約束~シロツメグサ~
「でさ、あんたは死にたいの? 死にたくないの?」
彼女の声が聞こえた。視界の隅に小さな白い花が映った。
俺はその声に答えた。
「死にたくね……え、よ。い、きた……い――」
「なら、約束して――」
「あ、あぁ……や、くそく、する、から――」
「分かったわ」
その一言が聞こえた瞬間、俺の意識は闇へと消えていった。
∞
「それでさ、この次どの町に行くの? あんたが勝手にパーティーをやめちゃったせいで、今路頭に迷ってんじゃない」
「う、うるせえよ。だって、あそこにいても俺の実力を生かせねえからだし」
俺は確かに今までいたパーティーをやめたばかりだ。それは否定しないさ。だからといって、そこまで責めなくてもいいだろう。
俺にあれこれ指図するのは使い魔のサツキ。長い髪をポニーテールにして、露出は多すぎるでもなく少なすぎるでもない洗練された服装をしている。彼女は妖精タイプの使い魔で、俺が小さい頃からの付き合いだ。
俺自身の名前がユウタ・シンドウという珍しい名前である上、使い魔もサツキなんて言う名前なので、よく異邦人と間違われるが、みんなと同じ生まれも育ちもタナリス帝国だ。
「それでも、路頭に迷ってるのは一緒でしょ。どうせあんたのことだから、計画もなくやめたんでしょ」
姉さんか何かのように言われると反論できないのは、昔から同じだ。
「そんなときのために、あたしが仕事見つけてきたわよ。一時しのぎでしかないけど」
魔術も使えず、体力などの能力も平均的なのに短気な俺が今の今まで生きてこれたのは、サツキのおかげだといえるだろう。
「おっ、サンキュー。えーっと、トゥラティア鉱脈に出るモンスターの退治か。もう少し給金が多ければ理想的なんだけどな――」
「仕方ないでしょ。こんな危険な仕事するのなんてアウトローな奴らか、あんたみたいな奴ぐらいしかいないんだから。どうせ、雇う方は私たちのことを消耗品か何かとしか思ってないんでしょ」
サツキの言うことはいつも正しくて、反論なんかできたためしがない。
「まぁ、怪我したらいつも通り治療してあげるから安心してよ」
「あぁ、わかった」
こうして俺たちはトゥラティア鉱脈に出るモンスターの退治をすることになった。
∞
あの人は私のもの
たとえ、どんな世界でも
あの人を助けたのは私
あの人と私はいつまでも一緒よ
∞
モンスター退治の仕事に集まったのは俺を含めて五人。サツキなどの使い魔は契約上、契約者の所有物となるため人数には含まれていない。フクロウやネコといった動物を使い魔として使う場合もあるから、納得できない話ではない。
一人目は、アウトローとして盗賊など非合法な仕事に手を付けてきたヘカテル。筋骨隆々で顔には大きな十字の傷があって、なかなか近寄りがたい。使い魔は妖艶な美女のリスフェウス。盗賊のくせに美の女神から名前をとるなんて厚かましいにも程があるんじゃないか。
二人目は魔術師のハトンダ。魔術師がモンスター退治に参加するのは珍しいことではない。魔術にかかる金は俺のような勇者――もとい冒険者の比ではないらしい。使い魔はいない。よほど自分の魔力に自信があるのだろう。
それにしても、何で魔術師は、よく長い黒いローブを被っているのだろうか。流行りのファッションか何かなのだろうか。
三人目は軽薄そうな狩人のイシュトヴァラ。男のくせに女のような名前だ。派手な見た目はハンターというよりも軽業師の方がそれらしい。使い魔はいない。狩人がいるのは珍しいながらも、戦力としては心強い存在だ。
四人目は俺と同じ勇者のメルクティヴィー。おどおどしていて気が弱そうな子だ。装備が脆弱そうなところから、パーティーの下っ端メンバーで、パーティーが解散したために路頭に迷って応募したということだろうか。使い魔は黒ネコのアシュタリオ。首についた星の飾りがかわいらしい。
二週間にわたって朝の九時から夕方六時までの間、鉱脈に潜ってモンスターを退治する。給金は一時間当たり5000ヘルテ。それとは別に退治したモンスターの種類ごとに一匹当たりの給金ももらえる。何か裏があるんじゃないかと怪しむくらいおいしい仕事だ。そんなにあったら、装備の新調をしてもなお、余るほどあるじゃないんだろうか。今後のために貯金でもしようか。
「いいこと、私たちには近寄らないでくださる。足手まといなのよ」
ヘカテルの使い魔のリスフェウスが唐突に言いだし、二人は俺たちを置いて先に行ってしまった。使い魔のくせに上から目線過ぎるのではないだろうか。
「なあ、ハトンダ。俺たちで組もうぜ。お前とならどんなモンスターでも退治できそうな気がするんだよ」
「や、やめろ。吾輩に近づくな。だ、だから――」
「いいから、いいから――」
ハトンダとイシュトヴァラも二人で組んでいなくなってしまった。
「じゃ、じゃあ――、一緒に組もうか」
「は、はい。よろしくお願いします!」
こうして俺は、流れ的にメルクティヴィーと組むことになった。
メルクティヴィーはいい子だ。物覚えはいいし、慣れれば要領もいい。三つ編みにした二つ結びに一般的な戦士が着ている動きやすい服装だが、実家の村によくいる娘のような服装をさせれば、とてつもない美人に化けるのではないだろうか。
後、隠れ巨乳ってやつだ。偶然ハプニングで知ってしまったが、別にやましい気持ちがあるわけではない。――断じて。
俺たちは多くのことを話した。家族のこと、好きな食べ物のこと、今までのこと――。
メルクティヴィーは自分のことを”メル”と呼んでほしい、と言っていた。彼女は予想通り、パーティーの下っ端で、今までいたパーティーが解散したために路頭に迷ったらしい。
俺たち二人のチームは他の三人と比べて退治数は一番少なかったが、俺は満足だった。ただ、メルクティヴィー――メルと一緒にいることができるだけで嬉しかった。
「――ってことなんだよ、サツキ」
何かあった時にいつも相談するのはサツキだ。今日も宿のベランダで相談に乗ってもらっていた。
「ユウタはメルクティヴィーのことが好きなの?」
「恋ってそんなものか?」
「相手のことを四六時中考えるんでしょ。そういうものよ」
俺は、メルに恋に落ちたらしい。
「そういえば、お前が花を持ってるなんて珍しいな。何の花なんだ?」
サツキの手には小さな白い花が握られていた。
「えっ、これ? シロツメグサというのよ。魔術に使える草ではないんだけどね」
「なんだ、興味なくした」
それ以上その花に関心が向くことはなかった。
新しい自分を発見した驚きに隠れて、俺は気付かなかった。サツキの微妙に歪んだ表情を。
∞
あの人はなんであんな雌猫に惚れたの?
私という存在がいながら、何でなの?
あの人のそばにずっといたのは私なのに
あの人に思い知らせてやる――私を裏切ったらどうなるか、を……
∞
その日だっていつもと変わらなかった。
「なあ、メル、聞いてくれないか?」
「えっ、何ですか?」
俺はとうとう、あの話をすることにした。
もちろん、告白やプロポーズではなく、俺がよく見ている話のことだ。
「俺、昔から変な夢を見るんだけどな、話していいか?」
「いいですけど――。いきなりどうしたんですか」
「いや、何だか突然話したくなってな」
俺は昔から、変な夢を見ていた。
その夢では俺はガクセイと呼ばれていた。ガクセイとは、セイフクと呼ばれる服装を着た俺と同じ十代後半の少年少女の総称だ。
ガッコウではガクセイが集まり、ジュギョウと呼ばれる学問を学んでいた。学問はコクゴ、エイゴ、スウガク、カガク、セカイシなど多様な内容があり、その総称がジュギョウだ。魔術師見習いの通う寄宿舎のようなものに近いと思う。
そこで俺は、特別目立ちもしない平凡なセイトだった。運動神経がいいわけではなく、頭がいいわけではなく、一芸に秀でているわけではないセイトということだ。
俺は一人の少女を見つめていることが多かった。どことなくメルに似た雰囲気の少女だ。ふんわりした感じの優しそうな印象がある。俺はその少女に好意的な印象を抱いていた。
優しそうな少女とは別に、もう一人の少女の姿が目に入った。彼女は気の強そうな雰囲気だ。失礼かもしれないが、サツキに似た感じの。
彼女は俺をよく見ている。そして、その視線が普通ではないことくらいは何となく察してはいるが、だからと言ってそれがどうしたというわけではなかった。
「――ということなんだ。おかしな話だろう」
「いいえ、変な話ではないと思いますよ。ユウタさんの話、面白かったです。もしかしてユウタさんって異邦人の末裔だったりしますか?」
「いやぁ、そんなことはないと思うけどな。今度実家に帰った時にでも、親父に聞いてみるよ」
「はいっ! 楽しみにしていますね」
俺のくだらない話を聞いてくれるメルは本当にいい奴だと思う。この仕事が終わったらメルと付き合って、いつかは結婚して子供が二人くらい――いいや、早すぎる。メルはただ、誰にでも優しいだけかもしれない。そうしたら俺は、ただの勘違い男になってしまう。よく見極めなくては――。
そんな話をしていたせいだろう。俺たちはいつもなら簡単に気付くようなモンスターの巣の中に入り込んでしまった。
モンスターの巣自体は恐ろしいものではない。恐ろしいのは、その巣の中にモンスターの子供がいた場合だ。親モンスターは俺でも一人で簡単に倒せるくらい弱くて非力な子供を守るために、どんな手でも使ってくる。実際、モンスターとの遭遇よりも巣の中に入り込んでしまったことによる死亡事故の方が多いくらいだ。
俺たちが入り込んでしまった巣の中にはモンスターの子供がいた。
そこで引き返してしまえればよかったのだろう。しかし、俺たちには運がなかった。その時ちょうど、親モンスターが帰ってきてしまったのだ。
親モンスターは俺たちが子供に危害を加えようとしていると勘違いをしたのか、ためらいもせずに襲い掛かってきた。
最初に餌食になったのはメルだった。
その時、身体が勝手に動いてた。俺がメルをかばったのだ。もちろん、防御魔法もろくな装備も用意していなかったから、俺の傷は致命傷だ。
――あぁ、やばいわ、これ。俺死ぬわ。
実際に死ぬとなると、心の中は案外冷静だった。
「メルクティヴィー、あの魔術師を呼んできて。あの人なら医療系魔術が使えるかもしれないから。隣のブロックにいるはずよ」
サツキがいつの間にか親モンスターを倒したらしい。サツキはいつも通り冷静なような。あのモンスターは雑魚モンスターだから、サツキなら一人でも楽勝だろうな。
ふと、サツキの顔を見ると、その眼は怒りを宿していた。
「ご、めんな、サツキ。俺、もう死ぬんだわ」
サツキ無言で俺のことを見つめていた。怒りと言っても、裏切られた時のような、憎悪のこもった怒りの眼差しだった。
「あなた、本当に忘れたの? あの約束のこと」
「はぁ? 約束って何のことだよ」
「なら、思い出させてあげる」
そう言うや否や、サツキは俺の額に手を当て、何やら呪文を唱え始めた。
すると、今まで見たことのないような魔法陣が現れ、だんだん俺の意識は遠のいて行った。
∞
気が付くと俺は、いつも見ている夢の中にいた。
俺は学生で、制服を着て学校に通っている。どこにでもいるような平凡な生徒だ。
今は昼休みがもう少しで終わるタイミング。周りは授業の準備をしたり、残り少ない休み時間を友人と過ごしたりおのおのが好きなように行動している。
「おい、悠太。昨日送ったLINE見てないだろ」
「あ、あぁ、ごめん」
俺の友人の雅也が話しかけてきた。
「日曜に遊びに行く約束のことなんだから、ちゃんと読んでくれよ。まったく……」
雅也のぼやきと共に五時間目の始まりのチャイムが鳴り、教師が入ってきた。
五時間目は古典だ。古典はつまらないことこの上ない。まず、何言っているのか分からない。そして、昔の言葉なんて勉強する意味がわかんない。
ああ、退屈だ。俺が何度目になるかわからない欠伸をかみ殺したとき、俺を見つめる視線に気づいた。
あれは吾妻弥生だ。長い髪をポニーテールに結わえ、意志の強そうな表情につり目が特徴的なクラスメイトだ。
あいつはちょっとおかしい。いや、俺がどうのこうのではなく、あくまで噂として聞いただけだ。去年吾妻のいたクラスが学級崩壊したのは、彼女が裏で手を引いていたからではないのか。三年の先輩がゴールデンウィーク明けに急に学校をやめたのは彼女が原因だからなのではないだろうか、等々――。
あまり近づきたくはないクラスメイトだ。
なんとも居心地の悪い思いをしながら、五時間目と六時間目を過ごした。
退屈なホームルームも済ますと、やっと俺は放課後を迎えることができた。
雅也に挨拶をして教室を出ようとすると、俺を呼びとめる声がした。
「悠太君、部活休部扱いになってるけど、いつからなら出られるかな?」
俺を呼びとめたのは如月メル。ロシア人とのハーフらしく、彫は深く目鼻立ちは整っている。それで優しそうな――実際、優しいふんわりとした雰囲気を持っているのだから、もちろんモテる。そして、俺が休部扱いでサボっているサッカー部のマネージャーだ。
「気が向いたら行くよ」
「わかった、待ってるからね」
守る気のない約束にでもきちんと返事をする。なんていい子なのだろうか。そんなところが彼女の優しさだと思う。
この短い応答の後、俺は家へと向かった。
俺の家の近所には建設中のビルがある。落下物が危険だと親はこの路を通るのについていい顔をしないが、近道なのでいつも使っている。
今日もいつもと変わらないはずだった。
――あの瞬間まではそう信じていた。
いつものように歩いていると、「危ない!」という声が聞こえた。
俺は頭上を見上げた。
そこからはスローモーションのようだった。
落下する鉄筋。
動けないでいる俺。
そして、俺の真上に落ちてきた。
幸か不幸か即死は免れた。
その時に思ったのはただただ痛いという感覚と、死にたくないという思いだった。
人の気配がして、やっとのこと目線を上げると、女が立っているのが見えた。
「あ、ずま――」
こんな状況にもかかわらず、相変わらず笑みを浮かべている。
「死にたくないでしょ。助けてあげようか?」
今の俺にとってそれは、悪魔のささやきとも言うべき言葉だった。
「な、何でだよ」
「だって、私、あなたのことが好きだもの」
こんなシチュエーションでなければ、嬉しい言葉だ。
――もっとも、相手が吾妻なのは考え物だが。
悪魔のささやきは、俺に考える時間をくれなかった。
「でさ、あんたは死にたいの? 死にたくないの?」
俺はこう答えるしかなかった。
「死にたくね……え、よ。い、きた……い――」
視界の隅に小さな白い花が映った。
「なら、約束して。私のことを好きになって」
「あ、あぁ……や、くそく、する、から――」
「分かったわ」
その一言が聞こえた瞬間、俺の意識は闇へと消えていった。
∞
あぁ、全て思い出した。あれは夢ではなかった。現実だったのだ。
「なぁ、た、すけて、くれよ……あのとき、のよう……に――」
しかし、俺を見つめるサツキのまなざしは冷酷なものだった。
「駄目よ」
「な、なんでだ、よ――」
そうして彼女は衝撃的な言葉を口にする。
「――だってこれ、四回目だもん」
――そういえば、あの白い花はシロツメグサだった。
∞
あの人は私を好きになってくれなかった
何で? どうして?
後、何回やり直したらいいの?
あの人に対する失望と、次こそはという期待
何度も苦悩した挙句に私は決断を下す
そうして私は、また、あの人を甦らせる
――――次は、どうしようか?