第18話 要するにオタサーの姫だったんですね
「本当は、私と内山田康夫(仮)…って、きみのお父さんだよね、は、同じ高校の同期で、物語部っていう部活に入ってたんだ」と、アクレナさんは本当っぽい設定を語り始めた。
「きみのお母さんも同じ部にいて、みんなの憧れだったよ」
「要するにオタサーの姫だったんですね」と、おれは言った。
オタサーというのはオタクサークルの意味で、姫というのはそのサークルの中での人気女子という意味である。
「いやいや、在学中は全校生徒の姫だったんだから。それを、あの、物語を作るのだけがうまいクソ野郎が嫁にしやがって、く、くそっ」と、アクレナさんは拳でコンクリートをすこし強く叩いたので、いてて、と手を押さえた。
「写真を見せてあげよう。きみはお母さんにそっくりだから、って、きみのお父さんから連絡があったんで、昔のアルバムから探してみたんだ。これは私たちが高校2年の文化祭のときのものだな」
今はもう、どこの高校も文化祭などはない。
アクレナさんは、携帯端末と同じぐらいの大きさの、つるつるした厚い紙にプリントされたものをおれに渡した。
アルバムって何ですか、とは聞かないが、昔の印画紙に写された写真を手に取ってみるということは滅多にない(展示されているのは見ないこともない)ので、おれはその紙の縁を持って、指紋がつかないように気をつけた。
30年前の、お姫様みたいなかっこうをしたおふくろ、それに道化師みたいなかっこうをしたおれの親父、王様みたいなかっこうをしたアクレナさん、その他十数人ほどの、なにかの演劇が終了したあとの集合写真だ。
「ひとりだけのもあるよ」と、アクレナさんは別の写真も見せてくれた。それは夏服で、手に日よけの大きな帽子を持って、恥ずかしそうに、でも花が咲いたように笑っている、おれだ。髪が長くて、眼鏡をかけて、女装している、おれだ。
「この笑顔は、私ではなく、きみのお父さんに向けられたものだ。きみのお母さんは、私が日本を離れて、祖父のいるユーロへ戻る日に、この写真をくれた。ふたりの初デートで、待ち合わせしてたときに撮られたの、って言って」
おれは下を向いて、おふくろのことをいろいろ思い出していた。ついでにどうせこの男は、性欲処理のオカズ用にこの写真を使ってたんだろう、とくだらないことも考えた。でもまあ、きっとおやじもそれを望んでたのかもしれないな。
「あ、あの…きみを撮ってもいいかな、きみたちを。なんか、この夕景とふたりを見てたら、記念に残しておきたくなって」と、アクレナさんは言った。
「それは、おれの場合は事情があって難しいと思います。ハチバンはどうだろう」
ハチバンはそれまで何をしてたかというと、アクレナさんをはさんでおれの反対側で、アクレナさんを膝枕に居眠りをしていたんだが、その話を聞いて目が覚めたらしい。
「えー…あたしの場合は夜のオカズにされそうなので遠慮しておきます」
声に出して言うなよ。
「ナオに関しては、あんたバカ? 今までナオが見えなかった人の携帯端末で、画像が残るわけないじゃないですか」
そうなんだよね。すこし性能のいいカメラで、ここにいるぞ、って感じで、写している人が認識している画像なら、数年間は残る。あと、一緒に撮っている誰かが数人いる場合も、その人たちがおれを存在していると感じている場合は、残らないこともない。そうでない場合は、たとえばただの通行人みたいな感じで撮られたりしたものは、早ければ数時間で消える。泥棒や探偵に向いている特技と言いたいところだが、これは修得した技術ではなく、おふくろから受け継いだ体質らしい。嘘のような本当なのだが、まあだいたい本当のことと思って聞いてくれ。
人の意識と記憶は過去・現在・未来へとつながる、おのおのが孤立した長い山のつらなりみたいなもので、ちゃんと存在するものはその山々がぶつかり合ったり、重なったりして確かなものになる。おれは、その山々の間を流れる霧で、ときどき濃くなったり薄くなったりするが、ちゃんと存在しているかどうかは曖昧なのだ。
「…言ってる意味がよくわからないんだが」と、アクレナさんは言った。
「だったら証拠見せるよ」と、ハチバンはおれの膝の上にあった指輪ケースを手に取り、ルビーの指輪を海に向かって放り投げた。
「おれに返すつもりなら、捨てちまえーっ!」
最初のフレーズが意味不明だけど、ルビーの指環は海に捨てられるものらしい。
おれは愕然として、アクレナさんは呆然とした。




