第2話 「温泉」
ミラ王国北部には峻険な山脈が連なっており、活火山も多く存在していた。
そんな場所のとある山の麓にある村落には、ミラ王国の名物との呼び声も高い温泉が湧いているのだが、いかんせん周囲の環境が過酷な為にあまり客は訪れてない。
温泉宿は一度潰れたのだが、三ヶ月ほど前にやってきた若者が何を思ったのか、奇抜な外装に改築した上で、また営業を開始した。
――そういう内容の話を村長から聞いたとき、たまたまララ・フェルシアと共にその村を訪れていた、草薙竜吾は嫌な予感を覚えていた。
そもそもミラ王国に温泉を求めてやってくる人々は、この村を南下した先にある観光の名所――温泉都市バルタに向かうのだ。
人が多いので活気があり、王都の付近で治安が良く、周囲の魔物も脆弱、気温も温暖な場所だ。
条件を鑑みるだけで、こんな辺鄙な村の温泉宿より全然儲かるだろうと分かる。
だが、せっかく立ち寄ったことだし温泉には入りたいと草薙は考えていた。
現状、草薙の捜し物の手掛かりはそれなりに掴み始めている。段々とやるべきことも見えてきた。
だが、休息は確かに必要なことなのだ。
焦っても仕方がない。
そんなわけで、草薙たちはこの村落に唯一の温泉宿の前にやってきていた。
「うわぁ……」
草薙は思わずというふうに呟いた。
眼前の建築物はミラ王国には珍しく木造で、入り口と思われる引き戸には、ひらひらと『おんせん』と書かれた布地が漂っていた。
――ていうか、日本語だった。
「そもそもなんて書いてあるのか読めないんですけど……」
ララが呆れたように呟いている。
草薙はため息をつきながら、その引き戸をガラガラと鳴らしながら開いた。
「ん? おお、まさか外部から客が訪れるとはな」
カウンターで椅子に座り、何らかの本を読んでいた男が、草薙たちの方を見て声を上げた。
ギラギラとした黒髪をオールバックに撫でつけている長身の男である。年齢は二十歳程度だろうか。
服装は髑髏のような絵柄が描かれた白シャツの上に、両肩に金色のファーが付いた黒のマントを羽織っている。細く長い脚には、黒めのジーンズを纏っていた。
これっぽっちも温泉宿の主人っぽさが無い服装だった。
(外装をここまできちんと合わせたんだったら服もそれっぽくしろよ……)
草薙が謎の怒りを覚えていると、男が訝しげにこちらを見ると、その直後に驚いたように片眉を上げながら、「ああ」と呟いた。
「なるほどな、転移者か。そりゃこんな看板見ても入ってくるわけだ」
男はクツクツと愉快そうに笑う。
草薙はとりあえず言いたいことのすべてを端的に集約して、呆れたように尋ねた。
「……何だこれ?」
「なにってお前、どこからどう見ても温泉宿だ」
「日本のな」
「この再現度に惚れたか」
「いったい何がしてぇんだアンタ……」
「いや、実のところ、こいつは別にオレが作ったわけじゃねえのよ」
男は苦笑して種明かしをする。
「転移者に知り合いがいてな。何を思ったのか唐突にこんなものを作った思ったら、どこかに消えちまったわけだ。仕方ねえから俺が接客してみてるわけよ。今のところあんまりやることもねえし」
「はぁ……物好きもいるもんだな」
「そういうわけだ。まぁ、入ってけよ」
オールバックの男は、関わりづらそうな外見とは裏腹に、気さくで親しみやすい対応を見せる。
(この男……)
だが草薙は僅かに目を細めながら、
「……アンタ、名前は?」
「山城京夜。……なに、そう警戒するなよ。オレなんて大した奴じゃあねえさ」
「どうだかな……まあいい」
「アンタは?」
「草薙竜吾。まぁ……こっちも別に大した奴じゃねえけどな」
「いやいや、そっちこそ嘘だろ」
山城は苦笑しつつ、肩をすくめた。
草薙の実力を立ち振る舞いから何となく察しているらしい。良い眼力である。
「クサナギさん……」
転移者にしか通じない話題の応酬により、仲間外れにされていたララがジト目になっている。
草薙は謎の冷や汗を掻きながら、
「あー、えーと、じゃ、入るか。男湯どっち?」
「向こうの突き当たりだな」
「んじゃララ、また後でな」
「……はーい」
「まあ待て。先払いだ」
「何でだよ。そこは普通に考えて後だろ。日本に忠実にしたいのかしたくねえのかどっちだ」
グダグダとどうでもいいことを喋りながら銅貨を放り投げ、地味に最近のお金がピンチなことに気づいて呻き声をあげる草薙である。
ララの視線がさらに冷たくなる。
そんなことも分かってなかったの? みたいな視線が草薙に突き刺さり、盛大に狼狽えながらも無言で視線を逸らした。
「ほんと、わたしがいないと駄目なんですから……」
ララは呆れたように微笑んだ。
そのままくるりと振り向き、上機嫌そうに鼻歌を口ずさみながら、女湯の方へと歩いていく。
山城が軽くロッカー等の使い方を説明するが、まあ頭の良い彼女なら大丈夫だろう。
「アンタの彼女、おっぱいでかくていいな」
山城はニヤニヤとしながら言う。
「……覗くなよ?」
「アンタの嫁を相手に覗きなんかできるかよ。まだ死にたくはねえんだ」
「彼女でも嫁でもねえが」
「じゃあ何だ。妻か?」
「それ意味変わってなくね? ……実際のところ俺にもよく分からん」
「とりあえずオレに分かったのはアンタが駄目な男だって事実だけだな」
「うるせえ!」
「二十代っぽいのにまだ童貞とかちょっと信じられねえわ」
「どどど童貞ちゃうわ!!」
草薙は激しく動揺しながらも、人気のない更衣室に入って服を脱ぎ捨て、湯気が立ち込める温泉への扉をガラガラと開いた。
ペタリ、と濡れた岩の上を歩く素足の感覚に懐かしさを覚える。
露天風呂が一つだけのようだった。広さはそれなりだ。
しかし裸で外に出るとやはり寒い。
草薙は両腕を抱えながら、さっさと体を洗って湯船に浸かりたいと考えていた。
そんなとき。
「……ん?」
ペタリ、と草薙とはまた別の足音が聞こえた。
思わず振り向くと、口を半開きにして絶句する。
「……あ」
薄桃色のふんわりとした長髪に、驚いたように見開かれた金色の瞳。女性らしい二つの大きな膨らみの下には、完成された芸術品のような、魅惑的で美しい曲線が描かれた肢体が存在していた。
温泉から立ち昇る湯気が、大事なところだけを危うく隠している。
草薙が呆けたようにララを眺めること数秒。
みるみるうちに、ララの顔が紅潮していく。
彼女は体を隠すようにしゃがみ込み、俯むきながら「あ、あっち向いてください!」と叫んだ。
声が上ずっている。普段は草薙を翻弄する小悪魔的な彼女も、流石にこの状況には動揺している。
草薙は素直にララに背中を向けた。というより考えている余裕がなかった。
自らが歴戦の勇士だと自覚している草薙が、たとえどんな状況であろうと即座に対応する能力だけが自慢だったのだが、なぜこれは戦闘以外では通用しないんだ――と謎の葛藤をしていると、
「あー言い忘れてたが、客来ねえから混浴に変わったんだってよ」
山城の面倒臭そうな声が聞こえた。否。そういうふうを装っているだけで、実際には奴は楽しんでいることだろう。
今頃、あの気に食わない面がニヤニヤと下卑た笑みを浮かべているのが目に浮かぶようだ。
その確信が草薙にはあった。
というか絶対言い忘れたわけではないだろう。見え見えの嘘である。
草薙はため息をつきながら、愚痴を吐く。
「……ったく、あの野郎。ありがとうございます」
「クサナギさん」
「おっと間違えた。あの野郎、ぶっ殺してやる」
説得力が微塵もなかった。
「……クサナギさん」
「な、何だ?」
ペタペタと足音が近づいてくる。
その音は、草薙の真後ろで停止した。草薙は全神経を集中させてその気配を感じ取っていた。
ゴクリ、と生唾を飲み込む。
「せ、背中……流しましょう、か……?」
震えたような声音だった。
いくらララでも緊張しているのだろう。
というか動揺しすぎて半ば忘れていたが、さっさと湯船に浸からないといい加減に寒い。
草薙はコクコクと頷いた。
ララは少し冷静になったのか、魔法で作られたらしい石鹸を泡立てながら、言う。
「……わたしの裸、見たいですか?」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………いや」
「否定されたら傷つくなぁ」
「見たいです」
「即答するのもなんかなぁ」
「……どうしろってんだ」
「……ふふ、でもその方が草薙さんらしいから、大丈夫ですよ」
「……」
「あ、で、でもこっち向かないでくださいね。あの、その、えっと、そういうことをするのにやぶさかじゃないんですけど……まだ早いっていうか、あの心の準備みたいな、そんな感じが……」
ララが珍しくわたわたしている。あまり見られない光景だ。彼女のそういう一面を知れたことを、草薙は素直に嬉しいと思った。
「だから……その……」
ララは草薙の背中に細い指を這わせながら、
「すき……です…………」
こてん、と頭を背中に押し付けてきた。話が全然まとまっていないが、何を伝えたかったのかだけは理解した。
ララの髪の毛が首周りに触れて、くすぐったい。
「お、おー……」
「……な、なんか、ごめんなさい」
「お前って割と想定外の事態には弱いよな」
「……悪いですか。草薙さんとは違うんですよ! 女の子は繊細なんです!」
草薙が湯船に浸かって数分経つと、自分で体を洗い終えたララが、背中の方で温泉に体を沈めた。
一日の疲れが洗い流されていくような気がする。
草薙はララと背中合わせで、互いの体重を預け合いながら、心臓の高鳴りを感じていた。
空を見上げると、星が燦々と煌めいている。
「……やっぱり、休息は大切だな」
草薙はゆっくりと息を吐きながら、呟く。
姿を見るわけにはいかないけれど、ララが不思議そうに小首を傾げたような気がした。
「――何の為に戦っているのか。それを改めて確認できるからだよ」
「……」
「連続する戦いの中で、魂は疲弊する。そこでテメェが戦う意義を見出だせなくなったら終わりなんだ。……地獄の中を、歩いていける。それは、そうしてでも守りたい幸せな時間があったという証明に他ならないから」
「幸せな、時間……」
ララは嬉しそうに反芻した。とびきりの美少女にそんな反応をされると、草薙としても嬉しい。
草薙は夜空を見上げながら、言う。
「――俺はお前と一緒にいたい」
唄うように。
「――かつて初代勇者と共に護ってみせた、この世界だって護りたい」
決意するように。
「――百年前に再会の約束をした、大事な家族にも会いたい」
熱望するように。
「――世界を我が物顔で操る、女神と天使連中も叩き潰したい」
己の我が儘な願望を並べ立てる。
草薙は歴戦の傷跡が残る右手を、優しい光を纒う月に向かって掲げる。
「無茶苦茶なものばっかりですね」
「本音なんて、叶えるのが難しいもんばっかりじゃねえのか、多分さ」
ララは、しょうがないなぁ、と呟きながら、
「……でも一個は、願い、叶ってますよ」
聞き取れないような微かな言葉を、確かめるように優しげに紡いだ。




