003 大学生活は現実を壊すⅢ
「私は辞退させていただきます。他をあたってください。それなら、彼だけを先生が二十四時間、観察すればいいと思います」
うわ——。……それはそれで嫌だな。
「そうか。レポートの再提出をしなくてもいいし、単位をあげようと思ったのだがそれじゃダメか?」
え?タダで単位くれるの?……それなら、定期テスト受けなくてもよろしいと?
「ダメです。先生、私は自分の手で単位を取りたいので、そんな卑怯なことをありがたそうに受けようと表情を浮かべている人とは違いますから」
冬月は顔を向けずに目だけをこちらに向けて、睨みつける。……俺の心の声が聞こえたのか?そんなに睨みつけなくても、いいエサには釣られた方がいいと思う。これ、釣りをするときの基本ね。
「ま、それでも半ば強制的にやらせるんだけどな。お前ら、ある程度、優等生だが問題時でもあるからな。俺の身にもなってくれよ。他の教授にも色々と聞かされているんだからさあ」
「いや、先生は俺の保護者か。どう見ても、仕返しみたいな言いがかりじゃねぇか。それに俺は問題児じゃない。ただ、一人の方が楽なんだ」
「これに関しては私も彼の意見と同意見です。なんで私が……」
「だそうですよ。もういいですか。俺、家に帰りたいんですが……」
藤原先生のいい言葉に俺たちは耳を向けずに、その上、彼女と同じ意見だと言うのが一つ、どうも、気に食わなかった。それでも、先生は頭を下げて頼み続ける。冬月はしびれを切らして、口を開いた。
「はぁ、分かりました。そこまで粘られると後味悪いですし……。あなたもいいわよね」
冬月は本当に嫌そうな表情でこちらを向いてそう言うと、俺も雰囲気に流されて頷いた。先生は、嬉しそうにニヤッと笑いながらガッツポーズをしていた。
「すまんな。でも、お前らに責任があるんだからな……。しかし、それ相応の対価は得られると思うだろう。頑張ってくれよ」
先生はそう言うと、自分の机の引き出しから、二枚の紙を取り出し、一枚ずつ俺たちの前に出した。
俺はその紙に書かれている事に目を通す。中学生や高校生が入学当時に自己紹介で使うような内容だった。先生が何をしたいのか全く理解が出来ない。
正直、こんな事をしてどうなるのか。いくら俺がコミュニケーション不足だからってここまでするかね。ま、合っているんだけど……。
「じゃあ、まず、この質問に沿って思っていることお書いてくれ」
と言うと、先生は少し席を外して外に出ていってしまった。
沈黙の中、二十代前の男女二人が密室に取り残され、黙ったまま作業をする。
次々に一つずつ、書かれている質問にペンを走らせながら回答していく。しかし、先生がいなくなってから一度も彼女は口を開こうとはしなく、俺も手だけを動かして時計の音だけが研究室に小さく響き渡っていた。
……これはあれだ。新幹線やバスで偶々隣同士になった二人が最初は挨拶だけを交わすが結局、話す内容が無くなると手に持っているスマホをつい、操作してしまうあれに似ている。
想像して見ると過去にもこんなことがあったような無かったような気もするがそれは幻でしかないのだろう。俺にとっては、青春や女子との付き合い方なんて遠い出来事でしかないね。社会人になっても俺は一人で入れる自信がある。待てよ。俺はそもそも集団行動のできる人間じゃないし、将来ニートってこともないわけではない。
よって、結論付けると要するに俺は人間としてクズなのでは?いやいや、そんなの認めるには早いぞ。天道信司。
俺はネガティブになりながら、最後に質問にたどり着くと手が止まった。
今、近くにいる相手の印象は?
俺を試しているのだろうか。冬月を見ると、彼女はもう、書き終えて紙を裏返しにしてペンを置いた。俺のこいつの印象……。
嫌な奴で、人を軽蔑するような鋭い目に殺意を感じる。それに俺にとっては敵そのものでしかない。
「あなたに言われるほど、私は完璧だと思っているから」
「は、はぁ——。どうも」
……え、何。今、俺が書いていたのを見ていた?
普通、個人情報を勝手に見てはいけないだろ。それをやることは中学生くらい。短歌や作文を本人のいないところでこっそり見て、後で、みんなに恥ずかしい所だけを言ってしまう。
俺は、心の中で彼女に殺意を抱いてしまうもそれを押さえようと顔を引きずったまま座り直す。
冬月はスマホを取り出すと、電子ブック開いて、何やら読み始めた。読み終えるたびにページ画面を横にスライドしていく。一体何を読んでいるのか横に座っている俺には見えないが大学の試料か何かだろう。彼女は、文芸部だから国語の教科書か、古典の辞書。もしかすると、小説かもしれない。
冬月は画面から目を放さずに次々とページをめくる。その横の姿は話しさえしなければ完璧な美少女なのだが、年上は、下に対する態度が荒いからな。俺も高校時代、そのせいで巻き込まれそうにもなったな。
結局の所、先生はこれを基に何を始めるんだろうな。
「そう言えば、あなた、何をやったの?」
冬月は画面に集中しながら、こちらを向かずに話しかけてくる。
「それは俺が何か犯罪を起こしている前提で言っていませんかね」
「違うの?」
「違うぞ。そもそも、なんでそう言う言い方で聞くか?物事を整理してから追及しろよ。証拠不十分だらけだ」
俺が言い返すと、スマホの電源を落として、冬月は不機嫌そうにこちらを見る。
「証拠ね……。それを言っているだけで犯人と同じ手じゃない。犯人と一緒にこの部屋にいられるかとかよく見るわ」
「お前はドラマの見すぎだ。それに俺はさっき聞いていたかもしれないがレポートの提出に不備があってこうなった」
————あれ?普通に俺、女子と会話しているような……。いや、待て。こいつは憎たらしい奴だから、それにこれは口喧嘩だ。ノーカンだろ。
ここは一旦、落ち着かないと取り戻しがつかなくなる。それに自分のペースで話せば相手の手のひらにのせられることはないはずだ。
俺は深呼吸をして、それから口を開く。
「それでお前は、何で一年生やっているんだ?本当だったら二年生なんだろ」
「……」
冬月は黙っていて、返事も返してくれない。
「病気か?それともセンターでやらかして、国立一本に絞っていたとか?色々と試験には魔物が多いからな。特別なんてないし、時の運だから正直、俺にとってはどうでもいい話だがそこら辺ははっきりしてもらいたいね」
うむ、これはいい論破だ。ほら、何処かの弁護士にもいるだろ。金を出せば汚い手で勝利してくれる先生。
「あなたには関係のないことだわ。それに知ったところでどうなるのかしら。あなたの人生にでも影響するの?世界が滅亡でもするのかしら」
冬月は早口で俺を見下す口調で言って、馬鹿にしてきた。
……なるほど。このタイプは言い合うほどあらゆる言葉を使って相手を負かす奴だな。それに俺、自分でも恐ろしいほどに不機嫌になっているのは何故だろうか。
「分かった。もう、それ以上詮索はしない」
俺は心を落ち着かせ、苛立ちを押さえながらそれ以上は聞かなかった。
「天道君。人と接している時、あなた、どんな気持ちで接している?」
何も前ぶりもなく、いきなり聞かれて俺は戸惑った。
……何なんだよ。俺に喧嘩でも売っているのか?
俺は高校時代、最後の三年。クラスメイトと話したのは……二十以下だったな。その時の記憶を思い出すと……。面倒くさい……。
「適当に流して話を切る。長々、話し出すとイライラして息苦しい」