第九十五話 孤高の妖
妖狐は、靜美山の山頂で聖印京を見下ろしていた。
あの聖印京に、自分の獲物が大勢いる。
餌場としては十分なくらいだ。
妖狐は、次は誰を狙うかと考えていた。
その時だった。
「九十九」
「なんだ、六鏖か。天鬼の犬が何のようだ?」
自分の名を呼ばれた妖狐・九十九は、振り返る。
そこには男性の妖、四天王の一人・六鏖が九十九の背後にいた。
六鏖は、顔をしかめ、九十九をにらんでいるようだ。
自分が何をしたかなど見当もつかない。第一、六鏖に睨まれる筋合いなどない。
九十九は、不機嫌そうな顔で六鏖をにらみ返した。
「天鬼様が、話があるそうだ。塔へ戻れ」
「……ちっ」
六鏖に命じられ、九十九はしぶしぶ六鏖と共に靜美塔へ戻った。
九十九は、靜美塔へと中に入り、最上階へたどり着いた。
最上階には、天鬼が、胡坐をかいて待ち受けていた。
「来たぞ」
九十九は言うが、天鬼は何も言わない。
ただ、妖気を放っている。
この異様な雰囲気は、六鏖も内心、恐怖に怯えている。
九十九が、天鬼の機嫌を損ねてしまわないかと。
だが、九十九は、気にもとめてない。それどころか、苛立ちを隠せないようだ。
わざわざ自分を呼びだしておいて、何は話さない天鬼が気に食わないのであろう。
自由気ままに生きてきた九十九にとっては、誰かに命じられるということを最も嫌っていた。
「なんだよ。言いたいことがあるならさっさと言えよ」
「九十九、貴様、天鬼様に向かって!」
「よい。下がれ」
「し、しかし……」
「下がれと言っている」
「……はっ」
天鬼に命じられ、六鏖は、下がる。
天鬼に対して反論すらもできない六鏖を九十九は、あざ笑っていた。やはり、彼は天鬼の犬なのだと。四天王の名が聞いてあきれると思うほどに。
九十九は、怖気づくことなく、天鬼の前で堂々と座って胡坐をかいてみせた。
九十九も、四天王の一人だ。四天王になることは妖にとって名誉なことだ。だが、同時に殺される危険性もあった。天鬼に逆らった四天王は容赦なく殺されてきたからだ。
だが、九十九は違う。悪態をつこうが、言うことを聞かなかろうが、反論しようが、天鬼は九十九を殺すことはしない。
なぜなのかは、六鏖達にも理解できなかった。
「で、なんだ?話ってのは」
「お前は、人を殺し過ぎだ。一週間でどれほどの人間を殺してきた?」
「別にいいじゃねぇか。人間を殺すのは、俺達妖の本能だろ?人間は殺すべき対象だって言ったのてめぇじゃねぇか」
「確かにな。だが、聖印京は別だ。奴らは、お前が思っているほど弱くないぞ」
「けど、強くもねぇんだろ?」
九十九はこの一週間、聖印京に侵入し、人間を殺し続けてきた。街の人々、隊士、女子供関係なく、目の前にいる人間を殺した。
天鬼は、九十九が結界をすり抜ける特異的な体質だということは知っている。
だが、一度も聖印京を侵入しろと命じたことはない。九十九が勝手に行動したことであった。
九十九が、結界をすり抜けられると知ったのは、つい最近の事だ。自分がそのような体質であった事を知らなかったため、試したことは一度もなかった。
九十九は、聖印京の敷地外で、人を殺し続けてきたが、殺し足りなかった。なぜなら、彼は命を欲していたからだ。人間の命を奪うことで妖の寿命が延びる。命を奪ってきた九十九は、まだ足りないと感じていた。
そこで、九十九は聖印京に目をつけた。聖印京なら、多くの人間がいる。命を奪うには、いい餌場だと。結界など壊してしまえばいいと思いついた。
だが、九十九は結界を壊すことなくすり抜けてしまった。これには、本人も驚いていた。
彼の体質に気付いた六鏖はすぐに天鬼に報告したが、天鬼は九十九に聖印京を襲えと命じなかった。人間を殺す絶好の機会だというのに。
と言っても、九十九は天鬼の命なしで、行動することなどよくあった。
それゆえに、九十九は天鬼に命じられることなく、聖印京へ侵入し、何人もの人間を殺したのであった。
「何を恐れてんだよ、天鬼。らしくねぇじゃねぇか」
「恐れてなどいない。お前のせいで、我々の拠点が知られたら困るだけだ」
「それを恐れてるって言ってんだよ」
「九十九!」
「待て、六鏖」
天鬼が九十九をとがめた理由は、聖印一族が自分達の拠点を知ってしまう可能性があったからだ。侵入者を防ぐ罠は仕掛けてあるが、長居することは不可能となるだろう。
天鬼は、この靜美塔を気に入っている。幾度となく拠点を変えてきたが、靜美塔は、別だ。長い間、とどまってきた。
九十九の身勝手な行動でこの拠点を手放したくない。
だが、それは、恐れだと九十九に指摘されてしまった。
六鏖は、とがめるが、天鬼は制止した。
「人間は、殺すべき対象だ。だが、今は、やめておけ。死にたくなかったらな」
「心配してくれてんのか?そりゃどうも」
「お前がいなければ、殺し合いはできそうにないからな」
「なるほどな」
天鬼が自分の思い通りに動かない九十九を殺さない理由は、九十九の強さを気に入っているからだ。
それゆえに、彼は九十九を四天王に迎え入れた。六鏖達の反対を押しのけて。
九十九は最強の妖になりうる存在だ。いつか、自分を超えて、殺しに来るだろう。天鬼は、その時を待っている。九十九と最高の殺し合いができる時を。
「ま、考えておいてやるよ」
九十九はそう言って、去っていくが、聞く気はないのだろう。
彼の心情に気付いている六鏖は、怒りを露わにした。
「天鬼様、よろしいのですか!?九十九は天鬼様の言うことを聞きそうにないですよ!」
「……放っておけ。時期にわかるはずだ。奴らが一筋縄ではいかないということをな。まぁ、だから殺したくなるんだがな。奴らも、九十九も」
天鬼は、不敵な笑みを浮かべる。
狂気に満ちた笑みは、六鏖を恐怖に陥れるほどだ。
だが、天鬼は、それすらも気になどしていなかった。
九十九は、靜美塔から出る。
彼の顔は、苛立ちを隠せないようだ。
天鬼に指摘されたことがよほど気に入らなかったのだろう。
――天鬼は、ああいったが、やめるつもりはねぇ。上等だ。聖印一族ぐらいぶっ殺してやる。一族も殺せねぇんなら、天鬼だって殺せねぇだろうからな。
九十九は、靜美山を下りていく。
目指すは、聖印京だ。天鬼に指摘されても、やめるつもりは一切ない。
寿命を手に入れるためなら、人間を殺す。それが、聖印一族であってもだ。
それが危険とわかっていても。
九十九は聖印京へと向かっていった。
別の妖にその様子を見られているとは気付かずに……。
「また、行くつもりだね。懲りないね、あの馬鹿は」
九十九の様子を少年の妖・緋零は、遠くから見ていた。
馬鹿な妖だとあざ笑って。
椿は、ある場所に来ていた。
そこは、華押街。椿がたっている場所は、骨董品屋・椿の前。牡丹のお店であった。
椿は、そっと店の中に入る。
豪華な装束に身を包んだ牡丹が、椿を出迎えてくれた。
「あら、いらっしゃい。椿はん」
「こんにちは、牡丹さん」
「どないしたん?今日は、任務はないの?」
「はい。久々のお休みだったので、遊びに来ちゃいました」
「座って。お茶、出すから」
「はい」
椿は、腰を下ろす。
牡丹は、椿にお茶を差し出し、椿は、お茶を飲み始めた。
「何かあったん?」
「え?」
「なんか、そんな気がしたんや」
「……お見通しですね」
「何でもわかるよ」
牡丹は、人の心情を察することができるようだ。
以前、椿は、矢代に悩みを打ち明けたことがある。矢代は、いい相談相手がいると言って牡丹を紹介してくれた。その人物が、椿だ。
椿は、いろんな人々の悩みを聞き、助言してくれるという。
矢代もかつて、椿に相談したことがあるらしく、助けられたと話してくれた。
任務で中々訪れることができないが、今日は任務がなかったため、椿のお店を訪れることができた。
椿は、牡丹に自分の今の心情を打ち明けた。
「柚月と朧の事なんです。お母様に、会うなって言われました」
「……なんでなん?」
「……」
牡丹に尋ねられたが、椿は黙ってしまう。詳しいことは打ち明けられなかった。
会うなと命じられた理由は、一週間前の事だ。三人でご飯を食べた事、柚月と勉強したことを月読に知られてしまった。
おそらく、奉公人か女房が告げたのであろう。だが、彼らを責めているわけではない。彼らは、月読に命じられているに違いない。何かあれば、知らせるようにと。誰も月読には逆らえない。椿達もだ。
それでも、椿は、二人の為にと共に食事をし、柚月と共に勉強した。ただ、それだけの事だ。月読が何を言っても、自分が二人を守ると心に決めていたのだが、結果は、会うなと言われてしまった。
それは、三人にとって残酷すぎる結果となってしまった。
「そないなこと、させてあげてもええやんか。あの子らは、あんたの弟なんやから」
「ですが、姉であるからこそ、大事な時期を邪魔するなと。朧の病気もうつるからと。それも、隊長の座を開けるような真似はするなと言われて……」
結局のところは、三人の事を思っての事ではない。
鳳城家の名誉のためであろう。自分達の気持ちなどどうでもいいのだ。
彼らを道具のように扱う月読に牡丹は怒りを覚えていた。
「これやから、聖印一族は……」
「え?」
「なんでもないよ。椿はん、あんたは、あの子らの姉や。あの子らに会いたいんやったらいつでもおうたらええ。あない冷酷な事いう人の言葉なんか間に受けんでええんよ」
「……はい。そうですね」
「さ、和菓子でも食べや。美味しいよ」
「……ありがとうございます」
牡丹は、椿に和菓子を差し出す。
少しでも、気が紛れてくれることを願って。
牡丹に慰められた椿は、心が和んだように感じた。
自分は、柚月と朧の姉。会いに行ったってかまわないんだ。
そう、改めて思い、決意した。月読に何を言われても、彼らに会いに行くことを。
しばらくして、椿は、店を出る。
牡丹が椿を見送りに店から出た。
「今日はありがとうございました」
「いいよ。また、いつでもおいで」
「はい」
「そうや。最近、妖が聖印京に入って、人を殺すって話聞いたことがあるんやけど、大丈夫なん?」
確かに、一週間前から、聖印京に妖が現れ、人を殺したという事件が勃発している。
目撃者の証言によると妖狐のようだ。
だが、結界を張ってあるというのに、どうやってすり抜けられたのかは未だにわかっていない。
聖印寮は、警備を強化しているのだが、その妖狐は、あざ笑うかのように人々を殺し続けている。
牡丹は、椿を心配しているのだ。
体調である椿は、前線で戦わなければならない。もし、その妖狐に遭遇したらと思うと気が気でないのだろう。
「大丈夫ですよ。私達がいますから。必ず、妖は仕留めます」
心配する牡丹に対して、椿は微笑んで見せた。
妖狐の事に関しては椿は、怒りを感じている。
必ず、自分の手で仕留めると決意しているのだ。
それは、柚月や朧のためであった。彼らを守るために、椿は、妖狐と戦う決意をしてきたのであった。
それでも、牡丹は、椿の身を案じていた。
「わかってるけど、無理したらあかんよ」
「はい……」
牡丹に言われ、椿はうなずいた。
彼女のためにも、必ず生きると誓って。
その日の夜、九十九は聖印京へとたどり着いていた。
「さて、今日は、奴らを狙ってみるか」
九十九は、妖刀を手に、決意していた。聖印一族の命を奪うことを。