第30話 彼女
彼女は、子供達のために草粥を作っていた。純粋に草しか入っていない。第二都市へ逃げてきて、街と砂漠の境に天幕を張って暮らしていた。
もう夜中だが眠るわけには行かなかった。砂漠に近いこの場所では凍死してしまう。毎朝、何人かは眠ったまま冷え切った死体となるのだ。
不安を打ち消して、痩せこけた子供達を呼び寄せる。食べさせてやれる物は草粥しかなかった。それでさえ、この荒れ野では多く採れるものではない。一番上の娘が、自分で物を噛む力のない末の弟のために、草粥を柔らかくして与えてくれていた。口中にたまった唾液を、音を立てないように飲みこむ。
遠くから地鳴りのような音が聞こえてきた。明滅する眩しい光が空に映り、頭上を巨大な羽ばたきが越えて行った。彼女は草粥を温めていた火を踏み消し、子供達を庇うように抱きしめた。不安げな子供達に、声を出さないよう小声で伝えた。
第二都市の街区に向かって、有翼の魔獣の群れが光を放ちながら飛んでいた。いくつもの巨大な影が圧倒的な光となって空を覆った。地上からも、輝く魔獣の群れが向かってきていた。
人々は、急いで逃げ出そうとはしなかった。自分たちの都市が破壊された時のことを思い出していた。光り輝く魔獣のパレードは、街の建物を破壊すると、光を失って砂に還るのだった。その邪魔をしない限り人を襲うことはなかった。
だから、今回もそうなると思っていた。不意に辺りが暗くなった時、避難民の誰もが、これでパレードは終わったと感じた。
しかし、彼女の耳に野太い男の悲鳴が響き、眼前が再び明るくなった。全身を火に包まれた男が地べたをのたうち、それを、巨大な爬虫類に似た魔獣が噛み砕いた。
「ひっ」
と、短い悲鳴をあげた彼女に向かって、上の娘が声をかける。
「お母さん、お母さん……」
娘が抱く末の息子が目を剥いて絶命していた。火に照らされて浮かび上がったその顔は、痩せこけて、すでに髑髏そのものだった。
集落のあちこちから炎があがり、叫び声があがっていた。人々は狂乱状態におちいっていた。逃げ出そうとする彼らの頭上を魔竜が飛ぶ。その一薙ぎで、いくつもの首がひきちぎられた。人影がおもちゃのように飛びあがり、地面や人に激突した。あるいは、燃え上がる炎のなかでその肉を焼いた。
子供達をかばってうずくまる彼女のそばを人々が駆け抜けていき、土埃が治まった時には、彼女の足は潰され、手の指も何本か逆に曲がっていた。
しかし、彼女は、その痛みよりも、息子が死んだことよりも、その場の静寂に恐怖していた。逃げ切ったにしては早過ぎるぐらい早く、人々の悲鳴や叫び声、およそ人の立てる音がまるでしなくなっていた。
「お母さん……」
上の娘が彼女を呼んだ。狂気の混じり始めた目で、彼女は人々の去った方向を見た。人々の群れは、舞い降りてきた魔獣の巨大な鉤爪に掻き砕かれていた。
黒い蠢くような翳となっているのは、人に小さな魔獣がたかっているのか。よろめく老婆の体に小型の竜が炎を這わせる。爬虫類じみた魔獣が幼児を呑み込み、黙らせ、消化しはじめていた。
恐怖が感覚を麻痺させる中、一番上の息子と、真ん中の娘の姿がないことに気づいた。
「お兄ちゃんは、あれ……」
と、一番上の娘が言った。息子は彼女たちを置いて逃げ出そうとしていたが、いまや、魔獣の嘴から長く伸びてぶらさがっていた。
さらに、真ん中の娘の悲鳴が聞こえた。大蛇のような魔獣が、ぐわりと口を広げ、震えて動けない娘をくわえこむ。もたげた魔獣の口からばたつく足が覗いていたが、すぐに消え、魔獣の腹が蠕動する。
彼女は笑い始めていた。
「お母さん!」
一番上の娘が呼びかけるが、返事はない。娘に向かって、のそのそと四足の魔獣が近付き、長い舌で末の弟を奪い取ろうとした。
「いや!」
弟を強く抱きしめ、娘は一歩下がって舌を避けたが、足が震え、それ以上動けなかった。再び、伸びた長い舌が弟の死体を奪い取った。
「返して!」
一番上の娘がかすれた声で言った。だが、魔獣の耳には届かず、弟は舌ごと仕舞い込まれた。
「返して!」
一番上の娘がかすれた声で言った。だが、その返事は、硬い物が噛み砕かれる音だった。
娘は母親の手を掴んだが、母親は、狂気の笑いをもらしたまま動こうとしなかった。その汚れたスカートには末の妹がしがみついている。
「お母さん!」
一番上の娘がかすれた声で言った。だが、母親は力なく笑っているだけだった。
「リズ、おいで」
娘は、子供とは思えない力で抱きついてきた妹を抱えあげて、後退り、母親に背を向けて走りだした。人々の悲鳴と魔獣の咆哮に母親の笑い声が混じって、娘を執拗に追いかけていく。




