第七十八話 同じ悲しみを共有し
柚月は、靜美山の中を駆け巡る。
向かっている先は春風の元だ。
春風に会って、もう一度話をしなければならない。春風の気持ちと向き合い、自分の気持ちを話さなければ……。
その一心で柚月は、走り続けた。
「春風……」
柚月は、思いだしていた。
ともに春風と戦った日々の事を。慕ってくれた時の事を。それは今でも、柚月にとっては大切な日々だ。
春風が自分を兄のように慕っているのと同じように、柚月は、春風を弟のように接していた。
だからこそ、春風に話さなければならなかった。
だが、柚月の前に妖が現れる。
しかも、逃がさんとするように柚月の周りを取り囲んだ。
「!」
取り囲まれた柚月は戦うしかないと判断した。
妖を討伐しなければ、春風の元にはたどり着けない。
柚月は、宝刀・真月を抜いた。
「こんな時に……!」
焦りばかりが募る柚月は、妖に向かっていった。
妖は、柚月達に襲い掛かってきた。
春風は、奈鬼と遭遇していた。
「お前は、あの時の……」
春風の眼の前にいる奈鬼は、朧が逃がしたあの鬼だ。
やはり、奈鬼はあの森から逃げたんだ。朧の手引きで。そう思うと、朧も奈鬼も許せなかった。
奈鬼は、じっと春風を見ている。その目はとても冷たい。あの怯えていた目ではない。
奈鬼から殺気を感じる。まるで、別人のようだ。
春風は、札を取り出した。
「僕を殺すんだね。そうすれば、柚月が君を見てくれるから?」
「うるさい!お前に何がかわかるって言うんだ!」
春風は、構えるが、手が震えている。
討伐隊の班を殺した鬼だ。恐れないはずがない。
だが、ここで殺さなければ、被害が拡大するばかりだ。
命と引き換えにしても、奈鬼を殺さなければならない。
春風は、死を覚悟していたが、奈鬼は、一歩一歩近づくたびに、恐怖で後退していた。
「そんなに僕を殺したいの?」
「……そうだ。お前達、妖がいなければ!」
「でも、殺したいのは別にいるんでしょ?」
「え?」
本心をつかれた春風は、驚き、動揺する。震えが止まらなかった。
なぜ、そんなことがわかるのか。
その答えは、奈鬼の口から発せられた。
「鳳城朧。彼のせいで柚月は、変わってしまった。悲しいね」
「惑わされない。惑わされないぞ……」
「君は言ってたじゃない。あいつさえ、いなければって」
「黙れ!」
春風は、札を投げつける。 自分の言葉を否定するかのように。
だが、奈鬼は、それをいとも簡単にかわし、札をつかんだ。
その札は握りしめられ、火で燃やされたように灰となってしまった。
灰となった札を見た春風は、恐怖におびえた。
これほどまでに、強いのかと。そんな危険な鬼を朧は逃がしたというのかと、ますます許せなくなった。
「でも、僕も一緒なんだ」
「え?」
「僕はね、確かに彼に助けられた。でもわかったんだ。騙されてたんだって」
奈鬼は、春風に迫る。
この時の春風は、立ち止まっていた。
自分と同じ悲しみを持つ妖がいるのかと半信半疑だった。
「あいつは、僕から大事なものを奪った。あいつさえいなければ、九十九は僕らを裏切ることなんてしなかったのに」
「九十九……あの狐の事?」
「そうだよ」
九十九が妖と聞いて春風は、落胆する。
そして、浮かび上がった疑問が一つにつながっていくような気がしていた。
なぜ、朧が奈鬼を逃したのか。なぜ、柚月はいい妖もいるなどと言ったのか。それは、九十九が妖だと知っていたからなのではないか。
だからなんだと……。柚月が変わってしまったのは……。
そう思うと、笑いがこみあげてくる。
春風の精神が壊れていくのが自分でもわかるほどに。
「ははっ。なるほどね。そういうことなんだ。柚月様は僕たちを騙してたんだ……」
「彼のせいでね」
「……」
春風は、黙ってしまう。
全てに裏切られた気分になっている。朧のせいだ。彼のせいで、人が死んだ。彼のせいで、柚月が自分を騙したんだと。自分達は、朧に踊らされていたんだと。
身も心もすり減らされていく感覚を覚えた。
絶望しているのだろう。
奈鬼は、春風を助けるかのように、手を伸ばした。
絶望に打ちひしがれた春風は、虚ろな目で奈鬼を見ている。彼の眼には、奈鬼は自分を救ってくれるように見えているのだろう。
「ねぇ、一緒に殺そうよ。僕たちなら殺せる。一緒に大事な人を取り戻そう?」
「……そうだね」
春風は、奈鬼の手を握る。
もうどうでもいい。もう疲れた。もう耐えられない。朧を殺そう。彼が死ねば、柚月は戻ってくるはずだ。昔のように、あの懐かしくて暖かい場所になるはずだと。
そんな言葉が次々と頭の中によぎっていく。もう、自分ではどうしようもできないほどに。
奈鬼も春風を受け入れ、春風の中へと入っていく。
奈鬼は、春風を乗っ取ってしまった。
乗っ取られた春風は、目が黄金へと変わった。まるで、鬼のようだった。
「取り戻そう、一緒に」
もう、彼らは取り返しのつかない状況へと陥ってしまっていた。
春風は、進み始める。破滅への道へと。
春風は、譲鴛達の元へたどり着く。
鬼を探していた譲鴛達は、春風に気付き、駆け寄った。
彼が奈鬼に乗っ取られていると知らずに……。
「春風、話は終わったのか?」
譲鴛は、話しかけるが、春風の返事はない。
何かあったのであろうか。
未だに気付いていない譲鴛達は、状況を把握していなかった。
「……春風?」
春風の様子がおかしいことに気付いた譲鴛は、春風に向かって手を伸ばす。
しかし、綾女は春風の異変に気付いたようだった。
「譲鴛、駄目!」
綾女は、陰陽術を発動し、譲鴛と春風の間に結界を張った。
突然の出来事に彼らは驚き、目を見開いていた。
何が起こっているというのだろうかと。
「綾女、どうした!?」
「……春風は、乗っ取られてる!」
「何!?」
譲鴛達は、目を見開いたまま春風を見ている。
春風は、うつむき、譲鴛達を見ようともしない。
確かに、春風の様子はおかしいが、乗っ取られるはずがない。
綾女の勘違いだと、譲鴛達は思いたかった。
今の現状を受け入れることができずにいた。
「お、おい、冗談だろ?」
「冗談じゃないみたいよ」
宗康が動揺して尋ねると、真純が冷静に答えた。
すると、春風は、不敵な笑みを浮かべ、妖気を放った。
綾女の言うことが真実だと知り、譲鴛達は、残酷な現実をつきつけられてしまった。
大事にしていた部下が、妖に乗っ取られてしまったという……。
春風は、爪を伸ばす。譲鴛達を殺すつもりだ。かつての仲間を……。
「そんな……なんで、春風が……」
宗康は、絶望に打ちひしがれたようにうろたえる。
なぜ、こんなことになってしまったのか。見当もつかない。
譲鴛達は、すでに構えていた。
春風を救うために。まだ、間に合うはずだと。
希望を捨てていなかった。
「わからないわ。でも、戦うわよ。譲鴛」
「ああ。何とかして、春風を助けるぞ!」
譲鴛達は、地面をけり、走りだす。
春風は、不敵な笑みを浮かべたまま、譲鴛達に襲い掛かった。
綾姫達は、柚月が合流するのを待ちながら鬼の探索をしていた。
だが、鬼は見つけられずにいた。
そして、柚月も未だに戻ってきていない。
何かあったのではないかと不安に駆られ始めた。
「柚月、遅いわね……」
「そのうち、戻ってくると思ったんだけどな……」
「兄さん……」
朧も柚月を心配していた。
二人に何かあったのではないかと。
そう思っていた矢先であった。
「ごほっ!ごほっ!」
「朧!」
「朧様、大丈夫ですか!?」
朧は、咳をする。
今まで以上に苦しそうだ。
うずくまりかける朧を夏乃と透馬は、支えた。
朧は、息を整え、起き上がった。
「……大丈夫です」
「あまり、無理をなさらないほうが……」
「俺も、そう思うぜ」
「大丈夫、だから……」
朧は、笑って答えるが、明らかに無理をしている。
それは、誰が見てもわかったことだ。
綾姫達は、朧を心配していた。
やはり、朧は連れてくるべきではなかったと考えた景時は朧を屋敷へ連れていこうと判断した。
「……やっぱり、屋敷に連れてくよ」
「そうだな。そのほうがいい」
「柚月には私から伝えておくわ」
「お願いするよ」
「待ってください、先生!」
朧の手をつかみ、連れていこうとする景時に対して、朧は、抵抗しようとするが、突然、強大な妖気があふれだしたのを感じ取った。
「!」
妖気に身を当てられ、朧達は驚愕し、身を硬直させてしまう。
その妖気はまがまがしく、とても冷たい。まるで天鬼の妖気ようだった。
「何、この妖気!?」
「靜美塔の近くから出てるようですね!」
「まずいだろ、これ……」
「まさか……奈鬼?」
妖気を放ったのは、奈鬼ではないかと考え、朧は、九十九を見る。
九十九は、誰の妖気なのか気付いてしまったようだ。
「間違い、ねぇ……あいつだ」
九十九の言葉を聞いた朧は、景時の手を振り払い、走りだしてしまった。
「朧君、待ちなさい!」
景時は、朧を追いかけようとするが、彼らの目の前に妖が出現した。
それも、大量の妖が。
綾姫達は行く手を阻まれてしまった。
朧は、気付かずに走り続ける。ただひたすら、奈鬼の元へ。
綾姫達から、遠ざかってしまった。
「妖、こんな時に……」
「くそ、朧が……」
綾姫達は、宝器を取り出し、構えた。
朧の元へ行くには、妖を倒すしかない。
だが、そうしているうちに朧の身に危険が迫っている。
綾姫達は焦りが募るばかりであった。
「妖を倒して、朧君の元に行くわよ!」
綾姫達は、地面をけり、向かっていく。
妖達は、綾姫達に襲い掛かるように攻撃を仕掛けた。
朧は、走り続ける。
体調も悪いため、体はとうに限界を超えている。
それでも走り続けた。立ち止まって咳をしても、体に鞭を打って。
奈鬼の元へ行くために。
靜美塔の近くまでたどり着いた朧はある人物を見かけた。
それは、春風であった。
「春風さん!」
朧に呼ばれた春風は、振り向く。だが、目は冷たい。冷酷な鬼のようだ。しかも妖気を放っている。
春風の異変に気付いた朧は、速度が落ちてしまう。
九十九は、気付いてしまった。彼の身に何が起こったのかを……。
そして、朧はある光景を目にし、思わず立ち止まってしまった。
「!」
「こ、これは……」
朧は、ある光景を目にする。
それは、譲鴛達が血を流して倒れている場面だ。
真純、宗康、綾女は、目が見開いたまま動かない。彼らは死んだのだ。
だが、なぜ、死んだのか。そして、春風の異変が起こった意味とは……。
朧も九十九も混乱していた。
「朧……様……」
譲鴛は、目を覚まし、朧を見るが、苦痛の顔を浮かべている。
彼は重傷を負っているようだ。起き上がれない状態だ。早く、助けなければならないが、身動きが取れない。
春風は、不敵な笑みを浮かべたまま、朧を見ていた。
「来たんだ。でも、遅かったね。彼らは死んだよ」
「……どうして」
「君が邪魔だから」
「え?」
朧は、驚愕し、動揺する。
春風は、爪を伸ばし、構えた。
「ねぇ、死んでよ」