Epilogue 「護った光景」
宵闇の中に、人々の楽しげな喧騒が響いていた。
獣人族の里。その中央の広場では、この里に住んでいる者のほぼ全員が集まり、皆の無事を祝して宴会を開いていた。
焚き火が闇を照らす中、程良く焼いた肉や野菜を美味しそうにかじりつきながら、人々は歌い踊る。
騒がしさで目を覚ました神谷士道は、そんな平和な光景をぼんやりと眺めていた。
その体は全体が包帯で覆われていて、怪我が酷すぎて治癒魔法でも回復しきれなかったことが窺える。
士道は体調を確かめるように、掌を握ったり開いたりしていた。体を動かすと、少し痛みはあるが動けないほどではない。
あれだけ血を流していたのに、ここまで回復しているのは治癒術師の腕が良いのだろう。
士道が寝かされていた布団は、なぜか広場の隅の方にある家屋のテラスにあった。
何を思ったのか、わざわざ外に出したらしい。
「目が覚めたか、坊主」
隣から声が届いた。
木製の簡素な椅子に泰然と座っているのは、この里を統べる獣王のガレス・ランズウィックである。
彼の前のテーブルには美味そうな酒や肉が置かれているが、手をつけている気配はない。
士道はガレスに目を向けることもなく、目前で展開されているお祭り騒ぎを見続けながら返答した。
「……みんな、助かったんですか?」
その質問に、ガレスは僅かに息を呑むと、
「……ああ。俺は無理な"神格化"のせいで包帯だらけだし、レーナも傷が多いが……数日もすれば回復するようなもんだ。……怪我が酷かったのは、お前ぐらいのもんだよ」
「そうですか。それなら良かった」
士道は安堵したように息を吐いた。
焚き火の周りで、子供たちが笑いながら走り回っている。ギランやルナールが「危ないぞ!」と注意しながら追い掛けていた。
こんな光景を、失いたくないと思った。
「……それなら、良かったんだ」
士道はもう一度、その言葉を繰り返した。
己の信念を貫いた先で、護りたいと願った者に笑顔が溢れていた。
何も不満に思うことはない。
そのはずだった。
「……シドーさん」
驚いたような声が後ろから聴こえた。
士道が振り向くと、そこには白いワンピースを着たレーナが立ち尽くしていた。
短めの髪を後ろで結んで、小さなポニーテールを形作っている。普段のショートカットとギャップがあって可愛いと思った。
「よう……似合ってるな」
その旨をそのまま伝えると、レーナは無言で士道の胸に飛び込んできた。
レーナは士道の傷を刺激しないように、そっと背中へと手を回す。人肌が心地良い感触だった。
仄かに甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「……大丈夫、なんですか?」
「……ああ。まだ体は痛むけど、しばらく療養させてもらえれば回復するだろうよ。そのぐらいは滞在していたっていいですよね?」
士道がちらりとガレスの方を見て確認すると、彼は当然だとばかりに首肯した。
「何を言ってんだよ。お前はこの里の英雄だぞ。永住したっていいぐらいだ」
「そいつはちょっと遠慮しますけどね」
ガレスの言葉に士道は苦笑する。
いまだ抱きついているレーナの艶やかな茶髪と猫耳を慈しむように撫でていると、
「……改めて礼を言う。この里を護ってくれて、洗脳されて身内に手を掛けようとしていた俺を救ってくれて、本当にありがとう。この借りは、必ず返す」
ガレスはその顔に似合わない真面目な口調で告げると、真摯に頭を下げた。
士道は驚きながらも苦笑する。
「……あんまり気にしないでください。俺はあくまで、俺がやりたいからやっただけだ」
「……その結果として、多くの者が救われて、お前自身はそれだけの重傷を負ったんだぜ。『貸し』ぐらいは作っとかねえと、お前が救われねえよ」
士道はその言葉を聞いて息を呑んだ。
そんなことは考えたこともなかった。
「……護りたいと思ったモノを護り抜けたのなら、俺はそれだけで満足だよ。……少なくとも、これまではそう思っていたから」
「……そうか。ま、こっちが勝手に恩を感じてりゃ良い話だな。とりあえずお前さんの仲間に、お前が目を覚ましたことを伝えてくる」
そう言ってガレスは立ち上がった。
のしのしと幸せそうに酔いつぶれた人々を押し退けながら、先へと進んでいく。
「ねえ、シドーさん」
レーナが士道の胸元で顔を上げた。
「……どうして、泣いていたんですか?」
一瞬、士道の呼吸が止まった。
大友慎也を倒した後のことだろう。あのときは意識がおぼろげで薄い記憶しか残っていないが、泣いていたよう気がする。
「……まあ、大したことじゃない」
「言いたくないなら、いいですけど。わたしやリリスさんたちは、あなたのことを心配してるんですからね」
レーナの抱擁が強くなる。
その華奢な体は僅かに震えていた。その腕や脚にはまだ傷跡が残っていて、痛ましさを覚えた。
「ありがとな。でも、本当にお前らが気にするようなことでもないんだ」
「……信じますよ?」
レーナの怪訝そうな表情に、士道は苦笑する。
泣いていた理由なんて、単純なことだ。
当初に護ろうと思っていたモノは確かに護り抜けたけれど、それ以外に失ってしまったモノがあり、それが悔しかっただけなのだ。
「おーい、腹減ってんだろ? 適当に美味そうなモンも掻き集めてきてやったぜ」
ガレスの軽い調子の声が聴こえる。いまだに抱き合っている士道とレーナを見て、ニヤニヤとした笑みを浮かべた。
「……おーおー。ウチの娘ちゃんは離れたくないのかね?」
「う、うるさい!」
レーナは顔を赤くして返答するが、頬を士道の胸元に押し付けたまま、離れようとする様子はなかった。たぶん図星なのだろう。
「お前のお仲間さんもやってきたぜ」
騒ぎ立てる獣人族を潜り抜けるように、リリスとミレーユが駆け寄ってくる。
士道が軽い調子で手を振ると、二人は安堵したように息をついた。
その直後、士道にくっつくレーナを見たリリスはむっ、と不機嫌そうに、
「……レーナ。何してるのよ?」
「シドーさんを慰めてます」
「どっちかって言うとお前が慰められてる気がするんだが」
「いいんですー」
士道が苦笑すると、レーナはお構いなしとばかりに更に引っ付いた。
リリスが更に不機嫌になる。
ミレーユは知らん顔で近くに佇んでいたルナールと会話していた。
介入するのが面倒くさいと顔に書いてある。
「……シドー。あたしも頑張ったんだけどな」
目線を逸らしながら、俯きがちにリリスは言う。
透き通るような銀髪が風に揺れた。
士道はニヤニヤとした笑みを浮かべると、
「何だ? 褒めてほしいのか?」
「ち、違う!」
「いいからいいから。ほら、近くに来い」
「……」
リリスは否定しておきながら、士道が横をポンポンと叩くと、そそくさとそこに座った。
なかなか素直になれない少女である。
よしよし、と士道はリリスの頭を撫でる。ようやくリリスの表情が緩んだ。
状況が落ち着いたことを確認して、ミレーユが士道に声をかけた。
「それで、この後どうするのです? シドーちゃんの傷が回復したら、の話ですけど」
「ちょうど『樹海迷宮』の転移魔法陣があるんだ。そこからユーレンザラード大陸南部の『紛争地帯』に入る」
「目的は?」
「『紛争地帯』は危なそうだからそのまま通り抜けるとして、中部を占める『四強』のミラ王国に向かいたい。まあ観光だよ」
ミラ王国の王都フローゼは、世界一美しい街と呼ばれている。その光景は一度目にしてみたかった。
それに加えて、
「……そういえば、ミラ王国って温泉の宝庫でしたね。もしかしてそれも目的ですか?」
「……よく分かったな」
「えへへ、何となくです」
士道が驚いて目を瞠ると、レーナははにかむように笑う。
「……もちろん、わたしも行きますよ?」
「ああ」
もともとレーナは、士道についていけるだけの力をつけてから、一緒に旅をしようとしていたのだ。
レーナは今回の事件で、それだけの実力があることはすでに証明している。
士道はレーナ、リリス、ミレーユの方を向いて真剣な声音で告げる。
「……お前らに悪いとは思うんだが、俺はこういう生き方をしてる。だから、俺についてくるなら、また危険なことに巻き込まれるかもしれないっていう覚悟を持ってほしいんだ。もし嫌なら――」
士道はレーナ達の表情を見ると、言いかけたセリフを途中で撤回した。
「……今更なことだったみたいだな」
「わたしは、そんなあなたに救われましたからね。あなた一人に重荷は背負わせませんよ」
レーナはもっと士道に抱きつく。むにゅり、と控えめな胸の双丘が押しつけられた。
士道に撫でられているリリスも、肩に頭を寄りかけた。
「そういえば転移者は温泉が好きって話を聴いたことがあるような気がするのです……」
ミレーユは我関せずといった様子で、小さな声でどうでもいいことを呟いている。
それは日本人の性である。
仕方のないことなのだ。
そんな状況を眺めていたガレスが、仕切り直すように言った。
「ま、しばらく滞在することに変わりはねえんだ。お前はふんぞり返ってればいい。英雄様には大サービス付きでもてなしてやるぜ」
「どんな風に?」
「……そうだな。英雄、色を好むっつーしな。……女衆の中で希望した奴が夜のお供するとかどうよ?」
「ちょ、お父さん!?」
「それちょっと詳しく」
「ええ!? シドー!?」
下卑た笑みを浮かべてガレスが言うと、顔を紅くしたレーナが引っ叩いた。
戦闘時並に真剣な顔をした士道に、リリスが驚いたように叫ぶ。
ミレーユが呆れたようにため息をついた。
ギャーギャーとした喧騒が鳴り響く。
広場の方でも泥酔した獣人族がいまだに騒ぎ尽くしていた。
どこまでも楽しそうな光景だった。
第三章――完。
閑話を投稿した後、ある程度の充電期間を経て、第四章に移ります。
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