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4. ルサルカの失踪

 暗い夜道、物盗りに会わないように周囲に警戒しながら歩いていると、不意に路地の暗がりから人影がウィルの前に出てきた。

 

「少年、ちょっといいかしら」

 

「あなたは……」

 

 寒空のしたにも関わらず薄いドレス姿は、風景から浮いて見えた。

 しかし、どうしてかウィルには彼女にたいする警戒心を持てずにいた。

 

「あのとき、私の名前を教えてなかったと思ってね。リャナンシーよ」

 

「……リャナンシー」

 

 ウィルは告げられた名前を口のなかで繰り返した。

 

「こんなところじゃ寒いでしょう。早くあなたの家にいきましょう」

 

 ウィルは初対面にも関わらず、リャナンシーを家に招き入れる。

 民家がひしめく一角にある小さな家の屋根裏で、ベッドを無理矢理ねじこんだような部屋に頭をかがめながら入っていく。

 月の光が窓からさしこむ薄暗い部屋で、ベッドに座ったウィルの隣にリャナンシーがそっと腰を降ろした。

 

「あなた、天空演奏会に出たいのですってね」

 

「なんでそれを……。酒場にはイヴァンさんとベオウルフさんしかいなかったはずなのに」

 

 リャナンシーはウィルの疑問に答えることはなく、腰を浮かしてとなりに座るウィルとの距離をつめる。

 

「ねぇ、ウィル。あなたの演奏をきいてて気になることがあったの。あなたの演奏は周りに聞かせようというよりも、誰か一人のために弾いているように感じたわ。それは誰かしら、両親、兄弟、友人……それとも恋人?」

 

 彼女の言葉から、ウィルの脳裏には一人の少女の姿が浮かんだ。

 彼女は静かにウィルに耳元に口を寄せてささやく。

 

「ねぇ、あなたのその演奏、私のためだけにひいてくれないかしら? 人前で演奏するときもあなたの心でずっとわたしを想像してちょうだい。そうしたら、私はあなたに音楽の才能をあげる」

 

「才能……」

 

 霞がかったようにおぼろげな頭で、その言葉だけははっきりとウィルの耳に染みこんでいく。

 

「うなずいてくれさえすれば、あなたの奏でる音をきけば泣いていた赤ん坊は笑い、苦しみ死にかけたものも安らかな笑みを浮かべるでしょう。皆があなたを褒め称え、その演奏を請い願って集まるわ」

 

 リャナンシーは白魚の腹のような柔らかい人差し指でウィルの顎にそっと触れる。

 その指先は輪郭をなぞるように首筋から胸元まで下がっていき、そして心臓の真上で止まった。

 

「才能を与え、そして対価としてあなたの寿命をもらう。でも、そんなもの大したものではないでしょう? ほしくてほしくてしょうがないものを前にしたら、人間は必ず手をのばす」

 

「ボクは、ボクは……」

 

「我慢なんてしなくていいのよ。ずっと夢見てきたのでしょ? 天空演奏会のステージに立って、あなたに拍手の雨が降り注ぐことを」

 

 濡れたような赤い唇を引いて蠱惑的(こわくてき)な笑みを形作るリャナンシーを前にして、ウィルはおぼつかない口調で自らの意思を形にする。その言葉は……

 

「才能なんて、いらない」

 

 ウィルの言葉を聞いたリャナンシーは、驚いたように目を見開き体を離す。

 

「どうして? あなたの演奏をずっとあの酒場の隅からみていたわ。あなたは自分の才能のなさをあきらめていた」

 

「そうだね。たしかにそうだった。でも、今はもう必要がなくなった。彼女ががんばるっていってるのに、ボクだけズルをするわけにはいかないじゃないか」

 

「彼女……そう、そいつがあなたの演奏する理由なのね」

 

 音もなく立ち上がったリャナンシーの瞳は月の光を反射して光を宿す。ウィルをじっと見つめた後、ドレスの裾を翻し窓へと近づていった。

 

「……あなたは必ず私を必要とするはずよ」

 

 その言葉を残し、夜の闇に消えていった。

 

 彼女がいなくなったあとウィルは虚脱感を感じ、ベッドに倒れこむように眠りに落ちた。

 

 

 次の日、酒場で気だるげな様子のウィルを見ながらイヴァンがその尻を叩く。

 

「なにふらふらしてるんだ、しゃきっとしろや」

 

「すいません、なんか体が気だるくて」

 

「風邪か?」

 

「実は昨日変な女の人に会って、もしかしたらその人から移されたのかもしれませんね」

 

「おまえが女の話をするとはなぁ。なんだ商売女でも引っ掛けたのか?」

 

「ちがいますよ、いつも酒場の隅でゆっくりお酒をのんでいるドレス姿の女性ですよ。たしか……、名前はリャナンシーっていってましたね。あの人のこと、イヴァンさんは知ってますか?」

 

 イヴァンはウィルの疑問にはすぐに答えず、あごひげをなでながらウィルの顔をジッと見る。

 

「そんな目立つ格好のやつ見た覚えがないが……リャナンシーね。その名前を音楽家の前で名乗るなんざロクな女じゃねえな。そいつはやめとけ」

 

 あまり人を悪くいうことのないイヴァンの態度を意外に思いながらも、ウィルは話のつづきを促す。

 

「リャナンシーってのは妖精だ。赤色の髪をした妖艶な美女の姿で音楽家の前に現れてな、才能を与えるかわりに生気を吸い取るんだ。歴代の楽聖が短命なのはリャナンシーに愛されたせいだなんていわれてて、別名“妖精の恋人”なんていわれている。まあ眉唾ものだろうけどな」

 

「そう、ですよね……。才能をあげるかわりに寿命を奪うなんて、まるで悪魔みたいですよね」


 

 ウィルの体調は元に戻ったころ、また村に出かける用事ができたウィルは喜び勇んで出発した。

 寒さも和らいだ街道を進み、一月ぶりにルサルカに会える喜びで思わず足早になる。

 途中の湖で、ルサルカに会えないかと期待して足を止める。しかし、彼女の姿を見つけることはできず村にいけば会えるかと気を取り直して進みだす。

 

 

 酒場で出会った遍歴楽師のベオウルフに教わって成長した彼女の姿を想像して、ウィルの頭には早く会いたいと足を動かす早さが上がっていく。


 村にたどりつくと、息を上がらせて頬に汗をかいているウィルの様子をけげんそうに見ていた。


「よう、寒い中ご苦労さん。どうしたんだ、そんなに息をきらせて?」


 用事の相手からからかわれ、ウィルはごまかすように愛想笑いを浮かべながら「ルサルカに会いにきた」というと、男は気の毒そうにウィルを見る。

 

「ルサルカか……、あの子ならもういないよ。しばらく前に遍歴楽師の男がやってきたんだ。あの子と仲よさそうにしていたと思ったら、一緒にいなくなっちまった。まったく、若い娘はどうしてああいうのについていっちまうんだろうな」

 

「そんな……」


「せっかく仲良くしてたのにな、おまえさんにも一言もないなんて薄情な娘だよ」

 

 男の言葉に反論しようとするが、ウィルの頭にいやな疑念がうずまきうつむくことしかできなかった。


 ふらふらとした足取りでウィルが向かった先はルサルカの家だった。

 そこでは、以前に会ったことのあるルサルカの母親が忙しそうに藁束を積み上げている。

 ウィルが声をかけると、嫌そうな声を上げながら顔を向けてきた。


「ルサルカが……どこにいったか知りませんか?」


「知らないよ。あんな子のことなんて名前を聞くのもいやだね。まったく、育ててもらった恩も忘れて勝手に飛び出していっちまうんだから。はぁ、まったく、いなくなってせいせいしたよ」


 いまいましそうに吐き出すと、それっきりウィルに顔を向けようとはしなかった。 



 村から出たウィルは湖のほとりにやってくると、いつも二人で腰掛けていた丸太を見下ろしていた。


 思い出そうとする。ルサルカと最後に交わした言葉を……。約束を……。

 しかし、裏切られたという思いが、ルサルカの笑顔も言葉もすべてがいつわりとして、少年の心をかき回しただけだった。

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