第3話 「紛争地帯の救済者」
ミラ王国南部。
穀物が育ちやすい穏やかな気候に加え、肥沃で平坦な大地がどこまでも雄大に広がっている。
その一角にある小さな農村の通りを、葉山集は周囲を観察しながら歩いていた。
(活気がないな………)
原因は判明している。
『紛争地帯』で猛威を振るった謎の奇病が、流行範囲を広げているのだろう。
集が藁と木が造られた小さな家屋の中に足を踏み入れると、内部には隅の方まで敷かれている薄っぺらい布の上に、何人もの人々が倒れ込み、苦しそうに呻いている。
彼らを困り果てたように眺めていた老人が、突然入ってきた集の方を見て片眉を上げた。
「入るぞ」
「……ああ、旅の御方ですかい? もしや感染するかもしれません。あまり近づかない方がよろしいかと思いますが……」
「構わない。それより、少し様子を見せてくれ」
女神は基本的に治癒に長けている。
いくら神様だからといって何でもできるわけではないが、神力さえ余っていれば正体不明の難病など、理解しないままに治してしまうはずだ。
もし集がこの病魔に冒されることになれば流石に見捨てるような真似はしないだろう。集は使い勝手の良い駒であり、それを自覚している。
何より、女神が直々に選抜した『真実の四使徒』も既に二人しかいないのだから。
「……」
「……この子たちは、私の子供でしてね」
集が哀しそうに目を細めていると、老人は何を思ったのか、疲れ切ったような口調で語り始めた。
「紛争だらけの、この地域ですから。……みんな、戦争に駆り出されていたんですよ。上様に逆らうわけにもいきませんからねぇ」
「……こんなに小さい子供も、か」
「はい。それが、戦争を終えたと聞いて、驚きました。そんなことがあるはずないと半信半疑でした。……でも、確かに戦争はほとんど無くなっていたと分かったんですよ。……帰ってきたと思ったら、こういう有り様でしたから」
「……これが、この世界の惨状か」
集は吐き捨てるように呟き、容態がおかしい患者に次々と『鑑定』をかけていく。
症状はやはり高熱とそれによる衰弱。昏睡状態に陥っている者もいるようだ。
(……病気の一種であることは間違いないが)
その病気の種類までは特定することができない。
『鑑定』で詳細を捉えられないということは、そのスキルの検索口である女神ですら知り得ない知識だということだ。
つまり、新種のものである可能性が高い。突然変異でも起こしたのか。あるいは、誰かが人為的に作り出したのか――。
(悪魔の仕業……いや、あの連中がこんな回りくどい真似をするのか? 『紛争地帯』を潰したところで大した意味はない。ミラ王国ほどの肥沃な地に病を流行らせたところで、そうそう食糧事情に打撃は加わらない。やはりこの状況で最もメリットがあるのは、確実に……)
「どうしたんですかい?」
「……ああ、いや、何でもない。失礼したな」
葉山集は老人に礼を言うと、そっと金貨を一枚置いて家屋を出た。
老人は仰天した声を上げている。
それだけの金があれば、王都まで馬車で病人を運び、聖女に治してもらうこともできるだろう。
(……向かうべきは、王都か)
♢
神谷士道は瞼を開いた。
眼前には知らない天井が広がっている。
これはどういう状況なのか。寝起きのせいか、頭が上手く回らない。
ゆっくりと体を起こし、周りを見渡す。
「おはよ」
近くの壁に、長い黒髪の美少女が寄りかかっている。なだらかで華奢な体つきに、神官風の装いをしていた。『白い空間』で見た覚えがある。異世界転移者の一人だ。
「これは、どういう状況だ……?」
士道は目を細めた。
確か、獣人族の里から出た後、樹海迷宮の転移魔法陣で『紛争地帯』にやってきて、ミラ王国を目指して旅をしていたはずだ。
ミラ王国の領土に入る前あたりから、士道の記憶は薄くもやがかかったように途切れている。
「覚えていない? あなたは、病魔に蝕まれていたんだよ」
黒髪の美少女は、柔らかく言い聞かせるような声音で言う。
「ああ……」
何となく思い出してきた。
レーナ、リリス、ミレーユと共に、ウルフェンを連れて旅をしていたところ、突如として士道の体調が悪くなり、宿で連泊することになったのだ。
これが流行中の感染病だと知った後に、ミラ王国の王都にはこれを治せる治癒術師がいるという話を聞かされた記憶がある。
レーナ達が運んできてくれたのだろう。
つまり、
「あんたが……聖女なのか?」
「……その呼ばれ方は、あんまり好きじゃないんだけどね。浅場優花って名前なんだよ」
優花は苦笑しながら言う。
士道は肩をすくめた。
「そりゃ悪かったな。俺は神谷士道。俺の病気を治してくれて、ありがとう」
「無償じゃないから、感謝はいらないよ。猫耳の子からちゃんとお代もらってるし」
「そういう問題か?」
「違うの?」
「……まあ、かもな」
士道は軽く首を傾げつつ、備え付けられた窓から外を見ようとした――が、体のバランスを崩して倒れそうになる。思ったよりも体が動かない。
慌てて優花が支えようと近づく。だが、彼女は非力なようだった。
士道の体重を支えきれず、その優花を押し倒すような格好で倒れ込んでしまう。
優花の端正な美貌と、数センチの距離まで顔が近づく。ふわりと、微かに甘い香りが届いた。
「……」
「……」
時が止まる。
優花の大きな瞳の奥には、光の届かない深海にも似た哀しみが漂っているような気がした。
「……ごめんな」
「わ、わたしこそ……余計なお世話、だったね」
至近距離で優花が目を逸らす。
僅かに頬を紅く染めていた。
「立てる?」
「ちょっと待ってくれ」
病み上がりのせいか、体に力が入らない。
立ち上がろうと腕に力を込めたが、失敗して優花の胸に顔を埋めてしまった。
「ひゃぁ!?」
「……不可抗力だ」
「し、仕方ないなぁ、もう」
優花は士道の頭を抱き締めるように抱え、治癒魔法を行使した。
士道の頭が柔らかい感触に包まれる。
「これは念のため、だよ」
「うん」
しばらく会話のない時間が流れた。
それでも、何処か心地良さを感じるものだった。
「……あんたは、どうして」
思わず、呟きが漏れる。
「……そんなに、哀しそうな顔をしてるんだ?」
「え……?」
優花は驚いたような声を上げた。ぎゅっ、と。士道の頭を抱える力が強くなる。
「あのさ」
「……どうした?」
「………………ごめん、やっぱり何でもない」
躊躇い。何を怖がっている。いったい優花は何に対して哀しんでいる。分からない。だが、士道はまだ初対面の関係に過ぎない。そんなに踏み込んだことを聞くことは難しかった。
そんな悩みを抱えていると、二人の間で止まっていた時間が動き出す。
部屋の扉が勢い良く開かれた。
そこから顔を出したのは猫耳の美少女。
「シドーさんの様子はどうですかー?」
「あ」
優花の慌てたような声音が聴こえたが、今更態勢を変えようとしても間に合わない。
士道はレーナの顔を見るのが少し怖いので、優花にしがみついたままでいることにした。
「な、何してるんですか!?」
「い、いや。違うの、レーナちゃん。ね? ほんとに、治癒魔法かけてただけだから……って、神谷くん? 離れてよ。ほら、レーナちゃん見てるから」
「やだ」
「やだ!? やだってなに!?」
優花が思わずといった風にツッコむ。さっきまで落ち着いた雰囲気を醸し出していた聖女の風格はどこへ行ったのか、わたわたと慌てていた。
「聖女サマは……手を出すのが早いんですねー」
そんなことを宣うレーナのジト目が手に取るように分かる。
「ち、違うもん!」
「どのへんが?」
『もん』って何だ。そう思った士道だが、口には出さない。ここは意識がないことにしておいた方が得な気がする。
「わたし、人見知りだし! 男の子と関わったことなんて全然ないし! だから今だって心臓がドキドキしてるもん!」
『手が早い』を撤回させるために何か余計なことまで言っているような気がするが、まあいい。
「へー……」
しらーっとした様子のレーナ。
そこで、再び扉を開く音。
「やっほー。なんか騒がしいけど、シドーは大丈夫なの?」
そんな声と共に、銀髪をサイドテールにまとめたハーフエルフの美少女リリスが入ってくる。
彼女に続くように、淡い水色の髪をしたロリ体型のミレーユが現れる。
「な、何してんのよ!?」
「流石シドーさんなのですよ……」
「だ、だから何もしてないってばー!!」
「嘘くさいですねー」
「ていうか、多分シドーちゃん起きてますよ。対応を面倒臭がってるだけなのです、これ」
「そ、そうだよ、起きて、ちゃんと説明して!」
顔を赤くした優花が士道をガクガクと揺さぶる。病み上がりの人には優しくしましょう。そんなことを思った士道なので、
「……聖女サマに襲われました」
「ええ!?」
「やっぱりそうだったんですかー……」
「シドーちゃん流石、押し付けるの上手いのです……」
「ぜったい違うでしょ神谷くん!?」
ミレーユだけどんよりと乾いた笑いを漏らしているが、他は皆して騒いでいた。
結局、士道が起き上がるまで続いたのだった。
♢
何度か謝罪したのだが、いまだにぶすーっとした様子の優花を横目に、士道はレーナ達に尋ねる。
「で、ここは何処だ?」
「ミラ王国の王都フローゼ。そこの聖女サマの治癒院です」
「……わたしも最近こっちに来たばっかりだから、ここは教会に貸してもらってるだけだけどね」
「そういや『紛争地帯』にいたって話だったしな」
「うん。神谷くんもかかった、この病魔の治療ばっかりだったよ。わたしの固有スキル以外の対処法が、まだ見つからないらしいから」
誰かの役に立てるのは、嬉しいけどね。
そう言って優花は微笑む。哀しそうに。
ミレーユがニヤニヤしながら、
「シドーちゃんは国境を越えたあたりで倒れちゃいましたから。一週間ぐらい、恐ろしい勢いでここまで来たのですよ。 ……なにせ、レーナちゃんとリリスちゃんが、とても心配してましたから」
リリスが慌てたように否定する。
「べ、別にそこまで……」
対するレーナは微笑みながら、告げた。
「でも、シドーさんが無事で良かったです」
「むぅ……」
リリスがちょっと負けた感を出している。
士道は苦笑しながら、
「まあいい。俺も病み上がりだし、近くの宿でも取って、のんびりしてようぜ」
そう言うと、レーナ達は頷いた。実際、歩き詰めだったので疲れているらしい。
話がまとまったのを見て優花は立ち上がり、
「それじゃ、わたしはそろそろ行くね。まだ患者さんもたくさんいるから」
「おう、サンキューな」
「うん……旅、頑張ってね!」
小さく握り拳を作って、優花は言う。
士道はひらひらと手を振りながら、聖女を名乗る人物に別れを告げた。




