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奴隷の少女、貰いました  作者: ともひ
17/21

メイリリーの花

「よしよしハッピー、君は本当に元気だねー」



 ある日のこと、私が診療所から庭先に顔を覗かせると、カトリが茶トラの子猫とねこじゃらしで遊んでいた。

 私公認になってから、彼女は憚ることなく庭に出て猫たちが来ないかなと待つようになっている。

 そんな彼女を見ていると、彼女の関心を猫に取られてしまったような感覚を覚えて、少しだけ嫉妬の心が芽生える。

 全く大人げないし情けない。

 普段から彼女には、欲しい物やしたい事があったら遠慮しなくて良いと言っておいて、いざなってみたらこの体たらくだ。



「あ、先生」



 私に気が付いた彼女が振り向いて、口を開く。



「カトリお昼にしよう、手伝ってくれ」



 時刻は丁度十二時を回った辺り、診療所に「休憩中」の札を出した私は、こうして顔を覗かせているのであった。



「わかりました。あと、そのお願いが……」


「分かってるよ、その子のご飯もだろう。今日はその子一匹だけなのか?」


「ありがとうございます! はい、今日はハッピーだけ遊びにきてくれました」



 どうやら七匹全員集まるのは珍しいようだ。

 彼女が嬉しそうにそう言って顔を上げる。

 その顔を見た私は、喜ぶ彼女の様子と、自分の心の狭間に苛まされてなんとも言えない気持ちになるのであった。






 …






 カトリと昼食のサンドウィッチを食べながら雑談をする。

 テーブルの足元では、先ほどの子猫が皿に置かれた鶏肉のソーセージをはむはむと食べている。

 その様子をちらちらと見ていた彼女が、ふと口を開いた。



「先生、お願いがあるんですが……」



 ふむお願いとな、また猫に関する事かな? と思いながらも話の続きを促すと、彼女の視線が私からテーブルの上の、まだ何の花も活けられていないフラワーベースに移った。



「お母様が好きだったお花を思い出したんです。そのお花を活けたいなと思いまして……」



 花、か……

 少し、考えてしまう。

 彼女にとって母親の思い出は決して悪いものではなく、むしろ暖かいものだと分かっているが、同時に過去を思い出すきっかけにもなり得ることだ。

 彼女が自分の記憶を何処まで思い出しているのか定かでは無いが、もし不必要に忘れていたトラウマを刺激する部分に触れてしまった場合、また傷いてしまう知れない。


 と、そこまで考えて思い直す。

 これは私の身勝手な心配でしかないのかも知れないと。

 彼女はとても強い子だ。

 花を活けたいと言った彼女の瞳は、決して過去に囚われているものではなく、もっと優しさを感じるものだった。

 あのニコラスの話を信じる訳ではないが、彼女の過去はいつか話して貰わなければいけないことだ。

 なのに私の方が、一々立ち止まっていてはいけない。

 正解なんて分からないが、それでも前には進むべきなのだ。



 中々返答しない私の様子に、ダメだと思ったのかしゅんとしてしまうカトリ。

 そんな彼女の様子を見て私は、心の中で自嘲しながら口を開くのだった。






 …






 昼食を食べ終え、外に出て一緒に花屋へと向かう私たち。

 幸い花屋はすぐ近所にあるので、昼休みの時間内に間に合うだろう。



「それで、その花は何て言う名前なんだ?」


「えっと、名前は知らなくて。特徴的な見た目だったので、たぶん見れば分かると思うんですけど」



 まぁ一応聞いてみたものの、私も花についてなど詳しくはない。言われてもたぶん分からなかっただろうが。

 しかし幸いにも花屋の店主とは顔なじみだ。

 彼は診察に良く来る患者であり、前に演劇のチケットを頂いた経緯もある。

 もし見つからなければ、店主に相談すればいいだろうと思いながら私は花屋のドアを開いた。




「おういらっしゃいってなんだ先生じゃねぇか、珍しいな。今日はどうした?」



 相変わらずギャングの親玉にしか見えない厳つい見た目の店主が口を開く。



「こんにちは。今日はこの子が欲しい花がありまして、ちょっと見させて貰おうかと」



 そう言ってカトリの肩に手を置くと、彼女はペコリと小さくお辞儀をする。

 うーむ初めて店主に会っただろうに、彼の見た目に驚いた様子はない。

 私は初見で完全にびびってしまったのに、カトリの肝っ玉は中々大きいようだ。



「おう、そんなら好きなだけ見てってくれや。ここに無いようなら取り寄せも出来るからよ」



 店主はそう言うと、植木鉢が入った箱を抱えて店の奥へと向かってしまったので、私たちはその言葉に甘えて店内に飾られている花を見て回る。

 その殆どが知らない花だが、それは単純に私が知らないだけであって、元の世界のそれと大きな違いは無いようだ。パンジーやスイセンなど私でも分かる有名なものは、名前は違うが見た目は記憶の中のそれと同じであるようだった。



「どうカトリ、この中にありそう?」



 店内を軽く一周したので聞いてみたところ、彼女は眉をひそめて小さく首を横に振る。

 どうやらこの中には無いようだ。まぁ季節によっては咲かない花もあるので時期が悪いのかも知れない。



「そうか、それでその花はどんな形をしてるんだ?」



 花については疎い私だが、知っているかもしれないので一応聞いてみる。

 彼女は目線を上にあげて手を頬に置き、思い出すように口を開いた。



「えっと、緑の茎に対して小さくて白い鈴のような花がいくつも付いていてました。

 指で軽く叩くと、まるでその花がベルが鳴るようにユラユラと揺れるんです。

 それを母が小さい私を抱えて、楽しそうに見ていたのを覚えています」



 小さくて白い鈴のような花……その形は私の記憶にもあった。

 それは結婚式や出産祝いなどでよく贈られる、有名なあの花かもしれない。



「それはメイリリーの花じゃねぇか? あれは春に咲く花だから今は時期が悪いな」



 店主が奥の扉からひょっこりと顔を出す。

 あれは春の花なのか、今は冬に差し掛かる時期なのでもう少し待たなければ入手出来ないかもしれない。

 その言葉に肩を落としてしまったカトリだったが、店主が何かを思い出したように「ちょっと待ってろ」と言い残して再び扉の奥へと消えてしまった。


 暫くすると、店主が一把の花を抱えて戻ってきた。

 手の中にある特徴的なそれは、まさに彼女が言っていた花であり、同時に私の記憶の中にあるそれと完全に一致していた。



「温室で育ててたやつが丁度残ってたわ。お嬢ちゃんこれで間違いないかい?」



 そう言って店主はカトリにそれを手渡す。

 彼女はそれに目を奪われながら、ゆっくりと頷く。

 そうか、やはりこの花は…… 彼女の母親はやはり……


 花を抱えて店主にお礼を言っている彼女を横目に、私は一時の思案をしていた。







 …






 テーブルの上のフラワーベースに先ほどの花を活ける。

 彼女は喜びでも無く、悲しみでも無い、複雑な表情を浮かべてその花を見つめている。


 あの男は、彼女は何らかの事情で見知らぬ男の家に引き取られ、そこで虐待を受けていたと言っていた。

 それが本当なのであれば、母親の思い出の品は、同時につらい過去を思い出してしまうものなのだろう。

 いや、その事情によっては母親に対して何か思う所もあるのかもしれない。


 しかし彼女の母親は、彼女にそんな目に合って欲しくなかったと断言出来る。

 それは、この花の事を知っていれば一目瞭然だ。


 彼女の母は、確かに彼女を愛していた。

 その気持ちは間違いない。

 そして、その気持ちを彼女に間違えて欲しくない。

 過去にどんな事があったのだとしても、それだけは彼女に知って貰いたくて、私は口を開いた。



「カトリ、この花は私が元々住んでいた所でもあった有名な花でね。この花の花言葉を知っているかい?」


「……花言葉、ですか?」



 やはり、知らなかったか。



「この花は私の所では鈴蘭すずらんの花と呼ばれていてね。その花言葉は」





貴方あなたに再び幸せが訪れますように』





「あっ……」



 彼女が目を見開いて、鈴蘭を凝視する。

 私は構わず話を続ける。



「この花には君のお母さんの気持ちが込められている。お母さんは、間違いなく君の幸せを願っていたよ」


「…………」



 彼女は肩を震わせてそれを見つめている。

 私は席を立ち、そんな彼女の頭に手を置きながら話を続ける。



「だからカトリ、そんな顔をしてちゃいけないよ。お母さんはきっと、君のそんな顔を見たら悲しんでしまうからね」


「お……かあ、さま……」



 彼女の瞳から止めどなく涙が溢れてくる。

 そうしてテーブルに伏して嗚咽をあげて喉を鳴らす。


 私はそんな彼女の頭を優しく撫でてあげる。

 暫くそのままだったが、彼女が顔を上げて私の胸に抱き着いてくる。

 彼女のなすがままになりつつも、結局私はそのまま頭を撫でてしまうのであった。











 その夜、既に泣き止んだ彼女はとても優しい瞳で鈴蘭の花を見つめていた。

 その顔には一切の迷いを感じられない。

 きっと彼女は自分の中のわだかまりにケリを付けて、一歩前に進む事が出来たのだろう。

 それはきっと、必要な儀式であったと思う。



「カトリ、ちょっといいか?」


「はい先生、どうしましたか?」



 彼女の視線が、鈴蘭から私に移る。



「君の生まれや生い立ち、母親の事、前の主人の事、そして虐待されていた時の事……君の過去の事を教えてくれ」



 だから私も一歩前に進もうと思う。

 何時までも立ち止まっていてはいけない。

 何時までも彼女に、そして自分に対して甘えている訳にはいかない。 


 彼女の瞳が私に突き刺さる。

 しかし、それは悲しみに暮れる訳では無く、ただただ真剣な表情で私を見つめていた。



 頷いた彼女はゆっくりと口を開く。

 私はそれに静かに耳を傾けた。


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