第五十六話 柚月、女になります
景時はあっさりと柚月をおとりにすると宣言した。
だが、納得のいかない柚月は、慌て始めたのであった。
「ま、待て、景時。俺が、おとりになるのか?」
「うん、そうだけど?」
そうだけど、じゃないだろう!と心の中で突っ込みを入れる柚月。
だが、牡丹がいる手前、いつものように突っ込めるはずもなく、心を無理やり落ち着かせて景時に諭すように話し始めた。
「あ、あのな。男の俺がおとりになっても作戦にはならないと思うぞ?」
「そりゃあ、そのまんまじゃ無理だよ」
「その……まんま?」
そのまんまと言うのはどういうことなのだろうか。
思考を巡らせる柚月であったが、見当がつかない。
それなのに、嫌な予感が頭の中を駆け巡る。なぜなのかはわからない。だが、景時の笑顔を見ると彼の提案を受け入れてはならない気がした。
そして、この直後、聞くのではなかったと柚月は後悔することとなった。
「だから、女装するの柚月君が」
「……は?」
景時は、何とも恐ろしい作戦を宣言した。
柚月を女装させておとりにするというのだ。
なぜ、自分が女装をしなければならない。全くもって意味が分からない。どこから出たそんな発想!と次々と突っ込みを入れたくなる柚月であったが、やはりできるはずがない。
突飛すぎて硬直している間に、透馬が不敵な笑みを浮かべていた。
そう、透馬の逆襲が幕を開けたのであった。
「それ、いい!絶対いい!柚月ならうまくいく!」
「いい作戦やね。それならあても賛成やわ」
「待て待て待て!」
景時の提案に透馬も牡丹も乗っている。しかも楽しそうだ。
綾姫達もどうやらこの作戦に賛成のようだ。
だが、柚月は慌てて制止した。かなり必死に。
「なんで、俺が女装をしなければならない!そんな作戦がうまくいくはずがない!反対だ!」
柚月は頑として反対した。女装などしたくない。する必要などない。何が何でもこの作戦を止めなければならない。
女装をしたなどと周りに知られたら聖印京を歩くことなど不可能だと柚月は自分で自分を追詰めていた。おそらくだが、女装をしろと言われ混乱しているのだろう。
「でも、適任者は柚月君しかいないよ?綾姫君と夏乃君にはさせられないでしょ?」
確かに、景時の言う通りだ。
柚月が女装をすれば、作戦はうまくいく。綾姫と夏乃も危険な目に合わなくて済む。
だが、どうしても柚月は女装をしたくなかった。
「他にいい方法があるだろ!」
「じゃあ、柚月君は見つけたの?おとり以外の作戦」
「うっ……」
実際、柚月は、他にいい作戦を思いついていない。
今の柚月には何も言えなかった。反論すらもできないほどに。
柚月の様子を見た透馬の眼はぎろりと光る。
肩に手を置いて、にやりと笑みを浮かべていた。
「隊長、引き受けたんだし、やってあげたら?そのために、ここに来たんでしょ?」
「お、お前……」
ここぞとばかりに仕返しをする透馬。
柚月は体を震わせていた。自分が矢代の件について追い詰められたのを根に持っているのであろう。
まさか、こんなことになるとは思わなかったため、柚月は少透馬を追い詰めたことを少し後悔していた。
「兄さん、大丈夫だよ!兄さんならきっと!」
「……」
朧に励ますように応援されてしまう柚月。
もはや、言葉すら出てこない。
彼の様子を見ていた九十九は楽しそうに笑みを浮かべていた。
「ま、朧に言われちゃあ、やるしなねぇよな。柚月」
「そうね、柚月だったら安心して任せられるわ。ね?夏乃」
「え、え?あ、はい。柚月様、なら……」
綾姫も夏乃に尋ねる。
もちろん、わざとだ。夏乃はどう答えたらいいか、ためらっているのだが……。
全員が、賛成している以上、柚月はもはや選択の余地はない。
女装をするしかないのだ。
完全に、追い詰められた柚月は、降参した。
「あー、もう、わかったよ!やればいいんだろ!やれば!」
柚月は開き直って受け入れた。
自分が女装して、おとりになることを……。
朧達は、喜んだ。しかも、なぜか、ノリノリで話し合いを始めている。柚月を放っておいて。
しかも、おとりの方ではなく女装のことについて話しあっているようだ。
装束はどうするとか、髪型とか、化粧とか。ぶっちゃけ、柚月にとってはどうでもいいことなのだが、全員熱が入るほどに話し合いを始めていた。
――なぜだ。なぜ、こうなった。なんで俺が、女装を……。
柚月は後悔した。この作戦を受け入れたことを……。
こうして、女装柚月……柚子が誕生した瞬間であった。
その後、柚月は牡丹に無理やり、別の部屋に連れていかれ、化粧され、女物の装束を着せられ、かもじをかぶらされ、着々と女へと変化していくのであった。
そして、ようやく、拘束された柚月が解放された。本当にようやく。
「できたよ。完璧やわ~」
「……」
牡丹がそう言い、柚月の女装姿を今か今かと楽しそうに待ちわびている朧達。
牡丹が柚月を連れだそうとするが、肝心の柚月は出たがらない。誰にも女装姿など見られたくないのだろう。
「ほら、こっちやで!」
「ちょ!」
強引に牡丹に引っ張られ、ついに女装した柚月がお目見えとなった。
真っ直ぐでさらさらとした長い黒髪、肌は色白く、美しい。海のように青い女性用の装束を身にまとっている。白の花が、美しさを際立たせ、金色の模様が豪華さを象徴しているようだ。
もう、どこからどう見ても女にしか見えない柚月……柚子であった。
彼……彼女の姿を見た朧達は、あっけにとられ、見とれていた。
「き、綺麗だ……」
「そうやろ~。元がきれいだから殆ど化粧もせんでよかったんや。生まれ持った美しさやね」
柚子にとって、全然、褒め言葉になっていない。むしろ、悪口にしか聞こえていない。
などと言えるはずもなく、柚子はただ黙りつくしていた。
「わー、かわいいー。柚子ちゃん」
「殺すぞ」
天然発言が出た景時であったが、もはや悪意にしか感じられない。
柚子は景時に対して、殺意を抱いていた。
「……」
皆が、柚子の美しさに見とれ、面白がっているのだが、綾姫はなぜか不機嫌だ。
彼女の様子を見ていた夏乃はうかがった。
「どうされました?綾姫様」
「なんかねー。私より綺麗って腑に落ちないんだけど」
――俺だって好きでやってるわけじゃないんだよ!
綾姫に対しても怒りを覚えた柚子。初めての事であろう。
だったら、変われ!と言いたいところであるが、さすがに綾姫達をおとりにするつもりはない。
のどまで出かかったのだが、柚子は無理やり押し込めた。
「に、兄さん、すごいね……」
「気を使わなくていいぞ、朧。そっちの方が悲しくなる」
ここまで来ると哀れに思えてきたのかもしれない。禁句が次々と飛び出ているので、朧はなるべくなるべく柚子を傷つけないようにと言葉を選んだのだが、今の柚子にとって気を使われる方がつらかった。
そんな中、九十九は、柚子から目を背けて黙っている。
柚子は正直、九十九にだけは見られたくなかったのだが、なぜ、目を背けているのか柚子にはわからない。逆に気持ちが悪かった。
「……」
「どうしたんだ?九十九。言いたいことがあるならはっきり言え」
柚子は九十九に冷たく当たるのだが、完全に八つ当たりだ。
だが、九十九は気にもしていないのか、何も反論しない。
それどころか、体を震わせ、何かに耐えているようであった。
「だって、だって……」
九十九は、柚子の顔を見る。その瞬間、ぷっと吹き出してしまった。
「すっげぇ!似合ってるし!女にしか見えねぇし!女顔とは思ってたけど、ここまで女に見えるとか、最高だし!」
九十九、こらえきれず笑い始めた。
しかも、大きな声で。
九十九の笑い声は店中に響いた。
畳に寝転がり、ジタバタと体を動かす。相当、笑いをこらえていたようだ。
ここまで耐えてきた柚月であったのだが、ついに、柚子の堪忍袋の緒が切れてしまった。
「この……ちび九十九がぁああああ!!」
柚子は、天月を抜いて、九十九に斬りかかった。
九十九は殺気を感じて、逃げ始めた。
柚子は、鬼のような形相で九十九を追い始めた。
「殺す。お前だけは!」
再び喧嘩が勃発してしまい、朧達は柚子と九十九を必死で止める羽目になってしまった。
だが、その直後であった。牡丹に強引に止められ、長いこと説教を受けることになった二人であった。
その日の夜、おとり作戦を開始した。
柚月……ではなく、柚子は、街中を歩く。自然に、違和感のないように、静かに……。
そのはずなのだが、なぜか、柚子を見た人々は振り向き、柚子に見とれている。美人すぎて逆に目立ってしまったようだ。
視線を感じた柚子は、憂鬱だった。
――はぁ、最悪。しかも、歩きにくい。なんで、俺がこんなこと……。
やはり、着慣れていないせいか、動きにくいようだ。
柚子の足取りは一層重く感じたように思えた。
そんな柚子の様子を朧達は、角からそっと尾行するように覗いている。
周りの人からすれば不審者にしか見えないのだが、彼らは気付いていない。柚子のことが心配で心配で……。
「兄さん……じゃなかった。ね、姉さん、目立ってますね」
「まぁ、美人だからね。柚子って。でも、こうも見とれるってどういうこと?私の時は全然だったのに」
綾姫は柚子に対して嫉妬心を抱いているようだ。
女としては悔しいのであろう。
本来なら、そんなことを言っている場合ではないのだが。
「そこらへんは、仕方がないんじゃねぇの?」
「どういう意味よ!」
九十九に言われた綾姫は九十九に八つ当たりしそうになるが、朧が必死で止める。
ここで喧嘩を勃発させるわけにはいかない。目立たないように、柚子の事を尾行しなければならないのだから。
と言っても、完全目立ってはいるのだが。
――おそらく、一人になったところでさらわれてるはずだ。人気のない場所を歩けば、妖共も動くだろ。
柚子は、お得意の誘導作戦を開始する。賑やかな街並みから離れ、路地裏を目指して、足早に歩き始めた。
――さっさとこの任務を終わらせてやる!妖共め、待ってろよ。ぶっ殺す!
そもそも、こんなことになったのは、妖が女性をさらったせいだ。
柚子は、八つ当たりもできない状況の中、怒り……と言うよりも殺意を妖に向け始めた。
妖に殺意を向けるのは、当然と言えば当然なのだが、それにしても何とも気の毒なことであろうか。遭遇した妖達は無残に柚子に殺される羽目になると思うと……。
おとり作戦を終わらせるため、路地裏へ入るため、柚子は、左へ曲がった。
「あ、曲がったな。柚子」
「追いかけなくちゃね~」
柚子をよくからかう二人組は、とても楽しそうに柚子を追いかける。
しかし、いるはずの柚子の姿は見えなかった。
先へ進みあたりを見回しても、どこにも……。
「あ、あれ?いませんね」
「お、おかしいわね。確かに曲がったはずよ」
「たく、人騒がせな奴だな、柚子は。こんな薄暗かったら簡単に探せねぇだろ」
朧達は、焦燥にかられ、必死になって柚子を探し始めた。
朧達が柚子を見失っているとは知らずに、柚子は一人歩き続けた。
妖が自分をとらえるまで……。
――まだか?まだ、来ないのか?
妖を探しながら歩いているのだが、全く妖は見つけられない。
その時、柚子は気付いた。
後ろから気配がないことに……。
そう、尾行していた朧達の気配を感じられなくなったことに……。
――あれ?そう言えば、朧達はどうした?
柚子は立ち止まり、振り返るが、人一人気配がない。
九十九の妖気すらも感じられなかった。
――まさか、見失ったのか!?
柚子も焦燥にかられ、戻ろうとするのだが、なんと、ここで妖達が柚子を取り囲むように現れてしまった。




