2. あなたの夢を追いかけてもいいですか?
湖のほとりまでやってきたウィルの視界に一人の少女の姿が映った。
村娘らしい簡素な服で、おそらくこれから向かう村の人間だとウィルは察する。
しかし、その喉から発せられた声を聞いて、ウィルは動くことができなくなっていた。
少女は湖のほとりの丸太に腰掛け、肩口までのびた金髪をそよ風になびかせながら、歌う表情は気持ちよさそうであった。
凍えるような灰色の冬の湖面を少女の声が震わせ、ウィルの白黒の世界に彩りが戻った。
少女は歌い終わると立ち上がり振り向くと、びくりと身を震わせる。
「わっ!? いつからそこに……。村じゃみない子だし、どこからきたの?」
驚いた少女は恐々といった様子でウィルに話しかけた。
「ごめん、驚かせるつもりはなかったんだ。町から村までの道を歩いてたら歌声が聞こえてきてさ、つい……。君、歌うまいんだね」
「そ、そうかな。歌うのが好きで、よくここにひとりで歌いに来てるの。誰かに聞かせたことなんてなくて、そんなこと言われたのは初めてかも」
「うまいよ、すごく! 町にいけばキミの声でお客さんはいくらでも集まってくるはずだよ!!」
ウィルは熱のこもった声をだしながら、少女に近寄った。
「で、でも、わたしなんてただの村の子供だし」
「ボクはこれでも2年間あの町で、演奏してきたけど君の力は保障できるよ」
「2年間も……、すごいなぁ、自分の夢があるなんて」
「いつかあの町一番の舞台に立ってみんなに演奏をきかせたいんだ。だけど、考えが変わった……。君と一緒に舞台に立って拍手で一杯にしたい!!」
「わたしと……?」
ここまで一気に話していたウィルは、困った顔をする少女の顔を見て、自分たちが初対面だということをいまさら思い出した。
「ご、ごめん、初めてあったのにこんなこと話しちゃって」
「ううん、ステキな夢だと思うよ。わたしはルサルカ、あなたは?」
「ボクはウィル。えっと、いまさらになっちゃうけど、よろしく」
ウィルは初対面の人間にいきなり夢を語ったことに恥ずかしさを感じ、頬を熱くさせる。
「わたしもそろそろ村に戻ろうと思ってたし、一緒にいこ」
二人は一緒に村への道を歩きながら、道中で、お互いのことを話す。村での生活しか知らないルサルカにとってウィルの話は興味深かいものだった。
少しでも興味を感じてくれたことをうれしく思いながら、ウィルの口元がほころぶ。
「それじゃ、用事すませてくるから。帰る前に会いに行くよ」
「うん、……でも、母さんの仕事手伝わないといけないから、忙しくしてたらごめんね」
走り去っていくウィルを見るルサルカはまぶしいものを見るように目で追っていた。
ウィルの姿が見えなくなると、とぼとぼと重い足取りで自分の家に向かうのであった。
ウィルはイヴァンから聞かされていた家に向かい、扉をあける。
「こんにちは! イヴァンさんのお使いできました!」
「おお、よく来たな。スコットのやつが急に寝込んじまって、まったくしょうがねえやつだよ」
気さくな態度の男から布袋に入った荷物を受け取り、雑談を交わす。男にとって町の酒場ではたらくウィルの話は興味深いものであった。
しかし、途中からウィルはルサルカのことを思い出し、そわそわとしだす。
「どうした? 急ぎの用事でもあるのか?」
「ああ、いえ、ちょっと人と会う約束してて、ルサルカって子なんですけど」
「……あの子か」
男の表情が曇ったのを見て、ウィルは戸惑う。
「ちょっと変わった子だけど、まあ、仲良くしてやってくれ」
「えっと、はい……。ここに来る途中の道で会って村まで案内してくれたし、すごくいい子だと思いますけど」
腑に落ちないまま、ウィルは男は男から教えてもらったルサルカの家に向かう。
ルサルカの姿を見つけ、すぐに声をかけようとしたところで、どこか様子がおかしいことに気がついた。
「ほれ、さっさとおしよ! まったく、本当にあんたはとろいね」
目に入ってきたのは、中年の女性にまくしたてられてしょげるルサルカの姿であった。
「ごめんなさい……」
「あーっ、もう、本当にいらいらするね。何回いっても覚えないし、妙なことばかりしようとする。あんたがいると逆に手間が増えちまうよ。少しは兄さんたちを見習いな」
湖のほとりで楽しげに一人で歌っていたときの姿を知っていたウィルは哀しそうな顔をする。
「ルサルカ……」
ウィルの出した控えめな声にきまずそうな顔をして、ルサルカは視線をそらす。
「ウィル、今はごめん……。お母さんの手伝いしてるから」
「見ない顔だね。なんだい、あんたは」
恫喝するような声にウィルはたじろぎながらも、はっきりと声をだす。
「ルサルカの友達です」
「悪いけど、この子はいま忙しいからね。あとにしてくれるかい」
ルサルカのうつむく顔を見ながら、ルサルカ自身もここにいてほしくないという意志を感じ取ったウィルは立ち去ろうとする。
しかし、ちらりとウィルを見るルサルカと目が合った瞬間、足を止めた。
「……ルサルカ、キミのその声はキミだけのものだ。絶対に他の誰にも真似できない―――世界でキミだけが持っているものだ。ボクはその声が大好きだ!」
「な、なんだんだい。さっさといったいった」
ウィルの言葉を聞いたルサルカの心に、初めての感情が湧き上がる。胸の中が甘くて痛い気持ちは膨れ上がっていく。その気持ちは飲み込めなくなり、少女の口から溶け出した。
「ウィル!」
少年に向かって少女の必死な叫びが響く。
側にいたルサルカの母親は、いままで聞いたことのないルサルカの大声に驚いた顔をする。
「待っててくれる? あなたの隣に絶対に追いつくから!」
「ボクこそ、キミの声にふさわしい演奏ができるようになってみせる!」
顔を紅潮させながらはっきりと自分の夢を口にした少女の顔からは、さきほどまでの暗さは消えていた。
夕暮れの町をはねるように走る少年は、そのまま酒場の扉を押し開けた。
「ただいま、戻りました!」
「ん、ああ、ウィルか。お使いはちゃんとすませたか?」
「はい! ここに!」
上機嫌で荷物の袋をわたすウィルにイヴァンはいぶかしげな顔を向ける。
「なんだ、いいことでもあったのか?」
「へへ、秘密ですよ。でも、もしも、そのときがきたらこの酒場の舞台を使わせてもらってもいいですか?」
「ほう、お前が自分から舞台に立ちたいといってくるなんてな。その隠し事が何かは知らないが、楽しみにしておいてやるよ」
「ありがとうございます! それと、また村にいく用事があったらボクがいきますよ」
上機嫌に返事をするウィルの態度から、イヴァンはなんとなく察するが、まあいいかとつぶやき仕事にもどっていった。
ウィルが村に出向くたびに、湖のほとりで音を重ねあった。
水面がきらめき魚が跳ねる水音、木々のざわめき、そしてウィルの奏でるリュートの音色、それらを背景にルサルカの歌は青く澄んだ空に向かって伸びていく。
ちらりとウィルがルサルカに視線を送り、二人の視線が絡み合った。
ウィルが演奏の調子を変えると、応じるようにルサルカの歌うテンポも変調する。
そこには言葉以上のやりとりがあった。
「はぁ~、楽しかった。ウィルと一緒なら倒れるまでずっと歌っていたいな」
「あんまり無理して喉を痛めないでおくれよ」
楽しそうに笑い合いながら、どちらからともなく立ち上がる。
「そろそろ帰らないと……。次はいつこっちにこられる?」
「また次に会えるのは一月後ぐらいかな。ねえ、ルサルカ……、そろそろ、人前で歌ってみない? きっとみんな驚くと思うよ。ルサルカのおばさんにはボクからも説明するからさ」
期待に胸を膨らませるウィルに対して、ルサルカは消極的な返事を口にする。
「……わたしなんかにできるかな」
「できるさ! ボクが働いてる酒場の店主に許可はもらっているんだ。舞台で演奏させてくれるって」
ウィルの口から説明される酒場の風景、舞台にたったときの観客の様子を聞き、ルサルカは次第に自分がその舞台に立った様子を想像していく。
「……うん、じゃあ、お願いしてもいい、かな?」
頬を紅潮させながら恥ずかしげにつぶやくルサルカに、ウィルは諸手を挙げながら喜びの声をあげる。
「でも、舞台にたつときにちょっと気がかりなことがあるの」
「なに? ボクが手伝えることならなんでもやるよ」
「わたしの歌ってね、適当に思いついたものばっかりだから、ちょっと人に聞かせるのは恥ずかしいかも」
「遍歴楽師が歌うのを聞いたことがあるけど、貴婦人への騎士の恋愛とか、あとは遠征軍の活躍とかだったなぁ。歌も詩としてまとめているっていうし、ボクには詩の才能なんてないし……うーん……」
楽師の中には各地の町や宮廷を渡り歩く“遍歴楽師”という存在があった。
彼らは歴史的な事件や史実についての物語を広めるために、詩をつづり歌として人々の前で演奏する。
詩をつづる教養も同時に必要となるため、騎士などの貴族出身のものが多かった。
遍歴楽師は人々へ情報と娯楽を提供するため、村や町にやってきた際には丁重に出迎えられる。
対して、ルサルカの歌は日常で見聞きしたものを素朴に歌ったものであった。
ルサルカと別れたあとも、帰りの道中でウィルは考え続けた。




