リボンのヘアバンド
「先生、リビングのお掃除しちゃいますね」
一夜明けて、カトリはすっかり元の調子を取り戻したようだ。
もう彼女はその表情に悲しみの色を宿していない。
彼女にとって母親の思い出は、悲しくはあるが同時に暖かくもあるものなのかもしれない。
母は厳しくも優しい人だったと言っていた。
片腕の自分を見捨てる事無く、愛情と教育を授けてくれたと。
それはきっと、思い出すきっかけになったのがあのフラワーベースだったとしても、その思いは変わらないのだろう。
でも、と思う。
彼女の母親は恐らく故人だ、会えない寂しさはあるだろう。
それを隠して普段通りの態度でいる彼女は、胸の内では泣いているのかもしれない。
強いな、と思う。
私も突如この世界に飛ばされて、元の世界の家族にはもう会えないのかもしれないと言う寂寥の思いはある。
それでも彼女を見ていると、そんな気持ちも何となく和らいでくる気がする。
「先生?」
箒で床を掃いていたカトリの頭に手を置く。
彼女は相変わらずキョトンとした顔で私を見上げてくる。
本当の意味で甘えているのは、私の方なのかもしれなかった。
…
「それにしても……」
先ほど彼女の頭を撫でながら思ったのだが。
「カトリ、大分髪が伸びたな」
出会った当初は肩に掛かるくらいの長さしか無かった彼女の髪が、今では丁度、腰に掛かりそうなくらいまで伸びている。
私の髪なんかは伸びて来たなと思ったら適当に自分で切ってしまっているためどうでもいいのだが、彼女は女の子だ。伸ばしたいならともかく、短いほうが好みならキチンと美容院に連れて行ってあげなければ。
「先生は長いのと短いの、どっちが好きですか?」
聞こえていたか、と言うかこっちから聞く前からその質問は止めてくれ……。
君の好きなようにすればいいと言いたい所だが、あえてここは言わせてもらおう!
「長いほうが好きだ」
カトリは黒髪だ。伸ばせば黒髪ロングなのだ。だから何だって話なのだが、私が黒髪ロングが好きなんだから仕方ない。と言うか男は皆好きだろう黒髪ロング。え、違う?
私がはっきりと答えたのが珍しかったのか、ポカンとした顔で見つめてくるカトリだったが、暫くして笑顔で「じゃあ伸ばします」と答えてくれた。
うん、自分で言っておいて恥ずかしい。だから自分より一回りも小さい子に何を言っているんだ私は……。
特に意味の無い罪悪感が唐突に私を襲う!
しかし冷静に考えて、ただ伸ばせばいいと言うものじゃないだろう。
そう言うことには疎い私だが、前髪など顔に掛かってうっとおしくないのか。現に彼女はそれを耳に掛けて目に入らないようにしている。
それはそれでちょっと色っぽくていいと思っている色々と末期な私だったが、そんな彼女を見て閃いたことがあった。
こうしていつも世話になっている労いの意味も込めて、プレゼントをしてみてもいいかもしれない。
「先生、ちり取りを持っててくれますか?」
床を履き終わった彼女が口を開く。片腕の彼女は一人でゴミを掬う事ができない。
「はいよ、ちょっと待っててね」
そう言ってソファーに座っていた私はどっこいしょと腰を上げる。
こんな共同作業も中々に板についてきた私達であった。
…
さて、彼女のプレゼントを買いに外に出てみた私だったが、そもそも女の子が喜ぶ小物なんて検討も付かない。
あれ、もしかして私ってとても寂しい男なんじゃ……。
ヤバイ、この思考は良くない、深く考えてはいけないことだ。そうとも、突然異世界に飛ばされて日々いっぱいいっぱいだっただけだ、そうに違いない。
自分に謎の言い訳をしながら洋服屋の店主に相談しようかなと、ブラブラと足を進めていると道の途中で悲鳴が上がったのが聞こえた。
事故か!? すぐさま声の聞こえた方向へ駆け出す。今は手ぶらで治療道具なんて持っていないが、それでも出来ることはある。
あの浮浪孤児のことがとっさに頭に浮かぶ。もうあんな思いはしたくないと言う気持ちでいっぱいだった。
いつもと反対の通りの角を曲がる、ここは初めて通る道だ。
確かこの辺りから悲鳴が聞こえたのだが……。
キョロキョロと辺りを見回す、しかしそこには事故らしい現場など何もなく、道行く人達は自然体のまま歩いている。
綺麗な鬣をした馬車が道を走り、乾物屋の店主が売り込みの声を上げ、首輪で繋がれた女が中年の男に手を引かれ、幼い子供と談笑しながら歩く母親……。
ありふれた光景のはずだ、なのに何故かひどく違和感を覚える。
気持ちが悪い。
何故かあのサーカスと呼ばれていた男の顔が思い浮かぶ。
あの男は何時だったか、奴隷を連れて来た時になんて言っていた?
――――此れは得意客の所有物だ。丁重に扱えよ――――
眩暈がする。
胸に吐き気を感じて仕方がない。
また何処か知らない世界に飛ばされたような錯覚を覚える。
周りの様子を伺う。
特に事故や事件らしき現場はない、あの悲鳴は何だったのだろうか……。
何処でもいいから知っている場所に逃げ込みたかった私は、あの洋服屋へと全力で走り出した。
…
「いらっしゃい~ってあらセンセ、今日は一人? そんなに急いでどしたの?」
店の扉を開けた私の目に、いつもの店主の様子が飛び込んでくる。
私はすでに肩で息をしていて、服は汗でびっしょりだった。
「あ、ああ…… 何でもない…… 何でもないよ店主。それより相談があってね」
何一つ変わらない店内の様子と、店主のいつもの派手な恰好にひどく安心感を覚えた私は、本来の目的のために口を開く。
その様子を訝し気な目で見ていた店主だったが、私の言葉を聞いた瞬間、目を輝かせて機関銃のように話し出した。
「な~によセンセ! そう言うことならアタシに任せなさい!
あの子の、あの子のためなのね! や~んもうセンセったらカワイイ~☆」
内股になっていやんいやん腕を振っている店主。あなたそれ男でも女でも色々とアウトだぞ……。
店主のテンションに半分引いている私だったが、そんな事はお構いなしにドンドン小物を紹介される。
「これは水晶の付いたダッカール、夜会巻きにしたいなら大活躍よ! でもあの子にはまだ早いかしら、ちょっと背伸びしてオシャレしたい子へのプレゼントとしてはいいんだけどね。こっちの真珠のドラマティックもまだ物に負けちゃうわね。アップやお団子にしたいならこっちのコームもオススメだけどそれともやっぱりお手軽にバンスやテールクリップがいいかしら、それとも~……」
ちょっと待った、分からん。全然分からん。
髪留めって言ったらクリップやヘアピン程度しか知らない私にとって、店主の言葉は未知の単語だらけだ。さすが異世界、レベルが違う。
そんな混乱している私を若干呆れた目で見ていた店主だったが、はぁと小さくため息を吐き、店内の奥のスペースにある小物売り場に案内してくれた。
「センセがいいなって思ったものを選んで頂戴。使い方が被ってるものだったら言ってあげるから」
済まない店主、迷惑を掛ける。
結局、店主に何度か「それ同じもの」と指摘を受けながら、四苦八苦してプレゼントを選び終えた私だった。
…
「先生、おかえりなさい」
家に着いた私を、カトリがいつものように出迎えてくれる。
結局、夕暮れ時まで時間が掛かってしまった。
「ただいま、それじゃ夕食を作ろうか」
何となくすぐに渡してしまうのも忍びなかった私は、夕食の後にでも渡そうと考え先に食事作りを開始する。
カトリは普段通り食器を出したりサラダを作ったりで手伝ってくれているが、何となく意識してしまうのは男の性なのだろうか。
そんな事など知る由もない彼女は、私が見ていることに気が付いてうっすらとはに噛みながら頭に疑問符を付ける。
その顔からつい目を背けてしまった。全く、思春期のガキかっての。
「ごちそうさまでした」
「はい、ごちそうさま」
食事を終え、食器を片付けてお茶を飲みながらまったりとした時間を過ごす私たち。
暫くして彼女が席を立とうとした瞬間、声を掛ける。
「カトリ、君にプレゼントがあるんだ」
そう言って店主に綺麗に包んで貰ったリボンの付いたギンガムチェックの包装紙を彼女に渡す。
ポカンとした表情を浮かべていた彼女だったが、それを受け取った瞬間、顔が真っ赤になり何故かあうあうと周りを見渡す。
「わ、わたしにですか……? 先生、開けてもいいですか?」
もちろん。そのために買って来たのだから。
彼女はまるで宝石箱を開けるような手つきで、ゆっくりと綺麗に包装紙を剥がしていく。
「わっ可愛いヘアバンド……」
包装紙の中の小箱には、小ぶりの水色のリボンのヘアバンドといくつかヘアピンが入っている。
彼女の瞳の色に合わせたものだ。
私のセンスで選んだものだったので喜んでくれるか心配だったが、彼女の様子を見る限り杞憂で済んだようだ。
「先生…… ありがとうございます……」
彼女はそれを胸に抱いて噛みしめるように俯いてしまった。
ここまで喜んでくれるとは。嬉しいが何となく恥ずかしくなってきてしまった私は、ポリポリと頬を掻いてそれを誤魔化す。
「一生大事にします。先生、ありがとう……」
そこまで大げさなものでもないのだが。
彼女は依然、それを胸に抱いて顔を真っ赤にしている。
結局、私たちはそのまま暫く無言で向き合ったままになってしまうのだった。
…
「…………」
暫くして、私はリビングのソファーに座りながらあの洋服屋に向かう前の感覚を思い出す。
(サーカスは奴隷を物だと言っていた。あの言葉の意味は……?
私は奴隷について知らなすぎる。詳しく調べてみる必要があるな……)
カトリは一人の人間でなく、私の所有物になるのかもしれない。
そうなると彼女は……。
彼女の人間性を否定しているような気がして、その考えに思わず頭を振る。
「ふふ、せーんせい?」
ソファーに座っている私に後ろからいきなりカトリが抱き着いてくる。
風呂上がりだろうか、彼女からふわっと石鹸の匂いが香る。
「どうした?」
「ん~何でもないですヨ」
そう言って今度はソファーの隣スペースに移動して、私の腕に抱き着いてくる。
あれ、こんなにアグレッシブにスキンシップしてくる子だったっけ? まぁ別に悪い気はしないからいいのだが。
隣に座る彼女を見ながら思う。
たとえこの子が物だったとしてもキチンと最後まで責任を取りたいと。
成り行きでなく、カトリと言う子だったからこそ、そう思うと。
頭の上のリボンに手が当たらないように彼女の頭を撫でながら、そんな事を考えた。