第8話 「第一級の怪物」
大海原に、小型船が浮かんでいた。
海は光を反射してきらびやかに輝き、波はまるで生き物のように躍動する。
この世界の船は通常、底石代わりに理石と呼ばれる特殊な宝石が敷き詰められており、魔物に気づかれにくくなっている。
この小型船も例外ではなかったのだが魔物が活発化している影響か、すでに何度か交戦を済ませていた。
「冷てえ……」
ハオウイカとの戦いで海に落ち、ずぶ濡れの士道とは裏腹に、船旅は順調だった。
魔物との遭遇率は高かったものの、士道と玄海がいるおかげで危なげなく倒し、船は高速で進んでいく。
「これ帆船だろ? 風上に切り上がってるわりに速くないか?」
「ああ。それは魔導機関を搭載しているからだな」
士道の素朴な疑問にガウスが律儀に答える。というより、この男は単に説明を好むようである。
「魔導帆船を見たことがないのか?」
「まあな。船に乗ったのも始めてだよ。というか、魔導機関ねぇ……」
士道は疑問に思いながらも深くは尋ねなかった。
もしそれがこの世界の常識であるならば、更に怪しまれることになる。
かといって、まさか異世界人だということを告白するわけにもいかない。
頭のおかしい人だと思われるのがオチだろう。
「で、この船はどこに向かってるんだ? あの大陸か?」
「あれは大きいが、大陸ではない。海上都市アクアーリアが位置する島だ」
「へぇ、海上都市か。島にあるからそう呼ばれてるのか?」
「それもある。アクアーリアは水路が多くて、魚介が豊富な都市だ。……しかし、ここ周辺じゃ有数の大国であるライン王国を知らないとはな。よほど遠くから流されてきたのか」
「まあな……」
表情の変化が少ないガウスが、驚いて目を瞠っている。
士道は内心で踏み込みすぎたな、と自戒して当たり障りのない話題に戻した。
そして、小型船に乗ってから2日が経過し、士道たちはアクアーリアに到着した。
ユーレンザラード大陸北部の大半を占める大国――ライン王国。
その西方に位置するサザルーフ伯爵領。それは、ユーレンザラード大陸にほど近い大きな島のことだった。
ユーレンザラード大陸の西方には中央大陸が存在し、海上都市アクアーリアはちょうど2つの大陸の中間地点に位置している。
よって、この都市はライン王国が中央大陸の国々との貿易に使っており、商業が盛んで常に人が賑わっている。
士道は、そんな都市の雑踏の中を歩んでいた。
人とすれ違う感覚が久しぶりで、随分と新鮮な気分だった。
士道の近辺にガウスたちはいない。
冒険者ギルドに依頼達成の報告をするようだ。士道は人里に送ってもらった報酬であるアースドラゴンの魔石と金柱一本を渡し、一旦彼らと別れた。
士道としては、異世界に来て初めての街なのでいろいろと不安はあるのだが、流石にこれ以上手伝わせるのも酷だろう。
ここまで士道と行動を共にしていた玄海も、船から降りたところで別行動になった。
遺跡で見つけた金塊を高値で売りつける魂胆であるようだが、当然のように路地裏に入っていったあたり、どういう方向性の人物に売ろうとしているのか察しがつく。
集合場所は決めていない。
士道と玄海の師弟関係は、あの孤島を脱出した時点で切れたのだ。
思ったよりも早く脱出できたので、ほんの一ヶ月しか技術を教わっていないが、それでも『この孤島を出るまで』と期間は決まっていた。
それでも体術と剣術に関しては一通り教わった。剣術は古賀流の奥義を使えるようにすらなっている。
後は鍛錬によって研鑽を重ねるだけだ。
だが、これで玄海との関わりがなくなるわけではない。
士道と同じく玄海もひとまず冒険者を生活手段とするつもりなので、パーティを組むこともあるだろう。
一ヶ月も寝床を共にしていたので少し寂しくはあるが、玄海には古賀流の道場を開くという明確な目標がある。
彼は、士道とは別の道を行くのだ。
(さて、俺は俺のやるべきことをやるか)
士道は大通りの人混みの中を歩きながら、つぶさに周囲の人々を観察していた。
この世界の常識を少しでも理解するために、忙しなく目を走らせる。
(やっぱり天使の言った通り、中世ヨーロッパに近い感じか。ただ魔導による発展があるおかげか、清潔だしところどころハイテクだな)
そんなことを考えながら肉の匂いに誘われて露店に近づいていくが、そこでハッと我に返った。
お腹が空いたが、食事を摂るためには資金を調達しなければならない。
ガウスからいろいろと話を聞き、魔石を売るなら冒険者ギルドの買い取りカウンターに売るのが最も安全だと理解した。
冒険者ギルドは海上都市アクアーリアでも一際大きく、無骨な雰囲気の建物だ。士道の位置から見ても目立つ。
(結局向かうんだからガウスたちと一緒に行けば良かったか)
士道は当たり前のことを考え、雑踏を歩む。
辿り着いた冒険者ギルドは木造で、所々に修繕の後がある。荒くれ者の冒険者が喧嘩することも多いのだ。
酒場も併設しているので夜は人で賑わうが、今は昼間なので大して人の出入りがない。
士道は冒険者ギルドの両開きの扉を押し開いた。ギィ、と音が響く。
内部は奥にカウンターがあり、手前側にはテーブルとイスが規則正しく並べられている。
ギョロリ、と士道は冒険者の視線を集めた。
今日は依頼を受けていない者や、元から依頼など受けるつもりがない者たちが酒場にたまっている。
何人かは酔っているようだ。
士道はゆったりとそれらを見回すと、泰然とした様子でカウンターに向けて歩き出した。
そこへ。
「待ーてよぉ」
昼間から酒に呑まれ、顔を赤くしている中年の男が士道に声をかけた。
士道は面倒くさそうに顔を歪める。
「てめぇ、新顔だな?」
「あぁ。そうだが?」
士道がそう答えると、中年の男はあからさまに馬鹿にして「ハッ」と笑う。
「バカじゃねーのか? てめぇみてーなガキが務まるような甘いもんじゃねぇ」
「……少なくとも、お前に務まるようなら俺でも務まるだろ」
士道は嘲笑する。周囲で眺めていた者たちが、驚いたように目を瞠った。
中年の男は、第六級冒険者ゴルホ。
酔うと手がつけられなくなる問題児だが、剣士としての腕は確かだ。
そのゴルホに喧嘩を売るような態度を見て、その神経を疑ったのだ。
だが、士道はゴルホをひどく侮蔑していた。
酒に呑まれるような人間は好きではない。それが、周囲に不快な思いをさせるならば尚更だ。
「ああ!? てめぇ、このゴルホ様をよほど舐めてると見える……!」
「悪いなゴリラ。貴様の名前なんか知らん」
適当に言って、士道はすたすたとカウンターの方へ向かっていく。
まるで興味がなさそうな士道を見て、ゴルホの額に青筋が浮かんだ。
「調子に乗ってんじゃねぇぞ、ガキがああああ!!」
拳を握りしめ、士道の背中に殴りかかる。勢いよく地面が踏み鳴らされ、身体強化を伴った拳が唸りを上げた。
対して、士道はくるりと振り返る。
体を軽く振って拳を避けると、その腕を掴んで投げ飛ばした。
突っ込んでくるゴルホの力を利用した、完璧な背負い投げである。
古賀流体術の真髄は逆関節技にこそあるが、それを使うまでもないと判断したのだ。
鈍い音が響き渡り、ゴルホが地面に叩きつけられる。
気絶しているようなので、士道は「頭を冷やせ」と呟きカウンターに向かった。
周りの冒険者は呆けたように口を開いて士道を見ている。
カウンターのギルド嬢は、少し頬を引きつらせた笑みを浮かべた。
「は、はい。なんの御用でしょうか?」
「魔石を売りたいんだが……」
「でしたら、あちらの買い取りカウンターでお願いします」
「分かった」
士道は頷き、買い取りカウンターにいる青年に、バッグに詰め込んであった魔石を全部渡した。
「こ、これ全部ですか……」
「そうだ。悪いな、手間をかけさせて」
士道は朗らかに笑う。青年はゴルホと相対していた時とはまるで違う士道に、少し驚いたようだった。
「少々お待ちください。十分もすれば終わるかと」
「ああ。ところで、冒険者になりたいんだが、どうすればいい?」
「えっ……? 他の街から来た冒険者さんじゃないんですか?」
それに頷く。周囲から注がれる驚愕の視線に、怪訝そうに眉をひそめたがその理由に思い至り得心した。
魔石を大量に売り飛ばした士道が、高位冒険者どころか、冒険者ですらないという事実に驚いているのだ。
「まぁ、田舎から出てきたもんでな。冒険者のシステムすらよく分かってない」
そう言って苦笑すると、ギルド員の青年も笑みを浮かべて、
「でしたら、そちらのカウンターで冒険者登録をして下さい。ギルドカードの発効に銀貨一枚必要になりますが……」
「そこの魔石の買取額から引いといてくれるか?」
「分かりました」
「では、こちらにどうぞ」
先ほどのギルド嬢に冒険者に関する説明を受ける。
ガウスの説明と一致している点も多かったが、士道はしっかりと頭に叩き込む。
まず冒険者には『級』というランクがある。
級は第十級から第一級の順で上がっていき、ランクが上がるほど実力の高さが求められ、依頼も危険なものになる。
なお第一級の上に超級があるが、これは伝説になるような実力者しかなることができない。現在はたった3人だ。
昇級の条件はそのランクでのある程度の実績と、ギルドの提示する試験に合格することが必要である。
□
基本的に戦いを含む依頼ばかりなので注意が必要で、命は保証しない。
依頼の報酬の一部はあらかじめギルドが仲介料としてもらっている。
ランクが第一級以上になるとギルド側が優遇するサービスもある。
ギルドカードが貰え、それが冒険者としての身分証明になる。
依頼の実績やランク、名前、種族、年齢が刻まれていて、魔導技術によって更新される優れもののようだ。
流石にステータスのような詳細な表示はないようだが。
失くしたら再発行に銀貨一枚が必要になる。
「……こんなところでしょうか。ギルドカードを発効しますので、名前と年齢、種族を教えてください」
「まあだいたい理解した。俺は神谷士道……いや、シドー・カミヤだ。17歳で人族」
士道は迷った末、この世界式の名乗り方を使った。ガウスのときのように、ヒノ国の住人だと思われても困る。
「はい。……17歳ですか、若いのにお強いんですね」
「……そんなことねえよ」
士道は本気で苦々しそうに答えた。
玄海との間にどれほどの実力の隔たりがあるのか、未だ見えてすらいない。
精霊王フィアにいたっては論外だ。
士道は、そんな自分が「強い」と呼ばれることにひどく違和感を覚えたのだ。
「一応、こちらの水晶に手を乗せてください。これは魔導技術によって造られたもので、ステータスの一部を覗き、嘘ではないことを確認します」
「頼んだ」
「…………はい、大丈夫です。手を離してください」
「こんなんでいいのか?」
「はい。それと、死者を少なくするための措置として、第十級から第九級まではギルドナイトの戦闘指導を受け、実力試験に合格するまでは町中の雑用ばかりで、魔物討伐の依頼を受けられないんですが……今すぐ試験を受けて、合格すれば第八級から冒険者を始めることができますが……」
「へえ、便利だな。それで行こう」
「すみません。魔石をあんなに集めている以上、試験に合格することは分かっているんですけど……一応決まりですので」
「いや、大丈夫だよ」
申し訳なさそうなギルド嬢に、士道は微笑みかける。
ギルド嬢は、端正な顔立ちの士道に少し見惚れたようだった。
そこで、ギルド員の青年が声をかけた。
「魔石の換金終わりました。……凄いですね、金貨6枚越えですよ」
そう言われても、士道は貨幣価値がいまいちよく分かっていない。
曖昧に笑いながら頷いた。
「どうぞ」
手渡された金、銀、銅の貨幣を、ほとんどすっからかんになったバッグに収納する。
周囲の冒険者が羨ましそうな目で見たが、士道は黙殺した。
そこに、馬鹿でかい声が響く。
「よう! お前が、来てそうそう実力試験を受けようとしてる坊主か!?」
いつの間にか上階に行っていたギルド嬢と共に、階段を下ってきたのはやかましい中年の男だった。
筋骨隆々とした肉体を持ち、威風堂々としたその様からは強者の風格が感じられる。
「ん? ゴルホの奴が倒れてるじゃないか、あれはどうしたんだ?」
「その少年に絡んで、返り討ちにされてました」
「……ほう? 素行はアレだが一応は第六級であるゴルホを、新人が返り討ちか!」
大仰に驚いた中年の男は興味深そうな目で士道を眺める。
「少年、名は何という?」
「シドー・カミヤだ。あんたは一体?」
「第一級冒険者、グランド・アイブリンガーだ。よろしく頼む!」
第一級。
ギルドの最高格がいきなり登場したので、士道が驚愕に目を瞠る。
興味に誘われて『鑑定』した。
―――――――――――――
グランド・アイブリンガー:男:34歳
レベル:91
種族:人族
天職:剣士
スキル:鬼剣
――――――――――――
(レベル91……)
化物みたいなステータスを見て、士道が頬を引きつらせる。
スキルの鬼剣は、死にかけるとステータスが一時的に2倍になるという恐ろしいものだ。一度使うとしばらく体が動かなくなるようだが。
士道がギルド嬢に視線で説明を求めると、彼女は申し訳なさそうに、
「この方、一応ギルドナイトも務めていて、本来この試験は第五級ぐらいのギルドナイトでも試験官は務まるのだけど……」
「期待の新人の実力試験だと!? 俺がやる俺が!」と、グランドが言うことを聞かなかったようである。
最近、若手の指導に燃えているんです、とギルド嬢に耳打ちされた。
ちなみにギルドナイトというのは普段は普通に冒険者をしているが、ギルド内の治安維持などの活動もする者を指す。
ギルド嬢はこっそりと士道に顔を近づけ、
「ゴルホは最近ホントに迷惑してて、お灸をすえられて良かったです。ありがとうございます」
「……ん、おう」
まさか感謝されるとは思わなかったので、士道は意外そうに返事をした。
「さて、じゃあ試験を始めるか! 裏手の訓練場に向かうぞ! ついてこい!」
グランドは上機嫌に裏口へ歩いていく。一々声が大きいので、士道は苦笑していた。
だが、このはっきりとした性格は嫌いではない。
「第一級の戦闘が見れるぞ……!」
「訓練場行こうぜ、他の酒場に溜まってる奴も呼んでこいよ!」
「ゴルホはどうする?」
「ほっとけゴリラなんか!」
冒険者がそれぞれ楽しそうに話して、席を離れていく。
士道は自分がやったこととはいえ、ゴルホを少し哀れに思った。
互いに準備を整えると、かなり広めの訓練場で士道とグランドは相対する。
周囲に障害物は何もない。
離れたところには、それなりの数の観客が集まっていた。
第一級の戦闘が見れるというのは、それだけの価値があるのだ。
ガウスたちのパーティも観客に混じっている。士道とガウスは目が合うと小さく手を上げた。
「さて、始めるか!」
気炎万条、グランドが吠える。
グランドはただ立っているだけなのに、凄まじい威圧感を放っていた。
訓練時の玄海と並ぶほどの風格、覇気。
これが第一級冒険者。
冒険者のトップ陣営。
だが、ここであっさりと負けて不合格となるのも馬鹿らしい。
士道は深呼吸して意識を切り替える。
勝てるとは思わないが、自分の力量を確かめる良い機会だ。
そう考え、愛刀『夜影』の鯉口を切った。すらりとその刀身が顕わになる。
――試験が、始まる。