洋服
早朝、鳥の鳴き声で目が覚めた私は、ベットから身を起こながら昨日の彼女の様子を思い出した。
(鞭で叩くのが好きだった、か……奴隷と言う立場にあっても、年端も行かない少女を痛めつけるためにおもちゃにするなんて、いくらなんでもやり過ぎだろう。
前の主人は相当な嗜虐趣味でもあったのか、それとも彼女に対して特別な恨みでもあったのか…
分からないが彼女のトラウマを解決するためには時間を掛けて、受けた虐待を忘れることを待ったほうがいいか)
原因を究明せず、問題の棚上げとも言える思考だが、それでも急いでどうこうして事態を悪化させるよりも、よっぽどマシな解決案とも言える。
結局は私が前の主人とは違うところを見せて、彼女から信頼を勝ち取っていくしかないのだろう。
別に私を主人として信頼してくれなくていい、ただ医者としてさえ見て貰えれば、それで今より幾ばくかは良い状態にはなるだろう。
着替えを終え、リビングに向かった私は、そこでテーブルに備え付いている椅子の横に立つカトリを見つけた。
「…あっ、おはようございます」
「ああ、おはよう」
昨日床に座るなと言っておいためだろう、彼女はどうしていいか分からない様子で佇んでいた。
「その椅子が君の席だ。朝起きて私がいなかったらそこに座って待っているといい」
「…分かりました」
「さて、それじゃ朝食を作ろう。昨日のようにテーブルを拭いて食器を出してくれるかい」
彼女が小さく頭を下げたのを見届けた私は、食材を取り出すために冷蔵庫に向かう。
(良く眠れたか? なんて聞けやしないな…)
冷蔵庫からレタスに似た野菜を取り出しながら、私はつらつらとそう思った。
朝食を終え診療所に来た私は、本日診察の予定が入っている患者がいないことを確認し、ドアに鍵を掛けた。
彼女の生活用品を買いに行く必要があるだろう。特に新しい服は必要だ、今のボロのままでは可哀想だし何より肌が露出しすぎている。
嫌が応にも傷跡が意識されるし、不必要に日光に晒されるので単純に健康にも良くないだろう。
(後は生理用品か、体の発育と育成環境から見てまだ来ていない可能性はあるが、それは本人に聞けばいいか…って私は何を考えているんだ)
医者視点の思考だったが、デリカシーのない考えだったなと反省する。これに関しては必要なものは買いなさいと命令することで、本人に任せようと思った。
「今から市場に買い物に行こうと思う。君もついてきなさい」
リビングの椅子にそのまま座らせていたカトリに話かける。彼女はコクリと頭を小さく下げ、席を立ちトテトテと私の側に寄ってきた。
(何か小動物みたいだな…)
私を見上げるその大きな瞳に依然変化はないが、言うことをよく聞き、素直な彼女にそんな印象を持ってもおかしくないだろう。不謹慎かもしれないが私はそう思った。
…
「いらっしゃいいらっしゃい! 今日は新鮮なガランの卵が入ってるよ! 見てってくれ!」
「お客さん、うちのアパの実は甘くて美味しいよ! 今なら5個で1000リンだ!」
商売人の喧騒が街を彩る。この街はさほど大きくはないが、正午の市場はとても活気に満ち溢れていた。
私はカトリを横に連れだって歩く。彼女は市場が珍しいのか、キョロキョロと目線を左右に動かし辺りを観察していた。
(こうして見ればただの年相応の女の子なんだけどな…)
市場の様子に興味を引かれるのは普通の事だ。この普通を彼女は体験したことがなかったのだろうか、忙しなく動く彼女の瞳を見るたびに、私は何とも言えない気持ちになった。
(それにしても)
カトリの歩く姿勢はとても綺麗だ。片腕だが手を前に置き、背筋を真っ直ぐに伸ばし前を向いて歩いている(目線はよく動くが)
彼女の境遇を考えれば、とてもそんな教養があるように思えないのだが…
(そう言えば言葉使いも丁寧だな)
元々は裕福な家庭で育ったのだろうか、何ともアンバランスな印象を受けた。
(まぁそれでも恰好で全て台無しだ。早く新しい服を買ってあげなきゃな)
この世界で奴隷と言う存在は珍しくないが、それでもボロの服を着たままの彼女に好奇の視線を投げかけてくる人間はいる。私は少し足早に目的の店に向かった。
「いらっしゃいませ。ってあらセンセ、お久しぶりね」
馴染みの洋服屋のドアを開ける。丁度目の前で商品を折り畳んでいた店主と目が合った。
この店主、濃すぎる化粧と派手な衣装で身を包み、男だか女だか分からない外見をしているが、他人の似合う服を見繕うことに関しての腕はいい。
正直女の子の服など分からない私は、ここの店主にブン投げようと思っていたところだったので丁度良かった。
店主は私の隣に立つカトリを一瞥した後、口を開いた。
「あら今日はその子の服を買いに来たのね。私がしっかり可愛くしてあげるから任せなさい!
どうせセンセが選んでも変なコーディネートにしかならないでしょ」
接客業のプロは話が早くて助かる。何も話さずとも一目で訳ありと空気を読んでくれて、ここに来た目的も察してくれた。
「え?…あっ」
店主は理解が追いついてない様子のカトリの手を強引に引いて、店の奥へと消えていった。
私は彼女がどう変化するのか少しだけ興味を持ちつつ、手持無沙汰に商品をいじりながらその時を待った。
「お待たせ〜! どうセンセ? 見違えたでしょ☆」
暫くすると店主がカトリの手を引いて姿を現す。店主のウインクに若干イラっとしながらも、彼女の姿を見た私は口を軽く開いたまま固まってしまった。
少しだけフリルのついた白の長袖のブラウスと傷を隠すためのチョーカー、そして紺色のスカートで身を包み、足元の奴隷の刻印を隠すためか、黒のソックスと赤いパンプスを履いた彼女は、どこかの令嬢と言っても過言ではないほど可愛らしく、良く似合っていた。
「女の子なんだから可愛いカッコさせてあげなきゃダメよ〜。センセの品性にも関わるんだから!」
そう言って店主はカトリを私の前に軽く押し出す。香水も付けたのだろうか、フワっと甘い香りが彼女から漂った。
「……」
肝心の彼女は俯いたままで表情が伺えない。私が何と言ったらいいか困っていると、目の前の彼女がおもむろに口を開いた。
「……わ、たしに…こんなお洋服は必要ありません、前のままで結構です…
先生にご迷惑をお掛けするつもりはありません」
その言葉に私は少しだけ憤りを覚えた。
「良く似合っている。迷惑など何も無いよ」
「……」
「店主、これを頂くよ。会計を頼む」
私とカトリのやり取りを黙って見ていた店主は、私の言葉を聞いて毎度あり〜と軽い調子でレジへと向かっていった。
「……」
会計を終えて店を出た後も、彼女は顔を上げることはなかった。
…
他に必要なものを買い揃え、私たちは家路に着いていた。
折角綺麗な姿勢だったのに、カトリは洋服屋を出てからずっと、猫背になるのも構わず俯いて歩いている。
(良く似合っていると思うが…少し馴れ馴れしかったか? しかし新しい服は必要だしなぁ)
どう声を掛けていいか分からず、私たちは無言のまま自宅の前まで付いてしまった。
ドアの鍵を開き、私が中に入ると彼女はドアの前で足取りを止めてしまった。
「どうした?」
私が怪訝に思いながら言うと、彼女は右手を軽く握り、少しもじもじした様子で口を開く。
「……あ、の…お洋服、ありがとう、ございました…」
そう言って彼女はまた目を伏せてしまう。
「どういたしまして」
その言葉と彼女の様子を見ながら私は、少しだけ気持ちが軽くなったような気がした。