第35話 ものを燃やすのは楽しいね!
マニラ湾の夕陽は、海ではなく西方のバターン半島に沈む。
バターン半島には第二次大戦中の激戦地だったサマット山(標高550メートルぐらい)があり、そこには100メートルぐらいの十字架が立っている。両方合わせるとスカイツリーぐらいの高さで、マニラ市内から見えないこともないし、うまいこと日没と重なるポイントと日付もあるはずである。
船で湾の中の適当なポイントを選べば、だいたいどんなときでもそれは見られる。
吸血鬼は、太陽も十字架(正確には、直交する直線。それに込められている宗教心とは多分関係がない)も苦手ではないが、両方が重なるとダメージを食らうのである。
「ハチバン、お前、いつから知ってた?」と、おれは焦りながら聞いた。すでに体からは白い煙が立ち上り、手足など体の日に当たっている部分は濃い赤からどす黒い赤、そして煤の黒から灰に変わっていた。顔面は確認できないが、もっとひどい状態であることは間違いない。
「いつもそうだと思うけど…最初からかな?」
おれの服はおれの体の熱で燃え、おれは跪く形で前に倒れ、暖炉で焼かれた禁断の書のように数千の切片になり、風に乗って散り散りになった。
「ものを燃やすのは楽しいね!」と、ハチバンは言った。
楽しかねーよ。
おれの体は、熱さや寒さを感じにくくなっているうえ、ある程度残骸が残っていれば再生できるんだが、ものすごく痛い。無数の針とナイフで全身を刺され、切り刻まれ、なおかつ意識を失うこともない。魂のありかたはヒトとは異なるので、死というものもない。痛さによって狂気におちいることもない。
背中で焚き火をされるカチカチ山のタヌキとか、落語「強情灸」の登場人物のほうがまだましだ。
ハチバンによっておれがこんな目に合わされるのは、まれにしょっちゅうある。
そう言えばこないだは、おれのマンションの部屋から落とされたな。寝ぼけてたもんでコウモリに変身する間もなく地面に激突したよ。寝ている間に、親父とふたりでベッドの向きと部屋の内装を変えるというひどいトリックで、トイレに行こうと思ったらドアの外が窓の外だった。コーネル・ウールリッチの短編にヒントを得て、本当にそんなことができるのかやってみたそうである。
イチバンさんは、申し訳なさそうに、というより、安らかにお眠りください、みたいな感じでおれに手を合わせていた。
*
月光の光が差し込む船室に置かれた、吸血鬼が昼間に眠るっぽい形の棺の中でおれは目を覚ました。
全裸で。
服も燃えてしまうんだから仕方ないな、と思っておれは棺の蓋を開け、蓋にかかっていた吸血鬼っぽいマントを手にとって傍らを見ると、ちゃんと着替えも用意してあった。
ひとつは黄色いポルカドット(水玉模様)のビキニスタイルの水着。
もうひとつはステテコと腹巻きとダボシャツとカンカン帽。
おれは汚辱と屈辱にまみれながら、読者以外の誰も見ていないのを確認して、水着のほうを選んだ。
再生したての肌は赤ん坊のようにつやつやで、おまけにむだ毛も生えていないのである。
気がつくと、月光だけではなくておれ自身の体もうす緑色の光に包まれている。光る鱗粉みたいなものがおれの動きにつれて舞い上がった。




