奴隷の少女
カランコロンカラン…
「いらっしゃい。今日はどうされましたか?」
時刻は午前11時を回った辺り、私の患者は以前からの訳ありが多く、その性質上夜にやってくることが多いのでこんな時間に珍しい。
そんなことを思いながら診療所の机でカルテを記載していた私は、確認もせず反射的に言葉を放った。
「やぁ先生、お久しぶりです。あの時はどうも」
ドアの前には小太りの身なりの良い服をきた男が佇んでいた。
この男には見覚えがあった。確か以前引退した闇商人の男が連れてきた男だ。
闇医者としてやっていた頃の患者は、その殆どが正規の医者の面倒になることが出来ない訳あり患者だ(当然といえば当然だが)
男もその例に漏れず、うちに厄介になりにきた患者だったはずだ。確か矢に打たれた傷を見てほしいだったか。
男のことを思い出していると、ドアの前に立ったままだった男がおもむろに口を開く。
「あの時はろくにお礼も出来ませんで、まぁサーカスのほうにはたっぷり金を搾り取られましたがね。
でも先生のほうに一文も払ってないっちゃこの世界でのメンツに関わる、先生の世話になったやつは多いですからね。
まぁそんな訳でしてこちらを受け取って貰えませんですかね」
そう言って男は懐から封筒を取り出してこちらに渡してくる。その封筒を受け取りながら私は、あの世話になった闇商人の名前はサーカスと言うのかと今さらながらに思案した。
「そんで先生には是非付いてきてほしいところがありましてね」
付いてきてほしい所。はっきりと言わない辺り言葉にしづらい場所なのだろう。
男の素性は詳しくは知らないがうちに厄介に来たくらいだ。ろくでもない仕事をしているのだろう。
はっきり言って断りたかったが、先ほど男が言ったようにここで断ったらこの男のメンツを潰してしまうかもしれない。
そうなったら後ろ盾のない今の私にはどんなことが待ち構えているか想像に難しくなかった。
「……分かりました」
「いやぁすみませんね、先生。それでは行きましょうか」
そう言って男が乗ってきた馬車に一緒に乗り込む。
馬車の中はカーテンで仕切られており、どこに連れて行くのか分からないようになっていた。
…
「着きましたよ先生」
30分ほど経っただろうか。暫く馬車の中で揺られていると目的の場所に着いたようだ。
馬車から降りると辺りには怪しげな風貌の店が立ち並んでいるが、目の前の店は普通の外観で逆にそれが目立っていた。
「ここは私が経営している奴隷商の店でしてね。まぁ早い話が先生に一人奴隷を貰ってもらおうかと」
そう言って男は店先のドアを開き、中へ入っていく。私もその後に続く。
「売れ筋の奴隷ってのは肉体労働用の若い男か、夜のためのいい女ってのが相場なんですがね。ここにいるやつらはちょっと特殊でして」
男は言葉を続けながら奥へと進んでいく。途中階段を下りた所で少し饐えた匂いがしてきた。
「まぁ見て貰ったほうが早いんでね。先生はこの中から誰でもお好きなやつを選んでください」
(逆に言えば誰でもいいから必ず貰っていけってことか)
こんな所まで連れてきて「いりません」で済まされる訳は無いだろう。腹を括るしかない。
男は階段のつきあたりにある厳重な扉を鍵で開く。
中は薄暗く左右には鉄格子が組み込まれ、その中には様々な人間が入っていた。
片足のない男、老人、両目がなく眼孔が窪んだ女、あうあうと意味不明な言葉を繰り返している子供……
「まぁ私にも一端の良心ってものはあるんですよ。これら全て処分するのも大変ですしね」
そう言って男は振り向いて怪げに嗤う。
現代社会で育った倫理観を持つ私にとっては、まさに異様としか言いようがない空間だ。
暫く立ち竦んでしまった私だが、男が目線でさっさと選べと促す。
私は仕方なく左右を見渡しながら足を進める。鉄格子の中の人達は皆、胡乱な瞳で下を向いているだけだ。
そんな中、一人の少女と目があった。
「ああこいつですか。私も最近仕入れたもので詳しい素性は知らなくてですね。なんせ別の商売のときにたまたま拾った奴でして」
男が説明を加える。私はまだ少女と目が合ったままだった。
「まぁこいつがここにいるのは見ての通りです。もう少し育ってりゃ買い取り手もいたかもしれませんが。
おっとこいつの体の傷は私が付けたもんじゃないですよ。初めからこうだったんです」
その少女は全身傷だらけで、そして左腕の肘から先がなかった。
「…………」
ただ少女は深海のように深く、何も感じさせない虚無の瞳のまま、私を見つめていた。
ただの同情心だろうか、あるいはその瞳に興味を惹かれてしまったのだろうか、自分でもよく分からないまま私は口を開く。
「……この子をお願いします」
「おおそうですか! お気に召したようで良かった。それでは先生、今から用意しますので少し待っていて下さい」
そう言って男は待機していた部下と思われる男に目線を送る。
私は一刻も早くここから出たかった。
…
暫くすると男と一緒に先ほどの少女が姿を現す。
「奴隷の証は左足の甲の部分に印字が彫られています。なにかあったらそれを見せるといいでしょう」
そう言って男は先ほどの馬車を用意し、私たちはそれに乗るように促す。
「それでは先生、今後ともよろしくお願いします」
馬車のドアを閉める前に男が口を開く。一体何をよろしくすると言うのか……
私と目の前の少女は互いに言葉を発する事をなく、ただ馬車に揺られ続けた。
…
暫くして馬車は診療所の前に着く。
私たちを降ろすと馬車はすぐに出て行ってしまった。
「…………」
「…………」
「…………」
「……新しいご主人様ですか。私はカトリと申します。どうぞよろしくお願い致します……」
私が暫く診療所のドアを見つめながら呆然としていると、残された少女は無表情のまま頭を下げて自己紹介をした。
「……とりあえずご飯にしようか……」
気が付けば時計の針は12時を回っていた。
これが彼女、カトリとの出会いであった。