第九十四話 互いの支えとなるように
結局、月読を説得できないまま、椿は鳳城家の屋敷に戻る。
己の無力さと未熟さを改めて思い知らされたような気分で。
柚月を支えてあげたい一心なのだが、それすらも月読に伝わっていないのではないかと錯覚に陥ってしまう。
椿は、何度目かのため息をついて屋敷の中へと入った。
すると、奉公人や女房が椿を見るなり、頭を下げた。
「お帰りなさいませ、椿様」
奉公人や女房が一斉に頭を下げる。
椿は、どうもこの光景になれていない。聖印一族は貴族だ。奉公人や女房が頭を下げるのは、一族にとっては普通の光景なのだろう。
だが、椿にとっては違和感でしかない。理由もわかってはいるのだが、彼らの前では決して明かすことができない。知られてはならないことなのだから。
椿は、懸命に笑顔を作る。面をかぶっているような気分だ。
まるで、彼らを騙しているような気持ちになり、心が痛んだ。
「た、ただいま……」
「今日は、いかがでしたか?」
「え、ええ。今日も順調よ。誰も怪我することなく討伐できたわ」
「さすが、椿様です。貴方様のおかげで、我々も安心して暮らせます」
「よかった……」
奉公人は笑顔を椿に向けて話すが、椿は、本心を悟られないように笑顔を保つのがやっとであった。
彼らは椿に期待しているのだろう。椿なら妖を討伐してくれると。平和にしてくれると。
だが、椿にとっては荷が重い話だ。自分は、そんな力量はない。毎日生き延びることに精一杯だ。
そんなこと誰にも言えるはずがない。
椿は、期待に押しつぶされないように耐えてきたのであった。
「朧はどう?」
「はい。朧様はの調子はよくなったようです。先生もそのように仰っていましたので」
「そう。柚月は?」
「ゆ、柚月様は、その……」
柚月の話になると途端に、話が途切れる。
言いにくそうな顔をし始めた奉公人を見て、椿は、不安に駆られてしまった。
「……何かあったの?」
「い、いえ、決して何も……」
「そう。じゃあ、後で行くって伝えておいて」
「は、はい……」
椿は、そう告げて、奉公人の元から去った。
柚月のことも心配だが、もう一つ気がかりなことがあった。
それは、朧だ。
最近、朧は調子が悪い。病にかかってしまったようだ。
あれほど、元気だった少年は、今では床に臥せっている。
朧は、柚月とは対照的に元気な少年だった。無邪気な笑顔を見せる。
その笑顔は、椿や柚月の心を癒してきた。
その少年が突然病に倒れ、起き上がることも辛そうなほどだ。
椿は、朧の部屋へとたどり着き、御簾を開けた。
「朧?」
「あ、姉さん」
椿の顔を見た途端、朧の顔は明るくなる。
ずっと、一人で部屋で寝ていたのであろう。時々、奉公人や女房が朧の様子を見てくれるのだが、勝吏や月読は、仕事でお見舞いに来れない。特に月読は、来たことがない。柚月も月読の命で、修行ばかりさせられているため、朧のお見舞いには来れない状態が続いた。
朧にとっては心細く寂しいだろう。
だからこそ、椿は毎日のように朧のお見舞いに来ていた。
ずっと、というわけにはいかないが、時間がある時は、朧の話し相手になり、寂しさが紛れるように側にいたのだ。
椿は、朧の元へと歩み寄った。
「どう?熱は下がった?」
「うん。少しね」
椿の問いに朧はうなずく。
だが、その様子は弱弱しいように感じる。
体力が弱まっているのであろう。
「ご飯は、食べれそう?」
「ちょっと、食べれそうにないかも……」
「そう……。おかゆならどう?」
「うん、それなら」
朧はうれしそうにうなずいた。
「姉さんの方はどう?」
「私?」
「うん」
「いつも通りよ。妖を倒してきたわ」
「さすが、姉さんだね」
朧は、満面の笑みを椿に見せる。
自分がこんな状態でも朧は笑顔を絶やさない。
朧の本心が垣間見える。
椿は、朧がうらやましかった。どんな時でも明るく、接することができるのだから。
自分は、本心を悟られまいと懸命に笑顔を作るしかない。大好きな弟達の前でも……。
椿は自分が情けなく思えてきた。
「僕も、姉さんみたいに強くなれたらなぁ。そしたら、兄さんの事も守れるかもしれないのに」
朧は、病にかかるまでは自分の聖印隊士として都を守るつもりでいた。
だが、守りたかったのは、都だけではない。椿も柚月も自分が守りたいと願っていたのだ。
次期当主候補である柚月と隊長である椿を支えたいと彼なりに思っていたのであろう。
だが、今はそれが難しい。
自分が病にかからなかったらと朧は、自分を責めているようだ。
朧の気持ちを察した椿は、朧の頭を撫でる。
朧は何も悪くない。気持ちだけで十分だと思いながら。
「あなたもなれるわ。必ずね」
「……うん」
「でも、その前に病気、治さないとね」
「そうだね」
椿の励みが届いたのか、朧はうなずく。
この病気が早く治るようにと。また、柚月と三人で共に暮らせれば……。椿は、そう心から願っていた。
椿は、朧から手を放し、立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ行くわね。夕飯になったらまた来るから」
「うん」
「じゃあね」
「うん」
椿は、部屋を後にした。
その直後だった。
「ごほっ!ごほっ!」
朧は突然、咳き込んだ。
朧は自分の手を見る。
手は黒く染まっている。黒い血を口から吐いたからだ。
その血を見た朧は、うつむく。
全てをあきらめたかのように、絶望しているかのように。
「……無理だよ、姉さん。僕は……もうすぐ死ぬから」
朧の体調が悪いのは病気のせいではない。呪いによって蝕まれてしまったのだ。呪いを解く方法は見つかっていない。いつ死んでもおかしくない状態だった。
椿は、朧の現状を知る由もなかった。
椿は、柚月の部屋へとたどり着く。
柚月と修行をしようと約束していたからだ。柚月は、楽しみにしているだろう。そう思うと、自分も楽しみで仕方がない。柚月の励みになるのなら自分も励まされているような気がしたからだ。
椿は、そっと御簾を開けようとした。
しかし……。
「椿様」
椿は、奉公人に呼び止められ、振り向いた。
奉公人は、何やら困った様子で椿の顔を見ていた。
「どうしたの?」
「い、いえ……あの……柚月様の事ですが……」
奉公人は、言いにくそうなのか、中々話そうとしない。
椿は、首をかしげてしまう。
観念したのか、奉公人は重たい口を開け、話し始めた。
「月読様から命じられているのです。勉強が終わるまでは部屋から出すなと……」
「そんな……」
椿は、愕然としていた。
まだ、柚月を縛り付けようとしているのかと。いくら次期当主候補とはいえ、ここまでしなくてもいいのではないかと思うほどに。
毎日の修業に加えて、勉強までさせられる柚月が不憫に思える。
少しくらい自由にさせてあげたいと願うのだが、それすらも叶わない。
柚月は、今、部屋でたった一人、勉強しているのだろう。
椿は、何もしてあげられない自分が歯がゆく感じる。
だが、椿はあることに気付き、意を決して奉公人に尋ねた。
「私は、この部屋に入らせるなって命令は出てないわよね?」
「は、はい」
「なら、入っていいわよね」
「え?つ、椿様!?」
奉公人が動揺して、椿を止める。
確かに、月読から椿を入らせるなと言う命令は出ていない。だが、月読の考えからして、椿は入れさせないほうがいいのであろう。
そう考えていた奉公人であるが、椿は強行突破のごとく、御簾を開けた。
「柚月」
「姉上!」
優しく微笑み、呼びかける椿を見て、柚月は驚いた様子であった。
椿がこの部屋に入ってくるはずがないと思っていたのだろう。
「勉強、頑張ってるのね」
「ごめんなさい。母上が……」
柚月は、落ち込んだ様子をみせる。
本当は、椿と修行がしたかったのであろう。だが、月読に逆らうことはできない。
そう思うと、椿に申し訳ないと感じているようだ。
柚月の心情を察してか、椿は、柚月に歩み寄り、柚月の隣に座った。
「どんな勉強してるの?」
「え?あ、聖印寮の歴史を……」
椿は、覗き込むように本を見てみる。
柚月が持っている本は聖印寮の歴史書だ。それも、大人向けと言ったところであろう。
難しい言葉が記されている。いきなり、このような難しい書物を読まされているのかと椿は、柚月がかわいそうで仕方がなかった。
「へぇ、こんな難しいことを学んでいるのね。柚月は偉いわね」
「あ、ありがとう……」
椿は、柚月を褒める。
柚月は、戸惑っていたようだが、椿に褒められ、嬉しそうだ。
柚月の笑顔も、椿にとって癒しとなっている。
時には弱音をみせることもあるが、だからこそ、柚月の笑顔を見るとほっとするのだ。柚月を支えることができたのだと。
「……今日は、修行をやめて、私と勉強しましょうか?」
「い、いいの?」
「ええ、私も知りたいわ」
椿は、柚月に寄り添うように本を見る。
もちろん、椿も聖印寮の歴史に興味がある。
それに、何より、共に勉強をしたほうが、柚月にとっては、心強いだろう。
柚月も、椿が一緒にいると聞いて嬉しそうだ。
柚月にとって椿は心の支えとなっているようだ。
「勉強が終わったら、朧と一緒に夕飯を食べましょう」
「でも、母上は……」
柚月は、再び、うつむいてしまう。
月読は柚月に命じているのだ。朧の部屋には入るなと。病気がうつる可能性があるからだと言われているが、それは、彼らにとってつらい思いをさせるばかりだ。一人にさせては、柚月も修行や勉強に身が入らなくなるし、朧の病気も治らないだろう。なぜ、兄弟を引き離すようなことをするのか、椿には理解できなかった。理解したくなかったのだろう。
「柚月は、朧と一緒はいや?」
「ううん、嫌じゃない。一緒がいい……。朧の事が心配だから」
柚月だって、朧と一緒にいたい。朧の事を心配している。それは、柚月の本音だ。
椿も柚月の本心をわかっているため、共に食事をしようと誘ったのだ。
そんなことをしたら月読は柚月を呼びだし、しかりつけるかもしれない。それでも、彼らを一人にしたくなった。
できるだけ、三人の時間を作ってあげたかった。昔のように。
自分にできることは、それくらいしかない。
たとえ、月読に何を言われても二人は自分が守る。椿は、そう心に決めていた。
「なら、一緒に食べましょう。お母様が何を言っても私が守ってあげるわ」
「……うん。でも、僕も姉上を守るよ」
「ありがとう」
椿と柚月は微笑んでいた。互いを支え合うかのように。
その日の夜、一人の妖が、靜美塔の頂上から聖印京を覗き込むように見下ろしていた。
「へぇ、ここが聖印京か」
その妖は、銀髪に、血のような赤い目。銀色の耳と尻尾が生えている。
彼は妖狐だ。それも、強い妖気を身に宿している。
妖狐は、聖印京を観察している。獲物を探しているかのように。
「いい獲物がいそうだな」
そう言って、妖狐は、塔から飛び降り、聖印京へと向かった。
妖狐は、いとも簡単に聖印京へと侵入した。
「入れた。案外、簡単だったな」
本来、聖印京は、結界が張ってある。妖はおろか妖王さえも入ることはできない。
それなのに、妖狐は結界を破ることなくすり抜けるように入ることができた。
その理由は、妖狐にも分っていない。だが、理由など自分にとってはどうでもいい。
侵入することができるならなんだってよかった。
「さて、獲物はどこだ?」
妖狐は、あたりを見回す。
その様子は、まるで獣だ。猛獣と言っていいだろう。
妖狐は、堂々と歩き始める。深夜の都は静まり返っている。人が街にいることはあまりない。かといって、聖印寮が巡回をしているはずだ。
だが、妖狐は、そんなことは気にもしていない。よほどの逃げ切る自信があるのだろうか。
妖狐は、人間の気配に気付き、立ち止まった。
二人の男性が、路地裏で話をしている最中だった。
「いたぜ」
妖狐は人間を発見するなり、地面をけり、走りだす。
そして、一瞬のごとく妖刀を抜き、男性を刺殺した。
「がっ!」
人間から見れば、一瞬の出来事のようだろう。
突然、妖が現れ、気付けば、妖刀に刺されている。
もう一人の男性も、何が起こったのか、把握できないほどだ。
妖刀は、人間から何かを吸い取っている。だが、何かは判別できない。
妖狐は、赤い目をぎろりと光らせ、不敵な笑みを浮かべていた。
「てめぇの命、いただくぜ」
妖狐は、容赦なく一気に引き抜く。
血しぶきが飛び、男性は、のけぞるように倒れる。
目を見開いたまま動かない。本当に命を奪われたようだ。
もう一人の男性は、恐怖で体が震え始めた。
「あ、妖……な、なぜ!?結界が張られてあるはず……」
「残念だったな。俺には通用しねぇんだよ」
妖狐は、男性に近づき。
男性は、身が硬直しそうになるも、震えながら後退した。
「く、来るな!来るなぁああああっ!」
男性は、叫びながら逃げ始める。
だが、妖狐は、容赦なく妖刀で男性を突き刺した。
「ぎゃあああああっ!」
男性は絶叫を上げる。
妖狐は容赦なく、命を吸い取る。
残忍で冷酷。まさに、妖の本能と言った様子だ。
命を吸い尽くした妖狐は、妖刀を引き抜き、男性は倒れた。
「あっけねぇな。人間ってのは」
妖狐は妖刀を肩に担ぎ、月を見上げた。
月の光に照らされた妖狐は真っ赤な血を浴びていた。