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8. 天使の呪い

 季節が一巡りした冬の日、天空演奏会へのウィルの出場が決まった。

 しかし、天空演奏会を控えながらもウィルの心は別の場所に向かっていた。

 

 楽聖になると気負うウィルは練習を続けるが、しかしその表情は晴れない。

 

「ねえ、ウィル。あまり根をつめてもいい演奏はできないわよ。たまには気分転換でもしたらどうかしら」

 

「そんなことをしてるヒマはないよ。こんなんじゃだめだ……全然足りないんだ……」


「あなたの目指す演奏ってそれでいいのかしら? まるで観客を上から押さえつけるようとしているように聞こえるわよ」

 

 ウィルが再び練習を再開しようとしたところで、手がピタリと止まる。

 

「ボクはそんな風に演奏していたのか……」

 

 リュートから手を離したウィルは、ドサリと音を立てながらベッドに腰掛けた。


「わかっているんだ、演奏が荒れる理由は……。ボクが楽聖を目指す理由って話してなかったよね? たぶん、復讐みたいなものなんだよ。ボクから離れていったルサルカを見返したかったんだ。劇場の舞台に上がったときも、いつも客席を見回していた。彼女がいるんじゃないかって」

 

「いたの?」

 

 リャナンシーの問いかけにウィルは首を振る。

 

「彼女にとってボクはもうどうでもいい存在になったのかもしれない。それでも、楽聖になることに何の意味があるのかがもうわからなくなっているんだ。ベオウルフさんがいつか言っていたよね、楽聖に意味なんてあるのかって……」


 ふらりと立ち上がったウィルは一言


「決着をつけにいこう」


といって、部屋をでた。



 苦しげな表情で進むウィルの後ろをリャナンシーがついていく。いつもは陽気な声で話しかける彼女であったが、このときばかりは黙ったままであった。 

 貴族の屋敷が並ぶ区画に入り、ウィルはとある屋敷の前で足を止めた。どっしりとした門構えの先に広がる庭は雑草が生え手入れもされず放置されるにまかされていた。

 

「ここがベオウルフさんの家だ」

 

「ここが? ひどいわね。人が住んでいるのかしら」


「きっと、ここにルサルカもいるんだと思う。いままで何度か前を通り過ぎるだけでノックする勇気がでなかったんだ」

 

 扉に据えつけられたノッカーを手に取ると、ひんやりとした金属の触感がウィルの手の平から熱を奪っていく。

 

 二度ノック音を響かせるが、返事はない。

 

「やっぱり、いないのかな。ルサルカも……」

 

 中に届くような大声をあげるが反応はなく、それでも諦められずにもう一度手を動かそうとしたところで扉が内側から開いた。

 扉の先にいた男を見て、ウィルはその変わり様に驚く。

 

「聞き覚えのある声だと思ったら、これはこれは、次期楽聖といわれている方がどうしてこんなところに?」

 

 無精ひげを生やし、へらへらとしまりのない笑みを浮かべる姿は以前の余裕のある態度とは似ても似つかないものだった。

 

「……どうしたんですか、その姿は?」

 

「これが本来の私なんだよ。幻滅しただろ? でも、少し楽になった、演奏することもやめたしね」

 

「どうして!? あなたの奏でる音は好きだった、他にも好きだっていう人はたくさんいたのに、どうして……」

 

「私は私の音が嫌いなんだ。イヤになってしまったんだ。だから弾けない。それだけだよ」

 

 ベオウルフの言葉にショックをうけ、ウィルは言葉をつまらせる。

 

「キミだってわかるだろう? 劇場で演奏するキミの音を聞かせてもらったが、何かに苛立っているように感じた。未熟な部分を気にしているというわけでもなかった。あれは自分の演奏が嫌いになってしまったやつの音だ」

 

「……そんなことは」

 

 自分の仲間を見るような哀しげな笑みを向けられ、ウィルは視線をそらす。

 

「私の両親も音楽家でね、小さい頃から期待されていてそこに疑問を感じることもなかった。キレイに弾くことは得意だったみたいで、そこそこの成功を収めることができた。けれど、だんだんと自分の理想とする音と現実のものがかみ合わなくなってね……。自分という存在が消えてなくなってしまえばいいと思うようにもなっていた」

 

 そこで、いったん言葉をきる。穏やかなというよりは、切ないという表現が合う表情をとるベオウルフを見て、ウィルは黙って言葉の続きを待つ。

 

「だから、私は自分で演奏をすることをやめた。自分のことが嫌いになる前にね。いや、……本当の理由は私が自分の限界を知ってしまったからだろうね」

 

「演奏をやめた……。だったら、今は何を? ルサルカは……、彼女はどこに!!」

 

 縋るような目つきをするウィルに、ベオウルフは仮面のような無表情を向けた。

 

「彼女は、もういないよ。……キミも彼女のことを忘れた方がいい。あの声を聞けば、賛美者になるか反逆者になるしかなくなる。忘れようとした、しかし、どんなに耳をふさいでも追いかけてくるんだ。あれは天使の声なんかじゃない、呪いだ……。人を破滅に導く悪魔の呪いなんだ!」

 

 追い詰められたように目を血走らせたベオウルフは頭をかきむしる。


「もう、これっきりだ! 会うことはない!」


 ウィルの目の前で乱暴に扉が閉じられ、しばらくウィルはその場に立ったままだった。

 

「ウィル、もういいじゃない。彼も彼女もあなたにとって通り去った過去になったのよ。前だけをみていて」

 

「リャナンシー、どうして……そんなことをいうんだよ……」

 

「私は見てきた。才能があると褒めそやされながらも、壁にぶつかって、悩んで……どうしようもなくなって……それでも諦めなく心を病んでいった人たちのことを。だけど、あなたはもうすぐ望んだものに手にかけようとしているのよ」

 

 いつにない本気の声を出すリャナンシーを呆然と見返す。

 

「ボクはキミを裏切っていたんだよ? ボクはルサルカの影をずっと追いかけていた。舞台での演奏中もルサルカのことばかりを考えていた……。それなのにどうしてそんなにも」

 

 リャナンシーは淡く、切ない、微笑みをウィルに向ける。

 

 彼女の記憶にあるのは、とある小さな酒場でリュートを片手に拙い手つきで演奏する少年の姿。

 彼の演奏をまともに聴こうとするものはなく、誰にも期待されず……それでも最後まで弾き切った。

 それは、過去に彼女が見てきた演奏家たちの姿と重なっていた。

 

「悩んで、もがいて、苦しんで……。その先に何もかもが報われる瞬間がある。あがき続けたあなたがそれを手にするところを見たいのよ」

 

 その言葉の内に含まれているものは、ウィルには到底予想もつかない音楽家たちの歴史だった。

 

「……わかった。ボクは天空演奏会だけのことを考えるようにするよ。そうしたら、ボクも楽聖だ」


「それでいいのよ。あなたならきっとできるわ」

 

 へたくそな笑顔を無理矢理うかべるウィルに寄り添い、その髪をそっと優しくなでた。


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