていたのだが、その人は、しーっ、と人差し指を自分の口に当てておれに指示したのだった。

「その必要はないわ」

 黒眼帯を左目にしているアカネさんは、そう言っておれの肩に止まっていた酒虫のアルくん(アルチュール)をつまみあげると、履いていた客室用のスリッパで踏みつけた。

 ゴキブリのように平べったくなってうす緑色のスリッパの裏に貼りついたアルくんは目を回していたが、アカネさん(黒)はスリッパを手に取ると、さらに数回床に叩きつけた。アルくんは数万気圧の圧力にも耐えられるから、そのくらいのことで死にはしないんだけど、まあアカネさん(黒)は、ちょっとそのセリフを言って見たかっただけだと思う。

 アカネさん(黒)は、置きっぱなしにされていたアカネさん(白)を抱きかかえると、こう言った。

「死んでる俺は確かに俺だが、それを抱いてる俺は、一体誰なんだろうなあ…うぐはっ!」

 最後のところは、セイさんのボディブローがアカネさんに決まってから発声されたものである。

「こ…こ…この、アカネなんてもう一度死んじゃえ!」

「いや待て、話せばわかると思うよ、セイ。あとそれって、生きててよかったって解釈してもいいのかな」

 シュレーディンガーの猫ではないが、なぜふたりのアカネさんがいるかというと、親父のほうの酒虫であるエルくん(エルキュール)の特殊能力、時枝タイム・ブランチのせいである。つまり、無数にある「可能だった世界」をひとつの「可能な世界」として扱える能力だ。

     *

 アカネさん(黒)は話を続けた。

「まったく、セイは嘘つきだな。確かに私は病気で、この暮れに入院することにはなっているんだ。年内に手術で、年末年始は病院で過ごすことになるだろう。そんなに深刻なものではないが、死ぬ確率はすこしはある。10万人にひとりぐらいかな。考えてるとどうも、どんどん生きるのがつらくなって、どういう死に方だったら一番楽に死ねるかな、と思っているときに、このピンクの虫、エルくんがやってきて、相談に乗りましょうか、と言ったんだ」

 アカネさん(黒)の話では、私が死んだ時に、セイさんはどんな顔をするか、あと、どんな話をするかが聞きたかった、ということだった。

「安心したよ、本当に泣いてくれて。それに、引き続き嘘をついてくれていて。私は死ぬような病気じゃないっつーの」

「でも…10万人にひとりは死ぬ、ということは、10万の未来があって、10万のアカネさんがいたとしたら、そのうちのひとりは死んでる、ってことになるんですよね」と、アキラは言った。

「ああ、でもそのひとりの、死んだ私に寄り添うセイは多分今日みたいには泣かないんじゃないかな。9万9999の、死んでない私と、それに寄り添うセイは実在するんだ、と力強く思ってくれるよ」

 いい話である。

 タイム・ブランチ、多元宇宙を扱ったネタとしても、ミステリーとしてもそれなりにまとまっている。ネタを膨らませてサスペンスを入れて劇場用長編アニメにしたら(そうだなあ、エルくんをもっと邪悪にして、「可能な世界」も8つぐらいにするとか)、感動の涙を流す人も出てくるかもしれない。

「嘘の物語でも人は泣いたり笑ったりすることはできる。だが、人を怒らせる物語はふたつある。よくも自分の時間を無駄にしたな、と思ってしまうくだらない話と、よくも自分を騙したな、と思うよくできた話だ」と、おれはハチバンに言った。

 この件に関して、ハチバンが無口なのは理由がある、ということをおれは知っている。

     *

 おれの目は、ニースに行って以来けっこうよくなって、普通の人には見えないものも見えるようになった。

 おれがベランダで見たのは、アカネさん(黒)の姿と、隣の客室のベランダから、薄い中仕切り越しに続いている足跡だった。おれがカオルに言ったことは本当で、警察がこの件を事故ではなく事件として扱うようだったら、ちゃんとした調査で発見されたかもしれない。

 歩幅が狭くて浅い、アカネさんたちの客室へ向かう足跡はうす黄色で、歩幅が広くて深い、逆向きの足跡はうす緑色だ。ハチバンのものに間違いない。

 どういうことかというとつまり、それは、急いで行ってゆっくり戻っている、ということだ。

 しかし、人を殺しに行くのに、そんな行動取るか普通。

 ゆっくり、ばれないように殺しに行って、終わったら素早く現場から戻ろうとするだろう。

 この足跡はおかしい。

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