第19話 本
長い髪の女性が、歌を口ずさみながら具材を炒めている。久しぶりに街へ寄って野菜や肉を手に入れることができた。おいしい昼食を食べること、何より、みんなに食べさせることができそうで、クナは嬉しくてたまらなかった。
普段は軽々しく歌うことはない。詠唱士にとって、歌は神聖なものだからだ。よく師匠に怒られたな、と思い出して微笑みながら歌を紡ぐ。カザから聞いた、妙に耳に残る歌を。
歌い終えた時、鍋から煙が吹き出し、料理が消えうせていた。代わりに鍋の中には一冊の本がある。
え?
え~?
あれぇ、私ってば何を作ってたんだっけ。鶏肉と人参、葱と茄子も手に入ったから、辛味のある炒め物を作っていて。あれぇ、なんで鍋に本が入ってるの?
まごつきながら火を止めると、クナは鍋から本を取り出した。油を敷いた鍋に入っていたはずなのに、べたつくこともなく、熱くもなく、さらっとした冷たい手触りだった。ぺらぺらとページをめくるが、何も書かれていない。
頭を抱えて唸るクナだったが、何か思いついたのか、調理場から外へ飛び出していった。激しい風が渦を巻いている。思わず目をつぶり、髪を押さえた。後方へと景色が流れていく。
砂漠の上を船が疾っていた。砂に触れるか触れないか、少し浮かび上がるようにして、轟々と風を起こしながら疾っていた。
その風に誰かの歌が混じっているのだった。甲板へ出ると、クナはマストの先を見上げて喚き散らした。鍋から出てきた本を頭上に突き出して振り回す。見張り台にいた人影がそれに気付いた。歌声がやみ、船足も止まり、船は砂漠に沈みこんだ。
「こら~、あなたでしょ!」
と見上げたままクナが言う。
「手の込んだ悪戯して。元に戻しなさい。昼食抜きにするわよ」
「何のこと? 降りてくから、ちょっと待ってて」
レモン色の髪をした小柄な女性が甲板に立った。その女性に向かって、クナが怒ったように言う。
「とぼけたって無駄ですからね。詠唱士は私とネスティしかいないんだから。あなた以外、誰がこんな悪戯をしますか!」
「何のことだかサッパリよ。たいがいの悪戯の犯人が自分だってのは認めるけど。つまんない船旅には潤いも必要よ」
「何が潤いですか。ただの暇つぶしでしょ。良いように言っても騙されませんからね」
「まあまあ、んで、どうしたの?」
ぶつぶつ言いながらも、クナは本について話した。話を聞き終えたネスティが笑いを堪えて言う。
「へー、じゃあ鶏肉と野菜の炒め物が本になったってわけ? 変換式でも、そんなの聞いたことないわ。いつもの悪戯のお返し?」
「違います! やったのはあなたでしょ?」
「違うってば。だって、あたし、ずっと船を疾らせていたんだから。二重詠唱なんかできないし。そもそも、悪戯のためにそこまでしないわよ」
「え~? じゃあ、この本は何なのよ」
「さあ? 白紙だし、メモ帳にでもしたら?」
「……むぅ」
「じゃ、安全な場所まで疾らせるから」
あ、ちょっと、と呼びかけるクナの声を無視して、するするとマストを伝い、ネスティが見張り台へと戻っていった。
納得いかず、クナは不満げな様子で調理場に戻った。上の空で料理をしていたところ、例の本にソースを零してしまった。慌てて布巾で拭うが、染みひとつ残っていない。そう言えば、火にかけた鍋の中でも焦げたり、熱くなったりしていなかった。そのことを思い出して、クナは本の使い道を発見した。
「ひゃひゃひゃひゃ、面白いのう」
と、女性の声だ。船から遠く離れた地で、モニターをのぞいて笑っている。画面には料理中のクナの姿が映っていた。
「鍋敷、鍋敷にしおった。ひゃひゃひゃひゃひゃ、あれは結構価値のある代物じゃがのう。面白いのう」
「何を笑っているんですの?」
と、脇から幼い少女の声がした。
「なんじゃ、驚かせるでない。勝手に覗くな」
「いいじゃないですか、ちょっとぐらい。どうせろくでもないものを見てたんでしょ」
「あのな。わらわの詠唱術の神髄と言ってもいい千里眼を、何だと思っておるんじゃ」
「覗き術」
「かぁ~、これだから単細胞の獣人は。よいか、これがあればこそ、我らの国が成り立っておるのじゃぞ。個々には人間風情に負けぬが、絶対的に数の少ない我ら亜人が生き抜くには情報が重要なのだ」
「それとこれと、女王様の暇つぶしに千里眼を使う理由にはなりませんよね」
「やかましい! わらわは女王様なのじゃ。偉いのじゃ。暇つぶしをする権利があるのじゃ」
「認めましたね」
「えーい、うるさい。何事も結果オーライじゃ。わらわの暇つぶしのおかげで、〈たぶん〉重要な物を発見できたのじゃ。お主、あれを取ってまいれ。白紙の本と言っておるが、おそらく何らかの魔法書よ。わらわの第六器官がそう告げておる」
「え~? 明らかに思いつきじゃないですか。それに、第六器官って、単なる勘でしょ」
「い、い、か、ら、行ってこい!」
「はいはい、わかりました」
「お主、〈面倒くさいなぁ、適当な偽物を作って渡しておけばいいだろう、女王様は馬鹿だから気付かないだろうし〉、とか思っておるじゃろ?」
「すごい、何で分かったんですの?」
「本気でわらわを馬鹿にしとるな。まあ良い。今回の件については、賢くって、ちょっと気の抜けたやつが適任じゃからな。ばれぬように上手くやれよ」




