くっつき虫とヤドリギさん
こんなタイトルですが、割かしシリアス回です。
とある場所から呼び出しを受け、私は今、街はずれにあるそのエリアを目指し足を進めている。
時刻は間もなく日付が変わろうかと言うあたりであるが、そのエリアに近づくにつれ徐々に人通りが増え、明りも勢いを増していく。
途中、何人もの客引きの男女が胡乱な瞳で私を見てくる。
私の姿は白衣に医療鞄と言う場違い感丸出しであるが、ある意味では正解のように思えてしまうから不思議だ。
どんな所でも人が集まればこう言った場所はあるのだろう、何せ人類最古の商売と言われているくらいなのだから。
元の世界、新宿の歌舞伎町やマカオの夜に比べればささやかなものだが、それでもこの道は今日も煌びやかに光を放っていた。
「いらっしゃいませ」
通りの奥にあるひときわ大きい娼館の中に入ると、入口で受付と思わしきスーツを着た男性が出迎えてくれる。
「こんばんは、岡部です。通らせてもらえますか?」
私の姿を見てすぐに気づいたのだろう、男は柔和な笑みを浮かべ「もちろんです先生、どうぞこちらへ」と言って館の奥へと案内をする。
館の中は薄暗く怪しげなランプの光で彩られ、そこかしこに媚薬と思わしき匂いが立ち込める。
初心な男を気取るつもりはないが、やはりこのような空間は空気からして違う。
薄い壁を隔てた先には多くの男女がよろしくやっているのだと思うと何とも言えない気持ちになる。
館内を奥まで進み、枯山水の中に西洋チックな噴水やら黄金の女体像とやら何ともアンバランスな庭を通り、離れに辿りつくと落ち着いた室内に一人の老人が出迎えてくれた。
「やあ先生、よく来てくれた」
白髪の還暦を過ぎた老人であり、落ち着いた室内に似合わない黒のトレンチコートを羽織って座敷に座っている。
このような仕事をする人間は必ずそれは着なければいけないのか? と疑問に思いながら私は口を開く。
「お久しぶりです、その後お変わりはありませんか?」
今日は男の定期診断の日だった。この男とはあの世話になったサーカスと言うらしい闇商人からの紹介で出会い、こうして定期的に診察に伺っている。
この男も若くない上、それなりの地位にいると分かる。ある日ぽっくり逝ってしまったら裏社会の人間にとっては大事になるだろう。
「ああ問題なく。そんじゃよろしく頼むわ」
そう言って男は胡坐を崩し楽な姿勢になる。
往診鞄から診療道具を取り出し心拍数や血圧などを測りながら、ふと疑問に思う。
いくらあの男からの紹介だったとしても、何で私のような若造に診察を任せているのか。この男の地位ならばもっと高位の医者を呼んでもおかしくないと思うのだが。
「心拍数、血圧ともに正常です。ただやはりお酒とタバコは少し控えたほうがいいですね」
簡易な診察を終え口を開く。ALT値など分からないが前の診断の時は胆石症の疑いがあった。
超音波検査が出来ないので正確には分からないが、胆石を流すこの世界の薬を出したところ改善されたと聞く。
お酒を常飲しているとまた再発するかもしれない。タバコは言わずもがなだ。
「お医者様ってのは皆同じことしか言わねえな。はいはい分かってるよ」
男が辟易した様子で言う。こんな憎まれ口には慣れている。
まだ暫くは問題ないだろう、診察を終え道具を片していた私を横目に見ながら男が何かを思い出したように、ふと口を開く。
「先生、最近ニコラスのやつから奴隷を買ったか?」
思わず手が止まる。
カトリの事だ。正しくは無理やり渡されただが、その違いに意味はないだろう。静かに首を縦に振る。
「そうかい、別にそれ自体は何も言うことはないんだがね。ただ世話になってる身だ、一つ忠告しておこう」
そう言って男は姿勢を正して神妙な面持ちになる。
「うちらの世界じゃ一度関わったらそれっきりなんてのはあり得ない。先生がその奴隷を買ったんだか貰ったんだか知らないが、それはあの男と医者と患者と言う立場以外で関わりを持ったと言うことだ。せいぜい気を付けるんだな」
そう言って男は再び口を閉ざす。
確かに言われてみれば、処分が面倒だからと言う理由だけで無理やり渡すものなのだろうか。
あのニコラスと言う奴隷商の男は私に何か狙いがあるのだろうか、今のところその音沙汰は無い。
しかし何かあってからでは遅いのだ、確かに気をつけねばならない。
私は道具を片付けながらその言葉をしっかりと胸に刻み込んだ。
…
「あっおかえりなさい、先生」
「ああ、ただいま」
自宅に戻った私をカトリが寝間着の姿で出迎えてくれた。
もう日付も変わって完全に深夜の時間帯だ。遅くなってしまって申し訳ない。
本来なら先に眠ってて貰いたいのだが、彼女のトラウマがそれの邪魔をする。
あの日以来、彼女が母親を思い出して泣くことや虐待の記憶に魘されることは無くなったが、それでもまだ一人で寝るのは怖いのだろうか、今日のようにかなり遅い時間に帰ってきても彼女は必ず起きていて出迎えてくれる。
出来れば一人で眠れるようになってほしい。それは別に一緒に眠ることが嫌だと言う意味ではなく、トラウマなんて忘れてほしいという私の願望だ。
「先生?」
彼女の頭に手を置く。
そんな私の勝手な思いなど知る由もない彼女は、キョトンとした顔を私を見上げていた。
…
「ふぅ……」
リビングのソファーに座り、一息つく。
深夜の歓楽街でその道の人達に囲まれながら診察を行うのは、中々に精神的に大変な作業だ。何度やっても慣れそうにない。
「先生、お疲れさまでした」
カトリがそう言って暖かい紅茶を出してくれる。
料理はダメなのにお茶を淹れることは上手なんだよなこの子は。
これも彼女の過去に何か関係があるのだろうかと、働かない頭でぼーっと考えながら少し甘味を感じる紅茶を楽しむ。
起きさせててごめんなカトリ、これ飲んだら寝よう。
「んっ……」
そうやってソファーでくつろいでいると、何故かカトリが隣に座って私の腕に顔を寄せてくる。
「うん? どうしたカトリ」
「…………」
彼女は何も言わない。ただ甘えるように私の腕を抱いているだけだ。
「…………」
コチコチ……と時計の針の音だけが室内に木霊する。
私はそのまま空いている手で紅茶を楽しむ。
当然ながら外は真っ暗で、このランプの光に照らされている空間だけポッカリと世界に取り残されてしまったような錯覚を覚える。
以前もこんな感覚になったことがあった気がする。
彼女は動かない。
何か言いたいことがあるのだろうか、それともただ甘えているだけなのか。分からない。
暫くそのままでいると彼女が小さな声で話し出した。
「お母様のことを少し思い出しました……」
「…………」
私は何も言わない。彼女はポツポツと話を続ける。
「母はとても優しくて厳しい人でした。片腕の私を見捨てる事無く、愛情と教育を授けてくれました。
片腕の子供なんて、家の事を考えれば捨てられても文句も言えないのに……。
そんな母を忘れていた恩知らずな子供。思い出すきっかけが母の大事にしてたものではなく、家にたまたま置いてあったあのフラワーベースなのは何かの皮肉なのでしょうか……?」
静かに彼女の言葉に耳を傾ける。
「……先生、もう少し、このままで……」
そのまま彼女は私の腕に顔をうずめてしまった。
私は先ほどの男の言葉を思い出す。確かに彼女は偶然無理やり渡されたようなものだが、だからと言ってもう離すことは出来ない。
こんな一面を見せられて、ただの奴隷だからと捨て去ることなど出来る訳がない。
この先あの男がどんなアプローチを仕掛けてこようともそれは変わらない。
彼女は黙したまま静かに私の腕を抱いている。
時計の針の音と、時折私が紅茶を飲む音だけが室内に響いて、他には何の音もない。
腕には彼女の重みと体温を感じ、ほんのり甘い石鹸の香りが鼻孔をくすぐる。
カトリと言う名のくっつき虫のヤドリギになってしまった私は、そんな決意を胸に秘めていた。