奴隷の印字
「……ぅん……すぅ……」
「…………」
外は夜の闇が完全に辺りを覆い、机の上の小さなランプの灯りが少しだけ揺れて部屋を照らしている。
静寂に包まれる中、聞こえる音は隣で眠るカトリの静かな寝息だけ。
時刻は草木も眠る丑三つ時、とは少し古い表現か。ともかく私は目を覚ました。
温もりを覚える彼女の手をそっと離し、音を立てないようにゆっくりと部屋を出て私は外着に着替える。
これから向かう先は日が沈み、そして昇るまでしか開けていない特殊な店だ。
外に出ると木枯らしが吹きすさび、かなり肌寒さを感じる。冬が近づいているようだ。
私はその寒さに頭がすっきりする感覚を覚えながら、目的の場所に向かって足を進めた。
大通りまで歩き、そこから普段なら曲がらない角を曲がり、進まない道を進む。
段々と見慣れない店が増えてきて、ポツポツと歩いていた人も完全にいなくなる。
ちょっと通りから外れた所を奥に進むだけでここまで世界が変わるものなのか。
焼骨、螺子、蝦剥きなど意味不明な看板が立ち並ぶ中、その店はポッカリと口を開けて店内から光を漏らしていた。
看板には『情報』
以前サーカスに連れられて来た情報屋だ。
「いらっしゃい。やぁ珍しい客だね」
真っ黒のフードを被り、顔の見えない店主が口を開く。
声は意外と若い、10代から20代前半程度か。前に来たときと同じ人に思えるが真偽は分からない。
店内はごちゃごちゃと雑多に品が陳列されており、その殆どが私には用途不明のものだ。鼻が一周して出口がない如雨露など何に使うのか。
「聞きたいことがある」
「そりゃね。うちに来たってことはそうだろうね」
出鼻を挫かれた。まぁそれはそうか、今のは私が悪い。
「奴隷について聞きたい」
「はいよ。奴隷についての何を聞きたいの? 奴隷を買う方法? それなら奴隷商を紹介するね、それとも誰かを奴隷にする方法? こっちは結構料金は高いよ」
相場など知らないが、私が知りたいのは奴隷についてのいろはと、あのニコラスと言う男についてだ。
「そうだな、まずは奴隷についての一般常識を教えてくれ」
「一般常識ね…… 料金は二万リンだね。いつもニコニコ現金一括先払いのみ承ります」
ずいぶんと口が回る男だ。言い回しも何処かで聞いたことがあるようなフレーズだな。
私は財布からお金を取り出し男に渡す。
「毎度。と言っても常識ね、何処から話そうかな…… うーんそうだね、まず奴隷と言うのは大きく分けて二種類に分かれるね。
犯罪などで道を外れた人間、もしくは奴隷商に身売りされた人間、後は単純に行き場所が無くて自ら奴隷になる人間もいたりするね。あれ、これじゃ三種類か」
年齢的にも性格的にもカトリが犯罪者なのは考えにくい、恐らく後者のどちらかだろう。
「奴隷を手に入れる方法は、まぁ普通は奴隷商からの購入だね。貴族社会なら横の繋がりで手に入れることもあるだろうけど、一般人は僕みたいな所から奴隷商を紹介してもらって購入することになるね。まぁちょっと裕福な人間が夜の相手用に買ったり、危険な作業をさせるために買ったり用途は色々だね、その辺は詳しく言わない聞かないのが暗黙の了解ってやつかな」
あの日見かけた首輪をされた女を連れていた男は、貴族には見えなかった。
「後はそうだね、奴隷は基本的に購入者の所有物扱いになるね。人間じゃないんだ彼らは。物として扱われるんだね。だから主人がどんな扱いをしようと自由。暴行しようが強姦しようが自由だし、それを止める権利は主人にしかないんだね」
完全に人間を止めると言うことか。
段々と自分の心が冷えていくのを感じる。
「ただ奴隷を持つってことは一種のステータスだ、私は裕福で高貴な人間ですって周りにアピールする意味も含まれる。だから普通は他人に見られてもいいように丁寧に扱うし、信頼関係が生まれるならそれに越したことはないよね。まぁ裏では何やってるか分かんないけどね」
私にはよく分からない感覚だ。奴隷を持つことが何故高貴な人間であることと繋がるのか。
行き場のない人間を助けてやってるつもりなのか、それなら孤児院に寄付でもしろと思う。
「まぁこんなもんかな」
男が話を閉めに掛かるが、私にはまだ聞いてないことがある。
「奴隷の印字には何の意味がある?」
「おっと、それを話してなかったね。知っての通り、奴隷は足の甲の部分に印字が彫られる。それによって第三者がこいつは奴隷だと判断出来るんだね。大体は右足に印字が入っている。左足に入ってるのは犯罪者の奴隷だけだね」
ちょっと待て、今こいつは何と言った?
「犯罪者の奴隷ってそれだけで価値が下がるからね、区別するために印字する足を分けるんだ。犯罪者奴隷の末路は悲惨なものさ、いつ死ぬか分からない仕事をさせられたり、主人のおもちゃにされたり。まぁ逆にそれを買うことで「私は慈悲深い人間です」アピールするやつもいるっちゃいるけど」
違う、そんな事を聞きたいんじゃない。
カトリは、あの子は――
「ん? その様子だと何か心当たりがありそうだね。お金さえ払ってもらえればうちは何でも調べるよ」
頭がうまく働かない。
目の前の男が何を言っているのか理解出来ない。
カトリが犯罪者? あの健気で、優しくて、母親の思い出を大事にしている彼女が?
何時?
何処で?
どんな罪で?
男がニヤニヤと口元を歪める。
頼むべきなのだろうか…… しかし……
「はい、今度こそ終わり。他に聞きたいことはある?」
「……ニコラスと言う奴隷商の男について教えてくれ」
私は臆病な男だ。
しかし、できれば彼女の過去は彼女の口から聞きたい……。
「あーあいつね、まぁまぁその道では有名なやつだね。裏の人間のことはちょっと高いよ?」
構わない。先ほどの話であの男の目的を、何としても調べなくてはならない。
「毎度。あいつは何処からともなくやってきて、一気に裏社会を駆け上がった人間だね。出身地なんかは謎。僕でも分かんなかった。ただ、あいつの提供する奴隷は質が高いって話は良く聞くね。奴隷を見る目ってやつはあるのかな? 良く分かんないけど。ただ、一つ変な噂があって……」
情報屋が口を噤む。変な噂?
「選民意識が高い宗教家って話だよ。何でも神の存在がどうとか。やたら優しく相手する人間もいれば、ゴミのように扱う人間もいるらしい。それがあいつの中で、どう言う括りで分かれているのか分かんないけど」
選民意識の高い宗教家?
また良く分からない話だ。目的は分からないが、普通の態度で接していた私は、あの男の御眼鏡に適っていたと言うことか?
「必要なら紹介するよ。もちろん別途料金は頂きます」
商売魂逞しいやつだ。
今はまだいい、話を聞く限り、これだけではあの男の目的は分かりそうに無い。
他に考えなきゃいけない事もある。それよりも……
「最後に一つだけ教えてくれ、サーカスと言う男の商人についてだ」
…
ちょうど日が昇り始めた頃に家についた私は、音を立てないように玄関の鍵を開ける。
どうやらカトリはまだ眠っているようだ。家の中はまだ静かで、ベッドの中の彼女はくぅくぅと静かに寝息を立てている。
――犯罪を犯した奴隷は、左足に印字が入っている――
先ほどの情報屋の話を思い出す。
彼女は何の罪を犯したのだろうか。
彼女が悪い人間に思えないのは、一緒に過ごしてきた私の欲目なのだろうか。
寝間着から覗く彼女の足に手を置く。その左足には、確かに彼女の境遇を示す印字が彫られていた。
これが彼女の罪の証……
「……せ、せんせい?」
ベッドの上から小さな声が聞こえる。済まない、起こしてしまったかと思い顔を上げると、彼女はシーツの裾を掴み、何故か顔を真っ赤にして私を見つめていた。
「は、初めてなのにこんな朝早くからですか……? いえでも、先生が望まれるなら私……」
カトリが何か言っている。うん? どう言う意味だ?
言葉の意味が分からなった私はふと、改めて自分の行動を見直してみる。
寝ていた彼女の寝間着をずらし、その足をスリスリと触っている自分……。
どう見てもアウトです。本当にありがとうございました。
「先生のお好きなようにして下さい……」
そう言ってシーツを頭まで被ってしまうカトリ。
ちょっと待て、誤解だ。色々と誤解だ。これは決してやましい意味では無くてですね、えーと何と言いますか、ちょっぴりあなたの足が気になったと言いますか、あかんこれじゃやっぱりただの変態だ。そうじゃなくてですね、えーとその……。
結局しどろもどろになってしまい、肝心の話は聞けないでいる私だった。
ルートが決定しました。