真鍮のフラワーベース
この前は本当にやってしまった。
確かに参っていたのは認めるが、しかしまさか一回りも小さい子の胸に泣きついてしまうとは……自分が情けない。
カトリには心配を掛けた、お礼をしなくちゃなと思いながら隣で夕食用のポテトサラダ作りに励んでいる彼女を見て、ふと気になったことを聞いてみた。
「カトリ、苦手な食べ物はある?」
彼女は食べ物で好き嫌いをしたことが無く、何でも綺麗に残さず食べる。
それは出会った頃からそうだったが、その頃は感情を表に出さなかったので食べ終わっても何の反応が無かった。
私はそれに私の料理が口に合わないのかと心配していたが、最近では食べ終わると笑顔で「ごちそうさまでした」と言ってくれる。
どうやら私はメシマズではないようだ。安心である。
まぁ言い方は悪いが彼女は奴隷だった。まともな食事を与えられていなかったと聞いたし、好き嫌いしていては生きていけなかったのかもしれない。
「先生の料理に苦手なものなんてありません」
うんありがとう。私の料理に満足してくれてとても嬉しい。
しかしなんだろう、ちょっと引っかかる言い方だな。
まぁ苦手なものじゃなくて好きなものなら分かる、甘いお菓子は好きだろう。
あの時喫茶店で食べたリコの実のパイは美味しそうにしていたし(無表情だったが)、お礼としてまた食べに行こうかなと思っていたら彼女が予想外のことを言いだした。
「あのお菓子より先生の作ってくれるご飯のほうが好きです」
あれ、私の料理ってそんなにメシウマだった? 自分じゃ分からないが売り物と比較するレベルじゃないと思うのだが。
と言うよりもやっぱり何か引っかかる。もしかしてこの子は……
「えーと、それじゃ好きな洋服は?」
「先生が買ってくれたこの服です」
「好きな場所……」
「先生となら何処でも楽しいです」
「……好きな本は」
「先生の部屋にある本は全部好きです」
医学書読んでて楽しいのかこの子は……?
ここまで素直に好意を向けられると嬉しいのだが正直恥ずかしい。
そしてこれは個人的な趣味嗜好とは違う気がする……
「カトリ、そう言ってくれるのはとても嬉しいよ。だけどもっと個人的な好きなものでもいいんだよ?」
「個人的な?」
そう言うと彼女は黙ってうーんと考え込んでしまった。
そのままの手つきで棚にある砂糖を取り出し、サラダにまぶそうとする。
おっと危ない、そう言う食べ方も有りかもしれないがすまないが私の趣味じゃない。
まぶすならその下の段にある塩にしような?
「好きなもの……」
なんだか本気で考え込んでしまった。
もしかしたら余り触れてはいけない話題だったのかもしれない。
しかし彼女の顔は気にした様子もなく、ただ単に本当に自分の好きなものを考え込んでいるようだった。
好きなものって考えなきゃ思い付かないものなのかなと思ってしまう私はきっと、この世界では恵まれているんだろう。
日々生きるだけで精一杯な人や、この世の理不尽に虐げられている人にとっては嗜好を語るなど無意味なものかもしれない。
しかし、私は彼女にそんな人間になって欲しくなかった。
「カトリ、次の休診日は君の好きなものを探しに行こうか」
彼女にはきっと、好きな食べ物や好きな服装があったはずだ。
彼女は生まれながらの奴隷ではない、一緒に生活をしていれば分かる。
それは歩く時の姿勢であったり、演劇を見る時の態度であったり、日々のちょっとした仕草だったり。
奴隷となる前に生活していた時に彼女が好きだったもの、それに私はちょっと興味を引かれていた。
「好きなものを探しに?」
キョトンとした顔で彼女が私を見上げてくる。
まぁ確かに言葉の内容が曖昧過ぎて意味不明かもしれない。
と言うか聞き返さないでくれ、自分で言っておいて何だか恥ずかしくなってきた。
「ぶらぶらと街を歩こうかって意味だよ」
ちゃっかりと言葉を濁す。この前のお礼を兼ねてと言う意味だったが、ちょっと言い方が臭かったかな……。
そんなことを思っている私だったが、彼女は気づいていないようで嬉しそうに「はい」と答えてくれた。
…
街に出た私たちはまずは馴染みの洋服屋に足を運ぶ。
彼女はいつも通りに綺麗な姿勢で隣を歩いている。少し期待してくれるかな、なんて発想は所詮私の身勝手な考えだったようだ。
まぁ碌な娯楽なんてないこの街だ。いつものように市場に出かけて、いつものルートをなぞるだけなのだが。
「カトリ、今日は君が自分で好きな服を選んでくれ」
彼女は基本的に自分で服を選ばない。
彼女の服は大体が店主にオススメされたものであり、後は実用的な寝間着や防寒着しかない。
それで不満がられた事はないので特に問題なかったが、もしかしたら彼女は着たい服があったのかもしれない、だから今日は自分で選んで貰おうと思う。
「分かりました」
隣で静かに彼女が頷く。
普段嗜好を見せない彼女がどんな服装を好むのか少しだけ楽しみだった。
「いらっしゃいませってあらセンセ、こんにちは」
店の扉を開けるとそこにはいつものように店主が商品の服を折り畳んでいた。
店主にもあの時は世話になった、既にお礼は言っていたがこうして来たのだし店にお金を落として行くのがいいだろう。
「こんにちは店主、この前は世話になったね。今日は彼女の新しい服を買いにきたよ」
そう言うと店主は「あら……うーん」と唸って、暫くして「それじゃゆっくりしていってね」と奥へと消えてしまった。
普段カトリの服を買うときは店主に任せているのに、何で今日に限って引っ込んでしまったのだろう?
もしかしてあの人エスパーなんじゃないか…… 同じ接客業としてその極意を教えて頂きたい、ついでにあなたの性別も。
「先生、これはどうですか?」
そんな事を考えていると早速彼女が何か選んで持ってきた。
少しフリルがあしらってある白いブラウスだ。
うん、確かに彼女に良く似合いそうなやつだ。
女の子らしくて落ち着いた服装が好きなんだろうか、しかしこれは似たやつを既に持っていないか?
「先生、これは?」
今度は青色のプリッツスカートだ。
これにも既視感がある。これは初めて彼女に買ってあげた服によく似ている。
「先生、これは?」
今度はうさぎの刺繍がなされている明るい橙色のパーカーだ。
いきなりイメージが変わったな。子供っぽいけどこう言うのも好みなのか?
「先生、これ」
今度は無地のただのシャツだ。
これはそもそも服装の好みと呼べる代物ではないのでは?
「先生」
はいそれは寝間着です。
しかも色が前に買ったやつと被ってる。
何というか一貫性がない。適当に持ってきている感じがする。
彼女の真意が分からない私は思わず口を開いてしまった。
「カトリ、君の好みは良く分からないがいちいち私に聞く必要はないよ?」
その言葉を聞いた彼女は少し微笑んで私を見上げる。
「私、先生が好きな服を着たいです」
……思わず固まってしまった。何と言えばいいのか……
「先生も私に着てほしい服があったら何でも言ってください。私、どんなのでも大丈夫です」
あれ? 何だか趣旨が変わってないか? 今日は彼女の好みの服を買いに来たのだが……
呆けてる私を横目に彼女はどんどん服を持ってきて、そしてその全てに私の好みか聞いてくる。
中にはかなり際どいものもあり、ついには下着まで持ってきた。
ちょっと待て、色々と危うい。主に私の世間体が危うい。
「カトリ、そのくらいで簡便してくれ……。とりあえずこれとこれとこれを買って一度出よう」
目に付いた彼女に似合いそうな服を適当に選んで、速攻で会計を済ます。
隣で彼女が「先生はやっぱり落ち着いた感じが好きなんですね」とか言っている。
それは否定しないが、だから趣旨が変わっているって……
…
洋服屋を逃げ出た私たちは次の目的地となるあの喫茶店を目指していた。
手には先ほど買った洋服があり、彼女は隣でご機嫌に歩いている。
これでいいのだろうか……まぁ喜んでくれるならいいのかなと自分でもよく分からない思考に陥りながらも、目的地はすぐそこまで迫っていた。
「いらっしゃいませー! 二名様ですか?」
前に来た時と同じ、元気で愛想の良いウェイトレスがまた私たちを席に案内する。
「カトリ、ここに来てなんだがパイじゃなくても他にも好きなものを頼んでいいよ」
ここはあのパイで有名な店だが別に他にメニューが無いわけじゃなく、間食のお菓子は他にもたくさんある。
もし食べたいものがあるならそっちにすればいいと言う意味で言った言葉だったのだが、またもや彼女は予想外の事を言いだした。
「それなら私は先生と同じものが食べたいです」
え、そう来るの? 私はまたコーヒーでいいやと思っていたのだが……
正直困った、しかし目の前で静かに微笑んでいる彼女を無碍に出来なかった私は結局あの日のようにパイを頼んでしまった。しかも二人分。
「美味しいですね、先生」
それは良かった、正直私は二口も食べたらもう十分なのだが……
しかしあの時の無表情とは違い、今は目を細めて本当に美味しそうに食べている。
この顔を見れただけでてまぁいいかと思って結局流されている自分がいるのだった。
…
「先生、今日はありがとうございました」
帰宅途中、隣でカトリが嬉しそうにお礼を述べる、結局彼女の好きなものは私主体になってしまった気がする。
彼女は喜んでくれたようなので問題はないのだが、何となくモヤモヤとしたしこりが私の中に残る。
彼女は奴隷となる前は普通に生活していたはずなのだ、それは確信している。
しかし今の彼女は真っ白だ、たまたま近くにいる私に染まっているだけに思えて仕方ない。
どうして彼女はそこに触れないのか、真っ白でいるのか。そこにどうしても疑問が残る。
もしかしたら捨てられたのかもしれない、そしてまた私に捨てられることを無意識に恐れているのかもしれない。
そうなのであれば彼女はとても可哀想だと思う。触れないのはワザとではなく、防衛本能なのかもしれない。
私の身勝手な考えだが、もしもこれが正しいのであれば今後この話題には触れないほうがいいかもしれない。
夕焼けに染まる街並みを二人で歩く。
そう言えばあの日もこんな夕焼けだったなと思い出す。
あの日より私たちの距離は近づいているのだろうか。確かに彼女の口数は増えたし、表情は豊かになった。
しかしそれは表面上のものでしかないのかもしれない。事実、彼女の核心に触れた実感は無かった。
カトリがあの日と同じように足を止める。
しかし目線はあの日と違い私ではなく、一件の雑貨屋に向いていた。
「どうした?」
思わず口を開く。
しかし彼女は反応をせず、ただ目の前のショーウィンドウの中にあるものに釘付けになっていた。
「…………」
彼女は黙したまま動かない。
その目線を追ってみると、そこには綺麗な形をした真鍮で出来たフラワーベースが置いてあった。
「……何か懐かしい感じがして」
陶磁でなくて真鍮とは、この街では珍しいものだ。
彼女はそのフラワーベースを見ながら困惑した表情を浮かべている。
私は動かない彼女を横目に店内に入った。
「すまない、ウィンドウにあるフラワーベースを売って貰えないか?」
店内に客は誰もおらず、老婆が一人静かにレジの前で座っていた。
私の後ろについてきた彼女が何か言いたそうにしていてたが、それを無視して店主に交渉する。
「ありゃここいらでは珍しいものでね。ちょっと値段が張るよ?」
「構わない」
別に値段などどうでもいい。
ただ彼女が何かを感じた、それだけで買う理由になる。
「……ありがとうございます」
彼女はこれに何の琴線に触れたのか、自分自身分かってない様子だ。
もちろん私だって分からない。
ただ私は少しだけ、彼女の大事な部分に触れられた気がして満足だった。
…
家に帰り、いつものように一緒に夕食を作る。
カトリが棚から食器を取り出してリビングのテーブルの上に並べている。
そのいつもの光景と違うのは一つだけ。テーブルの真ん中に先ほど買ったフラワーベースが置いてあること。
ちなみに中身はまだからっぽだ、アンティークとして置いてあるだけ。
次はこれにどんな花が活けられるのか、私はそれが楽しみだった。