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「水晶の魔女」の魔法塾

曹伯祐と工芸の魔女の村

作者: 蒼久斎

続編が出そうな気はしつつ、面倒なので例によって1万2000字で区切った。短編にしてはゴロが悪いのは、まぁこのシリーズの通例ですわ。いずれガッチリ設定を固めて、まとめて長編にしたいと思う……んですけども。





 そう伯祐はくゆう

 道教系の、ぼちぼち中堅ぐらいの呪術師。実父は道教系結社の大幹部・ツァオ文宣ブンシュアン

 ただし本人は、親父とはそんなに関係のないフリーランスの傭兵……の、つもりで、二心はないですという証明に、ちょっと命の危険を感じなくもない誓いを「魔導連盟」に提出している。

 まぁ、そのぐらいしないと信用してもらえないという自覚はある。

 何せ伯祐はくゆうの実父である文宣ブンシュアンは、現在進行形で、歴史再現という、聞いている側が呆れてアゴを外しそうな、滅茶苦茶な計画を大陸で動かしているところだ。

 周王朝の血統呪術回路を発現した「先祖返り」の少女を起点とし、春秋・戦国時代から、始皇帝の秦を経て、楚漢戦争を越えて統一漢帝国へ至る、その歴史の道のりを、各勢力の血統呪術回路を復元した術師たちの戦闘によって再現する。

 これによって、古代の漢族が保有していた血統呪術回路を、より高精度で、なおかつ欠点を改良する形で復元しよう、というのが、親父殿の目論見である。

 知ったこっちゃねー、というのが本音だ。

 伯祐の持っている血統呪術回路は、曹と宋という珍妙なブツである。あと晋。それも西晋ではなく、東晋という微妙なチョイス。多分、親父殿がたんまり仕込んだ兄弟姉妹の仲で、最弱の部類ではなかろうか、と自分でも思う。

 まぁ、そんな自分でも、平均一般の漢族に比べると強い。

 文化大革命と一人っ子政策によって、漢族は一般人すら保有していた血統呪術機構が、壊滅寸前にまで追い込まれている。だからこその「歴史再現」計画だ。

 うん、知ったこっちゃねー。

 起点回路である周王朝の血統呪術回路発現者の少女を保護せよ、という親父殿からの依頼をこなすと、伯祐は早々に雲隠れを決め込むことにした。

 あくまでも「傭兵」として引き受けただけである、ということを信用されるためには、連盟の中立地帯に逃げ込むのが、手っ取り早くて安全だ。すなわち「工芸の魔女」の村である。

 催眠を全力活用して、素知らぬ顔で大型二輪を操る。

 ……無免許なのである。

 カーチェイスとスタントをこなす程度の腕はあるので、技量は問題ない。ただ、日本国内で運転するための免許は持っていない。そういうことである。

 山間の道を、いかにも一人でバイク楽しんでますというツラで、延々と走る。

 走り抜けた先には、古き日本といった感じの、農村の集落。

 田畑の間に家屋が点在するその風景に、都心とのギャップを感じずにはいられない。まぁ、上海から貴陽に行かされた時の比ではないが。貴州省は発展が遅れすぎていると思う。

 バチバチと、結界の水晶が、威嚇を放ってくる。

 通行証にと渡された、特別の術を施した水晶の回路を起動させる。

 次の瞬間、目の前に塞がっていた木立が、ぱかりと口を開けた。

「いや、何度見ても壮観だなぁ」

 侵入者を防ぐために、この「工芸を専門とする水晶の魔女」の村は、入り口に何重もの結界が張り巡らされている。その総仕上げとも言うべきモノが、この「森の壁」だ。

 通行証を持たない者は、この森に行く手を阻まれる。

 こんなにあからさまに大規模な「不思議」を行使できる魔法使いや魔術師は、そうそういない。昔は違ったのかもしれないが、現代では少ない。

 その数少ない一人が、エリカ・ワイズマンである。

 地中海世界で、血統呪術回路を重ねに重ねて「品種改良」した一族の末裔だ。血族婚を繰り返したが故に重なった問題を解決しようと、東洋系の術師との通婚を行った系譜の生き残りであり、そのため、西洋系やアラビア系の回路に、中国や日本の呪術回路まで重なった、凄まじいキメラ体と化している。

 彼女のような複雑な回路の持ち主は、今後はそうそう現れまい。

 この珍しい遺伝情報を狙う輩は後を絶たないはずだが、彼女の圧倒的な実力は、そういった連中を鎧袖一触になぎ払いまくっている。

 本来は、エネルギー状態で分類される「地」「水」「風」「火」の四適性についても、彼女はただ一人、本当の意味での「元素」の魔女である。すなわち、水の魔女。水でさえあれば、個体の氷、液体の水、気体の水蒸気、そしてプラズマであろうと操ってみせる。

 この希少種ともいえる性質を、己の親父殿があまり狙う気配を見せないのは、やはり何だかんだいっても最後は漢族こそが最強だと信じているから、なのだろうなぁ、と伯祐は思う。

 親父殿の血統信仰は、少なくともエリカ・ワイズマンに対しては、害ではない方向に働いているらしい。かの西周王朝の血統呪術回路発現者、未熟な姫巫女ヒメミコには、どう考えたって害だと思われる方向に働いているが。

 まぁ、知ーらね! である。

 生憎と、なんとかギリギリ八〇后(バーリンホー)な伯祐は、基本的に他人のことなど知ったこっちゃない、近代中国の子どもなのである。子どもって年でもないが。

 そもそも、親父殿からも「イマイチ使えない回路持ち」と見られている身が、他人の心配をするような、殊勝な人間に育つわけもないのだ、とも思う。




 森の壁を通り抜け、伯祐は「魔導連盟」指定の中立地帯である、「水晶の魔女」一門管轄下「工芸の村」へ入った。ここまで逃げ込めば、親父殿の追加注文も届くまい。

「あー、ユウさんか。久しぶり」

「お、久しぶり。また将棋の相手頼むよ」

「はいはい。呼ばれたら行きますよ」

 早速、肩から編み籠を下げた男女に、声を掛けられる。籠の中にはヨモギが詰まっているので、薬にするか、染料にするか、なのだろう。

 この村では、基本的に、全てのものは生産される。

 無論、情報機器とか近代科学の産物は不可能であるが、食料、衣類、身の回りの品、果ては薬まで、かなりの生活必需品が、自給自足でまかなわれている。

 特に、この村で生産される繊維製品は、呪術師の業界では人気だ。

 そちらの界隈でも「化け物」として有名なエリカの作品は別格としても、この村で作られる糸や布は、呪術のチカラを底上げする効能がある。

 その秘密がどこにあるのか、内側に入ってみてもわからない。

 まぁ多分、この環境全体というか、村の関係者の相互協力で生まれているのだろう、と思う。似たようなことを探りに来た同業者は、だいたい同じ結論になる。そして、村の秘密を握って云々という企みは、すぐに諦めるのだ。

 この村は、開放されているからこそ、特別なのだろう。

 秘密の技術というものが尊ばれる世界において、妙なことではある。

 何度も入っているのだから、当然のこと、地理は頭に入っている。

 この村は家屋があっちこっちに点在しており、建物が集中しているのは、ほぼ全てが工房群だ。専門を同じくする魔女たちは、集まって暮らしもするそうだが、基本的に個人の生活は、バラバラのマイペースである。良くも悪くも自己責任の精神が浸透しており、たまに、畑が枯れたとか泣き言が漏れ聞こえてきても、自己責任の一言で捨てられている。

 魔女とは自律できる者。

 それが、この村のルールの枢要らしい。

 胡散臭い藪を抜けると、焦げ臭い建物が近づいてくる。

 村人に「すずのや」と呼ばれている此処は、金属加工の工房である。貴金属から卑金属、合金まで、全てここで取り扱う。水源を汚染しないようにという意味もある。

「ん? ユウさんか……」

「まだ壊してないぞ」

 人の顔を見るなり工具を掴もうとするとは、なかなか失礼な魔女だ。男だが、彼ら彼女らの分類でいうところの、れっきとした「魔女」である。

「あんたは道具使いが荒い。自業自得だ」

「壊れたらちゃんと依頼料持って訪問するさ。今回は緊急避難」

「……ん? ああ、あんたの親父殿絡みか」

「巻き込まれたくねえのです」

 はぁん、と彼は一つ、渋い顔をする。

「『魔導連盟』の秩序維持能力を、過大評価するのも考え物じゃないか?」

「少なくとも、この村を攻略しようとは、親父殿も考えねーよ」

「なんでそう断言できる?」

「放置しておく方が利益を生む存在ってことさ……で、何作ってんのか聞いても?」

 彼の横に置かれているのは、水がなみなみと満たされたガラス製の金魚鉢と、微妙に色合いの異なる、金属の小さな板が、数枚。

「新型のペンデュラムに使う合金の配分を……休憩中」

 たしかに研究中と言うには、あまりに何もしていなかった。

「何に使うんだ?」

「水脈探知」

 意外な答えが返ってきた。

「この村には、水使いのオバケがいるのにか?」

 エリカがいれば、水関係のトラブルはまず回避できる。

「そのオバケが留守中に、困ったことが起きても大丈夫なように、だ」

「……起きたのか」

「起きたんだ。一昨日、水道管がぽぉん、とな」

「それはまた参ったな」

「昨日は修理でてんてこ舞いで……んで、対策を練れって言われたんだが、どうも」

「ははぁん……で、休憩中か」

「中国四千年の知恵に、なんか使えそうなネタはないかい?」

「生憎と、夏王朝の治水技術は、こちらは持ち合わせて無くてねぇ」

「使えねーな」

「使えねーのですよ」

 言う人間によってはぐっさり刺さる言葉も、不思議とこの村では平気だ。

「こりゃもう開発より、オバケが戻ってくる方が早いな……」

 サンプルらしい金属片を、金魚鉢の水に浸しながら、彼は呟く。

 天才が技術革新を促すのは、科学の世界の普通であるが、魔法や魔術の世界では、天才は技術を停滞させる。一足飛びに最適解に辿り着く存在は、間の試行錯誤の積み重ねを要さないが故に、そこから生まれるはずのものに光を当てない。

「……銀の配合率を上げるかなぁ。でもそうすると原価がなぁ」

「オキバリヤス」

 観光地で覚えた胡散臭い励まし言葉を残し、伯祐はさらに歩みを進める。

 途中で、金属イオンの汚染水タンクを見かけた。増えている。

 業者が引き取るものもある……というか、一般人向けには業者が出入りしないと不法投棄を疑われる以外の道がないので、必要はないのだが業者に渡している……が、本当のところ、水のオバケことエリカがいれば、浄化作業すらも半日足らずの仕事となる。

 彼女の歌は万能過ぎる、と思う。




 ガッチャーン、とモノの割れる音が聞こえてきた。誰かしくじったか。

 ちなみに、近づいてきたのはガラス工房である。

 二酸化ケイ素を最重要視する「水晶の魔女」たちにとっては、ガラス細工というものは、魔法を行使する重要な媒体の一つだ。なので、ガラス工房はほぼ全員が出入りする。

 その割に、村の外での評価が繊維製品ほど高くないのは、やはり水晶の魔女一門にしか、その真価が引き出せないからなのだろう。

 ここ製の容器で保管した魔法薬エリクサーの品質が、高いレベルで安定するだとか、そういう効果は確認されているのだけれども。

 ひょっこりと顔を出せば、姉妹の職人が箒を手に床を掃いていた。

「……ニーハオ」

 姉から、中国語として意味を成していないレベルに抑揚のない挨拶が来た。

「さっきの音は?」

「失敗作の叩き割り大会。溶かして再利用するのに、小さい方が楽だから」

 妹が説明してくれた。

 ちなみに、兄弟弟子とかいう意味ではなく、二人は本当に姉妹である。

「呪術機構を少しねじった、から、燃やし尽くすまで、結構かかる」

 訥々と、抑揚のない声で姉の方が言う。

「ラスター彩に手を出せるのは、いつの話になるのやらねぇ」

「修行、あるのみ……」

 黙々と手を動かす二人のところに、中年の男が顔を出す。

「派手な音がしたと思ったら、お前さんたちかい。予約帳は書いてたか?」

 大勢の人間が利用するだけあって、ガラス工房は予約制である。実のところ、ここの工房はすべて中心センターの帳簿で予約を取るシステムなのだが、他のどこも鉢合わせの可能性が低いため、予約帳が使われているのが、ガラス工房だけになっている。

「……あ」

 妹が気まずそうに目をそらし、姉は黙って箒を加速させた。

 バッティングしたか。

「まぁいいけどよ。おいちゃんの実験は、そうそう急ぐもんじゃねぇし」

 自分で自分を「おいちゃん」と言う彼は、ガラス工房の親方格の一人である。

「実験ですか?」

「おう、伯祐か……そうそう。ちょいと思いついてな、一昨日に水道管がぽぉん、といったんだが、ワイズマンの流体制御術式を、ガラスに刻んで封じられないかと……」

「いきなり高度な挑戦ですね……」

「まぁ、要は解釈次第だろ? ガラスを粘性無限大の液体と判別することで、適性『水』に応用できる基本術式を、カプセル化して持ち運べるんじゃねぇかとな」

 その発想がまずおかしいのだが、おかしいことを実現してしまうケースが多々あるのが、この村の恐ろしいところである。

「んっ? 今、四塩化炭素に関する論考が閃いたぞ!」

 おいちゃんは唐突にそう叫び、地面に化学式やら数式を書き連ね始める。

 まぁ、この村ではよくある光景だ。多分、始終こんな感じで、水晶の魔女の一門は、連盟所属組織の中でも、屈指の上り調子を維持しているのだろう。

「屈折率! そして反射! 透明化に関する技術的障壁とは!」

 奇声を発しながら、おいちゃんは閃きを数式にしている。

 もう一度言うが、この村に限れば、そんなに珍しい風景でもない。

「……おいちゃんが予約している時間帯は、安全に使用できるってことかな?」

「そうなんでしょう、多分」

 閃いたのはきっと事実なのだろうが、こうして他に打ち込むことを見つけたぞと大々的にアピールしてくれるのは、予約帳を書き忘れた姉妹職人への気遣いなのだろう。

「ちなみに、二人は何を作ろうと?」

「今日は、失敗作の処分、と」

「多重螺旋構造実験をするつもりで……」

 工房なのだが、物作り以外に、データを取りに来る者も多い。

「二重螺旋のデータを増やして、余力があれば三重螺旋構造の試作を」

 妹の目が爛々と輝いている。

「……複雑になりすぎない?」

「試したくなるのが研究者の性というヤツですよ。バラリンのレースガラスみたいなのを作りたいという、職人っぽい憧れもあるんですけども、術者としてはそういう美しさの中に、呪術的効用を潜ませてみたいというものがですね……」

 バラリンとはまた大きく出た。ヴェネツィアはムラーノの超有名職人だ。世界で数人しかいない、細密なレースガラスを作れる人物なのであるが、そんなレベルの繊細な工芸品に、呪術的要素も加えたいとは、なかなかどうして、この姉妹の野望も壮大である。

「人生に退屈しなさそうだね……」

「毎日が挑戦ですよ!」

 力説する妹の後ろでは、比較的無口な姉も、こくこくと頷いている。

 なるほど、この一門のエネルギーは、創作から生まれているのだなぁ、と思う。

 例の怪しい日本語「オキバリヤス」を残して、伯祐はガラス工房を去る。おいちゃんは、数式を消しては書き、書いては消して、うんうん唸っていた。

 ガラス工房から目前という距離には、村の中心センターである「博物館」がある。

 一門に入門した魔女たちが、自分の「番の石」を探すためにやってくる、珍しい水晶標本などを集めた、水晶使いのための施設である。

 二酸化ケイ素を主成分とする鉱物ならば、だいたい見られる。




 水晶博物館の隣は「資料館」という名の、村で生産された作品の一部を収蔵する施設になっている。そしてその周辺には、一応、飲食店っぽいものがある。

 外から人が来ることは珍しいが、村の中で作業に没頭する人間に、飲食物を提供する施設は、それなりの必要があるので、多分なんとか回っているのだろう。

 伯祐は、慣れた様子で「喫茶」の扉を開く。

「あれユウさん?」

「親父から逃げてきたのです」

 給仕役のような、エプロン姿の女性に、先回りして言い訳をする。

「へぇ、ツァオ大人ターレンから……まぁ深入りはしないけど……で、注文は?」

「サンドウィッチとか軽食を適当に」

 適当きわまりない注文を適当に言うと、ウワァ、と顔をしかめられる。

 それはこっちのセリフだ、と言いたいのは伯祐の方である。

 何故ならこの店、メニューがないのである。

「……文句つけないでよ?」

 そう言うと、彼女は小豆ほどの大きさの水晶を取り出し、右目の前にかざした。そして、水晶越しに伯祐を眺めると、シャッターでも切るように、ぱちりと瞬きをした。

「電解質減ってるわね。塩気を多めにしておくわ」

 簡単に体の状態を見られたわけだが、まぁこの村ではよくあることだ。

「謝々」

 いーえ、と聞こえたような気もしたが、早くもコンロに入れられた火のせいで、いまいち聞き取れない。彼女はこぢんまりした厨房で、手早く調理を開始していた。

「特製のランチにしましょうか」

 トースターに火が入った。作り置きのスープを満たした鍋の火が強められる。ざく切りにした野菜にドレッシングが振りかけられて、ポテトサラダが添えられた。

「はい、どーぞ。まだまだ追加するからね」

「イタダキマス」

 手を合わせ、食事を始める。ちなみに割り箸使用である。

 中華文化圏出身の伯祐には、箸を操るなど造作もない。もちろん、フォークやスプーンで食べることも出来るのだが、一度割り箸の便利さに味を占めて以来、その虜だ。

 卵の入ったスープは、塩味が強めに調整されている。ピリリと効いた胡椒も美味しい。思った以上に、体は疲れを抱えていたらしい。もう少し塩気があったって良いほどだ。

 シャキシャキと、野菜の歯ごたえは新鮮そのものである。素晴らしい。

 日本では野菜や米を洗剤で洗うと、家事の出来ない馬鹿者扱いをされるそうだが、中国では、野菜というのは基本的に洗剤で洗うものだ。理由は農薬である。あやしい農薬を素知らぬ顔で使ってしまう農家も少なくない中国産の野菜は、むしろ洗剤を使う方が安全だったりするのだ。

「はい、追加」

 ツナペーストに、スライストマトとオニオンを合わせ、きつね色に焼き上げた薄い食パンに、レタスとともに挟み込んで、ホットツナサンドができあがる。

「プレーンオムレツも行くよー」

「はーい」

 ふわっふわのオムレツが、ほかほかと湯気を立てて、皿に盛られる。

「もうここに永住したい……傭兵しかできないけど……」

 半分以上は本音だ。安全な食事が提供される安全地帯だなんて、最高である。

 しかし、返ってくるオコトバは、以前と変わらない。

「戦闘員は、ほぼ全員が兼任してるから、いらないかなぁ?」

「デスヨネー」

 むしろ戦いしかできない人間に、長期間中にいられると、村の中立を疑われて困るのだ、ということは、伯祐とて重々承知なのである。

「なにか工芸で腕を磨くなら話は別だけど」

「フッ……どう足掻いても自分が傭兵なのは理解してますよ」

 しかし、メシが美味いのはやはり魅力的なのだ。

「ハンバーグとエビフライと、スパゲティ・ナポリタンが食べたい……」

「ユウさんって、かなりお子様向けの料理が好きよね」

 リクエストを受けて、ひとつかみのパスタが茹でられ始める。

「お子様向けとは、つまり万人向けなのですよ……ナポリタン食べられます?」

「エビの在庫がないから、エビフライは無理だけど。でも、ハンバーグナポリタンは出せるわ。カレーライスも好きだったわよね?」

「カレーピラフも捨てがたい……あと、ここのグラタンが大好きです」

 ぺろりとオムレツを平らげつつ、伯祐は手を擦り合わせる。

「よく入るわね」

「働き盛りの肉体労働者は、基本腹ぺこなのです」

 ほいっ、とフライドポテトに、塩を添えて差し出された。続いて、温野菜の盛り合わせ。人参にアスパラガス、ブロッコリー。カリカリに焼いたベーコン。

 ぺんぺんぺん、と小気味よい音がして、肉ダネから空気を抜く作業が終わる。牛脂をのばしたフライパンで、ハンバーグが焼かれ始める。デミグラスソースの香りが堪らない。

 両面に焦げ目が軽くついたら、水を打って蒸し焼きを開始する。

 パスタが茹で上がる。麺から水気を切ると、切ったピーマン、マッシュルーム、オニオン、ベーコンと合わせ、ケチャップとウスターソースで味を付けながら、火を通しつつ絡める。

「おまちどおさま」

 スパゲティ・ナポリタンの上に、焼き上がったハンバーグをのせ、惜しみなくたっぷりのデミグラスソースを回しかけて、差し出される。

「イタダキマス」




 好物の洋食を、ぱくぱくと食べていると、ひょこりとガラス姉妹が顔を出した。

「あー、ユウさん、ずるい! うらやましい! 知らなかったですよ、このメニュー!」

 伯祐のハンバーグナポリタンを見て、妹職人が声を上げる。

「……作ろうか?」

「やった!」

「私、の、分も……」

 姉職人が、そっと挙手をしつつ加わる。

「オッケー! 席は好きなとこ座ってていいからね!」

 姉妹は、きっと実験データを記したのであろうノートを手に、隅の席を取る。ほどなく、おいちゃんも姿を現して、二人の席に招かれた。

「ちわーっす」

 高機たかばたの工房に入った女性職人が、顔を出す。

「あら? 前の始末、終わったの?」

 調理を続けつつ、大きめの声で問うのが聞こえる。

「一昨日、水道管がいかれたでしょう? あれで次の糸を洗う作業が止まったんで、その分を別のところで労働したってわけッス。ついでに、染料をもうちょっと考えようかと」

「次、何で染める予定だったの?」

「ユーカリの三番液をもらえたんで、冷蔵保存してたんッスよ。それで」

「え? ユーカリって、三番液でも染まるの?」

 驚かれるのも無理はない。草木染めでは、染料植物を水に浸したり煮たりして色を取り出すが、三番液ともなると、色を引っ張り出すのも三回目である。普通ならとうにくたびれている。

「さすがにアカネほどは無理ッスけどね」

「ありゃ底力ありすぎでしょ」

 奇跡の染料植物は、三番液でも十分すぎるほど染まる。

「もらったユーカリも赤色出てるんッスよ。わりと期待してますね」

 ほほう、と伯祐は聞き耳を立てた。ユーカリのどの部位を染色に使っているのかは知らないが、赤色というのはなかなか面白い。

「へへえ……ユーカリの効能は、熱冷ましとか虫除けだっけか」

「交雑種も含めて600種類ぐらいあるらしいんッスけど、まぁメジャーな効能はそれッスね。けど、私の実力じゃ、薬草染めに効能まで計算云々とか、まだまだ無理ッスよ」

「その年と修行期間でできりゃ、オバケさんでしょうよ」

 どうやらエリカの村でのあだ名の一つは、本当に「オバケ」らしい。

「あの方は……正直桁が違うッスよ。こないだなんか、ジャカードのパンチを、オリジナルで組んで持ってきて……ビビッたなんてモンじゃないッスね。機器も見ずに作って、ちゃんと模様になるんッスもん。いや、理屈じゃ分かるんッスけどね。けどこりゃねーッスよ」

 ほれ、と彼女は、一枚の端切れを見せる。

 どれどれと、店に集う職人たちは、近寄って目を凝らした。

「うわ……また複雑ですね……」

「複素数平面、の、視覚化、っぽい」

 姉妹職人が感嘆の声を上げ、ちょいちょいと指を動かして計算していたおいちゃんは、しばらくして改めて仰天した。本当に数式になっていたらしい。

「これをそら(・・)で組んだのかい?」

「照合装置は持ってらっしゃらねーはずなんで、そーすっと、仕上がりは頭の中でしか組めねーはずッス。これ見えてたんッスかね、マジで」

 複雑な紋様を織りだした布きれをもてあそびつつ、彼女は首を傾げる。

「見えていても驚かんさ」

「同意」

「ですよー」

 ガラス工房組が、おいちゃん、姉、妹の順番に主張する。

「おいちゃんは、三日で全部の技術の基礎を持ってかれたしな」

「あの方が二日足らずでマスターした技術、未だに手こずってるのが我ら姉妹」

 ありゃオバケです、と、ガラス工房三人の結論が一致する。

はたの工房でも武勇伝あるんじゃないんですか?」

「やー、自分はまだ入門して日が浅いんで……ただパンチ持ってこられた時、親方たちの顔が死んでたッスね。あと、山の手の窯元の職人が、顔引きつらせてたッス」

「ああ……窯業も根こそぎされたからな」

 おいちゃんが遠い目になる。へ? と女性職人三人が首を傾げた。

「山の手の窯元ったら、こっちに移ってきたオバケ様に、たしか窯出し一回目でコツを握られて、二回目でほぼ全部の技術を覚えられて、三回目は逆に助言をされてたはず」

 なんという化け物。むしろオバケ様程度の呼び方では可愛すぎる気もする。

「窯元やられただろ? おいちゃんもやられただろ? 木工所なんか、初日に突撃されて、たしか三日もたなかったはず……すずのやも一週間もってない……機の工房が十日かな? 染色工房はまだ出入りしてるけどもな。季節毎の染めがあるんで、まだ試しの周期が終わらんのだろ……」

「技術吸収速度が速すぎるッスよ……」

「オバケだからな」

「ん? 漆の工房は何日で陥落したんです?」

 妹職人が、村の施設を指折り数えて、打ち漏らしに気がついた。

 この村には、漆器の工房もある。

「オバケ様、肌が弱いってんで、そこだけは近寄ってねえ。文字通り最後の砦」

「あー……かぶれますもんねぇ」

 漆は、専門の職人ですら、時折なめて抵抗をつけるほどのものだ。

「友禅の技法すらもだいたいカンで察するオバケ故に、突撃された瞬間に陥落が内定する予感はある」

「え? 友禅とか、最高峰の技術の詰め合わせじゃねーッスか! 無理っしょ?」

「できるからオバケと言うのだ」

 なんて恐ろしい説得力。




 食事を終え、お勘定を適当に支払い、足りなかった分は、情報か労働で対価を支払う旨を伝えておく。おいちゃんの注文したカレーオムライスが気になるが、さすがにお腹一杯だ。

 村の中を、宿を営む唯一の区画へ向けて進む。

 この村は、魔導連盟関係者の会談場所に使われることがあったり、あるいは学会の会場としても使用されることがあるので、宿泊施設は一応存在する。

 テラコッタのタイルで舗装された道の向こう側、堂々とした「館」が姿を現す。

 村で最大の宿泊施設である「万象館ばんしょうかん」である。

 ニャー、という鳴き声に振り返ると、堂々たる筋肉質の体躯を、長い毛で覆った猫がいた。ブラウンタビーと呼ばれる、茶色の縞模様。加えてあの巨大さ。

 エリカの飼い猫、アーサーだ。

 オバケと呼ばれる飼い主同様に、アーサーも、この村の中で生活する猫や鳥、その他の「魔女のペット」と比較して、抜群に高い知性を誇っている。

 さながら警告でも発するように、高く一声鳴いた後、アーサーはのそりとその巨体を、闇の中へと紛らせていった。推測するに、アイヌ系の伝統呪術研究所を構えている、摩霧マキリ一族の専門工房へ向かったのだろう。

 様々な工房の技術を、場所によっては一月どころか一週間足らずで修得していく、工房荒らしのエリカであるが、伝統呪術については深入りする気配は見せない。

 が、彼女の中にいくらか励起状態で起動している、アイヌ系の呪術回路の影響だろうか。アイヌ系術師の数少ない生き残りである摩霧マキリ一族との距離は、他のグループに比べると、幾分か近いようである。少なくとも、半ばは分身とも呼べるアーサーを預ける程度には、親密である。

 ワイズマンも、滅びる寸前の特殊家系である、というのが、あるいは、摩霧マキリ家とエリカとの関係を、さらに深めているのかも知れない。

 ワイズマンの血統なんて、滅びた方が世界の安全のためじゃない?

 ……なんてことを臆面もなく口走る程度には、エリカは自分に濃縮された、あまりに重すぎる歴史の願いを、憂鬱に感じているらしい。

 うすぼんやりと、湿気を帯びた風が吹き抜ける。

 そういえば、エリカは元素としての水の魔女であるが、摩霧マキリ一族も水系統の術を得意にしていた気がする。いわく、水場で対戦したら半分以上負け確定、とか。

 ニャー、と再び猫の鳴く声がした。

 人も近づく気配がする。一人。

「アーサー、早い……早いから……」

 若い女の声がする。聞き覚えがない声だ。

「お客さんって誰……よ?」

 薄闇の中から姿を見せた女は、やはり摩霧マキリの術師らしい。アイヌ独特の、渦を巻く呪術紋様が縫い取られた、額当てをしている。

「どーも。宿泊、飛び入りできます?」

 警戒を解くように、意図して軽い口調で話しかける。相手は面食らったらしい。

「え……ええ……えーと、あなたは?」

 目を白黒させつつ問われ、伯祐は素直に素性を教える。

「曹伯祐。『魔導連盟』雇われの、道教系の術師です。あなたは摩霧の?」

「ええ……野乃花ノノカよ」

 ああ。たしか、アイヌ語で「ノンノ」は「花」だったか。

「あなた、エリカの知り合いなのよね?」

「アーサーから聞きましたか」

 猫語は人間には理解できなくて普通だが、アーサーは別格である。

「植物を使った術式の、共同研究をした仲です」

 具体的には成長促進術だが、企業秘密かもしれないので、やんわりぼかす。

「私は水流の形象転写術を、共同研究してる仲なの」

 オバケ様と共同研究だなんて、並大抵の術師ならば、知識を根こそぎむしられて終わりそうな気がするが、野乃花はどうやら違うらしい。

「アーサーに呼ばれたのは、多分、意味のある出会いなんでしょうね……よかったら、お茶でも付き合っていただけます?」

 猫に引っ張られた程度で、運命も意味もへったくれもないだろうが、アーサーが並大抵の猫とは一線を画すどころでない存在なのは、お互いの共通認識らしい。

「ええ。ここの喫茶室、開いてるんですか?」

「多分開いているかと……」

 二人で歩みを進める。奥の喫茶室の鍵は開いていた。誰もいなかったが。

「勝手に入れちゃいましょう……コーヒーでいいですか?」

「あー……そうですね、お願いします」

 野乃花は、慣れた調子で、機器を使い始める。

 伯祐は、手近な席に座って、それから、カフェの一角を占領している、巨大な水晶の標本に目を向けた。長辺が1メートル以上ある二酸化ケイ素の塊は、成長速度が速かった部分と遅かった部分とで、数多くのへこみを形成している。骸晶がいしょうとよばれる現象だ。圧倒的な質量が、廃墟を連想させる。

 コーヒーの香りが漂う頃、その「廃墟」で、誰かが笑ったような気がした。

「……その水晶に、幽霊が住んでいるっていう噂、ご存じですか?」

 カップに入れたコーヒーを運んできた野乃花が言ったのに、伯祐は目を瞬かせ、それから、なんとなく納得した。

「誰の幽霊か、分かります?」

 その問いに、コーヒーを一口飲んで、彼女は答えた。


「『歴史の魔女』だそうですよ」





「歴史の魔女」の気配が出てきたところで、しかしぶった切りすいません。

故人ですよ、マヤさんは! 弟子のマリさんが、90のおばあちゃんなんですぜ。生きてたらビビるわ。どんだけの長寿だというね。


摩霧一族とアーサーは、なにげに本編初登場。とはいっても、多分、ノノさん以外はろくに出てこない気がする、摩霧家。

ちなみに「マキリ」はアイヌ語で「風」だった気がする。アイヌ語の授業取り損ねたから、あやしいんだけども。風なのに水属性なのとか突っ込まれたら、私が終わるので許してつかぁさい。


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