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1. 湖に響く歌声

 町の一角にある酒場には、夜になると仕事帰りの男たちの声でにぎわっていた。

 仲間と一緒にエールをあおり、酒場の主人が作った料理をほおばる顔には楽しげな表情が浮かぶ

 酔っ払いたちが立てる喧騒の中、料理の皿や酒ビンを客たちに配る少年の姿があった。


 年の頃は十代半ば、幼さが抜けて大人に近づいてきていたが、線の細さと中世的な顔立ちによってともすると少女のようにさえ見えてくるような少年であった。

 

「おーい、ウィル、今日はステージに立ちたいっていう楽師がいないみたいだし、演奏たのむ」

 

 雇い主である酒場の主人から頼まれるが、ウィルと呼ばれた少年は渋い顔を見せる。しかし、再度声をかけられるとリュートを片手に酒場のステージに立った。


 この町は音楽の聖地と呼ばれるほどの場所で、多くの楽師がやってくる。

 その腕前を披露する場所には事欠くことはなく、この酒場でも毎夜音が奏でられていた。

 

 酒場にはしばしば旅の楽師が訪れ、曲とともに旅で見聞きしてきた叙事詩を歌うことがある。

 客たちはその歌声で盛り上がり、その分酒の注文も増えるため、酒場としては彼らの存在は歓迎であった。


 しかし彼らは一つところにとどまることはなく、別の町に旅立ち、舞台が空になってしまうことがあった。

 そんなときは、酒場の店員であるウィルが楽器を手にステージへと立つ。

 

 ウィルが椅子に座り、楽器の調子をみるようにポロンと弦をつまびく。

 その音に反応したのか、客の何人かがステージに目を向けた。

 

「お、今日はウィルかー。がんばれよー」

 

 声を上げたのは常連客のひとりであり、鼻の先まで良いが回り赤くなっていた。


 ウィルはやじに応えるように軽く手を上げて、楽器を鳴らし始める。

 しかし、客の何人かはチラリとウィルを見るだけで、また仲間との雑談に戻っていった。


 ウィルも自身の演奏がそこまでのものではないとわかっているせいか、ちょっとした雰囲気づくりにでもなればいいと静かな曲をひきつづける。

 以前は楽しかったはずの演奏も、今のウィルにとってはただ楽器を鳴らしているという感覚しかなかった。

 

 鮮やかに感じていた音色は白黒の味気ないものでしかなかった。

 ウィルは故郷の村にやってきた楽師の演奏を聞いたのをきっかけに、音楽に魅せられ村を飛び出し町にやってきた。

 いつか大きな舞台に立ち皆に注目されるような演奏家になりたいと思ったのが12の歳。


 酒場で働きながら演奏の技術を磨くが、酔客に演奏を聞かせるがその反応はイマイチであり、夢にはまだとどきそうもないと感じながらも数年がたっていた。

 それは自らの限界を知るには十分な時間であり、心は腐っていく。

 

 

 ふと、ウィルは視線を感じた。

 その視線には他の客とはちがいどこかねばつくようなものであった。

 ウィルは視線の先を追っていくと、赤い巻き毛をたらし真紅のドレスをまとった女性が顎を手の甲に乗せながらジッと見つめていた。

 ドレスの襟ぐりは大きく開きその白く滑らかな肌を露出させていて、一見すると娼婦のような身なりではあったが擦れた感じはしない。


 ウィルと視線が合うと、情勢は陶然とした笑みを浮かべた。途端にウィルの頬はぽっと染まり、妙な気が起きる前に慌てて目線をずらした。

 あれだけの美人ならそのうちだれかが声をかけるだろう。そうすれば女性の目線が自分がはずれるとウィルは考えていた。

 

 やがて、数曲引き終えたウィルはステージからはけたが、結局女性に声をかけるものはおらず、同じ席に座ったままウィルを見続けていた。

 給仕に戻ったウィルは、客の注文をとりつつも女性の存在が気になってしょうがなかった。

 

「ねえ、少年、注文いいかしら?」

 

 店内をくるくると動き回るウィルに女性が声をかけた。

 

「一番強いお酒を一つもらえるかしら」

 

 微笑を浮かべる女性になるべく目をあわせないように返事をして席を離れる。


 琥珀色の蒸留酒をいれたグラスを女性のところにもっていく間、ウィルは妙な気配に気づく。

 まるで、彼女の座っている隅の席だけが周囲から隔絶されているようだった。

 

「おまたせしました」

 

「ありがとう、いい香りね」

 

 女性は琥珀色のグラスをかかげて匂いをかぐだけで元の位置に戻す。

 そっとグラスを机に戻す間まで、ウィルは目が離せないでいた。

 

「ねぇ、少年。名前はなんていうのかしら?」

 

「……ウィルです」

 

 気づけば、ウィルはためらうこともなく自分の名前を口にしていた。

 

「おお~い!! 注文いいか~」

 

 そのとき割り込んできた、他の客の声でウィルはハッと我に返るとどこか恐れるように女性から離れていく。


 足早に離れていったウィルの背中を、女性は楽しげに見ていた。

 客が帰り、店じまいのために掃除をしていると、例の女性がいたテーブルにグラスが残っていることに気づく。

 

「あれ、イヴァンさん、ここのお客さんっていつ帰ったかわかります?」

 

「なにいってんだ。そこには誰もきてなかっただろうが」

 

「え、でも……」

 

「んだよ、酒も丸々のこってるじゃねーか。なんでお前ここに持ってきたんだ?」

 

 店の主人であるイヴァンは、もったいねえなといいながら一気に酒をあおり、ぷはぁと息を吐いた。

 ウィルはよくわからないまま、すいませんと謝る。

 

「うっし、お疲れ!! また明日も頼むぜ」

 

 作業が終わりイヴァンと挨拶を交わして、酒場を後にした。

 冬の寒い風が吹き込み、ウィルはぶるりと身をふるわせながらコートの襟元をきつく締めた。

 

 

 昼間、店の準備を手伝うため酒場へと入ると、酒場の主人であるイヴァンが困った顔をしていた。

 

「どうしたんですか?」

 

「ん、ウィルか。それがなぁ、どうも注文してた食材が遅れてくるみたいでな。すぐには困ることもないんだが来週までにこなければ、いくつかメニューから料理をはずさなけりゃならんようになっちまう」

 

 付近の村から仕入れているが、運搬役の行商人が風邪で寝込んでしまったとイヴァンが愚痴交じりにため息をはいた。

 

「そうだ、ちょっとお前受け取りに行ってきてくれないか。そんなにかさばるもんじゃないし、お前一人でいけば一日で帰れってこれるだろ」

 

「えぇ、いやですよ」

 

「若い頃は旅をしろって楽聖の一人がいっていただろう。すこしはその演奏がましになるかもしれんぞ」

 

 ウィルは渋るが、結局押し切られる形で荷をいれるための背嚢を背負わされ、村にでむくことになった。

 日が昇り始めたころ、ウィルは町をでて道にそって歩いていた。

 

「まったく、イヴァンさんは人使いがあらいんだから。今月の給料増やしてくれるっていったけど、割りに合わないよ。それに、演奏の腕なんていまさら……」

 

 ブツブツとつぶやきながらも歩いていると、日が昇りだした空は群青色から朝焼けの茜色へと変わっていく。

 旅は順調に進み日が高くなってきたころ、村から少し離れた場所に位置する湖へと差し掛かった。

 

 一休み入れようと、ウィルは湖畔へと近づいていく。

 まばら生えた木の間を通りぬけた先では、穏やかな水面をたたえた湖が姿を現す。

 水面のきらめきに目を奪われているウィルの耳元に遠くから人の声が聞こえてきた。


「歌…………」

 

 かすかに聞こえてきた歌声に誘われるように、ウィルはゆっくりと進んでいった。


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