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ハズレ奇術師の英雄譚  作者: 雨宮和希
第三章 飢えた獣の咆哮
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第23話 「慟哭」

次回はエピローグだと言ったな。

あれは嘘だ。

「殺せ」


 血で赤く染まった地面に大の字に倒れている大友慎也は、目を閉じて端的に呟いた。

 近くの木の幹に背を預けている神谷士道は、大友の言葉を聞いて目を細める。

 お互いに満身創痍だった。

 森林の被害も大きく、所々に地割れが発生していて、木々の多くは消し飛ばされている。現に士道が寄りかかっている樹木も、その半ばから削り飛ばされたような跡があった。

 この場において明確なのは、士道が大友を打ち倒したという事実だけである。

 大友は目を閉じたまま、淡々と告げる。迷彩柄の魔導服は擦り切れたり、赤く染まっていて、見ているだけで痛々しい有り様だ。


「私はもう立てない。だが、私をこのまま生かしておけば、また元の世界に戻る為に罪のない人に手をかけようとするだろう」

「……」

「本当は、分かっていたんだ」


 寡黙なはずの大友は、ゆっくりと己の心を確かめるかのように吐き出していく。


「妻の和葉は、私がこの世界から戻れなかったとしたら確かに数年は悲しむだろう。……だが、きっとまた、彼女に幸せを与えてくれる存在が現れる。……別に、私が元の世界に戻る必要など、初めからなかったんだ」


 大友は瞼を開けると顔を士道の方に向け、これまで常に保っていた無表情を崩すように、そっと笑みを浮かべた。


「きっと私は、その事実を否定したかった。……彼女を幸せにできるのは私だけだと、そう、思い込みたかったんだ」

「……」


 士道は、その独白を黙って聞いていた。

 大友の妻が不治の病に罹ったこと。それを女神が治してくれたこと。元の世界に帰る為には、女神の協力を得なければいけないこと。だから彼女が提示する試練をこなしていたこと。

 大友はそれらを滔々と語り続けた。


「……殺せ」


 そういう事実を踏まえた。

 その上で、大友はもう一度士道に告げた。


「もはや私に生きる意味はなく、価値もない。元より地獄に堕ちる身だ。私が愛した妻と、彼女が産んだ息子さえ幸せになってくれればと思うが……それはきっと、この汚れた手を持つ私が願うことではないんだろう」

「……お前は」


 これまで黙って聴いていた士道は表情を歪める。

 耐えきれないとばかりに、呟く。


「……お前は、大切だった家族のもとに、帰りたいだけなんだろう?」


 大友は苦笑しながら頷く。

 その心境が士道には理解できない。


「お前は、愛する妻を自分の手で幸せにしたかった、それだけなんだろう! だっていうのに、何でこんな……ちくしょう……っ!!」


 士道は拳を硬く握りしめる。

 誰かを護り、助けること。

 それはきっと綺麗な光景だろう。

 だが、その行動は確かに他の誰かを切り捨て、見殺しにすることも意味しているのだ。 

 今回の事件で、神谷士道は獣人族の里を護る為に、大友と彼の家族の幸せを犠牲にしたのだ。

 そんなことは、分かっている。

 士道は今でも己の行いは正しかったと自信を持って言える。

 護りたいという想いがあり、それを成し遂げる為に必要だったから必死に戦った。

 知っていて。理解して。その上で行動して。

 それでも。


「くそっ……!!」


 そう簡単に割り切れるような問題ではない。もっと上手いやり方があったのではないか。もっと自分が強ければ、何もかも護れたのではないか。そんな後悔の念ばかりが、浮かんでは消えていく。


 士道は護りたいのだ。

 己の視界に入るものすべてを。

 見たくないのだ。

 誰かが傷ついているその姿を。

  

「……そうだな。私はきっと、もう一度、妻の顔が見たいと思った。そんなちっぽけな願いを、諦めなくないだけなのだ」


 認めたくないのだ。

 叶えたい願いを持って世界の理不尽に立ち向かい、儚く散っていく誰かの姿を。


 だけど、この残酷な異世界では、誰かを切り捨てなければ、誰かを護ることができなかった。

 だから士道は選択し続けてきた。

 いったい誰を護り、助け、何の為に行動するのかを、何度も天秤に乗せ続けてきた。

 それでも何とかやってこれたつもりだった。

 昔からの癖で、無意識に皆に頼られる存在であろうとしていた士道は、常に泰然とした態度を取り続けてきた。

 だが、もう限界を迎えたような気がしていた。

 夕闇の空を見上げる。

 ひどく、哀しい色をしていた。


 血を流しすぎて朦朧としている意識の中で、理性もなく、ただ本能が導くままに士道は慟哭する。

 

「俺は……俺は、すべてを護りたい。皆が笑顔がいてほしいんだ。そんなことは、無理だって、分かってるよ……分かってるんだ! でも!! でも、俺は苦しんでる人がいたら護りたいんだよ! 困っている人がいたら助けたいんだよ! だけど!! それを為すために何かを傷つけるのも嫌なんだよ! そんなものが理想論だと分かってるけど! それでも俺は、誰かが泣いているところや傷ついているところを見たくないし、助けたいって思うんだよ!!」


 頭を抱えながら、士道は叫び続ける。


「俺の信念なんて所詮はそんなもんなんだよ! でも、しょうがないだろ! 俺は何だってできた。それなりに勉強もできたし運動もできた。交友関係も広いし、いつも皆を引っ張っていくことができた。誰かを助けて、身の回りにいる誰かを笑顔にしようと努力して、それでも俺はやってこれたんだ!!」


 士道は傲慢な人間だ。

 基本的に何に対しても才能があり、だからこそ努力をして才能を伸ばすことを楽しいと感じ、伸ばした能力を活かして自分の周りの皆を引っ張っていくことが好きだった。いつも皆の中心だった。

 友達の悲しい顔を見るのは嫌だし、楽しそうに馬鹿みたいなことをするのが好きだった。

 友達の笑顔を、創ることが好きだった。


 そういう姿を幼い頃から常に見せてきた、己の父親に対する憧れもある。

 だが最大の理由はそんなものだった。

 士道の原動力なんて、そんなちっぽけなもので。


「でも、この世界は違うだろう! 誰かが犠牲にならなきゃ助けたい誰かは助けられない! 誰かを切り捨てなければ、護りたい人を護れない! そんなのはもう嫌なんだよ! 俺はお前を倒した。だから文句を言う資格なんてない。そんなことは分かっている! それでも、俺はお前だって救い出したいんだよ! 認めたくないんだよこんな結末を! 傲慢だろうがなんだろうが、俺は……俺が、思い描いた理想を作りたいんだ!!!!」

 

 神谷士道は挫折を知らない人間だと、誰かに評されたことがある。

 それは違うと断言できる。士道は、そんな苦しみを決して表に出さないだけだ。

 皆に頼られる存在であろうと、無意識のうちに堂々としているだけだ。

 心の中では、いつだって悩み苦しんでいる。

 身の回りの誰かが死ぬことが嫌だ。

 傷つくことが嫌だ。

 泣いているのなら笑顔にしたい、と。


 大友はそんな士道の叫びを聞き、何かを慈しむような優しい瞳をしていた。


「……その理想は、諦めることだ。犠牲を出さないなんて、英雄にもできない。それは今のお前が証明している」

「俺は……英雄なんかじゃない……っ!!」

「いや、お前は英雄だよ、ハズレ術師。少なくとも今、この里の獣人族にとってはな」


 大友は珍しく、優しげな笑みを浮かべた。


「……お前は確かに、俺を切り捨てたかもしれない。獣人族の命と俺が求めていた家族の温もりを天秤にかけて、お前にとって優先度が低かったから」


 大友はゆっくりと、手足に力を込めていく。

 士道はそれをぼんやりと見ていた。

 もう、お互いに戦意はない。

 そんなことは考えるまでもなく知っていた。


「だが、その代わりに、お前には護りぬいたモノが確かにあるはずだ」

  

 大友は手足を引きずるように歩き出す。

 二度と立ち上がれないような肉体で、それでも休んだことである程度回復したのか、近くに落ちていた拳銃を手に取る。

 それをひょい、と士道に投げた。

 士道は黒光りする無骨な鉄塊を受け取ると、呆然としたままそれを眺めた。


「私はスキル『魔銃』しか使っていなかったが、その中には残り少ないものの実弾も入っている。魔力のない今の私なら、一発で簡単に殺せるだろう」


 大友は真っ直ぐに士道を見つめてくる。

 対する士道は心の底から怯えていた。

 今まで強く保っていた心が、毅然と佇む大人を前にして、崩壊していくような気がしていた。

 もう、誰かが死ぬのは見たくなかった。


「引き金を、引くだけだ」


 大友は強い口調で告げる。

 自分を殺せ、と。

 当たり前のように。


「勝者の責務を果たせ、英雄。お前は私の道を踏み越えて先に進んだ。そして私は生きている限り、元の世界に戻る為にお前の道の邪魔をするだろう。ならばお前にとって、私は生かしておく価値がない」

「お前が……、元の世界に戻る方法は、本当に女神に頼ること以外にないのか?」

「ない。この短い期間で、私は死にものぐるいで世界中を巡った。さまざまな場所に突入し、忍び込み、数千冊の魔道書を漁った。高名な魔術師の評判を聞きつけては頼った。……だが、"世界渡り"は女神にしか使えなかった。だから、私は彼女を頼るしかない。試練を受けるしかない。そして、それは必ず人々を傷つけるものだ。あの女神のやることだ。簡単に想像はつく」


 大友はそれでも動かない士道に嘆息すると、


「……正直に言うと、私はもう嫌なんだ。私は家族のため……いや、家族を想う自分のためにしか動けない。妻が放っておいても幸せになるかもしれないと分かっていても。……その為に、他の誰かを傷つけることは、もう終わりにしたい」

「……」

「迷うな。お前がいま殺しを躊躇っている理由は、私の"理由"を聞いたからだろう。だが、これまでお前が殺してきた相手にも、私のような理由が確かにあったはずなんだ。お前がその行動を信念と呼ぶのなら、そこで差をつけてはならない」 

「…………そう、か」


 それは正しい言葉だと思った。

 士道は少なからず人を殺してきた。己の信念に反すると判断したから。

 ならば士道と道を違えた大友を殺さなければ、今まで殺してきた者達はいったい何だったのか。


「分かっ、た……」


 士道は大友に拳銃を向けた。

 ずしりとした鉄の感触が、手を震えさせる。

 初めて扱う道具とはいえ、どんなに下手でも、この距離では外しようがない。

 大友はただでさえ満身創痍だ。

 放っておいても死に至るかもしれない。それでも士道は引き金を引き、大友を殺さなければならない。そうしなければ、これまでの行動と矛盾が生じてしまう。それに大友が回復すれば、また誰かに危険が及ぶことになる。

 だから、士道は。

 拳銃の引き金に指をかける。

 そして。


 乾いた銃声が炸裂した。



 ♢




「止まっ……た……?」


 獣王ガレス・ランズウィックが活動を停止した。

 死にものぐるいで獣王の侵攻を食い止めていたレーナは、緊張の糸が切れたとばかりに地面に倒れ込み、花のような笑顔をほころばせた。


 獣人族を自分の支配下に置くことを命令されていた獣王が動かなくなった理由は、おそらく命令を下していた存在がいなくなったからである。

 それはつまり、洗脳された獣王への命令権を持っている大友慎也を、神谷士道が打倒したことを意味しているのだ。


「シドーさん……」

  

 頼りになる人だ、とレーナは思った。

 とうに魔力切れを起こし、精神力だけで支えていた『神獣化』のスキルが解除されていく。

 レーナのスレンダーな肢体が姿を現す。

 どういう仕組みになっているのか装着していた魔導服はボロボロではあるものの、しっかりと身体を覆っている。

 レーナは荒く息を吐き、体中には数多の傷が刻まれているが、一つとして致命傷に至るようなものはなかった。

 いくらレーナが『神獣化』を使えるとはいえ、恐ろしく高等な技術で編まれた"神格化"の術式すら併用している獣王が相手である。本来なら、レーナがまともに戦えるはずがない。

 だというのに、ギリギリのラインで時間稼ぎを可能にしていた理由は、洗脳されているはずのガレスが内側から、命令によって動かされる自分の肉体を阻害してくれたからだろう。

 ガレスは、レーナのことをちゃんと娘だと認識して、必死で護ろうとしていてくれたのだ。


「……ガレスさん」


 そんな言葉と共に現れたのは、ふさふさの狐耳と九本の尾を生やしている妖艶な肢体を持つ女性、ルナール・リーフィアだった。

 迷宮の十五層から、こんなにも速く駆けつけてきたのだろうか。


「あ、あれ……」


 レーナは倒れたまま呟く。

 ルナールだけではない。レーナの視界には、ぞろぞろと里に住む人々が集まりつつあった。

 

「みん、な……避難したはずじゃ……」

「この里は、ガレスさんと一心同体なんやって。みんなが言い張るんよ」


 うちはどうにか避難させようとしてたんやけどね、とルナールは苦笑しながら告げる。

 

「いま、うちと一緒に上がってきた戦士団……ギラン達がシドーくんを探してる」

「わ、わたしも……」

「駄目。あんたはもう十分に頑張ったから。大人しく治療を受けるんよ。うちも、シドーくんを探してみるから」

「そう、ですか……お願いします」


 ルナールがこの里唯一の治癒術師を呼ぶと、彼は慌ててレーナに近寄る。

 頼りなさそうな犬獣人の男の人に傷を癒やされていると、やがてガレスの肉体を包んでいた『神獣化』が、魔力切れによって失われ、虎獣人の大男の姿に戻っていく。

 体の形態が変わったことにより、『神獣化』のときの肉体では弱点を覆い隠すように内側に秘められていた、"神格化"の術式が表に出てきた。

 この状態なら、簡単に効果を抹消できる。

 ルナールがガレスに駆け寄り、数年かけてカイザーが編み出した"神格化"の術式を魔力で強引に叩き壊す。

 それと同時に、付与されていた洗脳術式も潰す。

 治癒を受けていたレーナは慌てたようにその傍に寄り、ガレスを抱き起こした。

 ガレスはまだ意識がぼんやりとしているのか、虚ろな瞳のまま、ゆっくりと呟く。


「悪……かった、な。俺の、ミス、だ……。本当に、お前……たちには――」

「気に病むことはないんよ。みんな無事だから。あの少年が、何とかしてくれたから。今は、そのことを感謝して、喜んでいればいいんよ」

「……だが」

「お父さん、周りを見なよ。それに、シドーさんはあなたにそんな顔をさせるために、この里を守ったわけじゃないと思う」


 レーナが家族を慈しむような優しげな声音で呟くと、周囲に立っていた気の良い連中が「気にすんなよ馬鹿野郎!」と囃し立てる。

 他の人々も、笑顔でガレスを眺めていた。

 その瞳に現れていたのはこれまで里を守ってくれていた存在への信頼であり、尊敬だ。

 

「……そうか」


 ガレスは安心したように呟くと目を閉じ、泥のような眠りについた。やはり"神格化"はガレスの肉体に無理を生じさせていたのだろう。

 安らかに眠っているガレスを見て、レーナはそっと息を吐く。

 "神格化"の術式は破壊した。

 あれほどまでに緻密な術式は、構成が分かっていたとしても再び創るためにはかなりの時間がかかるだろう。

 そして、ガレスは二度と同じ手に引っ掛かることはない。緊急事態に対策を練るのは当たり前のことであり、ここまでの危険が生じた以上、それは生半可なものでは収まるはずもなかった。

 おそらく天使族は手を引くだろう。


「シドーさんは、無事でしょうか……」


 レーナはぽつりと呟く。

 そちらは迷宮から戻ってきた戦士団が捜索しているはずだ。

 ガレスを担架に乗せて里の人々に預ける。レーナも獣人の一人に背負われ、里へと運ばれていく。

 そのなかには、状況をいまいち理解していない子供たちの姿もある。

 皆、一様に笑顔だった。


(シドーさん。あなたが守った光景ですよ……)


 神谷士道は、すべてを護れるような人間ではないかもしれない。

 それでも、護り抜いたものは確かにあるのだ。



 ♢




 影山玲は『大森林』を歩いていた。

 その目的はこの大陸から脱出するためである。

 ハズレ術師のみならず魔王軍にも乱入され、獣人族に関する実験は失敗した。

 天使族はさっさと『天界』に戻っている。

 葉山集も独自に撤退しているだろう。

 もともと大友慎也に獣王を預けた時点で、影山の役割は終了していた。

 後は結果を待つだけだと思っていた。

 『霊体化』は固有スキルの中でも恐ろしく万能性が高く、その分だけ消費魔力も多い。

 要するに影山の魔力はほとんど尽きていた。


(しかし、まさか大友が負けるとは……)


 影山は少なからず動揺していた。

 神谷士道は確かに厄介な固有スキルを扱うが、大友を倒すほどの怪物だとは考えていなかった。

 『天軍』の遊撃隊とも呼称される『真実の四使徒』のリーダー的存在であり、純粋な実力でも最も高い怪物。それが大友慎也だ。

 誰よりも優しく、だというのに誰よりも冷酷な仕事を引き受け続けた男だ。

 その目的は徹頭徹尾、元の世界に帰る為に。


(……ふむ。それでも、私がやることは変わらないか)


 影山玲には、大友や集のように命を賭してまで女神のために戦う理由はない。

 彼には、生まれつき何かを恋い焦がれるような強い感情がない。

 ただ月日が過ぎるままに生きてきた。

 だから、誰よりも苛烈に世界を愛していた存在に興味を示した。その感情の根源が何なのか、見てみたかった。だから、手を貸してみたいと思った。

 ただ、それだけだ。


「――っ!」


 刹那。

 影山は驚愕で目を瞠った。激痛が背中を痺れさせるように走り抜ける。いつの間にか背筋に、ギラリとした輝きを見せる刃物が突き刺さっていた。

 風を切るような音もない。木々が揺れているわけでもない。咄嗟に周囲を見渡しても、誰一人として見当たらない。

 段々と意識が朦朧としてくる。

 おそらく、毒だ。

 影山は背中から刃物を引き抜く。

 痛みを我慢して引き抜き、眼前にかざすと、その形状はまるで、


「手裏剣……?」


 そんな呟きをしていると、もう一度同じ形状の刃物が回転しながら影山へと迫った。

 まるで音がしないとはいえ、流石に警戒していれば躱せる。後方へ飛び退くと、カカカッ、と三本の刃物が地面に突き刺さった。

 方向から大体の推測はできるが、いまだに敵の姿は確認できない。

 影山は残り少ない魔力で『霊体化』を行使して手裏剣が飛んできた方向へ駆けた。


(誰も、いない……!?)


 影山の今の状態は音も立たなければ、触れることもできず、攻撃ができないデメリットがあるとはきえ、無敵と呼んでも過言ではなかった。

 だというのに、周囲から均等に押し寄せる無機質な殺気が影山を威圧する。

 魔力が切れるまで、残り時間は少ない。

 今すぐに敵を見つけ出し、殺しにかかるか。それとも尻尾を巻いて逃げ出すか。

 否。おそらく逃げるのは無理だ。

 この敵は完全に影山を捕捉している。

 ザザ、と風で木々が揺れ、木の葉を散らす。

 影山は迷った末に、リスク覚悟で誘き出すことを決意する。

 集中力を研ぎ澄ましながらも『霊体化』を解いた。

 当然、不意打ちに反応できるように周囲の木々とは距離をとっている。


(どこからでも、出てこい。今度こそ捉え――)


 そんなことを考えていた影山は不意に、己の胸元に違和感を感じた。

 ふと視線を向けると、心臓の部分から紅く濡れた刃が覗いている。

 これはいったいなんだろう。

 ナイフの鋒なんて、こんなところに生やしていた記憶はないが。


「……良い腕だな、忍術師」

 

 影山は咳き込むように喀血した後、ゆったりとした口調で呟いた。


「私などより、貴様の方がよほど"暗殺者"を名乗るに相応しいと思うが……これはまあ日本にいたときからの技術が原因か」

「……なぜ、僕のことを知っている?」


 暗く、感情を消したかのような声色だった。

 影山が僅かに振り向くと、眼鏡の奥から冷徹な瞳が垣間見える小柄な少年が立っている。


「女神から貴様のことは聴かされていたよ。滅びの運命を背負う忍術師の少年。……まあ、貴様が召喚に巻き込まれたのは偶然のようだが」

「……知ったような口を利くな」


 霧崎翔は氷のような声音で吐き捨てた。そこには普段の優しげな雰囲気など微塵もない。

 影山は自らの心臓に刺さるクナイを見て、ああこれは死んだな、と淡々と事実を受け入れながら、それでも強化されたステータスがいまだに喋ることを可能にしている事実に苦笑した。


「私が宿すスキルは『霊体化』。影を好む貴様にはうってつけのものだ。いずれ狙ってくるだろうとは思っていたよ。まさか、こんなに早く捕捉されるとは思っていなかったが」

「僕も、ここで貴方が見つかるとは思っていなかったけど……魔王軍の情報網を舐めるべきじゃない。貴方や他の使徒の情報ぐらいは、とうに掴んでる」

「……ふむ。侮りすぎたようだな。だがまあ、こんな終わりだって、時にはあるだろう」


 影山がそう言って僅かに笑うと、翔は理解できないといったように一歩退いた。


「……死が、怖くないのか?」

「そう見えるか? だが、意外にも私は今、死にたくないという感情がある。……そういう強い感情が私にもあると知れただけで、私は満足だ」


 それは影山の本心だった。

 それでも翔は心底理解できないといったように首を振る

 若い少年だ。その背中にどれだけのものを背負っているのか、影山には計り知れない。

 それでも彼は、そのすべてを背負ったまま、死にものぐるいで前に進まなければならない。

 それ以外に、彼が望む未来は創れないのだから。


「……責めてほしいだろう。罵倒してほしいだろう。憎んでほしいだろう。殺す相手のその言葉だけが、お前を良心の呵責から僅かに開放してくれる」

「……っ!」

「だが、私は貴様を恨まない。その重みを、ひとつの魂の重みを、目を逸らさずに受け止めろ」


 影山の意識は段々と朦朧としてきた。

 そろそろ立っていることにも限界が近づいている。

 用心深い翔のことだ。クナイにも毒を塗りつけていたのだろう。その上、駄目押しのように血は滝のように流れ、とどまるところを知らない。


「それだけが私にできる、貴様への復讐だ」


 影山は苦笑すると、残り少ない魔力を駆使して『霊体化』を行使した。

 死に場所ぐらいは、自分で決める。

 地面に崩れ落ちる少年を背に、影山は暗闇の先に向かって歩き出した。




 ♢



「まあ、まずまずの戦果だな」

 

 天使長イリアスと数人の天使が、空の彼方へと撤退していく。新魔王ルシアはそれを眺めつつ、上機嫌そうに呟いた。

 眼下には九体もの天使の残骸がある。天使族の貴重な研究要員をこれだけ潰せたのは悪くない。

 だがグライブは若手の上位悪魔の戦いぶりに納得がいかなかったのか、ガミガミと説教している。

 ルシアは苦笑いを浮かべた。

 そもそも天使は悪魔以上に種族としての数が少なく、生存することへの意識が強い。だから、今回の戦果もそこそこだろうとルシアは思っている。


「ボス」

「申し訳ねえ」


 ドムとブレットの双子が、ルシアに向けて謝罪を告げる。彼ら二人にはリリスの回収を指示していたのだが、ミレーユに片割れが抑え込まれていた上に、いざ天使族が撤退するところになると唐突に割り込んできたアイザックがドム達を抑え込み、リリスとミレーユを逃した。

 いくら上位悪魔とはいえ超級冒険者の相手は楽ではない。仕方のないことだろう。

 そもそも"赤鬼"のアイザックは何を考えているのかよく分からない。

 ルシアは手を軽く振って顔を上げさせる。


「さて、凱旋だ。キリサキ達は何処にいる?」

「ここです」


 楓を連れて、翔が姿を現す。やけに隠れるのが上手い男だ。だからこそ楓を預けたのだが。


 翔は"神格化"の術式があった魔法陣を、じっと眺めていた。所詮は残骸であり、先ほど上位悪魔に調べさせたが、大して有用な代物でもない。

 それは翔がさっと手を振ると、それは元の『転移魔法陣』に戻った。

 残骸を粉々にしたのだろう。


「……どうした?」

「いえ。大したことではないです」


 翔は言葉少なにそう言う。妙に雰囲気が暗い。何かあったのだろう。だが、フォローをするほどの間柄でもない。

 ルシアは訝しみながらも放っておくことにした。

 顎をクイッと引き、楓を促す。

 楓はびくりと怯えたが、翔が優しく頭を撫でると、安心したように『次元移動』を行使した。

 ルシアはいちいち扱いが面倒な人間にため息をつきながらも、次元に開かれた穴へと飛び込んだ。



 ♢



 『大森林』を捜索していたミレーユは、壮絶な戦いの跡を見つけ、その付近に倒れ伏す士道を見つけた。


「シドーさん、大丈夫ですか!?」


 その声を聴いて、近くを探していたリリスも駆け寄ってくる。


「シドー!? ……ひどい傷!」


 ミレーユは苦手な治癒魔法を一通り行使したが大して容態は変わらない。

 ぐったりとしている士道を背負おうとすると、近寄ってきたウルフェンが唸るので士道をその背に乗せる。

 ウルフェンは里に向けて疾走していった。

 あの里にはしっかりとした実力を持つ治癒術師がいたはずだ。士道は血を流しすぎているので、はやく治療してもらいたい。


「シドー……」


 リリスが気遣うように呟く。

 何があったのかは分からない。だが、士道は泣いているようだった。その跡があった。

 何にせよ、起きることができるくらいに回復してもらわなければ、労うこともできない。

 ミレーユ達はウルフェンが駆けた後を小走りについていった。



 ♢




 遥か天空にある『天界』へと繋がる門。  

 その前にイリアスは君臨し、悠然とした様子で眼下を睥睨していた。

 周囲には傷だらけの研究員が四体。それ以外の者は魔王軍に殺されてしまった。


「……だいたいの決着はついたか。まさか神谷士道に大友がやられるとは」


 予想外の事態だった。そのせいで結局、あの場で粘ったことが無駄になってしまったのだ。

 元自衛官とはいえ、所詮は転移者か。やはり頼りにするべきではなかった。


「……済まなかったな、お前たち。このような事態になってしまって」


 イリアスが謝ると、研究員の天使達は慌てたように弁解する。


「元より覚悟の上です。この身のすべては女神様の御心のままに……。それに、確かに実験のデータは回収しました」

「同じ手は通用しないでしょうが、この有益な結果は他の実験に繋がります」

「そうか……」


 イリアスは憎々しげに眼下をもう一度見下ろし、


「新魔王、ルシア……。それに、ハズレ術師か」


 圧倒的な殺意を持って、宣言した。


「次は、容赦はしない。――『天軍』の精鋭をもって、全力で潰そう」

 


 


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