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奴隷の少女、貰いました  作者: ともひ
16/21

七匹の子猫

 私はまだ、悩んでいた。

 カトリに過去のことを聞くべきか否か。

 

 彼女はとても素直で優しい女の子だ。

 母親の思い出を大切にし、決して人道に外れた思想も持っていない。

 そんな彼女の罪とは何なのか、本当は問い詰めてでも聞かなければいけないことだと分かっている。

 だけど、彼女の顔を見ていると、どうしても口を噤んでしまう。



――夢の中で、以前のご主人様が、私を鞭で叩くんです――



 以前の彼女の顔が思い出される。

 彼女のトラウマを抉りたくない、彼女に辛い過去を思い出してほしくない。

 そんな意識が先に来てしまう。


 結局、私は臆病な男のままだった。













「カトリおいで、傷の治療をするよ」


 

 診療所にいた私は彼女を呼び出す。今だ傷の治療は継続して行っている。

 彼女の傷は大部分が癒えており、もう殆ど命に影響を与えるものは無くなっている。

 しかし、それは体の傷が綺麗に消え去ったと言う意味では無く、風化してしまっただけで、その傷跡は恐らく一生残るだろう。

 女の子である彼女には辛いものだ。

 たとえ無駄なあがきだったとしても、私は治療を止めることは出来なかった。



「ひゃっ! ぁぅ……んぅ……先生、くすぐったい……」



 体全体に傷があるため、殆ど下着姿になってしまっている彼女に薬を塗る。


 あのカトリさん、あまり色っぽい声が出てしまうとですね、その、近所の人に聞かれると色々とまずいと言いますか、勘違いされると言いますか……。

 薬が冷たくてくすぐったいのは分かりますけど、もう少し声を抑えて貰えると助かるんですが……。


 何時からだったか、こうして顔を真っ赤にしながら治療を受けるようになったのは。

 昔なんかは完全に無表情、無反応で、まるで人形に相手にしてるみたいだったのに。

 

 しかし、こうして傷跡を見ていると、どうしても彼女の前の主人の事を考えてしまう。

 どうしてそいつは彼女を虐待したのだろうか。

 ただの嗜虐趣味?

 それとも何か別の要因があったのか。


 思考をその事に向けていた私は、薬の蓋を閉めながら殆ど無意識に口を開いてしまった。



「大体終わったよ、お疲れさま。前の主人はどうして

「知りません」



 ひどく、冷たい声が聞こえた。

 顔を上げると、目の前には、以前のように表情を無くした少女が佇んでいた。



「前のご主人様は、亡くなりました。もう関係ありません」



 亡くなった? 死んだのか、前の主人は。

 


「先生、そんな事よりお昼にしましょう」



 固まってしまった私に対して、彼女はその無表情を崩し明るい声で話し出す。

 そのまま上からブラウスを羽織り、部屋へと戻っていく。



「…………」



 どうして死んだ? 何があった? 


 彼女の先ほどの冷たい表情と言葉に、戸惑いを隠せない。

 ただただ混乱の中で私は、彼女が去った後のドアを見つめることしか出来なかった。












 診療所の机でカルテを開きながら、先ほどのやり取りを思い出す。



(彼女の罪…… まさか彼女は前の主人を……? でもそうなると時系列の辻褄が合わない。

 既に奴隷であったから、前の主人は彼女を手に入れたはずだ。

 しかし、そうなると本来なら右足にその刻印があったはずだ。

 前の主人が手に入れた時から左足にあった? それではいくらなんでも彼女は幼すぎる。

 前の主人とどれくらいの間過ごしたのか知らないが、傷跡を見る限り、あれは一朝一夕で出来るものではない。少なくとも数年は経っている。

 どうも噛み合わない…… 何かが決定的にずれている……)





 カランコロンカラン……

 

 思考の渦に沈んでいた私の耳に、診療所のドアが開く音が聞こえた。



「いらっしゃ……!」







「やぁ先生、どうもお久しぶりです」



 ドアに視線を向けると、そこには以前のように仕立ての良い黒のスーツを着た、小太りの男が立っている。


 件の奴隷商、ニコラスの姿がそこにあった。



「どうですかな先生、その後お変わりは?」



 まるで世間話をするような気安さで、ニコラスは話しかけてくる。

 呆然としてしまった私だったが、彼の目的が分からない以上、むやみに事を荒立てるつもりは無かった私は、努めて平然とした態度に見えるように彼に接する。



「お久しぶりです。特に何もありませんよ。彼女は元気で過ごしてます」


「ほう? あの奴隷は元気にしてますか、それはそれは……」



 その言い方に何かが引っかかるが、それが何なのかは分からない。

 この男の目的は何だ? どうして今になって姿を見せた?



「せっかく来て頂いたのだし、お茶でも出しますよ。少々お待ちを」



 一見しただけでは腹のうちは見えそうにない。

 長期戦も已む無しの覚悟で、私は腰を上げる。



「いえいえ、そこまでお時間は取らせませんとも。ただ少し聞きたい事がありまして」



 彼はそれを手で遮って、軽い口調で話し出す。

 聞きたい事?



アレ(・・)から昔の主人について、話を聞きましたかな?」



 アレ、ね……

 カトリの昔の主人について、これがこの男の目的なのだろうか?



「……別に何も聞いていません」



 本当だった。カトリを虐待していたとは聞いたが、それを話しても無意味だろう。

 そんな事は彼女を手に入れた時点で、この男も分かっているはずだ。



「そうですか。それは残念です」



 そうは言いつつも、全く残念そうには見えない。

 その様子に私は心の中で一層警戒を強める。



「……ふむ。先生は何か誤解なさっているようだ」


「…………」



 私の心情を察したのか、彼がゆっくりと口を開く。

 誤解? 私が、彼の目的がカトリの前の主人についてだと思っている事か?



「私はアレの事も、その前の主人の事も、別にどうでもいいのですよ。

 ただ、死んでしまった主人、あの男に少し貸しがあったので、アレから詳しい話を聞ければと思った程度です。

 アレを差し上げたのは、本当にただの好意からですよ」



 彼は本当に自然体で、まるで親しい知人に話掛けるような態度で口を開く。

 まるで本当にどうでもいいと思っている様子だ。

 昔の主人の事を知りたいのではないのか?

 だったら何しに来たのか、まさか本当に世間話に来たとでも言うつもりか。

 彼の目的が分からない。



 そしてただの好意か…… 怪しいものだ。

 それに少し、疑問に思う。

 だったら何故、カトリに自分で聞かなかったのか。

 彼の態度から察するに、奴隷に対して慈悲の心を持つ人間のように思えない。

 この男が力ずくで、彼女から話を聞き出す事を躊躇うようには思えなかった。



「……その様子だと本当に何も聞いてないようですね。

 まぁ仕方ありませんか。主人を殺した話など、自分からする必要などありませんからね」



 ――――!!!



 その言葉に私は激しく動揺したが、何とか踏み止まった。

 考えなかった話ではない。

 

 やはり、彼女は……

 しかし、だからと言って目の前の男の話を全て鵜呑みにする訳にはいかない。



「……それだと彼女の左足に刻印がある理由にならないと思いますが?」


「ああ、あれは私が身請けした時に彫ったものですよ。

 アレは元々、奴隷ではありませんでした。ただの子供です。

 何の事情があったのか知りませんが、血が繋がってない男の家に引き取られてたみたいですね。

 そこで虐待を受けていたと。

 それに嫌気が差したんでしょうかね、死んでる男と同じ部屋でアレは見つかりました。

 その手に血塗られたナイフを握った状態でね」



 そんな事……

 それでは、本当にカトリは……



「引き取ってみたはいいが、何もしゃべらずただ自閉してるだけ。

 完全に損しましたわ、まぁ犯罪を犯した者の奴隷は安いので別にいいのですが。

 まぁそんな訳で訊ねてみたのですが、どうやら無駄だったようですね」



 その話は本当なのか?

 あんなに優しくて甘えん坊な子が?

 母親を思い出して泣くあの子が?

 うなされていたのは虐待の事だけだったのか?

 この男は何故こんな事を話す?

 本当の目的は?


 

 頭の中がぐちゃぐちゃになる。

 何も言葉を発する事が出来ない。



「まぁ、先生の元気そうなお姿を見れただけで良しとしましょう」



 どう言う、意味だ?

 呆然としている私を横目に彼が踵を返し、ドアノブに手を掛ける。



「それでは先生、どうぞ今後ともよろしくお願いします」



 そう言って再びドアベルを揺らしながら外へ出ていく。

 私はただ揺れるそのベルを見つめ、立ち竦む事しか出来なかった。












 ニコラスが去った後、私は診療所の自分の机の前で、ただ茫然と先ほどの会話を思い出す。


 カトリが前の主人を殺した?

 虐待されていた事に嫌気が差して?


 本心では否定したい。

 しかし、あの男が言っていた話は、全く理解出来ない事ではなかった。

 一応、話の筋は通っているように感じる。

 確かに彼女は過去の記憶に苛まされていた。


 それ故に、信じてしまいそうになる。

 カトリが…… 彼女が……


 しかし、彼女が人を殺す経験に耐えられるように思えない。

 あんなに優しい子が、そんな事を……


 纏まらない私の頭の中に、ふと、とある心理学用語が浮かび上がる。


 『心因性記憶障害』


 苦痛や不安を伴う経験を忘れることだ。

 忘れることによってその経験から逃れようとする防衛機制を示す用語である。


 もしかして母親を忘れていたのは、同時にその時の記憶も忘れるためだったのか?

 忘れて、塞ぎ込むことによって、自分の心を壊さないようにしていた?


 もしそうならば、母親の事を思い出した今の彼女は――



「――カトリ!!」



 嫌な予感がして私は思わず立ち上がる。

 その反動で座っていた椅子が倒れるが、そんな事は構わず、診療所から自宅へと繋がるドアを急いで開く。


 そのままリビングへと駆け出す

 いない


 私の自室は?

 いない


 もう殆ど使われていない彼女の部屋

 いない


 風呂、トイレ、キッチン…… 何処にもいない。



「カトリ……」



 何処へ行った?

 どうして彼女の姿が見えない?

 嫌な焦燥感に囚われる。

 まさか外に出たのかと急いで玄関に向かった私の耳に、ふと聞きなれない音が聞こえた。





 ニャーニャー

 にゃーにゃー

 ニャ~ニャ~……



「にゃあ?」



 思わず反復してしまう。

 その鳴き声は、自宅の裏側にある庭先から聞こえるようだった。











 



「よしよし、そんなにがっつかないの。ちゃんとみんなの分もあるから。

 こらハッピー! 背中に登ってこないの!」



 庭先に出てみた私の目に入った光景は、大量の猫に囲まれているカトリの姿だった。

 多い、何匹いるんだこれ? まさに猫づくしである。



「せ、先生!?」



 私が見ている事に気が付いたカトリが振り向き、驚いた声を上げる。

 ちょうど餌をあげる所だったのか、その手には市場で買った煮干しの小魚が入った皿が握られていた。



「あの、これは、その……」



 私に黙って勝手に猫に餌をあげようとした事を悪いと思ったのか、彼女がバツの悪い表情を浮かべ俯いてしまう。

 通りで最近、食材の減りが早いと思ったわけだ……。


 そんな彼女の様子など解する訳もなく、猫たちは早く餌をよこせと彼女の肩や背中に登っていく。

 体の小さい彼女は瞬く間に猫に埋め尽くされてしまう。怪人猫女の誕生である。



「……普段私が仕事をしている間、その野良猫たちと遊んでいたのか?」


「にゃー」



 違う、お前(ネコ)には聞いていない。



「……はい」



 頭の上に茶猫を乗せたまま、彼女が口を開く。

 私が怒っていると思っているのか、その様子は小さくしょんぼりとしたままだ。



「……先生、勝手にごめんなさい」


「……うちは診療所だ。診察に来る人の中には動物が苦手の人もいるし、何より医療を扱う現場として、不衛生になるペットは飼えない。分かるな?」


「……はい」



 彼女は静かに頷く。

 医療に携わるものとして、これは注意はしておかなくてはならない。

 ただ私は怒っている訳でも、彼女を叱ろうとしている訳でも無く、むしろその心は安堵していた。

 この子はやっぱり、こんなにも優しい。



「ただ飼うことはできないが、こうして私が初めて見たと言うことは、この猫たちは別の住処があるんだろう? こうして昼間遊ぶくらいなら構わないよ」



 私がそう言うと、彼女は顔を上げて「先生、ありがとうございます!」と嬉しそうに抱き着いてくる。

 ちょっ、猫にまみれてる君に抱き着かれると私のほうにまで猫ががが。


 私の当初の心配は、胸の中で嬉しそうな顔で私を見上げているカトリの顔と、その頭の上の猫の存在によって、すっかり忘れてしまっているのであった。














 夜、彼女と一緒に夕食を食べながら会話をする。

 内容は当然、昼間の猫の事だ。



「ずいぶんと沢山いたね。あの子たちとは何時から遊んでいるんだ?」


「はい、全部で七匹います。ひと月くらい前に、私がお庭のお掃除をしているとハッピーが何処からかやってきて、つい餌をあげたら懐いちゃって。それでいつの間にか、みんなが集まってきちゃいまして。

 あ、ハッピーって言うのは私の頭に乗ってた茶トラの子で、一番懐っこくて、他にもお寝坊さんの白猫のスリーピーや他にも……」



 彼女が楽しそうに話出す。

 あの猫たちは私が仕事で彼女に構ってやれない間、ずい分と彼女と遊んでくれてたようだ。

 飼ってやる事は出来ないが、彼らのためにしっかりとした餌を用意してやってもいいかも知れない。


 あの男の言葉を思い出す。

 彼の言う事が全て嘘であると断ずる訳ではないが、そこには齟齬や誤解があるだろう。

 こんな笑顔になれる子が、人を殺して平気でいられる訳がない。

 彼女の止まらない猫談義を聞きながら、私は改めてそう思うのだった。

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