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5. 観客として見た舞台

 昼前に、店主であるイヴァンも店の準備していたところ、ふらりとウィルが扉をくぐってきた。

 

「なんだ、早いな。もう少し遅くきても大丈夫だぞ」

 

「特にすることもなかったので……」

 

 暗い表情を見せるウィルを見て、イヴァンは思案するようにあごひげをなでた。

 

「お前、飯は食ってきたか?」

 

「いえ、腹が減っていなかったので、特には」

 

「そりゃあ、いけねえな。これから動きまわらなきゃならねえんだからよ。オレもこれから昼飯食うところだったから一緒につくってやろう」

 

 ウィルがとめる間もなく、イヴァンは厨房の奥に向かった。

 ウィルが適当なテーブルに座って待っていると、厨房からフライパンを振るう音と、香ばしいかおりが漂ってきた。

 

「ほらよ、わけえんだから、がつがつ食っておけ」

 

 大皿には湯気を立てる肉と野菜が盛られ、食欲を刺激する香ばしい香りがただよう。

 ありがとうございますといいながら、ウィルはフォークを手にとってもそもそと食べ始めた。

 

「おめえさんがうちで働き始めてから何年だったかな。初めてきたときは目をキラッキラさせながら演奏させてくださいって頼んできたんだよなぁ」

 

「あの頃はまだ子供だったんですよ……。自分にも特別な才能があるって信じてて、1月もしないうちに現実がわかりましたけれどね」

 

「おめえの最初の舞台はおおいに盛り上がったじゃねえか」

 

 ウィルがここに初めて訪れたとき、緊張しながら演奏のためにステージに上った。

 その様子をみた客の一人が、酒でものんで緊張をほぐせといって一杯渡した結果、ウィルは酔っ払いリズムも曲調もめちゃくちゃな演奏をすることとなった。


「客たちが演奏をやめろっていってもおまえは舞台に立ち続けて、しまいには客たちと大声で歌ってたからな。いや、あれは傑作だった」

 

「いやなこと思い出させないでくださいよ。でも、あのあと、酔いつぶれたボクを介抱してくれて、その上働く場所まで用意してくれたことには感謝しています」


「しおらしいこというじゃねえか。きっちり働いてくれれば、それでいうことはねえよ。それじゃあ、オレは料理の仕込みしてくるから、全部くっちまっていいぞ」


 ウィルの肩にぽんと手を置くとイヴァンは厨房にむかっていった。イヴァンの姿が消えると、ウィルは皿を持ち上げて一気に口の中にかきこんで、リスのように頬袋をふくらませる。

 口の中のものをのみこむと、幾分すっきりとした顔を見せていた。

 

 

 夕陽が沈み始めた頃、酒場には客が入り始め、いつもの騒がしさを見せ始めた。

 ウィルは客の注文をとりながら、忙しそうにテーブルの間をクルクルと動き回っていた。

 客の間から、なにか一曲ないのかという声が上がり始め、ウィルはステージに立つ。


 ウィルの視界の隅には、部屋の暗がりに座る赤毛の女性が映った。

 足を組みながら座り、赤いドレスの裾からは白く艶めかしい足がチラチラと見えていた。

 ウィルとドレスの女性リャナンシーの視線が絡み合うと、リャナンシーはスウッと唇を引いて笑みを作った。

 

 演奏を始めるが、集中しようとすればするほどリャナンシーの視線が絡み付き、ウィルの気を散らしていく。

 なんとか演奏を終えてホッとしながら視線を向けると、確かにそれまでいたはずのリャナンシーの姿はなくなっていた。

 

 

 酒場から家に帰ろうと薄暗い路地を歩いていたウィルのとなりを、いつからかドレス姿の女性が歩いていた。

 

「こんばんは、ウィル。今日の演奏も良かったわよ」

 

 薄暗い路地でも目立つ赤い色がウィルの視界に入ってくる。

 名前を知っているというだけの間柄のリャナンシーは、まるで恋人のように寄り添って歩く。ウィルは困惑した表情を浮かべながら、リャナンシーの横顔をちらりとのぞくが、すぐに視線を暗い路地にもどす。

 

 ウィルは自分につきまとう存在が『音楽の恋人』と呼ばれる妖精リャナンシーであることを半ば確信していた。

 イヴァンから話を聞いた後も、他の人間からもその噂を耳にいれいてた。

 中には音楽の才能がもらえるのならば、たとえ短命で終わるとしても会いたいと口にするものもいた。

 

「どうして、ボクにつきまとうんだ? ボクなんかよりももっと音楽にたいしてひたむきなひとたちはたくさんいるはずだ」

 

「あなたじゃなければダメなのよ。演奏している間も私のことだけを考える。そんな風に、私のことをすべて愛してくれるひとがほしいの。私はあなたのためだったらどんなことでもしてあげる」

 

 リャナンシーは足音もたてずにそっとウィルに近づき、その頬に手を当てようとした。

 しかし、ウィルは痛みに耐えるように顔をそらす。

 

「ボクのことはもう放っておいてくれよ。ボクが演奏する意味はなくなったんだ。ボクの音に色はもどってこない……」

 

 足早に離れていくウィルの背中を見るリャナンシーの瞳には怪しい光が宿っていた。




 イヴァンに言いつけられたウィルは酒場の壁に一枚の大ぶりな紙を貼りつけていた。

 手書き描かれたポスターには、礼服に身をつつんだ男が舞台に一人で立つ姿があった。

 

「次の天空演奏会ももうすぐか。楽しみだな」

 

「ここで新しい楽聖がまた決まるんですよね……」


「ああ、そうだな。中には生涯楽聖に選ばれ続けたなんて楽師もいたが、前回楽聖に選ばれたベオウルフはどうだろうな」


 ルサルカがいなくなる原因となったその名を聞いてウィルはピクリと反応する。


「ただ、最近はどこのコンサートにも出場してないって聞いてるし、本人もあんまり楽聖っていう地位に執着がないのかもな」


「あの人、いまごろどこにいるんでしょうね。家を訪ねても全然いないようでしたし……」


「遍歴楽師が故郷に帰るのなんて、数年越しだからな。いまごろ気楽に旅の空の下を満喫しているんだろ」


 ウィルの瞳の奥には暗い光が宿り、それを知ってか知らずかイヴァンはことさら明るい声をあげる。


「実はだな、ここに一枚チケットが余ってる。今度ひらかれる演奏会のものだ」


「どうしたんですか? けっこう高いもののはずなのに」


「毎回ポスターを貼ってやってるから、そのお礼だって渡されてな」


「はあ、なるほど」


 表情を変えないウィルにイヴァンは焦れたように、チケットをつきだす。


「察しの悪いやつだな。おまえにやるっていってるんだよ。楽師を志すいっぱしの音楽家なら一度ぐらいいってみろよ」


「……ありがとう、ございます」


 ウィルはイヴァンからの不器用な気遣いにうまく言葉で返せないでいたが、チケットをその胸におし抱くウィルの様子だけでイヴァンにとっては十分であった。

 



 町の中心に建つ劇場に入ると、舞台を取り囲むように放射状に客席が広がっていく。

 ウィルは臙脂色の座席に座りながら、落ち着かない様子で腰の位置を何度も直していた。


「おう、ウィル、もうちょっと落ち着けよ。別に不正なことして座っているわけじゃねえんだから」


「そうですけど、ボクの格好って浮いてませんか?」


 ウィルがチラリと視線を動かすと、周囲には身なりのいい服の紳士淑女ばかりがいた。

 対してウィルはいつもの一張羅である。

 臆するウィルをバカにしたようにイヴァンは鼻を鳴らす。


「チケットのために高い金を払って、さらに服まで用意したら破産しちまうよ」


「そうでしょうけど……。あれ? でも、このチケットってもらいものなんじゃ」


 ウィルの言葉にイヴァンは言葉を詰まらせる。


「こまけえこたあいいんだよ、今日は演奏を聴きにきたんだから、耳にだけ集中してろ」


 これ以上つっこむことはよそうと、ウィルは視線を舞台の上に置いた。


 やがて、司会者が舞台に現れ、演奏者の名前や来歴の紹介を始める。

 この中央劇場に立って演奏すること自体が名誉なことでもあり、ステージに立つ演奏家は自尊心に鼻を膨らませていた。


 ウィルは初めて聞く、劇場での演奏を楽しんでいた。

 

 数時間が経過し、トリをつとめる一人の演奏家が静かにステージに立つ。

 

「次の出演者は、ベオウルフ氏」


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